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七話「永遠の氷美華」

季節は初夏に移行する5月。


この日、深夜2時の夜風は、5月とは思えないほど湿っぽく、

まるでそれは、この部屋の番人たる彼女の心理状況を表しているようでした。


「生前のわたくしは……何者だったのでしょう」


ピピは生前の自分を覚えていません。

わかることは――呼び名の一部がヒミ、死因は自殺。

それだけです。

トリエルに浄化され、ピピとなってから、ピピとしての日々が彼女の全てです。


「あゆむ様」


ピピはあゆむの名を呼びますが、彼は寝息を立てるだけです。

ピピは優しくあゆむの髪を撫でると、目線をテレビの下、黒い箱に向けます。


「ゲームステーション」


以前、ゲームステーションで遊んだ時も、ピピはそれに反応を示しました。

(ここにわたくしに関連する何かがあるのでしょうか)

ピピはゲームステーションのスイッチに手を伸ばしますが、

指先が震えて、電源ボタンが押せません。


けれど、ピピは直感を強めます。

(ここに答えがある)


ピピはワンピース姿のまま、霊として宙を浮き、部屋の上まで出ます。


……


深夜2時ですが、外は十分に明るく、星は見えません。

ピピは雲がハッキリ見えるほどの明るい夜空を見上げます。


「綺麗な十六夜ですね」


……


(わたくしは太陽にはなれないでしょう)


ピピは月を自身に喩えます。

月は自分では輝けず、地球の光を反射する衛星であり、

ただ地球の周囲を回るだけの存在です。


「消えてしまえば、月などどこにあったのかもわからない存在」

(生前のわたくしを覚えているものなど、誰もいないでしょう……おそらくは、両親も)


欠け始めの月の明かりがピピの青い髪を照らし、

銀色に輝く長髪がぼうっと、ピピの周囲を淡い光で包み込んでいました。

ピピは静かに、青い目を輝かせて月を見上げるだけです。


夜風が青い髪を優しく揺らす中、

ピピの胸に、ほんのわずかな虚しさが波のように寄せては返します。


――――


翌朝7時、ピピは静かにゲームステーションを眺めてました。

ゲームステーションは朝日を浴び、微かに黒いボディを輝かせます。


あゆむが目を覚ますと、普段であれば

「おはようございます」と笑顔を向けるピピのそれがありません。


(……ゲーステ? そう言えば、以前もゲーステに興味を示していたな)

あゆむはもう一人のトリエルである恵美も、

ゲームステーションに興味を示していたことを思い出します。


(なにかあるのかもな……)

「朝からゲームか?」


あゆむの声に、ピピは肩を震わせるように反応すると、

ゲームステーションから距離をとります。


「いえ……そういうわけじゃ」


すると、今度は入れ替わるようにトリエルがゲームステーションを覗き込みます。


「どうしたんだ? トリエル」

「今ね、呼ばれた気がしたのー」


――呼ばれた。その一言であゆむは、

「ピピとやはり関係があるな」とゲームステーションを一瞥し、

ピピへそのまま視線を移します。


しかし、ピピはあゆむの視線に気付きながらもあえて流しました。

(まだ決心がつかないか)


「大丈夫だよ」


トリエルのその声に、あゆむとピピが振り返ります。

見ると、トリエルがゲームステーションをゆっくりと撫で、翼を広げています。

「トリエル?」

あゆむのその呼びかけに、トリエルは「会いたがってる」とだけ言いました。


(トリエルさんには全てが見えているのでしょうか)


この時ピピは、畏怖に近い目でトリエルを見ていました。

きっと天使として、『死者』の声に感応する能力に長けているのでしょう。

トリエルだけではありません。

あゆむが目線を流すと、ガブリエルママも、ミカエルさんもわかっているようでした。


あゆむはまた一瞬だけピピを一瞥すると、静かに首を横に振ります。

天使達は静かにゲームステーションからそっと視線を離します。


……


部屋にまたしても湿った空気が流れてきます。

けれど、それを打ち破ったのは意外な人物でした。


「お茶にしませんか。人のお金ですから、美味しいですよ」

バアルゼブルは微かに笑うと、キッチンからティーセットをトレーに乗せてやって来ました。

「お前な……」

あゆむは「人の金だと思って」と、そんな目でバアルゼブルを睨みますが、

バアルゼブルはふふふと笑い、テーブルにティーセットを置き、

手のひらを差し向け、くるりと回ります。


「俺のおごりだ。みんな飲め」


あゆむが苦笑いをすると、部屋が笑みにがこぼれ、

爽やかなダージリンの香りが、初夏の風に乗ってやって来ました。


――――


昼下がり、ダージリンの残り香が微かに残る中、

あゆむはソファの上でタブレット端末を眺め、

トリエルはサタンちゃんと絵本を読んでいます。


ガブリエルママとミカエルさんは、小説を広げていますが、

その意識はピピの方へ向いているように見えます。

カーテンの向こう側、キッチンではピピは冷蔵庫の中を確認しています。


(野菜がもうありませんね。後は冷凍のお肉が少々……)

「買い出しが必要ですね……」


その呟きはどこか重々しく、7畳の部屋に響きます。

あゆむはソファの上でそれを聞いていましたが、

「外には奴がいるか……」とピピの心情を察します。

やがて静かに立ち上がると、サタンちゃんも続きます。

「俺が行こうか?」

あゆむがゆっくりとカーテンを開けると、

ピピはいつもの優しい笑顔を作り、そっと首を横に振ります。


「近所ですし、わたくしが一人で」

「荷物持ちぐらい入るだろう。行くよ」

「妾も行くでしゅー!」

「トリエルもー!」

「トリエルが行くならママもー!」

「……まあ、行ってあげてもいいです」


連鎖反応のように次々と手をあげ、

それはピピを守るという意思で繋がれた絆の鎖のようでした。


「お前はどうする? バアル」

「ダージリンはまだありますが、たまにはアールグレイも悪くないですね」


皆思い思いの理由を作り、結局全員で商店街へ買い出しに行くことになりました。


…………


近所のアーケード商店街は、普段通りの表情であゆむ達を迎え入れます。

ピピは先頭を歩くあゆむのすぐ後ろにつき、

無意識にあゆむのシャツを掴んでいます。


あゆむはあえて気付いていないフリをして、サタンちゃんにそっと目配せをします。

(ピピママは妾が守るでしゅ!)

サタンちゃんはピピの傍に張り付き、尻尾を何度も地面にバウンドさせ、

威嚇するように歩きます。


やがて、スーパーの近く、ゲームショップの前に差し掛かった時でした。


「――っ!?」


まるで心臓を鷲掴みにされるような強い痛みが、あゆむの胸に走り、

あゆむは左胸を押さえると、ゲームショップの自動ドアの後ろに気配を感じます。


(奴だ!!)


瞬間、全身に鳥肌が立ち、サタンちゃんが一際強く尻尾を打ち付けます。

ピピはあゆむの背中に隠れるように、シャツを強く握りしめます。


やがて自動ドアが静かに開き、彼が――佐藤徹が現れました。


「おや……? 奇遇ですね、皆さん」

佐藤徹、彼は『砂糖』のように甘く、透き『とおる』声であゆむと――

その後ろのピピに微笑みかけます。

手には一本のゲームソフトが握られており、これ見よがしです。


(なにを仕掛ける気だ……)


あゆむのその視線を、佐藤徹は甘い笑顔の、

さも今気付いたかのような演技で返します。


「ああ、これですか? 古いパソコンゲームですが、

 最近ゲームステーション版も出てクロスプレイが可能なんですよ」


そう言って佐藤徹はパッケージをひっくり返し、タイトルを見せます。


「エターナルワールド……?」


あゆむのその声に、明らかにピピが反応を示し、腕をぎゅうっと掴みます。

その手はまるで氷のように冷たく、初夏だというのに、

あゆむにはまるで雪降る真冬の外のように感じます。


(あれが、生前のピピを結びつけるモノか)

あゆむは佐藤徹に視線を戻すと、彼は静かに『嗤って』いました。

その目の奥には、赤い光を宿し、計り知れない深淵。その縁を覗かせます。


(奴は待っている)


ピピもそれがわかったのか、

あゆむのシャツを握る手の力が強まり、冷たい震えが伝わってきます。


七井瑠亜の時もそうでした。こちらが動くのを待って、舞台を作る。

今回も同じだと直感します。

しかし今回、あゆむは待ちません。


「……ピピ、行くか」


ピピは一瞬だけ震えます。けれどうなずきます。

サタンちゃんがピピの手を握り「あっち行けでしゅ!」と尻尾で威嚇します。


「今日は機嫌が悪いのかな? またね……」


佐藤徹は、そう言うと踵を返し、アーケードの外へと出ていきます。

その刹那、ほんの一瞬でしたが――


(黒い翼……!!)


彼の背には、確かにそれがありました。

無数の赤い目を持つ、黒い翼が。


(ニャルラトホテプ……!)


……


佐藤徹が視界から消えた後、あゆむが振り返ると、

そこには既にピピの青い目があゆむを捉えていました。


「行くか?」


あゆむは静かに、しかし緊張感のある声でピピの返答を促します。

その声は「もう逃げてはいられないぞ」と語っているように、ピピには聞こえました。


「行きましょう」


ハッキリとそう口にし、微かに震えます。

それは決戦を前にした武者震いのように、あゆむには見えました。


……


一行は踵を返すと、アーケードの外へと出ます。

そこに佐藤徹の姿はもうありませんでしたが……


「エターナルワールド……」


ピピが、タイトルイラストが黒塗りされたパッケージを目にします。

あゆむがそれを手に取ると……


(熱い……、それに……不快だ)


まるですぐ横でガラスを爪で引っ掻き、それに加えて全身の毛を逆撫でされるような、

そんな不快感をあゆむを支配――しようとした時でした。


ふわり、風に乗って桜の香りが鼻腔に届き、

その方向を振り向くと、そこには優しく、無垢な微笑みを向けるトリエルがいました。

トリエルは微笑んだまま翼を広げると、白い羽根がゲームパッケージに舞い落ち、

次の瞬間、おびただしい黒いモヤがゲームパッケージから溢れ出て、黒い煙となって消えていきました。


「もう平気だよ」

(トリエル……)

トリエルがあゆむの手を握ると、あゆむの胸が静かに熱を持ち、

目頭が熱くなります。


「助かったよ」

「帰ったら、みんなでゲームしようね」


それは、一人ではないという、トリエルのメッセージでした。


「だな……」


あゆむは元の状態に戻ったエターナルワールドのパッケージを見つめ、

そのままピピに目線を流します。


ピピは無言のまま静かにうなずき、対決の予感が一行を包み込みます。

しかし、それは重苦しいものではなく、

トリエルの微笑みが風に乗って勇気をくれる。


そんな希望を感じさせるものでした。


――――


7畳の部屋に戻ると、あゆむはゲームステーションを起動します。

手には佐藤徹――ニャルラトホテプの置き土産、エターナルワールドがあります。


あゆむは静かにくるりと回ります。


ピピは「あゆむ様と一緒なら、怖くはありません」と決意を示し、

サタンちゃんが「魔王がいれば大丈夫でしゅ!」と鼓舞します。

そこにミカエルさんが「大天使もいますよ。落ちぶれてますが」と続き、

ガブリエルママがメガネを光らせます。


おばけ達も静かに見守り、バアルゼブルが「手早く済ませ、お茶にしましょう」と笑います。

そして最後にトリエルが目を閉じてエミエルに変わり、

あゆむの手をそっと握ります。

「怖くないよ。あゆむ君」


みんな、その決意を固めました。

「ソフトを入れるぞ」


やがてエターナルワールドのタイトルロゴが浮かび上がり、

ログイン画面になります。

すると――


「貸してください」


導かれるように、ピピが手を伸ばします。

(もうわかっているんだな)

あゆむがコントローラーを渡すと、ピピは迷うことなくIDとパスワードを打ち込み、

決定ボタンを押します。


一瞬のロードが挟まり、「承認しました」というダイヤログが表示されます。

そして、やがてあるアバターが表示されます。

それは――


「ピピだ……」


それは『氷美華』という名前の女性アバター。

青く長い髪と瞳、白いワンピースを着た見慣れた姿です。


(ヒミ)


あゆむの中で、かつてピピが口にしたこの名前がリピートされます。

ヒミというピピが口にした名前は、氷美華の一部でした。

今のピピの姿は、トリエルの手によって再構成されたものです。

それは、ある人物と同じであるということを示しました。


「なんでピピママが画面にいるでしゅ……?」

「わたくしもサタンちゃんと同じということですよ」


状況がよくわからないサタンちゃんに、ピピはサタンちゃんの手を握って優しく説明します。

サタンちゃんは首を傾げますが、「同じ」と言われて、

「ピピママと笑が同じなんでしゅね! 嬉しいでしゅー!」と尻尾を元気よく振ります。


その無垢な微笑みに、ピピの目には流れないはずの涙が浮かび、

ピピはサタンちゃんを優しく抱きしめます。


そして――


「お願いします」


ピピがそう言うとエミエルはハローを輝かせて、

天使の権能を使います。

以前、トリエルがやったように、ゲームの中――

エターナルワールドへと入っていきました。


やがて視界が白くなりました場面が切り替わります。



――――



(ここは……)

あゆむが目を開けると、そこは中世ヨーロッパ風の街の広場です。

石畳が敷かれ、中央に獅子の象と噴水があります。


(ここは……知らない場所なのに、なぜか帰ってきたような気がします)


「皆さん、平気ですか?」

ピピが周囲を見渡すと、全員そこにいるようでした。

現実と同じ姿で、ここがゲームの中とは気付かないほどです。


しかし、一点だけ、これが現実ではないと知らしめるものがあります。

「あれは……!」

あゆむがそれに気付き、指を指します。

その先にいたのは一体のアバターです。


――『氷室美華』と頭上にプレートが付いたアバター。

その姿は、黒いセミロングヘアで黒縁メガネを着けた、日本人の少女。

ピピがそれを見つめます。


皆、何も言いません。しかし、その意味を察しています。

エミエルが隣に立ちます。何も言いません。ただそこにいます。

ピピが一歩近づきます。アバターは動きません。


(これが……わたくしですか)


もう一歩。また一歩。やがてピピはアバターの正面に立ちます。

鏡を見るように向き合います。しかし一方は生気がある。もう一方はただの器。

時を経て、二人の『氷美華』が対面しました。

鏡に映る自分(美華)と、今の自分(ピピ)が、まるで長い時間を隔てた姉妹のように見えます。


その時です。

街の路地から、足音が聞こえます。

現れたのは黒いコートのアバター。

頭上には『サトー』のプレートが光っています。


姿こそ、あゆむが知る佐藤徹と一緒です。

しかし、まるで生気がありません。


「来てくれたんだ。氷美華ちゃん」


ピピの足が止まります。その声。あの声。

アバターはゆっくりと歩いてきます。

穏やかな動作で、まるでゲーム内のNPCのように自然です。


「ここなら思い出せるでしょう。ここが、君の本当の居場所だったんだから」


「今のあなたはどちらですか? あの人の怨念ですか?

 それとも」

「それは君がよく知っていると思うよ。

 僕は誰でもない」


(ニャルラトホテプ⋯⋯)


美華のアバターの隣に並ぶように、ピピが――氷美華だったものが、横に立ちます。

そして正面のサトーを見据えます。震えはあります。けれど、足は止まらりません。


「そんなことより、再会を喜び合おうよ。氷美華ちゃん」

「……わたくしは、氷美華ではありません」


「逃げているだけだよ。ここを見てみなよ、これが本当の君だ」

「逃げていません」


ピピは続けます。隣のアバター『氷室美華』を一度だけ見ます。

それから前を向きます。


「氷美華として生きた時間も、この場所も、全部わたくしの一部です。でも――」


ピピは静かに目を閉じ、ゆっくりと開きます。


「わたくしは今ここで終わりにします。氷美華も、氷室美華も、全て」

「終わりにする? それは捨てるということかな?」

「違います」


ピピの声が、少しだけ強くなります。


「永遠にするということです。誰にも傷つけられない、この場所の一部として」

「それは詭弁だね」

「違います」

「違わないよ。だって、氷美華ちゃんが……いや、美華が可哀想だ」


ピピが一瞬、唇を噛みますが、前を向き、睨みつけます。

その時、サタンちゃんが食ってかかります。


「お前なんかにピピママの何がわかるじょ!!」

サタンちゃんは尻尾を打ち付け怒りを露わにしますが、

サトーは平然と肩を竦め、しゃあしゃあと喋ります。


「逆に聞くけど、君は彼女のなにを知っているんだい?」

「でしゅ?」

サタンちゃんの尻尾が止まります。


「彼女がどうやって死んだか、なぜそうなるに至ったか、知っているかい?」

「知らないし、知る必要もないでしゅ!」

「それは可笑しいな、『ママ』の昔は大切だと思うよ?」

「必要ないんでしゅ!! ピピママはピピママでしゅ!

 ヒミカでもミカでもないんでしゅ!! ピピなんでしゅ!!」


ピピはピピ。それは、同じ存在であるサタンちゃんだからこそ、言えた言葉です。

ピピ――かつての彼女は確かに氷室美華で、氷美華でした。

現実への不満や不安から逃げて、氷美華として青春を過ごし、

佐藤徹の卑劣な罠にかかり、絶望しました。


しかし、トリエルによって救われ、今はピピとして『生きている』のです。

今の彼女はもうピピである。

彼女が自分をピピだと思う限りピピなのだと、サタンちゃんはそう言ったのです。


しかし、サトーは手を叩くとサタンちゃんの言葉を否定します。


「美しいな母娘愛だね。涙が出そうだ。けれど……

 彼女は君ほど綺麗ではないよ?」


そう言うと、サトーは一つの鏡を出します。

その鏡に、あゆむが、場の全員が反応します。


「あれは――っ!!」

「そう、見覚えあるよね? ごらん」


サトーはそう言って指を鳴らすと、鏡にある映像が映し出されます。

それは氷室美華の最後でした。


佐藤徹に騙されて、ホテルへと連れていかれ、乱暴を受け、捨てられた最後。

「お前なあ!!」

あゆむの拳に力が入り、前へ出ますが、ピピがそれを制します。


「いけません」

「壊したければ壊してもいいんだよ?」

「その必要はありません。そんな揺さぶりは効きません」


ピピはまっすぐ、サトーを睨むと、

まるでその言葉を待っていたと言わんばかりに、

サトーの口角が歪んだ三日月のように上がります。


「そうかい……じゃあ、これでも……?」


サトーはそう言うと、コートの首周りを外します。

そこには、青白い手の跡がくっきりと残り、

ピピが怨霊時代のサトーへの報復が色濃く残されていました。


次第に映像は怨霊時代のピピに変わり、

佐藤徹の首を絞める彼女が映し出されます。


「やめろ!!」


あゆむが詰め寄りますが、サトーは嗤うだけです。


「これでわかっただろう? 君達のいう絆は、ピピなる存在は、

 佐藤徹の死体の上になりたっているんだ」


サトーのその言葉に呼応するように、やがて映像は佐藤徹の断末魔に変わります。

尻もちをつき、後退りをし、命を乞う男。

その男に、笑みを浮かべながら、

「ダイジウブ、サイショダケダヨ」と言って首を絞める怨霊。


やがて項垂れ、男を取り込む怨霊。


「ズット……ニガサナイ」と赤い目を輝かせる怨霊。


それは、あゆむが知るピピとは正反対の存在です。

(ピピ……)

あゆむはピピを見つめますが、そこに不安はありません。

(お前なら、越えられる。今のお前なら)

あゆむはそう信じていました。


ピピが一歩前に出て、鏡を正面から見ます。

逃げずに、目を逸らさなずに、全て見ます。


「……知っています」

「知っている?」

「わたくしが何をしたか、どんな存在だったか。知っています」


サトーが少し止まります。しかし、すぐ後にまた嗤います。


「なら直接口で言ってごらんよ。ほら」

ピピが少しだけ沈黙し、サトーの口角が上がります。

「ほうら――」

「取り込みました。もっと言えば、消しました」


サトーの言葉に被せるように、そう口にしました。決定的な言葉を。

サトーは無表情を作り、ただピピを見ます。


「それでも、わたくしは逃げずにここにいます。

 トリエルさんがわたくしを受け取ってくれたから」


エミエルがここでそっと動きます。

権能ではなく、ただピピの隣に立ちます。


「わたしも知ってるよ。それでも、ピピはピピだよ」


エミエルの言葉が、静かな広場に優しく溶けていきます。

その瞬間、怨霊の影が、ふわりと淡く色を失っていきます。

サトーの青白い手形は薄れ、断末魔の叫びは風に消え、

残ったのはただのガラス面だけでした。


サトーのアバターが、初めてわずかに表情を歪めます。

すぐにそれは戻りますが、変化が表れた瞬間です。


「……面白いね。君たちは、本当に彼女を『救った』つもりか」

「違うよ」

トリエル――エミエルは、穏やかに首を振ります。


「救ったんじゃない。一緒にいるだけ。ピピがピピである限り、ずっと」

「そうでしゅ! ピピママがママな限り、妾も一緒でしゅ!」

「ピピはわたくしの可愛いトリエルの世話係。

 いなくなっては困りますね」


サタンちゃんが尻尾を元気よく振り、ガブリエルママがニヤリと微笑みます。


「魔王の母親にいなくなられては困るので、

 大天使も一緒にいますよ」

「朝の時代劇仲間がいなくなるのは、少し物悲しく思います」


ミカエルさんが照れくさそうに笑い、

バアルゼブルはそう言ってピピに敬礼すると、

おばけ達もゆるりと現れて、ピピを守るように取り囲みます。


(お前達も、ずっとピピと一緒だったよな⋯⋯)


「お前なんかアッカンベー!」

「お尻ペンペーン!」

「お前の母ちゃんでべそー!」

「あっちいけでゲスー!」

「お呼びじゃないザマスー!」

「てやんでい!」


あゆむはピピの肩をそっと抱き、サトーへ『笑い』かけます。

「まあ、そういうことだ。楽しめたろ?」

サトーは一度無表情を作ると、その後、微かなに嗤います。

「そうだね⋯⋯」


ピピはゆっくりと息を吐き、隣に立つ自分の古い姿――

黒髪の『氷室美華』を見つめます。


「わたくしは、氷美華として生きた全てを、ここに置いていきます。

 痛みも、怒りも、罪も、愛した時間も――

 全部、永遠に……ここで休ませてあげます。

 ……ありがとう。あなたがいたから、今のわたくしがいるんです」


そう言って、ピピはそっと手を伸ばしました。

過去の自分のアバターに触れると、黒髪の少女『氷室美華』は、柔らかな光となって溶け、

ピピの胸の中に静かに吸い込まれていきます。

まるで、欠けていた月の欠片、それがようやく一つになったように――


今、月は満ちたのです。


⋯⋯⋯⋯


気付けばサトーは消え、世界が白くなります。


「戻りましょう。狭くて温かい、7畳の部屋へ」

「ああ……!」

「でしゅー!」


あゆむ達は全員で円陣を組み、ゲームの空間から現実へ戻ります。


――――


7畳の部屋は、まるで何事もなかったかのように、

優しくあゆむ達の帰還を歓迎するように、

微かに残るダージリンの香りが出迎えます。


あゆむがバアルゼブルへ目配せすると、

彼は何も言わずにキッチンへと消えていき、

トリエルがおやつ箱からポテチを出します。


おばけ達がクラッカーを鳴らしつつ、勝手に線香を焚き、

ガブリエルママとミカエルさんが笑い合います。


やがて、ピピが静かに画面を見つめます。

そこにはまだ、氷室美華が生きた証――氷美華が映っています。


ピピはおもむろにコントローラーを握ると、

ゆっくりとあるところへカーソルを動かしていきます。


――《キャラクター削除》


画面に赤い文字でそう映し出されました。

「ピピ⋯⋯」

あゆむが確認を取るように呟きますが、

ピピは真っ直ぐに画面を見つめ、操作を続けます。


『本当に削除しますか?

 決定を押しても、60秒間猶予があります』


――《はい》


『キャラクターの削除を開始します。

 取りやめる場合は、キャンセルしてください。

 キャンセル猶予、残り60⋯⋯58……56……』


ウィンドウに、大きく赤字で表示される数値が、カウントダウンを開始します。


50⋯⋯48……46……44……


「ピピ殿、貴女に最大の敬意を」


40⋯⋯38……36……34……


「ピピママ」


30⋯⋯28……26……24……


「ピピ、立派になりましたね……」


20⋯⋯18……16……14……


「ピピ⋯⋯わたしは、貴女を、その決断を尊重します」


10⋯⋯9……8……


「ピピ、最後は笑ってお別れをしよ?」


5……4……3……2……1……


「ピピ⋯⋯」


0――


『キャラクターの削除が終わりました』


あゆむがそっと、ピピの肩を抱くと、サタンちゃんがワンピースをぎゅっと掴みます。

ピピの目からは大粒の雫が零れ落ち、

部屋の住人達が静かに肩に手を乗せます。


ピピは、静かに目を閉じ、かつての青春、氷美華に思いを馳せます。


「⋯⋯大好きでした。氷美華⋯⋯ありがとうございました」


目を開けたピピは、精一杯の笑顔を作り、

やがて部屋に、ダージリンのフルーティーな香りが運ばれてきます。


「爽やかな紅茶で、気持ちを入れ替えましょう」

「⋯⋯はい。そうですね」


ピピはそう言って部屋の窓を開け、新鮮な空気を取り入れます。

ダージリンの芳醇な香りが風に運ばれ、

一人の少女の青春の証――氷美華はピピの中で、残滓として永遠になりました。


初夏の風が部屋に吹き込み、

ピピの青い髪を優しく舞わせ、7畳の空気が新しく満ちていきます。



――――



次回 落ちてきた天使と同居することになった件。


「あゆむよ、鯉を掴め」にご期待ください。


次回はカオス回でーす!

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