表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/57

二話「母娘のバレンタイン」

白い壁の小さな家、桜井邸。


ここはトリエル……いえ、エミエルこと桜井恵美が生前過ごした家です。

「桜色の微笑みの天使」として生まれ変わった現在、

彼女は「トリエル」として、この生家に定期的に通います。


「トリエルちゃん、いらっしゃい!」

「お邪魔します」


出迎えたのは生前の彼女、桜井恵美の母である美恵38歳。

白いタートルネックセーターと、茶色のロングスカートが特徴の女性です。

肩までの茶髪を後ろで束ね、メイクは最低限。

しかしながら気品があります。


今までの彼女はメイクもなく、その顔は涙の跡で埋まっていましたが、

最近はかつてのように、よく笑うようになりました。

それは紛れもなく、母の顔です。

彼女は、目の前の天使が、白血病で幼くして旅立った娘――

恵美の生まれ変わりだと知っています。

そしてトリエルも眼前の女性が、生前の母親だと知っています。


二人はお互いの正体を知っており、

互いに相手がその事実に気付いている――それもわかっています。

わかっていて、あえて知らないフリをしているのです。

何故ならば、真実など、なんの意味もない事を知っているからです。

6歳という若さで亡くなった桜井恵美は、

最後まで笑顔を向けて「すぐに良くなる」と悲しい嘘を続け、

母美恵も「大丈夫だから」と、娘の状態をわかっていながら、悲しい嘘で励まし続けました。


二人にとってはその『嘘』が『真実』であって欲しかったはずです。

しかし、現実は残酷でした。

けれども、今こうして再会している二人には、

そんな過去はもう『過去である』という意味以外持ちません。


互いに今の姿を受け入れて、過去に縛らない。

そう自然に思いやれているからこそ、二人はあえて何も話さないのです。

そんなことを話さずとも母娘でいられると、そうわかっているからです。

それは強制でも義務でもなく、ただそうしたいからそうしている。

エミエルの権能が作り出す笑顔とは、何かが根本的に違う何かが、ここにありました。


……


リビングへ招待されると、そこにはテレビ、テーブルがあります。

以前は仏壇も置かれていましたが、この形になってからは撤去され、

今は美恵の寝室に置かれています。

娘に自分の仏壇を見せる必要はない。そう判断したのでしょう。


テーブルには、トリエルが来るタイミングがわかっていたかのように、冷えたコーラ、

彼女が好きなそれが二つ置かれています。


「一緒に飲みましょう」

「うん」


二人は横並びにテーブルの椅子に腰掛けると、仲良くコーラを飲みます。

甘く爽快な炭酸が喉を潤し、気持ちも軽やかにします。

すると美恵はここで「なにかに気付かない?」とイタズラっぽくトリエルに語りかけます。

トリエルはなんだろーとリビングを見渡すと、それはありました。


黒く箱型のゲーム機、生前の恵美が興味を示していた、

けれども買ってあげられなかったそれです。


「ゲームステーションだ」

「そう、最新よ。やっと買えたの。一緒に遊ぼう?」

「うん! えへへっ!」


美恵のその微笑みに、トリエルも満面の笑みで答えます。


「ねえ、何プレイする?」

「ルイオカート!」

「おばさん下手だから手加減してくれる?」

「えー……どうしようかなあ」


そんな会話が続き、二人はゲームを起動します。

テレビの前に座り、仲良くビデオゲームをする様は完全に母娘です。


…………


「やったー! 勝ったー!」

「トリエルちゃん上手いねー! 負けちゃったー」


対戦はトリエルの勝利で終わり、満足気でコントローラーを置くと、

トリエルはおもむろに口を開きます。


「ねえ……おばさん」

「なあに?」


…………


「わたしね……好きな人が……いるんだ」


数秒の沈黙の後、トリエルから出た言葉に、美恵はドキリとします。

今トリエルの体を使用しているのは恵美です。

美恵はトリエルとエミエル、どちらの人格とも会っています。

トリエルは生前の恵美の性格を色濃く残し、

エミエルは生きていれば順当に成長していた恵美です。


(今は恵美)


万感の思いとともに、美恵の胸には熱いものが込み上げてきています。


生前、恵美には筒見歩という幼なじみがいました。

いつも公園で遊んでいた幼なじみ。

あゆむ君、えっちゃんと呼び合い、親交を深めていた二人ですが、

恋愛に発展する前に恵美が入院し、命を落としました。


エミエルとして生まれ変わった恵美は、今、彼に恋をしています。


(そんな歳に……なったんだね……恵美)


声には出せないけれど、心の中そう口にします。


「……相手はあゆむ君?」

「……うん」


トリエルことエミエルは恥ずかしそうにうなずくと、左隣に座っている美恵の方を見ます。


「よくわかったね」

「トリエルちゃんのことならね、おばさんなんでもわかるんだ」

「あゆむ君のことを考えるだけで……すごく幸せなの」


その言葉に、美恵は幸せそうに目を細めます。


「……付き合ってるの?」

「まだ……かな。でも、『好き』はもらったよ」


あゆむと恵美は、両想いでした。

恵美はトリエルの中であゆむと再会し、その恋心を深めました。

あゆむもまた、トリエルの中に、いつも恵美を見ていました。

あの時、サタンとの決戦の時、

ようやくその想いを交換し合い、二人は恋人同士となりました。


よく報われない人は、不運の人はそういう星のもとに生まれてくると言います。


何をやっても上手くいかない。

希望が見えたと思ったらすぐに裏切られる。

決して報われない。

あらゆる努力が嘲笑われる。


そういう人は確かに存在します。

事実、生前の恵美がそうでした。


皆に笑顔を届け、誰よりも笑顔を愛する恵美が、

恵美自身が最も笑顔から遠い存在になる皮肉。

美恵にはそんな現実は受け入れ難いものでした。


助かるはずの病気で嘘をつき続け命を落とす――


けれど、彼女は報われたのです。

今彼女は、あゆむと『好き』という気持ちを共有する間柄です。

気付けば、美恵はエミエルを抱きしめていました。

(良かった……良かった)


そう何度も心の中で叫びながら、

最愛の娘が掴み始めた幸せを、『おばさん』として祝福します。

エミエルもまた、『近所の子』として、両腕と翼を背中に回します。

羽が静かに紙吹雪のように散り、優しい嘘で結ばれた母娘を祝福していました。


…………


「ねえ……バレンタインチョコ渡すのって……ダメかな」

「いいと思うよ」


美恵のその言葉にエミエルは勇気をもらったのでしょう。

うなずくと「一緒にチョコ選んでもらえる?」と提案します。


「いいよ。おばさん、トリエルちゃんの大ファンだから」


そういって微笑みかけ、二人は近所のデパートまで向かいます。


……


玄関の扉を開けると、二人を祝福するかのように、

銀色の日光が優しく人間と天使の母娘を包み込みます。


「ねえ……今日おばさんの家に泊まっていかない?」


美恵がそう呼び止めると、エミエルはわざと考えるふりをして、

少しだけ美恵を焦らして振り返ります。


「そうしようかな……」

「本当!? じゃあデパートだし、お肉買ってすき焼きにしましょうか!」

「うん! えへへっ! 楽しみだね!」


振り向きざま、エミエルの翼が広がり、羽の一枚一枚が陽光を反射します。

それはまるで、生前の、そしてこれからも続く二人の未来を象徴するかのようでした。


娘を亡くした母と、生まれ変わった娘。

このちょっと変わった母娘は、昼の日差しが見守る中、町に消えていきました。


…………


――――


ペチン!


そんな音を立てて、あゆむの家であゆむを叩くのは

大天使ガブリエルこと、ガブリエルママです。

彼女は天使トリエルの育ての親、言わば第二の母ですが、

トリエルへの独占欲が強く、また非常に親バカです。


今トリエルは生前の母のところにいるわけで、ガブリエルママとしては面白くないわけです。


「腹を痛めた母が、そんなにいいのですか……過ごした時間はこちらが上ですよ」

「だったらトリエルに言えばいいじゃないですか」

「お黙りなさい!」


ペチン! とガブリエルママは風の鞭であゆむを叩きますと……


「お黙りなさい!」「女王様とお呼び!」「この豚め!」


ガブリエルママのヒステリーにアンポンタンが乗っかり、

尻尾を鞭に見立てて女王様プレイをしているようです。


「黙るのはおのれらじゃい!!」


あゆむはアッチを捕まえようとしますが、ヒョイとかわされ、

最後は三匹でベロベロバー。

屋根の裏に消えていきました。


(おのれー……)


「ところで歩殿、今日はバレンタインデーだそうで、勝算はおありですか?」


バアルゼブルは暇つぶしの軽い嫌味を言うと、ガブリエルママの方を見ます。

それはガブリエルママに『トリエルから貰う気だ』と告げ口をしているかのようです。


「やかましいわい!!」

「トリエルから貰ったら呪いますから」


バアルゼブルからのチクリを受けたガブリエルママは、

相変わらず天使とは思えない台詞を口にします。

これにはあゆむも「ほんとに天使か?」と一瞬思いますが、

「親バカは放っておこう」と思い直します。


そんなやり取りが続いた後、

奥のキッチンからピピが甘い匂いとともに、手作りのハートチョコを持って来ます。

あゆむは照れくさいのか、頭をぽりぽりとかくと、ピピも後ろ手でそれをいじります。


「ピピー! 頑張るでしゅー!」


するとサタンちゃんがピピに尻尾ビンタでハッパをかけます。

それが効いたのか、ピピは雪のように白い肌を顔を赤らめ、

そっとあゆむにチョコを渡します。


「わたくしの気持ちです……」

「お、おう……」


今あゆむにはエミエルがいますが、ピピとしてはここで引き下がれません。

共に過ごした時間は、ピピとて負けてはいないのです。


「答えは、逝く前までには聞かせてください」

「随分気長だな」


ピピはあえて急かさず、あゆむを待つことにしました。


…………


夕暮れ時、あゆむのスマートフォンが通知を知らせます。


「ん? エミからか……」


――おばさんの家で待ってます――


あゆむは一瞬ピピの顔を見ますが、ピピはあえてそっぽを向いたので、

あゆむはそれを「任せる」という意志と受け取ります。


「行ってやるか……」


――――


一方、桜井邸では恵美ことエミエルは玄関前でソワソワしています。


「来てくれるかな……」

「きっとね」


美恵はエミエルの肩をそうっと抱き、そう励まします。

すると……

ピンポーンとインターホンが鳴らされ、扉を開けるとあゆむが立っていました。


「よう……」

「うん……これ」


エミエルは恥ずかしそうに、二人で選んだチョコレートをあゆむに渡します。

選んだのはアソートタイプのボックスチョコレート。

それは綺麗にラッピングされており、

特別感を出しながらも「重くない」そんなギリギリを攻めています。


「ありがたく貰っておくよ……ありがとな」

「……うん!」


エミエルのそんな笑顔にホッとしたのでしょうか、

美恵は手をわざとらしく叩くと……


「そうそう、今日すき焼きなんだけど、お肉買いすぎちゃって……

良ければどうかしら?」


とあゆむの目を凝視してきます。


「これは断れんな……」


『来い』という圧力だと感じたあゆむはそれを受け、

中に入るのですが、背中になにか違和感を覚えます。


後ろを振り返るのですが、エミエルは前です。

しかし、背中の違和感は消えません。


(文字を書いている?)


そうです。エミエルが眷属を使い、こっそり恋のイタズラをしているのです。


…………


エミエルはあゆむが気付いたことを察知すると、

桜色の微笑みを向け「行こ」と手を差し出します。


その手は柔らかくて、ちょっと汗ばんでいて、そして――


――温かい。


そんな気持ちが湧き上がり、トクン……と胸が脈打ちます。

手が汗ばみ、顔に血液が集中する感覚が走ります。

あゆむの「赤面」を彼女も見て――


――わたしでドキドキしてくれてる。

自らの胸をあゆむ以上に高鳴らせます。


…………


「……わかった?」


ヒソヒソと小声で言うエミエルに、あゆむは――


「顔に書いてある」


そうほくそ笑み、先にリビングへと消えて行きます。

それは照れ隠しか、あるいは余裕なのかはわかりません。


ただ。


「……ズルいなー」


顔を紅葉のように赤らめ、キラキラとした恋色の瞳であゆむを追う、

そんなエミエルが残されただけです。



…………



「美味しい?」

「いやー、なんか凄く食べ難いですね」


「……ぷい」


エミエルのバレンタインデーは成功とも失敗とも言えない、

ちょっと甘酸っぱい形で幕を閉じました。



…………



その夜、エミエルと美恵は生前の恵美の部屋で、

一つのベッドの上で寄り添うように重なります。


美恵はエミエルの背中を何度も優しく撫で、静かに生まれ変わった娘を励まし続け、

彼女は失った分を取り戻すように、母の胸に甘え、

一夜をともに過ごすのでした。


「ねえ、おばさん」

「なあに?」

「わたしのこと、ほかに何か知ってる? わたしが知らないことで」


「何でも知ってるよ。産まれた時の体重。

 初めて覚えた言葉。ママとパパ、どっちが先だったか……

 あなたのことなら、全部知ってるよ」

「さすがだね」

「だって……あなたの、世界一のファンだもん」


(これからも、ずうっとね……恵美)



…………



――――



一方その頃の上空では、三日月が淡い光で地上を照らす中、

月の影に隠れるように黒いモヤが出現し、赤い目が微かにその姿を覗かせます。


「ミ……ツ……ke……た」



――――



次回 落ちてきた天使と同居することになった件。


「トリエル、水族館へ行く!」にご期待ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ