九話「ホワイトデーの魔法」
3月14日。
3月14日という日が存在します。
この3月14日という日にちだけを見た場合、
それは3番目の月の中に存在する14番目の日にち、
たったそれだけのシンプルな意味しか持ちません。
3月には春分の日という心強い祝日さんが存在し、
彼女が土曜日というチャラ男に寝取られない限り、3月14日なぞ、所詮は何でもない日。
まれに土曜日さんや日曜日君が彼を助けてくれますが、
我々人間にとって、基本的に3月の中のごく平凡な一日にしか過ぎないのです。
事実、大多数の人間、とりわけ社会人にとって「3月14日が来るよ」と言っても「へえ」で終わるでしょうが、
「春分の日が来るよ!」なら「やったー!」と大喜び。
「今年の春分の日さんは土曜日に寝取られました……」などと言おうものならば、
「おのれ土曜日!!」と多くの社会人は怒りを覚えることでしょう。
ちなみに日曜日くんとくっついた場合は、
その愛の結晶である「振替休日ちゃん」が誕生するのでみんなお祝いしてくれます。
チャラ男の土曜日とは大違いですね。
話がそれましたが、
3月14日なぞ、本来は所詮その程度の位置なのです。
しかし、そんな彼にも裏の顔が存在します。
そう「ホワイトデー」です。
しかし、この「ホワイトデー」君は、バレンタインデーさんと違ってとにかく地味です。
その理由は彼の参加条件にあります。
この「ホワイトデー」の参加条件、それは大変鬼畜なものとして広く知られております。
それは「バレンタインデーでチョコをもらう」です。
はい。もう一度言います。
バレンタインデーで勝て……です。
この時点で多くの男性が脱落必至。
仮に参加できたとしても、渡すかどうかは男性次第で、
女性からしても「せっかく(義理でも)渡したのにお礼が来ない」というのは実際よくあることで、
「一体なんのためにいるんだね、君は」と彼はよく疑問視されます。
なので最近は女性が女性にお礼を渡す日、あるいは男性から品を送って告白する日、
などと必死なイメージチェンジが行われているそうです。
さて、今回はそんなホワイトデー君に関するお話です。
どうぞお楽しみください。
霧に溶ける桜の記憶、儚く散る一瞬の華の世界、夢。
…………
(ここはどこだ)
磨りガラスを通したようなぼやけた視界の中、
中央には桜でしょうか、特徴的な色をした、大きな木、
そこに向かって、元気よく走る少女の姿が見えます。
「⬛︎⬛︎ちゃん、待ってって!」
(俺……? 誰を追っている?)
「あゆむ君、早くおいでよー!」
「⬛︎⬛︎ちゃん、走ったら転ぶよ!」
夢の中のあゆむは、独立して動き、喋っています。
現実のあゆむはただの傍観者。
動くことは出来ません。
夢の中の少女は相変わらず止まりませんが、あゆむの警告も虚しく、
石につまづいたのか、転んでしまいます。
「痛い……!」
「⬛︎⬛︎ちゃん!? 大丈夫!?」
『痛い』と叫んだ少女に、あゆむ少年が駆け寄った時です。
少女は、まるで怯えたように――
「大丈夫! 痛くないよ!」と先程の言葉を取り消します。
しかし、言葉と声のトーンがまるで一致せず、
傍観者のあゆむは違和感を覚えます。
(何に怯えているんだ……)
「ならいいんだけど……」
「えへへっ、行こ!」
少女は明るい言葉を作り、あゆむ少年と共に桜の木へ消えていき、
やがて視界は霧に包まれます。
…………
――――
場面は切り替わり、リビングに変わります。
眼前には木の長テーブル、
奥には白いセーターの『彼女』がいます。
奥のリビングからは美味しそうな匂いが立ち込めてきます。
「……さん」
「ん? どうしたの? ⬛︎⬛︎」
「今日はお返しの日って聞いたから、これあげるね」
そう言って夢の主が渡したのは紙の箱。
折り紙を合わせて作ったのか、カラフルで愛らしい小さな箱です。
「嬉しい……開けてもいい?」
「うん!」
彼女が待ちきれないのか、嬉しそうな声でそう尋ねると、
夢の主も嬉しくなったのか、元気よく返します。
彼女は丁寧に、割れ物を扱うように紙の箱を開けると、
中にはいくつかの飴玉と、一枚の手紙が。
『……さんへ。
いつもありがとう。だいすき。
⬛︎⬛︎』
手紙にはそう書かれており、それを見た途端、
彼女は膝から崩れポロポロと泣きだします。
箱を大事そうに胸に抱え、夢の主が近寄ると、
彼女は夢の主を強く抱き締め、夢の主も自然と抱き返します。
リビングでは温かな空気で満たされ、一緒に飴玉を食べます。
甘い幸せの味が口に広がり、ここで世界が白く染まります。
――――
壁時計が静かに鳴る静寂。
時刻は朝5時。あゆむはまだ甘い夢の中です。
トリエルもいつものように、
おばけのうち数匹を抱っこしながら、すやすや夢の中。
たまに寝ぼけておばけを投げますが、それはまだ可愛い方です。
この日常は普段と変わりありません。
ピピはいつものように、あゆむの寝顔を見守り中。
(あゆむ様の匂い……髪の毛……爪……全てわたくしのもの……)
気持ちが高ぶったピピはゆっくりとあゆむの首に手を回し……
「ああ……添い遂げたい……添い遂げたい……」
完全にイった目で首に回した手に力を――
ペチン!!
その寸前で、寝ぼけたタンタの尻尾で顔ぺちされました。
タンタはそのままお尻をあゆむの頭にスリスリ。
ぷーをして帰って行きました。
「……おのれー……」
ピピはタンタを睨みつつ、くすりと笑うとあゆむの寝顔を見つめ……
「……たとえこの魂が滅んでも、想いはあゆむ様のお傍に」
そっとそう囁きます。
怨霊故にあゆむを想う気持ちはちょっと危険ですが、
その心根にある感情は真心なのです。
(あゆむの髪、抜いておきましょう)
……多分。
――――
「……なんか臭うな」
どうやら昨夜のタンタの「ぷー」がまだ効いているようです。
あゆむが眠りまなこを擦っている時です。
「あぶなーい!」ちょっとわざとらしい叫び声が聞こえたと思ったら、
ピピがあゆむを突き飛ばし、そのまま覆い被さるようにします。
直後、ビュン――とポンポがボールのように視界を横切ります。
「助かったよ、ピピ」
「はい」
ピピはニコリと微笑みますが、臭いが気になるのか、
あゆむからは距離を取ります。
そしてその体からは黒いオーラが……
(おのれ白ナスビが……あの人との時間を!!)
(なんか今日、ピピの機嫌が悪いな)
あゆむはその理由を探りますが、思い当たる節がありません。
ふとカレンダーを見てみますが、今日はただの3月14日です。
(あ……)
あゆむはここで、今日という日が何の日かを思い出したようです。
(ホワイトデーか……それで機嫌が悪いんだな)
あゆむはピピの不機嫌がお礼を渡していないからと、
そう勝手に解釈して、常温食料庫を開けます。
中には小麦粉などの常温保存ができるそれらがあるのですが……
「ピピ、クッキーってどう作るんだ?」
「クッキー……ですか?」
「今日はホワイトデーだからな」
「クス……では教えますね」
(良かった。機嫌を直したみたいだな)
かくしてピピのクッキー教室が始まりました。
「ここの分量はちゃんと正確に」
「泡立て器でしっかりやってくださいね」
このように、ピピは身振り手振りで教えます。
やがて生地の土台が出来上がると、あゆむはそれを伸ばすのですが……
「妙に硬いな……」
「分量間違えましたか?」
「いや……そんなはずは」
分量も手順もあっているはず。しかし、妙に硬い。
あゆむは疑問に思いつつもそれを伸ばそうとするのですが……
「それはオレのクッキーさんだ」「イヤーン」「スケベーん」
どうやらアンポンタンが生地に化けていたようです。
「ふんぬーーーー!! そうかーーーー!! 生地ならば塩がいるなあ!!」
あゆむは塩をガガガッ――と、彼らに振りかけますが――
ゴーン!!
という反撃の頭突きで尻もち!
アッカンベーとベロベロバーで、彼らはまたしてもどこかに消えていきました。
ドロンパー。
「クソガキどもが!! 今度あったら浅漬けにして食ってやるわ!!」
そんな日は来ないと思いますが、それでもあゆむは拳を握りしめます。
「はあ……」
下を見るとそこは白い地獄。
小麦粉が散乱し、生地はメチャクチャです。
せっかく作ったものが台無しになってしまいました。
彼らにも困ったものです。
「えーと……みんながごめんね……」
すると、ここで声のトーンが高いトリエルが部屋から出てきます。
その目は茶色に輝いています。
そう、『彼女』です。
トクン……
目が合い、鼓動が一瞬、早くなります。
大人びたトリエル、彼女はシルクハットを優しく取ると、
桜色のハローを出現させます。
「みんな、手伝ってあげて」
彼女が指で指示をすると、部屋中のおばけが集合して楽しそうに掃除をはじめます。
普段あゆむを煽り散らす彼らとは別人のように素直です。
「ハーイ!」
「トリエルさん、これはー?」
おばけが台無しになった生地を持つと、彼女は指先から虹色の光を放ちます。
するとそれは見る見るうちに綺麗になり、遂には意志を持ち始めます。
「美味しいクッキーにー……なりたいかー!」
「イェーイ!」
「胃袋にー……行きたいかー!」
「おおー!」
「胃酸に飛び込む、覚悟はあるかー!?」
「うおー!」
「燃えていけー! ファイヤー!」
どこかのクイズのアナウンサーのような熱血実況が始まり、
彼らは、まな板に整列します。
「問題です」
ダダン!
「クッキーにおいて、最も人気のある形は『丸』である……正解だと思う形へ行けー!」
チックッタック……
チックッタック……
アナウンサー生地の実況のもと、生地達は思い思いの形へダイブしていきます。
丸型、星型、ハート型、わーっと言う掛け声と共に次々と飛び込みます。
そして正解は……
「正解は……全部だー! ファイヤー!」
ピコピコピコン!
「全部かーい!」
意志を持った生地達は自分達で美味しそうな形になり、電子レンジの戸を開けます。
「ここから先は引き返せないぞ! 覚悟はいいかー!?」
「もうええわい!」
「えへへっ……お菓子作りって楽しいね」
「ふふ……そうですね」
気付けば横では彼女とピピが楽しそうに微笑んでいます。
普段の権能では散々な地獄絵図ですが、彼女が使う力はまるで夢の魔法です。
時間を忘れるほどに楽しい力で、あっという間にクッキーが出来上がりました。
「凄いな……お前のおかげ――」
あゆむは横目で彼女を見ましたが、
そこにいたのは、今にも目の輝きが消えそうな彼女でした。
あゆむは急いで彼女を支えると、ピピも近寄ります。
「力使ったから……眠く……」
「大丈夫か? もうすぐクッキーも出来るんだ。食べてけよ」
「眠い……かも……」
そう言うと、彼女の目の色が消えて、赤い輝きが宿ります。
あゆむは彼女を床に座らせると、やがて焼きあがったクッキーを持たせます。
「……お前の分だ」
キッチンでは甘い匂いと、
少しの儚さが混じったクッキーが黄金色に輝いていました。
――――
時同じくして、上空に一匹の大きな蝿――ベルゼブブが飛んでおります。
かの者は黒いモヤをまとい、町を眺めております。
「おかしい……強い天力再びを感じたのだが……痕跡がまるでないな」
ベルゼブブは、しばらく上空に留まります。
(件の天使は、転移を繰り返すだけでなく、痕跡も消せるのか)
ベルゼブブは、家々を一軒ずつ上空から見下ろします。
やがてそれは、あゆむの住むアパートで止まります。
「あの付近に最も強い残滓がある」
ベルゼブブはゆっくりと降下を始めますが、その動きが途中で止まります。
「阿呆でもあるまいし、同じ場所に二度も足は運ばぬか」
ベルゼブブはそう呟くと、空に黒いモヤをばらまいて消えていきました。
(ふむ……我が主の焦り、満更でもないのやもしれぬな)
――――
「トリエル、やるよ」
夕暮れ時、そう言ってあゆむは、
トリエルに20cm程の小さなヒヨコのぬいぐるみを差し出します。
「……くれるの?」
トリエルは再び茶色い目を輝かせて、上目遣いであゆむを見つめます。
「早かったな」
「……クッキー貰ったからかな」
そう言って彼女は桜色の頬で満開の笑顔を見せ、
あゆむの胸が静かに熱を持ち、視線が彼女から離せません。
しかし、あゆむに気恥しさが戻ったのか……
「……出てくるなら教えてくれよ」
「ドキドキしてくれた……?」
「うるせえ」
あゆむは、こんなやり取りで少しだけ視線を逸らします。
一方の彼女は貰ったぬいぐるみを優しく撫で、茶色い目を細め、
やがて、勇気を振り絞るように、小さく柔らかい声でそっと語りかけます。
「あのね……わたし、わたし……」
「あ、ああ」
…………
あゆむの目に微かな期待が宿り、顔を赤らめる彼女を真っ直ぐに見つめます。
今度は彼女が気恥しさに耐えられなくなったのか、
目線を逸らすと、それでも勇気を出しますが……
「……クッキー美味しかったよ」
そうごまかして、またしても彼女は自らブレーカーを落とします。
その気遣いがもどかしく、同時に少し腹立たしく感じます。
勝手に忖度されて、好きになりきれない――
「お前の人生はどうなるんだよ……バカかよ」
そう呟くことしか出来ない自分に、もっと苛立つあゆむでした。
――――
その夜、あゆむはピピに寄り添い、窓辺に立っていました。
「……ピピ、これを」
「これは……?」
あゆむはそう言ってピピにラッピングされた小さな箱を渡し、
ピピは期待を込めながらも、しかし、
期待しすぎないようにあえてあゆむに訊ねます。
「開けてみてよ……」
あゆむは照れくさそうに頬をポリポリとかくと、
ピピは微笑みながら丁寧にラッピングを剥がします……
そこにあったのは小さな月のバレッタでした。
「ホワイトデーだからさ……チョコのお礼」
そう言って既に涙を流しているピピの顔を見つめます。
その肌は白く微かな青い光を放ち、
月に照らされた涙はほのかに輝き、なんとも幻想的です。
ピピはそのバレッタをそっと後ろ髪につけると……
そっとあゆむの頬に唇を静かにつけました。
「わたくしで良かったのですか……彼女の方が」
「バカヤロウ。俺はどっちも大切なんだよ」
「それは浮気宣言ですか?」
「とにかく、どっちも大事だ!」
ピピは、はにかむあゆむの顔を見て満足したのか、
背中にそっと腕を回します。
彼女の腕は冷たく、生者のそれではありません。
それでも、ゆっくりと、あゆむの体温を覚えるように、熱を帯びていきました。
「……彼女になら、わたくしは譲れますよ」
けれど、あゆむの答えはピピのそんな下向きな思いを打ち壊します。
「ピピもアイツも……どっちも大事で、大切だよ」
「……お慕いしております」
――――




