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十二話「這い寄る混沌」

黄金色に輝く雲の上の八百万の神々の世界、高天原。



アマテラス様が住まう、朱く輝く太陽の大社では、今凄いゲストが来ております。

まあ、大社とは言っても、正確にはその内部にある完全会員制のホストクラブに……なのですが。


「アマテラスちゃんー、ここにキャバ嬢はいないのー?」

「黙れハゲ」


そう、今ここに来ている凄いゲストというのは、神様です。

日本というのは八百万の神々が住まう国なので『神様』だけでは、

皆様が「はーい」と手を挙げてしまいますが、名前を言ってはいけない方なので仕方がありません。

一応スペルもありますが、それすら、おいそれとは記載してはならない方なのです。


まあ、おわかりになるでしょう。

天界の神様です。


「アマテラスちゃんー、口が悪いんよー」

「うるせーハゲ」


アマテラス様はガラステーブルにドン! と足を乗っけると、その足を組んで葉巻をふかします。

もう完全にヤクザ映画のドンです。


神様はビクッと肩を震わせつつ、目がハートマークのように輝き、

「アマテラスちゃん、もっと言ってほしいんよ……」と呟き、

アマテラス様が「うぜえハゲ」と舌打ちをし、ウィスキーを喉に流し込みます。


神様の口がピクピクと喜びに震え、目が一層輝く中、

ウリエル様がため息混じりに「無駄ですよ。コイツに罵声は褒美だから」と横目で睨み、

神様が「ふふ、もっとー!」と身をよじり、アマテラス様は神様の足を軽く踏みつけます。


「あふん!」


一応本人(?)のために申し上げておきますと、

アマテラス様は客人にはとても礼儀正しい方です。

あゆむが地獄でアマテラス様と会った時のように、彼女はその辺はちゃんとわきまえます。


彼女がこういう態度を取るのは信頼の証なのです。

……おそらく、多分、きっと。


「ホストクラブにキャバ嬢がいるわけねーだろ、クソジジイ。頭沸いてんのか」


このように悪態をつくのはここの常連、

今やホスト廃人となったウリエル様です。


朱に交わって赤くなったのか、あるいはもうめんどくさいのか、

ウリエル様もすっかりヤサグレましたねえ……


というか、先程から神様がずっとときめいているんですが、大丈夫ですか? この神様。

キャバ嬢がいないと知り、神様は軽いため息の後、「まあいいわい」と呟き、

言葉を続けます。


「アマテラスちゃん、本題に移って。ワシちゃんこれでも忙しいのよ」


アマテラス様は神様をちらりと見ますと、その眉の動きを確認します。

ピクピクと痙攣するように動く眉は、焦っているように見えて、

アマテラス様は鼻で笑うと、グラスにウィスキーを注ぎ直します。


「そういや、今日はネット麻雀の大会の日だったか」

「そうそう! ワシちゃんそれに出場できてさー!」


ここまで言って、神様は自爆に気が付いたようで、

油の切れた機械人形のような動きで、ウリエル様の方へ首を動かします。

ギギギという音が聞こえてきそうです。


「ほう……大会か。帰ったら楽しみにしとけよ、コノヤロー」


アマテラス様はそんなやり取りをふふふと笑いつつ楽しむと、

おもむろにソファに置いていたタブレット端末をテーブへ置き、ある画像を見せます。


「なんじゃいコレ?」

「見りゃわかんだろ、ハゲ」


それは一見するとスーツを着た黒髪の青年。

しかして背に無数の目の生えた翼を持つ件の邪神です。


「件の邪神……?」


ここでウリエル様が呟くように画像を見つめます。

アマテラス様は葉巻を灰皿に押し当てると、グラスをくるくると回し、会話を続けます。


「先日下界に放っていた部下が撮ったもんだ。どう見える」


アマテラス様が真剣な眼差しで神様へ視線を送りますと、

神様も身を乗り出し、真剣な表情へと変化します。

おもむろに長いアゴ髭をいじり、トーンの低い声で画像を見つめたままにアマテラス様に返します。


「人間だな……もっと言えば日本人だ」


神様がアマテラス様に視線を送ると、彼女は静かにうなずき、琥珀色の液体を喉へと再び流し込みます。

そして唸るように息を吐くと、画像を眺めながら独り言のように説明します。


「最初コイツはタコ見てえな姿だった。

 知能の程は不明だったが、うちらの予想では『高くはない』だ」


アマテラス様はタブレット端末を指でトントンと叩き、

過去の写真も見せていきます。


山で取られた写真、ハロウィンの写真などが、次々と映ります。

灰皿から立ち上るシケモクの煙が、まるで邪神の邪気のように場の空気を重くします。


「だが、回を重ねる度に、コイツは少しずつ姿を変えた」

「学習していった……ということか?」


『学習』という神様の発言に、アマテラス様は軽くうなずくと、

深く息を吐いてからソファにもたれかかり、足を組み替えます。

そしてシガーケースから葉巻を取り出すと、火を付けて、静かにふかします。


「ハロウィンでは既に人に近い形だったが、先月では見ての通りだ。油断してた」


アマテラス様はそう呟くように言いながら、

タブレット画面に映る邪神に葉巻の煙を吐きかけます。

アマテラス様のその表情に余裕はなく、不安すら伺えます。


「仕方あるまい。相手は未知の存在な上に、場所は下界。神がうかつには動けん」


歯がゆい思いをしているのは神様も同じ。

アマテラス様はそう受け取ると、体勢を戻してタブレットの画面を消します。


アマテラス様はテーブルを握り拳で叩くと、

「これ以上野放しにはできねえ。高天原の戦力を使ってでも奴をぶっ潰す」

と意気込み、闘志を顕にします。


「神が動くと!?」


ウリエル様は驚愕の声を出しますが、アマテラス様は軽く笑い、ウリエル様を見つめます。


「いざという時はお前も行くんだよ、ウリエル。ホストをやる」


「またそんな適当を……」

ウリエル様は苦笑いをしていますが、内心では嬉しそうです。


「まあ幸い、日本はそっちほど厳しくない。神が近い国なのでね」


アマテラス様は日本特有の事情を持ち出すと、

神界の介入も辞さない覚悟を見せ、二人へそれぞれ目線を送ります。


未知の邪神に対し、神様を代表とする天界側も、

万一の場合は協力するということで意見を一致させ、会議を終えました。



――――



7畳のアパート部屋、あゆむの家。

12月も後半の24日となるクリスマスイブ。


あゆむの家でこの日はクリスマスとは別に特別な意味を持ちます。


「誕生日でしゅか……?」


サタンちゃんは首を傾げつつ、尻尾の先で『?マーク』を器用に作ります。

そう、この日はサタンちゃんの誕生日なのでしゅ。


サタンちゃんこと、元ルシファー。

彼の誕生日は不明ですが、七頭六翼の魔竜サタンとなって、

エミエルの権能『笑顔』によって浄化、5歳程度の幼女サタンちゃんへと再構成された日。


つまりは、サタンちゃんの誕生日なわけです。

もっとも肝心の本人はそのことがよくわかっていないようで、キョトンとしております。


すると、ここで今やサタンちゃんのママであるピピが、

彼女を抱き抱え、優しく髪を撫でながら母性に満ちた優しい声で語ります。


「部屋の全員でサタンちゃんをお祝いする、サタンちゃんが主役になれる日ですよ」


『主役になれる』


この言葉にサタンちゃんは何を勘違いしたのか、腰に手を当て魔王モード。

ミカエルさんに視線を送ります。


「ちゅまり、妾がミカエリュを支配出来るわけでしゅね!」


サタンちゃんは「はっはー!」と高笑い、ピピの胸の中で尻尾が嬉しそうにピクピクと動いています。

一方のミカエルさんは、めんどくさそうに窓際で頬杖を突いて小説を読み、

マウントを取りたがるサタンちゃんを軽く牽制します。


「何を言っているんですか。違いますよ。『元』魔王」

「おまえだって元大天使だじょ!」


ここでミカエルさんは『カッチーン』ときたのか、眉間にシワを寄せますが、

あくまでもクールぶって、小説のページをパラり。


「わたしは落ちぶれたとはいえ、それでも心は大天使。魔王崩れとは違うのです」


「まったく……暇さえあればケンカしおって、この姉妹は」


この二柱のケンカはもはや日常茶飯事ですが、

あゆむは見飽きたとばかりに、ため息混じりで軽く独り言のように場を流し、

エミエルが続きます。


「サタンちゃんはなにかみんなにしてほしいことはある?」

「世界征服だじょ!」


「却下じゃい!」


サタンちゃんの魔王の要望はあゆむに速攻で却下され、

サタンちゃんは上を見上げ、優しく自身を見守るピピを見つめると、

少し考えた後にあゆむに幼い笑顔を向けます。


「妾はピピがいてくれればいいじょ!」

「願い事がピピか世界征服かだなんて、随分両極端な魔王じゃな」


あゆむが「ふっ」と鼻で笑うと、ピピは目を細めながら、

両手でぎゅうっとサタンちゃんを抱きしめてあげます。


サタンちゃんは気持ちがいいのか、「んにゅー」と声を上げて、

隙間から顔を出す尻尾はブンブンと揺れて、その嬉しさを物語っているようです。

ピピの胸でサタンちゃんのツインテールがふわりと広がり、

エミエルが「んにゅー」と真似して『笑顔』を振りまくと、部屋の空気が桜色に優しく輝きます。


「ではサタンちゃんはなにか食べたいものはありますか?」


ピピの質問に対して、サタンちゃんは「すき焼きが食べたいじょ!」と即答し、

すき焼きという言葉に反応したのか、エミエルからトリエルに変化して、

彼女もニコニコ顔で喜びを見せます。


「すき焼きー!」


するとおばけ達もトリエルに続けとばかりにクラッカーを鳴らし、

辺りは一面紙吹雪だらけに。


「ならば私は取っておきのお茶をご用意しましょう」と、

バアルゼブルはかつての上司に敬礼し、ガブリエルママもトリエルの元へ寄ると、

「ではトリエルと一緒にお買い物ですよー!」と珍しく乗り気です。


ここまで来たらミカエルさんも動かざるを得ません。

あるいは、自分から動くのが恥ずかしくて待っていたのでしょうか。


腕を組み、そっぽを向きつつも、赤く染った顔で「仕方ありませんね」と返事をします。


クリスマスイブに、部屋の住人が種族を超えて心を通わせるその様子は、

確かな『笑顔』となってあゆむの胸に、そしてトリエルの胸にも届きます。


(ここにある笑顔は確かに本物だ。強制じゃない)


あゆむは虹色に染まる部屋の温かな空気を見て、そう確信を強めます。

サタンちゃんの尻尾がピピの膝で穏やかに揺れ、かつての魔王の影が優しい笑顔に溶けゆく中、

エミエルがそっと手を差し伸べ、「みんなでお出かけしよう」と小さな声で誘います。


スキーの場でかの邪神は確かに言いました。


「エミエルの笑顔の権能で作られたそれは強制である、滑稽である」と。


確かに、厳密な意味でのかつてのサタンはもうどこにも存在しません。

神に反逆し、魔界へと落とされた最高の天使は魔王となり、

最悪の悪魔へと変貌しました。


その邪悪な魂を持ったそれはもう、存在しないのです。


しかし、サタンちゃんとして生まれ変わった彼女は部屋の住人、

この狭い7畳の空間に集まったカオスな面々から愛され、そして祝福される存在です。


たとえその姿は『作られた虚像』でも、その心は『本物』だと、

あゆむはそう感じたのです。


「じゃあ、買い物に行くか」


あゆむが財布を手に取り、目を細めた――


その時でした。


「素晴らしいね。僕からも是非、祝わせてほしいな」


そんな声が、あゆむの背後から乾いた拍手と共に響きます。


「!?」


あゆむが咄嗟に振り返ると、そこにはかの邪神――

黒髪のスーツを着た青年の姿。

背に無数の赤い目を持った漆黒の翼が生えたそれが立っておりました。


その翼の目は、部屋の住人全てへ向けられ、

まるでそれらが全て『虚像』であると、そう言わんばかりにそれは『嗤って』いました。


「人間はお下がりなさい!」


ガブリエルママはそう叫ぶと、あゆむはバックステップで距離を開け、

彼女は瞬時に鋭い風の刃を飛ばします。

しかし、それは邪神には届かず、はばたき一つでかき消されてしまいます。


「ならばこれで、お引き取り願いましょうか!」


続いてバアルゼブルがカミソリのような渾身の蹴りを、邪神の首へ繰り出しますが、

邪神は振り返りもせずに、それを片手で受け止めてしまいます。


武人であるバアルゼブルの蹴りすら、眉一つ動かさない邪神に対し、

ピピはサタンちゃんを抱える腕の力を強め、本能的に後ろへと下がります。


サタンちゃんの尻尾はだらんと下がり、表情にこそ出しませんが、

怯えていると、そうハッキリとわかります。


「わたしの後ろへ」


邪神との因縁のあるミカエルさんは、そう言って腕を伸ばすと、

サタンちゃんを守るかのように、すっと前に立ち塞がって壁となります。


ハローを失い、大幅に弱体化したとはいえ、

邪神を目の前に、ミカエルさんからは光り輝くオーラが放たれております。


しかし、邪神はそれを相手にせず、両手を広げ、

「気は済んだかい?」と、まるで子供のケンカを眺めていた大人のように語りかけます。


「何をしに来た!」


あゆむの問いを、邪神はやれやれと肩をすくめ、先程と同じ言葉を繰り返します。


「聞こえなかったかい? 僕はただ、一緒に祝いたいだけだよ」


あゆむに邪神のそれは『嘲笑』であると、そう見えました。

翼の目は依然として周囲を見ており、歪んだ形をしており、

まるで口があるかのように小刻みに震えています。


目の一つとトリエルが目を合わせると、トリエルは静かに目を閉じ、

髪の色が変わりエミエルへと変化します。

エミエルは一瞬、悲しげな表情を浮かべますが、

すぐに笑顔を作り、邪神に手を差し伸べます。


「なら一緒に笑おうよ、わたしと一緒に」


しかしその手は、スキーでの時と同様に、今度は翼で弾かれます。

邪神は笑顔で返しますが、その目はやはり『嗤って』います。


「コノヤロー!」


エミエルの手をまたしても弾いたことで、

怒ったおばけ達が一斉に『おばけミサイル』として突撃しますが、

それらは全て、はばたきで弾き落とされてしまいます。


「きゅうぅぅ」


「やめてー!」


エミエルの悲痛な叫びを前に、邪神はその口角を上げ、ニヤリを笑います。

まるでエミエルのその叫びが聞きたかった――とでも言いたげに、

その表情は『楽しげ』です。


「僕は別に何もしないよ。だってそうだろう? 僕から何かしたかい?」


「まるで『正当防衛』だ……と言いたそうだな」

「違うとでも?」


あゆむの言葉は予想済みだったのでしょう。

邪神はまたしても肩をすくめ、即答で笑ってみせます。


「だってそうじゃないか。前にも言ったけど、僕は楽しい空間が好きなだけだよ。

 君達が僕を避けてるんじゃないか」


その言葉《《だけ》》を切り取れば、邪神の言っていることは筋が通っています。

これまで彼は、自ら《《直接》》その手を下してはいません。


彼はただ、観察し、そして嘲笑う。それだけです。


おそらく、彼はこれまで複数の世界、

あるいは宇宙で、幾多もの生物を監視していたはずです。


その中で足掻き、あるいは闇に呑まれるものを嘲笑う、

それこそが彼の言う『楽しい空間』なのだと、あゆむはそう推察しました。


あゆむ達が何かを言う度に、邪神はしゃあしゃあと返答します。

彼を言い負かすことなど不可能でしょう。


彼は人知を超える存在であり、そして全てを嘲笑する存在なのです。


あらゆる場所に存在し、無数の顔を持ち、

全てを『嗤う』


それが、かの邪神です。


しかし、それは邪神の都合であり、あゆむには関係のないことです。


「お前の楽しみなんて知ったことか! なぜ俺らに構う!」


「それは、そこの天使のお嬢さんに興味があるからだよ」


邪神はエミエルを真っ直ぐ見つめ、そう言い放ちます。

あらゆる悪意を笑顔に変えるその力は、ある意味で、邪神とは対極の存在であり、

鏡写しであるとも言えます。


相手の心の闇を見透かし、自由意志のもとに背中を押すのが邪神なら、

その心の闇から、絶対的な優しさのもとに、強制的に救うのがエミエルなのです。


「貴方が望むなら、わたしは貴方とも友達になるよ」


エミエルはそう『笑顔』で答え、その笑顔に邪神は『嘲笑』で答えます。


「君の言う友達ってなんだい? 善意のもとに自由意志を奪う、そんなディストピアの住民かい?」


「わたしはただ、みんなに笑ってほしいだけ! 笑顔が好きなだけ! 人の心を信じているだけ!」


エミエルは桜井恵美の生前の魂の願い、『笑顔』を権能として持つ天使です。

人の笑顔が、心の光が持つ力を絶対的に信じ、

絶対の善はあると、笑顔はあらゆる状況でも救いになると信じているのです。


しかし、それを現す権能は『強制的』であり、そこにあるのは善意のディストピアだと、

邪神はその限界と闇を抉るのです。


あゆむは邪神の言葉に対して静かに息を吐き、部屋の空気を読み取ります。

突如来訪した招かねざる客――嘲笑の邪神が放つ、不気味な緊張感が、7畳の空間を重く支配しています。


ピピはサタンちゃんを胸に抱きしめたまま後退し、ミカエルさんは光のオーラを強め、

バアルゼブルは次なる一手を構えます。ガブリエルママは唇を噛み締め、

おばけ達は散らばった紙吹雪の上で震え、エミエルは差し伸べた手をゆっくりと下ろします。


邪神の翼に生えた赤い目が、部屋の全員を一つずつ嘲笑うように回転し始めます。

あの目はただの器官ではなく、まるで独立した意志を持った存在、

言うなれば、それら一つ一つが『彼自身』であるかのようです。


エミエルは今、茶色の瞳をわずかに震わせながら、邪神の言葉を噛みしめているようです。


「わたしは、そんなつもりじゃない……」


邪神はくすくすと笑い、黒い翼を軽く広げます。

彼は優雅に胸元を押さえ、まるで演劇の役者のように、


「ああ、君は素晴らしき善意の塊さ。純粋すぎるんだよ。だからこそ、面白い」


そう大袈裟に、演技をするように両手を広げ声を出します。

7畳の部屋に彼の高い声が響き、振動が胸の奥にまで届くかのようです。


「君の『笑顔』は、強制的に心を塗り替える。自由を奪う優しさ――それが、僕の言うディストピアだ」


邪神はあゆむの部屋をホールに見立て、スポットライトの中を回転するように、

あゆむ達一人一人に訴えかけるように嘲笑的な台詞を吐きます。


「君達は考えなかったかい? 彼女の権能で『救われた』者達は、本当に幸せなのか……ってね」


エミエルの瞳が薄い涙でさらに揺らぎます。

彼女の権能は、確かに強制力を持つ神の域にまで達するものです。

それはかつて、全能の神様をして『出来ない』とまで言わしめました。


サタンちゃんのように、魂を再構成して笑顔を植え付ける。それは善意から来るものです。

しかし、邪神の言葉は、その闇を容赦なく暴きます。

部屋の空気がさらに重くなり、エミエルが放つ、桜色のハローの輝きが薄れていきます。


「うるしゃい! おまえの戯言なんか聞きたくないじょ!」


サタンちゃんがピピの胸から顔を出し、幼い声で叫びます。

尻尾は怯えからかだらんと下がってはいるものの、元魔王のプライドが彼女を駆り立てます。


「妾は今、幸せだじょ! エミエルのおかげで! おまえみたいなヤツに、何がわかるじょ!」


ミカエルさんがサタンちゃんの肩に手を置き、静かにうなずきます。


「……珍しく意見が合いましたね、サタン」


ミカエルさんは前に出て邪神を睨みつけて声を上げます。


「確かに、貴方の言うことも一理あります。それは認めましょう」


サタンちゃんが一瞬ミカエルさんを睨みますが、

ミカエルさんは「黙っていなさい」と言わんばかりに続けます。


「ですが、幸せの形など千差万別。貴方などが、どうこう言えるものではないのです! 決して!」


「ふん、ミカエリュのクセに……かっこいいでしゅ」


サタンちゃんはぶつぶつ言いながらも、ミカエルさんに寄り添うように、小さなその手を伸ばし、

ミカエルさんは人差し指だけ握ってあげます。


元大天使と元魔王。

歪な姉妹が手を取り合い邪神を睨みつけると、邪神の目が一瞬、興味深げに細まります。


あゆむはそんな彼女達に鼓舞されたかのように、ゆっくりと邪神に歩み寄ります。


「お前が興味があるのは、エミエルだけじゃないだろ。俺ら全員をオモチャみたいに弄んでる」


あゆむはあえて、邪神がやったことと同じことをやり返します。

スポットライトが当たる役者のように、部屋の一人一人と回転しながら目を合わせ、最後に邪神を睨みます。


「お前の『楽しい空間』ってのは、他人の苦しみを眺めることか? それが楽しいのか!?」


邪神は目を細め、拍手を一つ二つと叩きます。


「ふふ、君は鋭いね。確かに、僕は観察者さ。君達の足掻き、葛藤、偽りの絆――それが、僕の娯楽」


邪神はここまで言うとクククと笑い、スーツのポケットに手を突っ込みます。

それは余裕なのか、あるいは何かを持っているのか。

あゆむには判別できません。


「でも、今日は特別だ。そこの元魔王の誕生日であり、クリスマスイブ。僕もプレゼントを用意したよ」


そう言うと、邪神の翼から一つの目が剥がれ落ち、

それは床に転がると、ふわり……と宙に浮かび上がります。


浮かんだその目は、黒い珠のように輝き、ゆっくりと膨張し始めます。

やがて中から現れたのは、歪んだ鏡のような物体。

鏡の表面に映るのは、部屋の住人たちの過去です。


古のルシファーの反逆、ミカエルさんの兄を落とした苦しみ、エミエルの生前の悲しみ、

サタンちゃんの魔竜時代。バアルゼブルの蝿の王、ベルゼブブとしての姿……

そして、それらが『笑顔』で塗り替えられる瞬間。


「これが、君達の『本当』の姿さ。『笑顔』の裏で隠された、闇の断片。どうだい? 懐かしいだろ?」


『笑顔』によって一つになった部屋がざわつきます。

おばけ達が「きゅうぅ」と悲鳴を上げ、ガブリエルママが風を巻き起こそうとしますが、

鏡の影響か、力が弱まります。ピピはサタンちゃんを強く抱き、「見ないで!」と叫び、目を塞ぎます。


バアルゼブルは歯を食いしばり、「くだらん……!」と蹴りを放ちますが、

それは鏡には届かず、鏡が放つ黒い気に止められます。


エミエルが鏡に近づき、手を触れようとします。


「こんなもの、わたしの力で……!」


しかし、邪神は高らかに笑います。


「その力で壊せば、君の権能の限界が露呈するよ。

 しかし壊さなければ、闇が広がる。どちらにしても、楽しいね?」


邪神のその言葉で、エミエルの手が止まってしまいます。

彼女の力で壊せば、それは邪神の言葉の肯定になる。

けれど、放っておくと、闇が広がる……


『どちらにせよ、僕は愉しい』


まるでそんな声が聞こえてくるかのようです。


あゆむはここで決断します。この邪神は、直接手を下さない。

なら、こちらも間接的に対抗するしかないと。

物理的な手段では、この邪神は倒せないと、あゆむは悟りました。


エミエルの権能を持ってしても、おそらくは無駄でしょう。

エミエルと対極の存在であるならば、お互いの力は相殺し合うだけです。

対抗出来たとて、今の邪神の言葉を聞いてしまったエミエルには不可能です。


「エミエル! みんなと一緒に笑え。お前の権能じゃなく、本物の笑顔で」


あゆむの言葉にエミエルが振り返ります。

彼女の瞳に、うっすらと涙が浮かびます。しかし、それはすぐに笑顔になります。

それは彼女の権能ではありません。


あゆむの言葉に勇気をもらった彼女が、これまで過ごした日々を武器に、笑顔を作ったのです。


「うん……みんな、一緒に!」


サタンちゃんがピピの胸から飛び出し、「妾も笑うじょ! ふははー!」と高笑いすると、

ピピも「はい! あゆむ様」と雪のように白い肌を桜色に染めて微笑みます。


「仕方ないですね……」


ミカエルさんもため息をつきながらも、口角を上げます。

その目は不器用ながらも細められ、彼女なりの笑顔が伺えます。


それに続くように、バアルゼブルが敬礼し、

ガブリエルママもメガネを上げて微笑み――


そして、おばけ達がクラッカーを鳴らし、

トリエルに戻った彼女を中心として、全員で輪となり手を繋ぎます。


「みんなー! 笑お?」


その呼びかけに呼応するように、7畳の部屋に強制ではない『笑み』が広がります。

それはまるで、波のように重なり合い、

トリエルを中心に桜色の光が爆発的に広がり、鏡の表面に無数のひびが入ります。


バキバキ……!!


鏡の亀裂が広がる音が響き、邪神の翼の赤い目が次々と「ギギギ……!」と悲鳴を上げて閉じていきます。


「ふーん、予想よりは頑張ったね。面白い。けど、少し不愉快だね」


『思い通りにいかないばかりか、反撃してきた』


本来であれば、それすら愉しむ存在でしょうが、邪神の声に初めて不快の色が混じり、

その表情こそ崩さないものの、あゆむ達の『笑顔』が打撃を与えたことは明らかです。


「ふふ……面白い。愉快愉快……これは楽しみだ」


邪神は肩をすくめ、ゆっくりと影に溶けていきます。

やがてそれは壁を『這い寄る』ように天井へと向かい、すうっと染み込みます。


それはまるで『いつでも見ている』という、邪神からのメッセージであるかのようです。


「また来るよ。もっと楽しい空間を……次は、ね」


そこで彼の姿が消え、鏡が粉々になります。


「君達のその『笑顔』が、このニャルラトホテプの前に、いつまで続くか……見ものだよ」


天井から彼の声が聞こえると、微かに残った気配は完全に消え、

這い寄る混沌――ニャルラトホテプは去り、あゆむ達は束の間の勝利を手にしました。


「……ふう、終わったか」


部屋に残ったのは、紙吹雪と、温かな空気。

今日の主役サタンちゃんが尻尾を振り、「勝ったじょ!」と叫びます。


あゆむはため息をつき、財布を再び手に取ります。

一瞬目を閉じると、口角を上げて今日の主役にその『笑顔』を向けます。


「さて、すき焼きの買い物だな。誕生日おめでとう、サタン」


ピピが微笑み、トリエルが『桜色の微笑み』を部屋に向けます。


「トリエル、すき焼き食べたーい!」


クリスマスイブの夜は、まだ始まったばかりです。



――――



次回 新シリーズ


「ニャルラトホテプの嘲笑編」にご期待ください。

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