六話「バレンタインの星」
2月14日という日が存在します。
この2月14日という日だけ見れば、それはただの2月14日であり、なんら特別な意味を持ちません。
2月の中に存在するただの14日なのです。
そういう意味では、この2月14日という日は、
4年に一度しかないうるう年に比べれば、大した価値はないでしょう。
所詮はただの14日です。
29日様の足元にも及ばぬ存在です。
しかし、ここにイベントという価値が付与されるとどうでしょうか。
それも「告白」というイベントです。
そう、2月14日の真の姿、それはバレンタインデーです。
そのルーツは、聖人バレンタインが殉教した日であるとされ、
後にチョコレート会社が仕掛けた広告や百貨店のセールがきっかけで、
「女性から男性にチョコレートを贈る」という独自の告白文化が広まりました。
そう考えると、人が死んだ日によくもまあ愛の告白ができるものだと、そう思えなくもないですが、
その理屈ですと、他のイベントでも大抵どなたかが亡くなっているわけで、
ことさらバレンタインデーだけを責めるのは、いささかアンフェアであると言えるでしょう。
…………
などと言うと思ったか。
彼女、バレンタインさんはみんなの人気者です。
しかし、彼女は超面食いです。
彼女が開催するイベントは、一部の「イケメン」と呼ばれる人しか参加を許されません。
しかもそんな彼女を真似て、ホワイトデーなる陰キャ君まで出現する始末。
けれども最近のバレンタインさんは承認欲求に疲れたのか、
「バレンタイン疲れ」なる言葉も生み出しました。
やめませんか? バレンタイン。
というわけでございまして、今回はそんなバレンタインデーでのお話です。
どうぞ、お楽しみください。
霧に滲む淡い幻の世界、夢。
白くぼやけた壁の前方に、銀色の台が見えます。
キッチンでしょうか、それはおぼろげですが、
記憶からそうであると、辛うじて判断できます。
前方に立つ女性はやはり『彼女』
セーターを着た姿が印象的です。
カチャカチャと、金属を擦り合わせるような音が聞こえ、
どちらの声かは分かりませんが、楽しげに笑う女性の声も聞こえます。
「……さん、何を作っているの?」
ここを夢と認識できていない夢の主が、大好きであろう女性を呼び、
彼女が作っているものに興味を示しているようです。
「チョコレートよ。⬛︎み」
彼女が夢の主の名を呼びますが、ぼやけていてよく聞き取れません。
彼女はボウルのような物を持つと、それを傾けて中身を見せます。
「どうしてチョコレートなの?」
「今日はバレンタインって言って、そういう日だからよ?」
「バレンタイン?」
「そう、好きな人にチョコレートを送る日なの」
「じゃあ、⬛︎みも……さんにチョコあげるね!」
ここで急に世界の輪郭が水でぼやけ、
彼女がうずくまってしまいます。
涙は視認できませんが、やはり『泣いている』と、そう分かります。
この水で薄まった輪郭から、そう判断できるのでしょう。
「嬉しいな……なら……さんも⬛︎みに、チョコあげないとね。
それと、■■■君にもあげようね」
ここで世界が水で満たされ、夢が終わります。
夢の主の心のどこかで、懐かしい温もりが残る中、
世界は静かに溶けていきます。
――――
シィィィ………
シィィィ………
その音は例えるならば、コンクリートの上を滑る靴の様な、
あるいは雪の上を滑るスキー。
そんな聞きなれない何かを擦るような音です。
低い音であまり心地よくない音。
「……ん……」
その音で、あゆむは目を覚ましました。
ふと、枕元のスマートフォンを探します。
――深夜4時。
周囲はまだ暗く、その音は、なおも続きます。
「なんだ……」
あゆむは音の出る方向を、寝転がったまま探ります。
シィィィィ…………
どうやらその音は、部屋の外から聞こえるようです。
ベッドから降りると、その音のする方へと向かいます。
ギ……ギ……という床を踏む音が、しんと静まり返った部屋の中、
まるで、その得体の知れぬ音への不安や恐怖を煽るように、
あゆむの耳へとその音を運びます。
「……ゴクリ」
あゆむは息を呑み、部屋とキッチンを仕切るカーテンに手をかけます。
「!!」
そこに居たのは青白く光る女。
目を赤く光らせ、包丁を研いでいます。
そして………
「ああ……いらしたのですね……」
その女は腰を直角に曲げ、首をギギギ……と、あゆむの方へと向けます。
生気のない、その顔を。
「いや怖えーよ! ピピ!」
「す、すみません……怨霊時代の癖が出てしまったようです」
「どんな癖じゃい!!」
「ええと……霊なので、
夜はあゆむ様の寝顔を見ることぐらいしか、やることがなくて……あ」
(生身の名前を出さないか、監視しないといけませんしね……ふふふ)
ピピの突然の告白にあゆむはドキリとしますが、その真意は当然知る由もありません。
霊である彼女は睡眠を必要としない。
したがって眠らない。夜は基本やることがない。
その理屈は理解できました。
けど、ここであゆむは一つの違和感を抱きます。
「え……でも他のおばけは寝てるよね?」
そう、トリエルによって生み出されたおばけ達、彼らは今グースカと寝ています。
「彼らはトリエル様の権能が生み出したもので、トリエル様に近い存在なのです」
その説明にあゆむは「なるほど」と、うなずきますが、ここでも違和感が。
「じゃあピピは?」
「わたくしは……浄化された怨霊なので、作り変えられた彼らとは異なりますね」
(作り変える……か)
ピピは苦笑いを浮かべつつ、包丁をキッチンの棚にしまいます。
ここであゆむは、思い出したように、先程の話題を振ります。
「それで……俺の寝顔を……?」
ふとピピの顔を見ると、青く光る彼女の頬は赤く染っています。
ピピはスカートの裾をギュ……と掴み、微かに一言。
「はい……」
とその風鈴の様な済んだ声で答えます。
…………
キッチンにはピピの霊体が発する森の香りが広がり、二人を包みます。
あゆむはそっとピピのもとへ歩み寄り、彼女へ手を伸ばした時です。
「あ……」
花でも摘みに来たのでしょうか。背後のトリエルに反応してしまい、茶色い瞳の輝きが目に入ります。
あゆむとピピのやり取りを見てしまったのか、彼女は気まずそうにしています。
「邪魔だったかな……」
「いや……」
(トリエルじゃない)
あゆむは『彼女』と直感します。
大人びた声、恥じらう表情がそう言っているからです。
けど、ピピに芽生えてしまった想いを見られてしまった。
そんな罪悪感をあゆむは感じ、気恥しさを覚えます。
それはピピも同じようで、彼女は真っ赤な顔を覆い、今にも逃げ出しそうです。
「わたし……見てないから」
「おい!」
そう言って『彼女』は一人、二月の夜の寒空に出ていってしまいました。
…………
「ほらよ」
「きゃっ!?」
コンビニから出てきた彼女に、あゆむは肉まんとホットココアを差し出します。
彼女はそれを受け取ると、一層、茶色い瞳の輝きを強めます。
トリエルの中に確かにいる彼女。
最初はすぐにその茶色の輝きが消え、普段のトリエルに切り替わりました。
しかしあゆむと接するうちに、その時間は徐々に伸びていく。
それはあゆむも実感していました。
「トイレぐらい家のを使え」
「うん……」
「俺はお前も大事だから、一人で飛び出すな」
大事。
そう言われて、彼女の頬が一足早い桜色に染まり、ココアを一口含みます。
白い息が一瞬、七色に光り輝いて見えて、あゆむの胸に熱を宿します。
「……帰ろ」
彼女はそっと手を差し出し、あゆむはそれを握ります。
その手は柔らかくて、冷たい夜風に負けないほど温かくて、少し汗ばんでいました。
「今日は長いんだな」
「……気付いてたんだ」
「まあな」
「嬉しい……」
彼女が何者なのか、あゆむはそれ以上はあえて聞かず、
まだ暗い2月の夜道を手を繋いだまま歩きます。
月は見えませんが、街灯が虹色に輝いて見えました。
それは天使の力なのか、あるいはあゆむの心が彼女を『天使』としているのか、
もしくはその両方か。
虹色の街灯はあゆむ達二人をそっと見守るように、優しく周囲を照らします。
「ねえ……あゆむ君」
一拍、間が空きます。
「……なんだ?」
(また呼ばれた。なんで、その一言だけで……)
その一言が、やけに胸の奥に落ちます。
どこかで聞いたことがあるような——
そんな気がして、あゆむが答えを探しかけた時です。
「もし……もし、『わたし』がずっと消えても――」
「それ以上言ったら怒るぞ」
即答でした。考えるよりも早く、声が出ていました。
彼女はうつむき、目には光るものがあります。
「本当はもっと長くいたいんだろ? ずっといろよ」
「でもトリエルの方も、ピピも……」
「それだとお前はどうなるんだよ。自分の幸せも考えろ」
あゆむのその言葉は彼女の胸を貫き、彼女は空いた手で胸をそっと押さえます。
「ずるい……」
そう言って、彼女の頬にうっすらと流れるものが街灯に光ります。
あゆむは何も言わず、そっと彼女の肩を抱き寄せ、二人はしばらく体温を交換し合いました。
…………
――3時間後――
「行ってらっしゃいませ」
そう言って、ピピはあゆむにお弁当を持たせると、
いつものようにスカートを広げ軽くお辞儀をします。
「遊びに行くのー? 一緒に行くー!」
トリエルは呑気にコーラ片手に近寄ってきます。
着いてくる気満々です。
わかっているとはいえ、全くの別人っぷりです。
しかしどちらも『彼女』です。
「仕事だよ」
「仕事っていう遊びなの? トリエルも遊ぶー!」
トリエルはそう言うと、ルビー色の目を輝かせ、
まるで犬の尻尾のように、背中の翼をパタパタとさせます。
さすがのあゆむも、この目には弱いのか顔を逸らします。
「遊びじゃないんだって」
「遊ばないの?」
「遊べないの……帰ってくるまでな」
「なーんだ」
寂しそうにするトリエルに少し心が痛みますが、仕事では仕方がないでしょう。
何せ消費が増えたのです。
今やあゆむの家は、7畳という空間に設けられたおばけ動物園。
維持費は馬鹿にならず、空飛ぶトラブルメーカーことトリエルは大食いです。
他にはアンポンタンを始めとするおばけ達のお線香代、
とりわけピピは実はかなりグルメで、
お線香の中でも特別高価な千日香を好物としております。
他にも果物(の香り)や甘いもの(の香り)を食べるのですが、
霊体歴の長さか、年々お線香が美味しく感じるのだとか。
およそ生者にはピンと来ないでしょうが、
歳をとるとアンコが美味しく感じるとか、
年々さっぱりしたものが美味しく感じると言えば、
伝わる方も多いのではないでしょうか。
おそらく、そんな感覚です。
「じゃあ行ってくるよ」
「はい……お待ちしております」
「またねー」
ピピはそう顔をほんのりと赤く染めて、あゆむをそっと見送りました。
トリエルは寂しそうに手を振っていますが、それはすぐに笑顔に変わります。
まるで魔法が掛かったかのようです。
――――
「お疲れ様でしたー。お先ですー」
仕事を終えて、時刻は17時の帰り道。
バレンタインデーの冷たい北風は、あゆむの身に染みる……わけではないようです。
「チョコかあ……」
どうやら、ピピからチョコが貰えるか否か、
あゆむの意識はそちらに向いているようです。
既に勝った気でいますが……大丈夫でしょうか?
「イチゴ味かなあ……ホワイトもいいなあ……いやいや……でも、さすがに」
仕事の疲れが肩に残る中、
ピピの金木犀の香りを思い浮かべて、自然と足が軽くなります。
そうしているうちに、自宅付近のスーパーが視界に入りました。
「……買い物でもするか」
(トリエルの奴にお菓子でも買っといてやるか)
あゆむは吸い込まれるようにスーパーの自動ドアをくぐり、お菓子売り場へ向かいました。
――――
「ただいまー」
あゆむのその声に、意外にも一番にやって来たのはトリエルでした。
(お菓子の匂いでも嗅ぎつけたか?)
これにはあゆむもちょっと拍子抜けですが、まあいいやとぎこちない笑みを浮かべます。
(ピピは後でくれるだろう)
微妙に照れくさいのか、あゆむはアソートのチョコレートを投げるように渡します。
「ほら。食べるだろ? やるよ」
「いいの……?」
彼女は茶色い瞳を輝かせて、それをキャッチしますと、
両手で大事そうに抱え、上目遣いであゆむをじっと見つめてきます。
(向こうか)
普段のトリエルなら「わーい!」と飛びついてくるでしょう。
しかし、彼女は丁寧に、そして嬉しそうに袋を抱きしめ目を細めます。
「嬉しい……」
パサりと、彼女の気持ちに連動したように白い翼が広がり、
彼女自身の肩を抱くように半身を包み込みます。
(こうしてみると、本当に『天使』だな……)
「一緒に食べよう?」
「え??」
「うん……一緒に食べたい」
二人はソファに並んで座り、同じチョコレートを口に運びます。
ふわりと広がる甘みが、砂糖以上に甘く感じます。
「えへへ……美味しいね」
「ああ……」
チョコレートが溶けるより早く、この時間も溶けていく気がしました。
「これ以上は……ピピに怒られちゃう……」
「おい……!」
彼女はそう言って、自らブレーカーを落とし、赤い目を輝かせます。
一瞬姿勢が変わった後、無垢な笑顔が広がります。
「……ふえー? あ、チョコだー!」
「……いらねえ気を使いやがって」
…………
「あの……ピピさん、今日はバレンタインデーですが」
「はい……?」
「なんでもないです……」
あゆむが落ち込んでいると、床から――
「ぷぷっ、ざまあ」という笑い声が聞こえてきます。
「このアンポンタンがぁぁ! 人の傷に塩を塗りおってからにぃっ!!」
あゆむは憤怒した。
必ずや、この下劣なナスビ共を駆逐せねばならぬと誓った。
あゆむとて何も準備していなかったわけではない。
未明より計画を立て、買い物を済ませていたのだ。
――駄材治『投げろあゆむより抜粋』
……え? 一話でやった? 気のせい気のせい。
「食らえい!! これが俺からの――!!
バレンタインじゃいっ!!」
あゆむはそう叫ぶと、ナス三匹に塩チョコレートを投げつけます。
それはナスを確かに捉え、白い体はチョコレート色に染まります。
「ふはは!! 俺とてやられっぱなしではないのだ!!」
あゆむは勝利を確信します。
しかし、快進撃はここまででした。
何故か?
「あー!! トリエルも遊ぶーー!!」
そう、こんなことをすれば必ず食いつく駄天使がいる。
それに気付けなかった時点で、彼は負けていたのです。
「あ……やめ」
「みんなで遊ぼうねー!!」
そう言ってトリエルはシルクハットをぽーいと投げ――
――る前に、ずてーーーーん!!
「ふぎゃーーーー!!」
まさかのずっこけ転倒に、周囲は大爆笑。
対決は自然と流れ、ドローで終わりました。
…………
結局、期待していたピピからのチョコは貰えず、
それどころか、ピピに「誰が掃除すると思ってるんですか……」と
怨霊の顔で怒られアンポンタンからは「ざまあ」と笑われ、
ゲザイトリオには励まされてしまうのでした。
「きっといい事があるでゲスよ」「人間死んでなきゃ儲けもんザマスよー」
「てやんでい、てやんでい」
ゲザイトリオのカオスな励ましが妙に温かく、
あゆむは苦笑いしながら、
微かに残るチョコの匂いに包まれた部屋で眠りに着きます。
――――
その夜。
草木も眠る丑三つ時……
…………
スウ……スウ……
静かに寝息を立てるあゆむに、忍び寄る青白い肌の女。
「……綺麗な首筋……」
「……」
女はそう言うと、あゆむの首筋に生気のない冷たい手を……
(ああ……添い遂げたい……)
プッ……
「女王様とお呼びー……」
ソイトゲは寝ぼけたタンタのぷーで阻止されました。
「このナスビが!!」
ピピは赤い目を不気味に輝かせチョップを入れると、
ソイトゲ欲が下がったのか、普段の青い目に戻ります。
彼女はそのまま、あゆむの髪をそう……っと撫でて、
枕の下に、綺麗にラッピングした星型の手作りチョコレートを入れるのでした。
「……ハートは恥ずかしすぎました……」
…………
翌朝、あゆむが目を覚ますとピピのチョコレートの上に、
あゆむがあげたアソートチョコレートがいくつか置かれていました。
「ありがとうな……」
そんな朝でした。
――――




