三話「駄天使と彼女」
古びた写真のような、どこかノスタルジックな色合いの世界、夢。
くすんだセピア色の視界の中央にブランコの輪郭が見え、
茶色い髪の女の子、その輪郭が座っています。
(……誰だっけ)
「ねえ、どこか痛いの?」
『痛い』――その言葉に、女の子はすぐさま反応し、
怯えたような笑顔を作ったかのように、あゆむは感じ取りました。
「どこも痛くないよ! えへへっ、ほら、元気でしょ?」
「どこも痛くないなら、なんで一人なの?」
「えーと……病院……最近遠くから来て、友達がいないの」
「なら俺が遊んであげるよ。なんて名前なの?」
「⬛︎⬛︎、桜⬛︎ ⬛︎⬛︎、キミは?」
「俺は――」
ここで世界が歪み、夢が変わります。
…………
白いはずの壁は赤みがかり、テーブルでしょうか、
視界の下にあるそれはグラス越しに見るように歪んでいます。
(どこだここ……)
そんなハッキリしない映像の手前には女性のシルエット。
服装はおろか、輪郭すら不明な人物ですが、「彼女である」
ただそれだけは、何故かハッキリとわかります。
(あの人か……今日は笑顔なんだな)
何故こんな夢を見るのか、あゆむにはわかりません。
けれど、知らないはずの『彼女』がどうしようもなく、
あゆむには恋しく感じました。
探し求めた母にやっと会えたような、そんな思いが込み上げ、
胸が陽だまりのように温かくなり、同時にまぶたが熱くなる感覚があります。
あゆむは夢の中ながら手を伸ばそうとしますが、
視界に映った手は小さく、白いブラウスを着たそれは女の子です。
(ここは誰かの夢なのか……!? でもなんで、気持ちまで伝わるんだ……)
「……」
(声を出したらダメだ!!)
夢の主も、ここが夢だと本能的にはわかっているようです。
そして、決して戻れない過去であることも。
けれども、声を発したい。
そのうえで彼女の胸に飛び込みたい。
そんな切なさが伝わってきます。
「……⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎……今日は、あなたが好きな……」
ここで堪えきれなくなったのか、まぶたの裏がどうしようもなく熱くなり、
世界が赤くなります。
「……あなたの笑みが――」
「大好きよ」
――――
捻りのない電子音のアラームが部屋に響き、あゆむの覚醒を促します。
(……変な夢見たな)
「う……ん」と、あゆむは枕元を探り、
スマートフォンのアラームを停止させます。
部屋はしん……と静まり返り、
外では雀のさえずり、室内では壁時計の音が聴こえるほどです。
「おはようございます」
そんな聞き慣れない女性の声が聞こえます。
それは、風鈴のように高音で、透き通った声があゆむの聴覚を刺激します。
(綺麗な声だな……ああ、ピピか)
「おはよう」と返しますが――
「うわっ!?」
次の瞬間、眼前にあったのはワンピース少女姿のピピ。
彼女は『絶世の』とか『神話級の』などとついても、
決して大げさではない容姿です。
そんな美少女の顔が、寝起きの青少年の眼前にあるとどうなるか……?
グキッ!
――とこうなるわけです。
あー……腰やるとねー……痛いんですよね。
誰が中年だ! 俺は20のイケメンナレだよ!
……失礼しました。
「痛っー……」
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
ピピは慌ててあゆむの背中に回ると、その冷たい手で擦ります。
「いきなりはびっくりするって……」
(クソ……いい匂いするなあ……)
「すみません……なにぶん生前の記憶などほとんどなくて、
霊体経験が長いものですから……生者さんの感覚が思い出せなくて」
「あはは……」
(幽霊あるあるなのか……?)
「もう大丈夫だよ。ありがとう、ピピ」
「いえ……」
あゆむの背後に控えめなピピの声が響き、少し甘い空気が漂います。
(ああ……これが生者さんの……殿方の温もりと匂いなのですね……あはは)
(ああ……ピピが生きてる少女なら)
(わかっていますよ、あゆむ様。貴方にはわたくしが必要……
うふふ、ピピときっと添い遂げましょうね……)
知らぬが仏とは言いますが、
ナレーターとして、こうして神の視点で見ておりますと、
元怨霊と若い生者。
この二人の変なすれ違いが、まるでコントのように噛み合っております。
ピピの心の声を、もし今あゆむが聞けば、きっとドン引きすることでしょう。
「……⬛︎⬛︎さん」
「全く……気持ち良さそうに寝てるなあ……」
あゆむはトリエルを見てそのように呟きますが、
彼女の目に光るものがあることに、気付いてはいません。
「先にお食事にしましょうか」
(一人で先に食うのも味気がないな)
「いや、どうせなら一緒に食うよ。起こしてやるか」
(放っておいたらいつまでも寝ていそうだし)
「……⬛︎⬛︎さん?」
「俺は母親じゃないぜ」
あゆむを母親と勘違いしたのか、
トリエルは赤い瞳をうっすらと輝かせ、
定まらない焦点であゆむを見つめると――
ニコリ。
そう微笑んで、直後に赤い目がハッキリと輝きを見せます。
(……なんだ……今の……心臓が、胸が熱い)
あゆむは赤い目のトリエルを見つめますが、
これといったことは起こらず、ただ息を吐くだけです。
「……ポテチー?」
「俺の顔が芋に見えるなら眼科へいけ」
「くす……では、どうせなら今朝の朝食はポテチにしましょうか」
ポテチという言葉に、トリエルは0.1秒という、
早撃ちガンマンも真っ青な反応速度で腕を大きく揚げ、
背中の翼もそれに追従して広がります。
遠目でそこだけ切り取れば、まさに天使降臨。
民衆を導く、そんな絵画のようなワンシーンに見えなくもありません。
まあ、実際は駄天使なんですが。
「ポテチはもうないぞ?」
「作りますよ。冷蔵庫にじゃがいもがありました」
ピピはそう言うと、冷蔵庫からじゃがいもを3つ取り出し、シンクへ置きます。
すると、トリエルも興味があるのか、それを覗き込むと、
「トリエルもやってみたーい」と元気よく手を挙げます。
「ふふ、いいですよ。では――」
そう言って、ピピがじゃがいもを持った時でした。
パチンとトリエルが指を鳴らすと、六匹のおばけ達が大集合。
「番号ー!」というトリエルの号令に、彼らは――
「アッチ」「イッチ」「ウッチ」「エッチ」
「イヤーン」「てやんでい、てやんでい」と早速コント開始。
「真面目にやらんと、白ナスの漬物にするぞ!」
「あはは、楽しいね!」
あゆむのツッコミもなんのその。
むしろそれでヒートアップしたトリエルは、シルクハットを取ると、
そこから天使の輪『ハロー』が出現します。
(そういや初めて見たな)
普段隠していたそれを見て感動したのも束の間、
突然ハローが「Hello」とダジャレを言うと、
じゃがいもが意志を持ち、軽快な歌を歌い始め、
終いには「ポテチ王に、俺はなーる!!」と叫んで自ら包丁へダイブする始末。
あゆむとピピは、こんなコントをただ呆然と眺めていました。
こんなシュールな絵面でも、トリエルは大爆笑です。
「お料理って楽しいね!」
「ピピ」「はい」
「奴には二度と料理はさせるな」
「はい」
こうして出来たポテチは黄金色に輝き、
トリエルはそれを一人で食べてしまいました。
「ポテチ美味しかったね!」
「お前だけね?」
(食いたかったな……)
――2時間後――
朝8時、あゆむが玄関へ向かうと、
洗濯を終えたピピがあゆむの元へ向かいます。
「あの……どちらへ?」
「コンビニだよ。何も食べてないしね」
「はあ……」と、あゆむが深いため息を吐いて、靴を履きはじめた時です。
スタスタスタスタ――そんな元気な音が聞こえ、
奥からゴスロリ服を着た、
トラブル発生機のトリエルが、元気よくあゆむのもとへ駆け寄ります。
「トリエルも行くー!」
その様子はまるで刷り込みによって懐いたカモのよう。
『見た目だけ』ならどれだけ癒されることでしょう。
『何この天使、尊い……』
何も知らない人が彼女を見れば、間違いなくこのように思うことでしょう。
それほどまでに無垢な笑顔です。
しかし、トリエルあるところトラブルありと、
既にあゆむの防衛本能が全力でサイレンを鳴らします。
その数、およそ火災報知器2ダースはくだらぬでしょう。
ビー……ビー……ビーという音が実際に聞こえてきそうです。
「ねー! トリエルも行くう!」
彼女はゴスロリ服のフリルをフリフリして猛アピール。
『何この天使、尊い……』
あゆむの今の気持ちを代弁するならばこうでしょう。
何せここ数日の間でも、彼女はあゆむの平穏を破壊しまくっているのです。
警戒するのは当然です。
「わたくしもお供いたしますから……」
(余計不安なんだけど)
ピピは善意で提案したのでしょうが、
一抹……いえ、十抹の不安を抱えながら、あゆむは外へ出るのでした。
――――
目指すコンビニは徒歩数分。
灰色の塀が連なる住宅街を抜けた先、
アーケード商店街の一角にあります。
なんのことはない、通い慣れたいつもの道……なのですが……
「視線が気になるなあ……」
それはそうでしょう。
一応、翼は隠してきたのですが――かたやゴスロリ、かたやワンピース美少女。
しかもアニメのような桃色と青色の髪ときています。
「ゴスロリ!? なにかの撮影か?」
「あのワンピースの子、彼女かな……すげー羨ましい」
などと、道行く人の視線が刺さる刺さる。
「ただコンビニへ行きたいだけなのに……」
とあゆむはボヤきますが、まだ序の口でした。
やがて交差点へ差し掛かると目の前は赤信号、
その先ではアーケードが見えています。
コンビニは目の前。
――しかし、ここで事件が起こります。
「あ、お店だー」とトリエルは何も見ずに、ダッシュで信号無視。
「バ、バカ!!」
あゆむは咄嗟に、トリエルを守ろうと車道に飛び出します。
けれど、車道では急な飛び出しに対応できず、車が突っ込んできます。
一方のトリエルは、さも当然のように翼を広げて、それを回避するのですが――
問題なのは、あゆむの方です。
(や、やべ)
その思考が言葉になるよりも早く、飛び出してきたあゆむに対して、
車は急ブレーキをかけながらも、その牙を向こうとしています。
しかし、あゆむは硬直して動けません。
脳はその危機を察知し、何とか『回避せよ』と司令を出しますが、
未経験の状況、突然の危機――そうそう対応出来るものではありません。
(ぶつかる……!!)
あゆむがそう覚悟した時でした――
一瞬、トリエルの赤い目が茶色に激しく輝くと、車の前に七色のゼリーが現れ、
その勢いを魔法のように完全に止めてしまいます。
物理法則を無視して急停止した車は、まるで最初からそうであったかのようです。
何が起きたのか分からないドライバーの男性は、運転席で呆然としています。
「だ、大丈夫ですか!?」
あゆむが運転席へ駆け寄ってそう投げかけると、ドライバーは静かにうなずき、
あゆむは頭を下げてトリエルの元へ……
「バカヤロウ!!」
あゆむは声を張り上げて、トリエルを叱りつけます。
トリエルは茶色い瞳を光らせながらうつむき、ただ静かに。
「ごめんなさい……でも良かった」
しばらく、あゆむは何も言えませんでした。
怒鳴った声が、まだ喉に残っています。
そっと、彼女の頭に手を置きます。
「次からは気をつけろよ」
「うん……」
トリエルは静かにうなずき、
茶色い輝きが七色のゼリーと共に消えるのでした。
…………
(俺は……なんで、あんなに必死になったんだ)
その理由が、あゆむにはまだわかりません。
ただ、記憶の奥底、
あゆむには、一瞬だけ『誰か』の面影が見えた気がしたのです。
――――
「お店なんて久しぶりです」
重たい空気を少しでも良くしようと、ピピが明るく振る舞い、
先導するようにコンビニの中に入ります。
先の騒ぎの際、彼女は後ろでただ見ていることしか出来ませんでした。
その責任を感じているのかもしれません。
「物がいっぱいで楽しそうー!」
次いでトリエルが店内を駆け巡ります。
そこには『桜色の微笑み』が戻っていました。
コーラやポテチ、お弁当やらが沢山あり、彼女の好奇心を刺激します。
お線香もブランドを選ばねば置いてありますね。
「何も買わないぞー」
「あ、待ってください」
ピピはあゆむの後に続き、トリエルを放っておいて店内を周ります。
はたから見れば『仲の良い兄妹に彼女が着いてきた』
そんな微笑ましい光景に見えるでしょう。
まあ実際は駄天使と怨霊の歪なデートなんですが。
「ねえ、これ欲しい!」
(ポテチとコーラばっかかよ……最近高いんだぞ)
「だから買わないって……」
あゆむはうざったそうにそう言いますが、
ここでトリエルの赤い目がキラリと光り、
彼女が指先をちょん! とすると……
「うわ!」
あゆむのポケットから急に財布が宙に浮き、中からお札が翼の生えた状態で出現!
パタパタパタとレジへ、ニコニコ顔の諭吉さんが一直線です。
「俺の諭吉ー!! カムバーーーーック!!」
レジ店員さんが「……どんな手品ですか」と半ば呆然とする中、
諭吉さん、目を赤くキュピーンと光らせ、口をパクパクと動かします。
「カムバック・イズ・ミー!!」
「コーラとポテチ……コーラとポテチ……買えるだけ」
「は、はい!」
「急げ……急げ」
「ひぃぃぃぃぃ!」
これには店員さんも阿鼻叫喚です。
命惜しさに、諭吉様ご消耗の商品をガンガンスキャナーに通して、
あゆむの静止を振り切り、あっという間にお会計。
(せめて栄吉にするんだった……諭吉は願掛けの身銭なのに……)
「最近の撮影は大掛かりだなあ…」
「すげー……トリックが全然わかんない」
「これネットにあげよ! 絶対バズる!」
「……もう絶対トリエルは買い物に連れてこない」
「わーい! コーラとポテチがいーっぱい!」
赤い目を輝かせるトリエルを横目に、
あゆむは今や製造されなくなった諭吉さんを失って、塩も御札も買えず無念の帰宅。
「次からは栄吉さんを入れるか……諭吉はもう重要だもんな」
帰り道、いきなり諭吉さんとの無念の別れを強いられたあゆむでしたが、
トリエルはご満悦のニコニコ顔です。
(もうやだこの駄天使)
あゆむは一瞬、そんなことを再び考えますが、
彼女の笑顔を見た途端、やはりその感情はきれいさっぱりと消えてなくなります。
(これも天使の力ってヤツなのか?)
あゆむはふとそんな疑問を感じ、
「なあ、お前のその力って、天使の力って奴なのか?」と尋ね、
トリエルは「んー」と少し考えるように唸ると……
「わかんなーい」
「わかんないって……」
「だって、楽しいねって思ったら起こることだから」
「要するに、お前の意思ではできないのか?」
「出来るけど、何が起こるかまでは分からないよー」
「それって他の天使も同じなのか?」
「ううん。トリエルだけだよー。天使の力はみんな違うの」
つまりトリエル自身自分の力はよくわかっておらず、
かつ制御しきれていない部分がある。
あゆむはそう言いたいのだと理解しました。
(コイツにこれ以上聞いても、何もわからなそうだな)
わからないことを考えても仕方がない。
あゆむは天使の力に関しては、おいおい考えることにしました。
(……本当に、そうなのだろうか)
考えるのをやめたはずなのに、疑問が消えません。
『自分だけが違う』と語ったトリエルの力。
あゆむはその白い翼を眺めつつ、どうしても目を逸らせないのでした。
(なんだろうな。この違和感)
……
(天使って……どうやって生まれるんだろうな)
あゆむは、軽く息を吐き、トリエルの小さな背中を見つめます。
落ちかけた日差しが白い翼に反射し、まるで光のヴェールで包み込むように見えました。
――――




