最終話「全てを笑顔に」
【特別篇・前書き小説】氷美華の残滓
時は2001年。
俗にパソコンゲーム黄金期とも言われる時代。
この時代に生まれた名作オンラインゲームは数知れず。
この家に住む少女も、そんな全盛期に青春を捧げた一人です。
彼女の部屋、そこは質素な6畳間。
カーテンは閉じられ、聞こえるのはパソコンの起動音だけ。
画面に映し出されているのは、とあるオンラインゲーム。
プレイヤーである彼女の名は氷室 美華17歳。
大きな黒縁メガネをかけた、セミロングの黒髪少女です。
美華の扱っているアバターは、
青い空色の髪と、澄んだ目が特徴の白いワンピースを着た美少女。名を「氷美華」
本名の氷室 美華を「ヒミカ」と略したようです。
「氷美華ちゃん、今日もID行くー?」
画面の向こうの男性アバターのフレンドが、そう気さくにチャットを打ち込んでくれます。
「はい。行きましょうか」
氷美華は反射的に返事をして、パーティー申請を待ちます。
周りにフレンドはおらず、ペア申請。
これはいつものこと。
「オッケー。じゃあ、今日もいつも通りで」
「はい。頑張りますね」
…………
一時間ほど狩り続け、二人は一旦安全地帯へ。
「もういいかな」
「そうですね」
「氷美華ちゃんまたね」
「また遊びましょうね」
こんなやり取りの後、彼はログアウト。
「サトー君ってホント、狩り終わったらすぐログアウトするんだよね……」
氷美華は画面の向こうで、そう呟いていた時です。
「ヒミちゃんヤホヤホー! 今日もあそぼー」
まるでサトーのログアウトを待っていたかのように、
そんな軽いウィスパーが入れ替わりで飛んできます。
送ってきたのはフレンドの「トール」です。
彼は町中で氷美華に声をかけてフレンドになったキャラです。
よく言えば社交的で今で言う「陽キャ」、しかしその実態は「チャラ男」
『エターナル・ワールド トール』
こんなキーワードで検索すると、出てくるのは「晒し掲示板」
「トール クラス:レンジャー 女アバターに声掛けて音声チャットにやたら誘う男。
気を付けろ。うちのチームも被害にあったわ」
――――
こんな書き込みを氷美華は見ていました。
(トール君って、確かにチャラいよね)
「ねーねー、ヒミちゃんって、Skyやるのー?」
「聞き専です……」
「え? マイクないの? ヒミちゃん課金勢だったよね? マイク安いよ」
「必要性を感じないので……」
「まあいいや。ヒミちゃん遊ぼうよ」
「ごめんなさい。フレンドに誘われてて」
「え? 誰?」
「……サトー君です」
心の中で彼に謝りながら、ついそんな嘘を書き込んでしまいます。
正直、トールを追い払えればなんでもよかった。
「ふーん。そっか」
そう言って、トールは会話を終えて、数分後ログアウトしました。
(サトー君ごめんなさい)
そう氷美華がログアウトしようとした時です。
――フレンドの「サトー」がログインしました――
え? と氷美華は驚きます。
何故なら、彼は基本的に再ログインしないからです。
これまでそんな事は一度もありませんでした。
サトーから秘密チャットが飛んできます。
「あれ? 氷美華ちゃんまだいたんだ」
「サトー君こそ、珍しいね」
普段敬語なのに、つい地の口調で打ち込んでしまいます。
「何かあった?」
サトーがいきなりそんなことを聞いてきます。
「なんで?」
「口調が普段と違うよ」
氷美華はここでやっと気が付きます。
あ……と思いました。
「ええと……ごめんなさい」
「別に気にしないでいいよ。そっちの方がいい」
サトーの気遣いに氷美華の心が解れます。
「ええと……ちょっと」
「ゲームだと言い難い? Skyあるかな?」
「あ、うん」
「聞き専でいいからさ、そっちで少し話そうよ。悩み聞くよ」
「今起動しますね。わたしは himika1203 です」
すぐSky内でフレンド申請とチャット申請が飛んできて、
氷美華はそれを承認します。
「はじめまして」
初めて聞くサトーの声は、思っていたよりも高い声で、優しいトーンでした。
「あ……」
思わず声が漏れます。
「あれ? 氷美華ちゃん音声チャットやるんだね? マイクないのかと思った」
(マイク入れっぱなしだった)
氷美華はここで気が付きますが、サトー君ならいいか。
そう思い、音声チャットを続けます。
「はい。やりますよ」
「女の子だったんだね」
「女ですよ」
思わず明るい声が出て、くすりと笑います。
「で、何か悩みでもあるのかな? 聞くよ」
「実は……今付き纏われていて」
「付き纏い?」
「はい。数日前から、あるフレンドから」
「具体的には、どういう風に?」
ここで一瞬、氷美華は躊躇します。
本当に話していいのか?
もしかしたら自意識過剰と笑われるのではないか?
そんな不安が頭を過ぎります。
(今ならまだ曖昧にして……)
一瞬の不安からそんな考えすら浮かびましたが、
ゲームの中とはいえ、サトーとのこれまで過ごした時間が、
その微かな不安、逃避の選択肢を吹き飛ばします。
「リアルの事を聞いてきたり、Skyに誘われたり」
ここまで氷美華が言った後、サトーの口から驚くべき言葉が発せられます。
「もしかして、トール?」
(なんで知ってるの?)
「え……? なんで」
「有名だからね。そう思ったんだ」
「なるほど……そうなんですね」
「話によれば彼はソロの女性ばかり狙うらしい。
けど、僕と一緒にいれば平気だよ」
…………
次の日から、氷美華とサトーはよく音声チャットをするようになりました。
「へー、ヒミちゃんはアルバイトなんだ? OLかと思った」
「え……」
「どうかした?」
「ご、ごめんなさい。なんでもないです」
(ヒミちゃん……って呼び方、らしくないかも)
氷美華は一瞬、その呼び方に戸惑いますが、彼なりの親しみだと理解します。
そうして、次第にサトーとの会話を楽しむようになっていきます。
リアルの話をする様になったのも、それからです。
そうして一月ほど経過したある日です。
…………
「ごめん、今日は落ちるね」
「そっか……またね」
そう言って、氷美華が名残り惜しそうに通話を切ろうとした時です。
「ねえ……そろそろさ、会わない?」
「え!?」
氷美華の心臓がドキリと飛び跳ねます。
サトーからのリアルの誘い。
「無理にとは言わないんだけど」
正直、一瞬躊躇します。
サトーもそれを察したのか、柔かい声でそれを取り消します。
「ごめん。急すぎたね」
この時、氷美華の中では、サトーとこのままの関係を続けたいという気持ちと、
サトーと会ってみたいという気持ちがせめぎ合います。
ここで会話を流せばこれまでの関係は続けられるかもしれません。
しかし、氷美華が誘いを断ったために、彼が氷美華を避ける可能性もありました。
「……いいよ」
結果、会いたいというよりも、
嫌われたくない。そんな気持ち、現状維持の気持ちが勝ち、
(会うだけ)
氷美華はそう自身に言い聞かせます。
「いつなら……いいかな?」
「いいの?」
「うん……」
「じゃあ、今週の日曜日に」
二人はそう約束し、その日のチャットを終え、
氷美華はもう自分でも気付かぬうちに、
引き返せないところまで来ていました。
…………
約束の日曜日、氷美華は親に「友人に会いに行く」とだけ言い、
彼との待ち合わせ場所まで向かいます。
「黒いミニバンが僕の車」
「制服着て待ってますね」
…………
待ち合わせ場所は近所の駅のロータリーです。
約束の時間は朝の11時。
「いまコンビニ前にいます」
そんなショートメールを打ったのが10時45分。
それから5分後に、黒いミニバンが止まります。
「……氷美華ちゃん?」
出てきたのは、白いウィンドブレーカーを着た黒髪の男性。
彼の声には聞き覚えがありました。
「サトー君ですか?」
「はじめまして……も、変なかな」
「はじめまして……」
妙に緊張して、喉が渇きます。
それを察したのか、サトーからペットボトル入りのお茶が渡されます。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
氷美華はそれを飲むと、車の中を外から伺います。
(乗っているのは一人)
特に誰かが隠れているとか、そんな様子はなさそうです。
それに安心したのか、氷美華は車に乗り込みます。
「思ってたより、ずっと可愛いんだ」
「……どうも」
サトーなりのジョークなのかもしれませんが、
正直笑えない。
氷美華はそんな苦笑いをします。
「素直に喜べないか」
「い、いえ……」
「どこかいきたい場所はある?」
「……お任せします」
「じゃあ適当に」
そう言ってサトーは車を走らせますが――
(眠い……)
車に乗って数分ぐらいで、氷美華は急激に眠くなります。
その眠気に逆らおうとしますが、意識はどんどん落ちていきます……
…………
――――
…………
「……うん」
目が覚めると、そこはピンク色の絨毯が引かれた部屋でした。
映像が視界に入ってから一瞬遅れで、手に違和感を覚えます
(ロープ!?)
「気が付いた? 氷室美華ちゃん?」
(!? 本名!?)
そこにはせせら笑う男、サトーがいました。
ベッドのフレームに手がロープで縛られ、抜け出せそうにありません。
部屋の照明は暗く、氷美華は直ぐにここがどこか察します。
(ホテル……)
氷美華は必死に思考を巡らせますが、
状況の整理が追いつきません。
今わかっているのは、眠らされた事、ホテルに連れ込まれた事、
制服を着てきた為に、中の生徒手帳から個人情報が全てバレたこと。
そして……
信じていたサトーに騙された事。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕は徹。佐藤徹だよ」
徹。サトーはそう名乗ります。
ここで、氷美華は全てを理解します。
トール=サトーだったということ。
トールがしつこく接して、後にサトーとしてリカバリーする。
そうして心を開いたところで誘い込む。
マッチポンプの出来上がりです。
今、サトーの手には三脚とハンディカメラがあります。
「……嫌……やめて」
「大丈夫。最初だけだよ」
あの時は安心した優しい彼の声が、今は恐怖の対象です。
身体が縛られ自由が利かず、個人情報はバレ、
目の前には録画カメラ。
そしてほくそ笑み、迫る男。
…………
どれほど時間が経っでしょうか。
「喋ったら、これをばら撒くからな」
サトーは氷美華のロープを外し、叩き、乱暴に捨てます。
「ここは山の上のホテルだ。助かりたきゃヒッチハイクでもしな」
そう冷たく告げて、先に部屋を出ました。
(警察には頼れない)
(家族にも話せない)
(学校にも行けない)
事実を掘り起こされる。晒し者になる。笑いものになる。
(もう終わりだ)
個人情報はバレて、一部始終も撮影された。
警察や家族に助けを求めても、
瞬間、それはばら撒かれ、辱めを受ける。
それは確実です。
(氷美華のままでいたかったな)
…………
その日から、そのホテルには青い髪の女の霊が出ると噂になり、
「……トー君どこなの……」という幻聴を聞く客が相次ぎます。
そんな幽霊騒動でホテルは廃業。
「出る」肝試しのスポットとして有名になりました。
それから、氷美華は自分の名も忘れ、怨霊として廃墟と化したホテルに住み着きます。
そこで彼女は廃墟で待つのです。愚かな者を。
そうして取り込むのです。浅はかな人間を。
「大丈夫……怖くないよ……」
最初は優しい誘い、騙して「食す」
最初に取り込んだのは徹とかいう男です。
命乞いばかりするつまらない男でした。
そこから先は数え切れません。
それは順調のように見えました。
しかし、犠牲者が増えるにつれ彼女の姿は崩れていきます。
水に溶けた粘土のように、醜く、歪んだ形に。
取り込んだ魂が彼女を肥大化させ、廃墟はますます暗く淀んでいきます。
…………
「サイショダケ……ダヨ」
…………
「グォォォォッ!!」
次第にそれは声を発することすら困難になり、
醜い怪物となったそれは、ただ叫び声をあげて、人間を取り込むだけの存在となっていました。
…………
そうして、幾年が経ったでしょう。また人間の気配がする。
馬鹿な人間、そう思っていました――
「ダメだよー! 悪いことは」
響いたのは子供の声。
誰だ!? と声を上げる間もなく、不愉快な光が霊体を包みます。
その光は身を焦がすように熱く、まるで全身の皮を剥ぎ取られるようです。
しかし、不思議と徐々にそれが暖かく感じます。
けれども、あと一歩が足りない。それがもどかしく、苦しみが続きます。
彼女の闇の視界、その先に光が見えます。
懸命に手を伸ばすけれど、あと少しが届かず、心が折れそうになります。
その時、一瞬誰かが自分の腕を掴み、引っ張る感触が走ります。
刹那、浮かんだのは黒い髪の少女。
「届いて!!」
そう二人で叫び、必死に手を伸ばします。
「うりゃー!」
そう叫ぶ子供の声。すると身体が宙に浮く感覚があります。
下には黒い水の様なモヤがあったかと思えば、瞬間、それはコミカルなおばけに変わります。
それは今まで取り込んでいった人の魂でした。
おびただしい数のそれが解き放たれていきます。
そうして解き放たれたのは彼女も同じです。
その姿は、白いワンピースを着た少女の霊「氷美華」の姿に戻っていました。
上から先の少女でしょうか、翼を持ったそれが降りてきます。
その少女は陽だまりのような笑顔を向けます。
なぜ笑えるのか、彼女はそんなことを考えましたが、
不思議と嫌な感覚はせず、胸にワクワクやポカポカとしたものが宿るのがわかります。
「やっと黒いの取れたー! トリエルはね、トリエルっていうの! キミは?」
どうやらトリエルというようです。
しかし、名前を訊かれても生前の記憶などほぼないのです。
怨霊時代の長さと、浄化の影響でほとんどが消えました。
もっとも、覚えていたところで苦しみが増しだけでしょうから、
あるいはそうしたことがないように消えたのかもしれません。
「わたくしはなんというのでしょう」
気付けばそんな喋り方になっていました。
氷美華――この霊体も声や口調、全てが氷美華をベースにしていました。
いいえ、醜い死霊となってもなお、氷美華のことだけは忘れられなかったのです。
だから残ったのです。彼女が最も彼女らしく輝いていた「氷美華」が、いいえ氷美華「だけ」が。
「じゃあトリエルが付けてあげる……ピピ! 今日からキミはピピね!」
「何故でしょう……ひどく懐かしい響きです」
ピピとなった彼女はスカートを掴むような仕草で礼をする。
これもよく氷美華がとっていたアクションです。
「今からピピはトリエルの友達だよ!」
そう言って少女は笑顔で手を差し伸べます。
「よーし! ピピ、これから来る人達驚かせるよ!」
「かしこまりました」
気付けば彼女も笑っていました。
そこから、氷美華はピピとしてあゆむと出会い、
やがて彼女は、あゆむだけの守護霊となりました。
――――
…………
「ヒミ、どうかした?」
夜23時、彼女は窓枠から遠くの山を眺めています。
そこは彼女にとって忌まわしい記憶の場所です。
かつて氷美華として青春を捧げた少女は、今「ヒミ」として「生きて」います。
氷美華ことヒミには、今、大切な存在がいます。
霊である自分をヒミとして受け入れてくれる存在がいます。
「いいえ。なんでもありません」
ヒミはそう言うと、あゆむにそっと近寄り、冷たい肌を彼の腰に宛てがって体温を確認します。
「この温かさがあるだけで、ヒミは溶けてしまいそうです」
「ヒミが本当に溶けたらさすがに困る」
「大丈夫ですよ。いなくなりません」
(あなたと出会えて、ヒミは本当に幸せです)
(愛しております……たとえあなたの心が彼女に移っても……)
――――
地中の奥深くの死の世界「魔界」
かの世界に空はなく、かつては星空のように
光り輝いていた青い天井も、今では赤黒く変色しています。
美しい地下の楽園だったここは、
いつしか「死体捨て場」として天使達が使い、
結果地下で行き場のないガスや怨念が、瘴気へと変化。
それは吸ったものを凶暴にし、最悪魔物に変えるというもの。
そうしていつの間にか「魔界」と呼ばれ、
魔界では魔族同士の争いが地上以上に絶えず、
瘴気の負の連鎖は天界も浄化を完全に諦めたほどです。
その奥深く……
魔界に強大な空間を開けて作り出した――『暗黒魔界』
そう呼ばれる場所に、かのモノは、今でも隔離されています。
七頭六翼の魔竜、サタン。
ルシファーと呼ばれていた頃の面影は、今やどこにもなく、
身体は瘴気によって膨れ上がり、
およそ10mの巨竜と化しております。
その四肢は「封印」の権能を持つ、かつての双子の妹、
ミカエル様によって光の鎖で封印されておりますが、
それでも「反逆」の権能を持つサタンは魔界の瘴気を吸い続け、
徐々にその「封印」を解こうとしております。
かのモノの権能はあらゆる『力』に『反逆』する権能です。
少しでも自力で上回れば負けない力です。
つまり、魔界の瘴気で力をつけるうち、いつかは破られるのです。
かのモノ、サタンはグゥゥ――という低い呻き声をあげ、
赤黒く染まった魔界の天井を眺めます。
「ベルゼブブは失敗ったか……だが、
これさえ解ければもはや神など敵ではない。
我の反逆には、もう誰も勝てなくなるのだ………」
かつてもっとも神に近く、もっとも高貴だった天使は、
もう見る影もなく『堕ちて』いました。
――――
12月24日クリスマス・イブ。
町は色とりどりのイルミネーションで溢れ、
人の心を豊かにします。
「今日はすき焼きにしようか」
そう言い出したのはあゆむでした。
すき焼きといえば桜井恵美こと現在の⬛︎⬛︎エル。
通称『トリエル』の生前からの大好物であり、
『すき焼き』と聞いただけで彼女、
トリエルの目は両目とも茶色く輝きます。
思えば、以前すき焼きにした時も、トリエルの両目は茶色く光り、
その日は初めて、
トリエルの表の権能による破壊がなかった日でした。
おそらく、すき焼きという言葉に恵美の魂が震え、
少し表に出てこれた結果なのでしょう。
そのすき焼きは、今ではトリエルを中心として、
(あゆむの家に強制的に)集まる絆の食事。
そう言っても過言ではないかもしれません。
だからこそ、あゆむはクリスマス・イブという特別な日に、
すき焼きを選択したのです。
「えへへっ!! すき焼きすき焼き!!」
中央に置かれた四角いテーブルに大きな土鍋が置かれます。
カセットコンロの火が土鍋を温め、
やがてぐつぐつと音を立てます。
「もういい頃ですね。いただきましょう」
ピピがそういうと、周囲のおばけ達が集まってきます。
彼らは物理的な食事は必要としませんが、香りを食べる存在です。
すき焼きの香りは彼らも好きなようで、
小さなお椀を持ったりして食べるまねごとをしておりますね。
中には卵を用意してる個体までおりますよ。
あ、ほんとに割っちゃ勿体ないですよ!
「いただきまーす!」という元気な声が7畳の部屋に響き、
やはり開口一番に箸を付けたのはトリエルでした。
肉やネギなど、一通りの具材を取ると……
むしゃごく! むしゃごく!
――と相変わらず犬のような爆速食い。
おばけ達もマネをして、
中には喉が使える仕草をする個体までいます。
「まったく……少しは味わえよ……」
そう言って呆れるあゆむの隣では、
「あーーーーん」と頬を赤く染めて、
箸をあゆむの口へ近づけるピピの姿があります。
おばけ達には見つめられ、ケラケラとバカにされ、
ガブリエルママからは「……フッ!!!」と鼻で笑われ、
バアルゼブルからは「お熱いことで」と皮肉を言われる。
もっとも、「あーーーん」に関しては
ガブリエルママもトリエルを抱っこしながらやってるので、
どっちもどっちではありますが。
「ママが取ったすき焼きは美味しいですか?
わたくしの可愛い可愛いトリエルちゃん」
「ちょっとちゅめたい」
「ガーーーン」
そんな食事風景が今日も広がります。
カオスな食事風景でしょうが、あゆむ自身は満更でもなさそうな、
そんな笑みを浮かべています。
これまでこんな賑やかな生活はなかったことです。
あの肝試しの日から全てが変わりました。
トリエルの表の権能であるイタズラでは
様々なものを破壊されました。
時にはフィギュアが巨大化することもありました。
けれど、お花見の席で初めて真の権能である『笑顔』が発動してから、
それは徐々に制御できるようになり、
お盆の際、桜井恵美の魂がトリエルの体内に呼ばれてからは、
今では恵美ほど上手く扱えませんが、『トリエル』自身でも
笑顔の権能が扱えるようになりました。
ハロウィンでの桜井家で生前の母美恵と会った際は、
トリエルは初めて自分の意思だけでその権能が使えました。
そんなトリエルの成長を見てか、あゆむはどこか嬉しそうな、
あるいは寂しそうな、そんな目で彼女を見つめています。
そしてそれはバアルゼブルも同じようで……
あゆむの視線に気付くと彼は何事もなかったかのように振る舞い、
皆とすき焼きを楽しみました。
…………
――――
…………
夜23時、ここは町の郊外。
十二月の冷たい夜風が吹き付ける中、
丘の上の広場で彼は、バアルゼブルは町を眺めていました。
「こんな時間にどこへ行く気だよ」
「コンビニエンスストアで紅茶でも買おうかと」
「もっとマシな嘘つけよ」
バアルゼブルは振り返らず、
イルミネーションを見ながら答えます。
「気付いていながら巻かなかったな」
「巻けばもっと大事になっていたでしょう」
…………
数秒の沈黙が流れ、あゆむが口を開きます。
「行くのか」
「ええ」
「……死ぬぞ」
「十中八九そうなるでしょうね」
「なぜトリエルに声をかけなかった」
「かけようとは思いましたよ。ですが……出来なかった」
ここでバアルゼブルはやっと振り返ります。
その目はやや赤く、まるで涙を流した後のようです。
「人間界の団らんというのは悪くない。
あのような食事は、ベルゼブブであった頃の……いいえ、
かつて天にいた頃の私でさえなかったものです。
素晴らしい……恥を捨てるなら、
心が震える……素直にそう評価できます」
「だから巻き込めなかったってか?」
ここであゆむは拳を握りしめ――
「ざけんな!」とバアルゼブルに殴りかかります。
「避けないんだな」
「自分の頬は中々全力では殴れないものですからね」
「バカだろお前」
「かもしれません」
「なんで頼らないんだ!」
声を張り上げるあゆむを、バアルゼブルは真っ直ぐに見つめます。
その目は先程よりも赤い。そう見えます。
「頼れるわけがない!」
バアルゼブルも声を張り上げます。
これまでの彼ならありえなかったことです。
「頼ったら……壊してしまう。私のエゴであの団らんを、
あの素晴らしい家を壊してしまうかもしれない。
……それが恐ろしい。何よりも、何よりも恐ろしい……!
逆の立場であったなら、貴方にそれができますか?
闇に生きてきたものが、ある時急に光を得て、
過去との清算ために、その光を危険に晒せますか?」
「……無理だな」
その言葉はあゆむには理解できました。
7畳の部屋で独りで暮らしていたあゆむは、どこか彼と似ていた。
トリエルによって光を得たあゆむは、同じ立場であったのなら、
間違いなくそうしていたでしょう。
バアルゼブルは踵を返すと「ここでお別れです」
そう言って手を掲げると、魔界へのゲートを開きます。
…………
その時でした。
「悪いな。全て聞かせてもらった」
一柱の大きな炎が広場に立ち上り、
四翼の大天使、天界序列二位のウリエル様が出現します。
「そこまで話を聞いて、尚更、
お前を一人で生かすわけには行かないな」
「貴女一柱が加わったところで――」
バアルゼブルがそう言いかけた時です。
ウリエル様がフッと笑います。
「誰が私だけだと言った?」
「もー! どこか行くなら声掛けてよー!」
その声にあゆむもバアルゼブルも驚いたように振り返ります。
そこには手を振るトリエルとその横に立つガブリエルママ、
ピピ、アンポンタン達もいます。
「ウリエル……図りましたね」
「これで一人では行けまい」
「トリエルの執事である貴方に居なくなられると困ります」
「バアルゼブルさんからは
美味しい紅茶の淹れ方を教えてもらいたいです」
ガブリエルママが黒メガネを放り投げ、
大天使ガブリエル様の姿をとり、
ピピはワンピースのスカートを広げます。
「またあのシュート見せてくれよ! バアルの兄貴!」
「兄貴がいないとコイツをいじめる相手が減っちまうぜ!」
「水くさいわよー! バアル様ー! アタイの屁よりも!」
アンポンタンも、彼らなりに励ましているようです。
「トリエルも手伝うから……一緒に行こう」
そう言ってトリエルはシルクハットを投げて
ハローを出現させます。
それは桜色に光り、笑顔の権能の発動を意味します。
トリエルの髪はピンク色のままですが、
その目は赤と茶色のオッドアイのまま強く輝いています。
「じゃ俺も……だな」
「……とても素晴らしくて、最高に大馬鹿な者達だ……」
下を向くバアルゼブルからは光るものが見え、
彼はそれを拭います。
「皆様のお力を、どうかお貸しください」
バアルゼブルはそう言って敬礼をし、
あゆむ達は彼の手をみんなで取ります。
「行きましょうか」
ゲートは開かれ、あゆむ達は魔界へと消えました。
――――
そこは魔界上層の岩山でした。
既に黒い瘴気が立ち込め、胸に重い感触が響きます。
トリエルの笑顔の権能により、
それらは虹色の光に置き換わりばあーっと広がりますが、
やがてすぐに闇に包まれ、この繰り返しになります。
トリエルの権能がなければ、
あゆむは一瞬で取り込まれ命はなかったでしょう。
そう確認できるほどに、
魔界の瘴気はあゆむの想像を超えておりました。
「全力で使っていないとはいえ……
トリエルの権能でも浄化出来ないなんて…」
あゆむの言葉にピピは
「それだけこの魔界という世界は瘴気に満ちているのかと」
そう言ってあゆむを守るように前に立ちます。
「根源を絶たねば瘴気はなくなりませんよ」
ガブリエル様は風を飛ばし瘴気を払いますが、
すぐに視界が暗くなります。
彼女の繁栄の権能でさえ、
やはり濃すぎる瘴気の前では無力なようです。
「同じ天使として、
私達は責任を感じなければならないのかもな……
魔界という世界を作り出してしまった」
「ミカエル殿がいれば、
あるいは結果は変わっていたやもしれませんがね」
バアルゼブルのその言葉に、あゆむはここで疑問を抱きます。
「そのミカエルさんってのは偉いのか?
なんでこんな時にいないんだ?」
ウリエル様は大剣を振りかざし、
瘴気を消し飛ばしながら答えます。
「ミカエル様は序列一位のお方でルシファーの双子の妹だった」
「ルシファーって、サタンだよな!? そいつの!?」
「ああ。……ミカエル様は封印の権能を持っておられる。
ミカエル様であれば、確かにどれほど心強かったろう……」
「いないのか?」
ウリエル様は言い難そうに少し押し黙ってから口を開きます。
「ミカエル様は一戦の後、責任を感じられ、
窓際部署の転生課に移転を自ら申し出られてな……
そこは本当にやることがないんだ。
ただ近年、何故か異常なほど日本からの転生陳情と、
それに伴う魂トレードが多くてな……
ある転生者に、転生前にボーナスで欲しいものはありますか? と尋ねたところ、
こともあろうにそいつは “君” と、
ミカエル様を指定したのだ……」
それを聞いて、あゆむは日本人として責任を感じました。
「すみません!!!! ……ほんっっっっっっっとうに、
日本人がすみません!!!!」
そうこう話しているうちに、
先頭をゆくバアルゼブルの足が止まります。
「この下です」
「……いるのか?」
そこには大きな穴があり、上からは下の全貌は確認できませんが、
上層とは比較にならないほどの瘴気が満ち、
上へと這い出てくる様子が見て取れます。
ゴクリ。
あゆむはそう息を呑みます。
勢いで着いてきたはいいけれど、あゆむはただの生身の人間です。
トリエルの権能で守られてなければ、
一瞬で瘴気で死んでしまう弱い人間です。
そんなあゆむがこれから悪魔の王、悪魔竜王サタンへ、
その眼前へ行こうというのです。
喉も渇けば足も震えてきます。
ピピはあゆむに抱きつくように重なると
「ヒミが守ります」そう、あゆむだけに聞こえるように語りかけ、
あゆむも勇気を奮い立たせます。
「……行こう」
飛べないあゆむはピピに運んでもらい、
あゆむ達は暗黒魔界へと降りていきます……
…………
――その時です!
ギュイン――と、一瞬何かが下から光ったように見えます。
トリエルがとっさに下に回り込むと、
瘴気のブレスがあゆむ達を襲います。
トリエルの権能により、それは綿あめに変えられ飛散しますが、
その勢いは花見の席で見た時の半分もないように、
あゆむには見えました。
「ウッ!!」
無力化は出来たものの、風圧でトリエルが一瞬怯みます。
「これが反逆の権能ってやつか……」
破壊と悪意を無力化する『笑顔』と、権能に逆らう『反逆』
その両者が早くもぶつかった瞬間です。
遠くからのそれはトリエルの『笑顔』が勝ちましたが、
その勢いは弱くなっていました。
近づけばどうなるかは、あゆむにも分かりません。
「グゥゥゥオオォォォォッ!!!!」
地響きのような咆哮が暗黒魔界上空にこだまし、
それだけであゆむの微かな勇気を一気に奪っていきます。
「うわっ!!??」
バランスを崩したあゆむとピピが地面に落下すると、
そこには今にも光の鎖を引きちぎらんとする
サタンの姿がありました。
10mに達する黒い巨体、七つの頭、十本の角、六枚の翼、
そのどれもがあゆむを圧倒します。
グググ!!!
グググググ!!!
「おいおいおい!!??」
怒りに燃えるサタンが渾身の力で鎖を引っ張り、
それが徐々に浮き上がっていきます。
そして………
バキー……………ン………
それはついに外れ、
サタンが先に落ちてしまったあゆむを襲います。
「やめてー!!」
あゆむの守護霊であるピピが両手を広げてあゆむを庇いますが、
それで守りきれないのは明らかです。
「はぁぁッ!!」
その叫び声と共に、
上空よりサタンをも包み込むほどの巨大な炎の刃が下ろされます。
それはまるで壁のように、
あゆむを守ろうとするピピの眼前で下ろされ、
サタンの攻撃が一瞬緩みます。
「逃げろ!!」
ウリエル様のその叫びに、ピピはあゆむを抱え、
その場を下がりますが、
尚もサタンが追いかけ突進してきた時です。
黒いタキシード姿の男がサタンの前へ現れ、
蹴りでそれを止めます。
足からは瘴気とは違う、光の気が放たれています。
「ベルゼブブ!! 貴様!!」
「ベルゼブブ? そんな者は……存在しない!!」
怒りに燃えるサタンに、バアルゼブルが闘気を纏った蹴りを見舞います。
それは、首の一つを捉え、
一撃のもとに消し飛ばします。
――が、
「ふふ……さすがですね」
それはすぐに元に戻り、バアルゼブルを鋭く睨みます。
「よくも、おめおめと帰ってきたものだな!!」
「ええ……ですからこうして、
引導を渡して差し上げようと……いうのですよ!!」
バアルゼブルは渾身の光の回し蹴りを
サタンの前足に食らわせると、4本ある爪の一つが消し飛び、
サタンがそのバランスを崩して前方へ倒れ込みます。
「グッ!!」
後方であゆむはそれを見守りながら「行けるんじゃ?」
そう思いましたが、快進撃はここまででした。
「図に………乗るなぁぁぁ!!!」
サタンの黒いハローが漆黒に輝き反逆の権能が発動します。
するとバアルゼブルの蹴りは、
当たる前に何かに弾かれるように手前で止まり、
バアルゼブルの顔が歪みます。
「ダメージが跳ね返っているのか!?」
「反逆の権能の力でしょうか」
残念ながら、あゆむとピピは完全に足手まとい。
彼らはこうして遠くで見ることしか出来ません。
「あ、あんなのオイラ達じゃどうにもなんないよー」
降りてきたアンポンタン達もピピにしがみつき、
ブルブルと震えています。
反逆の権能はあゆむが考えているよりも強いものでした。
「終わりだ!! ベルゼブブ!!!」
サタンの前足が振り下ろされる!! その瞬間です。
ギィィィィ!! という轟音が響き、
トリエルが立ち塞がり、後ろにガブリエル様が控えます。
そのトリエルの前には板チョコレートが生成され、
笑顔と反逆の権能同士が激しくぶつかり合っています。
「下がって!! あの人を守って!!」
「バアルゼブル!! わたくしに捕まって!」
「転進します」
バアルゼブルが後ろへ飛ぶと、
ガブリエル様がバアルゼブルを抱え後方へ飛びます。
そして、ウリエル様もあゆむに合流し、トリエルを見守ります。
「行けそうなのか……」
「……押されているな」
あゆむの言葉にウリエル様は冷静に返します。
トリエルの周囲には七色の光が輝き、
周囲の瘴気も浄化していますが、絶対値が足りません。
消す量よりも増える量の方が多いのです。
しかも肝心のトリエルは反逆の権能と反発しあって、
現状負けはしないものの、確実に押されていきます。
「お願いみんな!」
トリエルはその権能で、
眷属のおばけやびっくり箱を作り出しますが……
「ひぇぇぇ!!」
「えーーーーん!!」
作り出した眷属達は泣き出して右往左往……
「徐々に反逆の権能が競り勝っておりますね」
バアルゼブルが唇を噛み締めます。
笑顔の権能で作った眷属のはずなのに、
今彼らは恐怖で泣いている。
つまり、笑顔の真逆です。
これではトリエルの権能も力を十分発揮できません。
「みんな!! 逃げないで!! 笑って!!」
トリエルはなんとか笑顔を作って励ましますが、
眷属達は逃げ疲れて瘴気で消えてしまいます。
「グハハハハ!! その程度か!!!」
サタンのブレスがトリエルを襲います。
今は綿あめに変わっていますが、
その量は先程よりも減っています。
このままでは確実に負けます。
「何か手はないのか!!」
あゆむはこの窮地を脱しようと、
なんとか必死で考えを巡らせます…
・トリエルの権能の源は笑顔だ。
・トリエルの真の権能を司るのは桜井恵美の魂だ。
・桜井恵美は⬛︎⬛︎エルと自身を名乗っていた。
・お盆以降、恵美の力が強まって、
トリエルはかつてのオッドアイに戻った。
その時、あゆむの中で電撃が走り、一つの可能性が浮上します。
トリエルの力が弱くなったのは
皆が「トリエル」というあだ名を付け、
⬛︎⬛︎エルの中でトリエルという、
別の自我が形成されたからではないのか……
そのせいで、⬛︎⬛︎エルとしての権能を
上手く扱えないのではないか…
これを裏付ける証拠が実はありました。
これまでトリエルは恵美が笑顔の権能を使った時、
その記憶を持っていませんでした。
「本当の名前だ」
「名前?」
「ウリエルさん! トリエルには昔、本当の名前があったはずだ!!」
「それが分かれば、巻き返せるか? ガブリエルは知らんのか?」
「すみません……」
ここでまたしてもあゆむの中で、
複数のピースがはまっていきます。
・生前のトリエルの名は桜井恵美。
・恵美という名は笑みに由来する。
・笑顔の権能の真の所有者は恵美。
・神様は恵美を哀れんで、天使へ転生させたはずだ。
「……大丈夫。本当の名は今わかった」
あゆむは確信を込めてニヤリと笑いました。
「本当ですか!?」
ガブリエル様のその問いに、あゆむはうなずきます。
「一つしかない。俺が神様なら絶対にこの名前にする」
「あゆむ様……」
ガブリエル様とピピは祈るように手を組み、
あゆむはみんなを見つめます。
「みんな、どうにか俺をトリエルのところまで運んでくれ……
そうすれば……勝てる」
「わかりました。ヒミが必ず守ります」
「信じますよ。貴方を」
「良かろう。行くぞ!」
「このガブリエルが責任をもって届けましょう」
「注意ぐらいはオイラ達が引き付けてやる!」
…………
トリエルまでの距離はおよそ200m……
おそらく世界一長い200mのリレーが今、始まります。
まずはガブリエル様が、あゆむを抱えて全力で飛び、
アンポンタンもあゆむの背中にしがみつきます。
まだまだトリエルまでの距離は遠く、
視界の先に小さく見えるのみです。
――そこに、サタンの頭の一つからブレスが発せられます!
「ウリエル!!」
ガブリエル様はあゆむを放り投げます。
そのブレスを一身で受け止める気です。
「ガブリエルさん!!!」
「わたくしに構う暇があるなら……行きなさい!」
地面に落下したあゆむを、ウリエル様が捕まえ飛び立ちます。
「まっすぐ前だけを見ていろ!!」
トリエルまでの距離はまだまだ先……
ようやく全体の輪郭が見えてきました。
(まだ遠い……! 行けるか!?)
ウリエル様はあゆむを抱えながら縦横無尽に飛び回り、
懸命にかわします。
「トリエルーーーー!!!」
あゆむの叫びはまだ届きません。
そこへ、複数のブレスがウリエル様を襲います。
「ちぃ!!!」
ウリエル様が下を見ると、
バアルゼブルとピピがうなずいています。
「いけーーーー!!!」
その叫びを聞き、無事を確認すると
バアルゼブルはアンポンタンにこう言います。
「皆さん、少し彼を守るクッションになってもらえますか?」
「な、何を……!?」
「マカセロー!」
ピピがあゆむに捕まると、
バアルゼブルは背中にしがみつくアンポンタンを思い切り蹴り、
あゆむをアンポンタンごと上空に飛ばします。
遠目ですが、トリエルの顔が認識できる距離です。
「うおぉぉぉぉぉっ!!!!」
「ぎょぇぇぇぇぇぇ!!??」
ここでアンポンタン達があゆむから離れ、サタンに対して……
「アッカンベー!!」
「お尻ペンペーン!!」
「お前の母ちゃん出べそー!!」
彼らはそれぞれ連携して、サタンを勇敢に挑発し、その注意を引き付けます。
低級霊である彼らに少しでもサタンの攻撃が当たれば、
間違いなく命はありません。
あゆむをトリエルの元へ届けようと、
決死の思いでの彼らなりの行動です。
「小賢しい!!」
サタンの注意がアンポンタンに向き、漆黒のブレスが放たれます!
その射角はアッチを正確に捉え、絶体絶命です。
「「「アッチー!!」」」
ポンポとタンタが叫び、
あゆむが空中から手を伸ばしますが、ピピが全力でそれを阻止します。
「いけません!! 彼らの意志を無駄にしないで!!」
「あゆむ……お前のこと――」
アッチが最後の言葉を口にし、ブレスに呑み込まれ――
ようとした、その時です!
「てやんでバーロちくしょーーい!!」
てやんでいが強烈な頭突きをサタンの口にお見舞いします。
それにより、射角が僅かにアッチを逸れ、彼は命拾いをします。
「死ぬかと思ったー」
「置いていくなんて、酷いでゲスよー!」「死ぬ時は一緒ザマスー!」
「「「「「あ、もう死んでらー!」」」」」
おばけ達の総ノリツッコミで、場が一瞬硬直します。
その隙にピピが、あゆむをトリエルに向かって放り投げます。
「お願いします!!!」
…………
「トリエルーーーーー!!!!」
ここでようやくトリエルがあゆむに気付き、
あゆむを抱きしめます。
その時、七つのブレスが一斉に襲いますが、
「やめてーーー!!」というトリエルの中の恵美の叫びにより、
一時的に笑顔の権能がサタンを爆発的に上回ります。
一瞬サタンの首が六つ消し飛び、周りの瘴気が晴れました。
しかしこれは刹那。既に再生は始まっています。
チャンスは今しかありません。
「トリエル、お前の本当の名は……」
――エミエルだ――
その瞬間でした。トリエル……いいえ、
エミエルから桜色の光が放たれ、
彼女の髪は茶色から桜色のグラデーションに変わり、
両目が強く赤と茶色に発光します。
それは真の天使名を思い出したことで、
トリエルの自我とエミエルこと、
桜井恵美の魂が一つの肉体を共有したことを表しました。
そうすることで、二人が一つの権能を使えるようになる。
それを意味するのです。
「な、なに!?」
「……ありがとう。あゆむ君ならって……信じてた」
エミエルはあゆむを抱きしめたまま、頬を桜色に染めて、
そっと目を閉じて、あゆむの唇に口付けをします。
「……ピピには内緒にしてね……大好き」
そういうとエミエルはあゆむを下に落とし、
あゆむの身体はマシュマロのクッションで包まれます。
「エミエル……遅いんだよ」
それはエミエルが初めて口にした、ようやく声に出したあゆむへの想いでした。
幼なじみであった二人。
かつてはよく遊んだ二人。
いつの間にか、恵美が病気になり、それっきりになってしまった二人。
あゆむは恵美のことを忘れていた――いえ、忘れていたはずでした。
けれど、忘れられなかった。
ずっと心のどこかで、彼女の……恵美の笑みだけを見ていた。
本当はとっくに両想いだったのに、強く想い合っていたのに。
けれど、トリエルの自我が生まれてしまった。
エミエルとしての身体を共有してしまった。
自分の自我が弱くなって主導権がなくなった。
だから両想いを分かち合っていたのに言えなかった。
けど……今だけその想いを打ち明けたのです。
「俺だって……ずっと好きだった……エミ……」
「みんな……お願い」
エミエルとして真の姿を取り戻した彼女は目を閉じ、
眷属を呼びます。
クマのぬいぐるみ、おばけ、びっくり箱、
それらは笑顔で「わーーーい!!」と魔界を走り回ります。
するとどうでしょう。浄化された瘴気から七色の光が現れ、
そこから更に光が現れては連鎖的に浄化していきます。
「なんだ……お前のその力は」
「知ってる? 笑顔ってね……伝染するんだよ!」
そうエミエルはニコリとサタンに微笑みます。
そう……これこそがエミエルの本当の天使の権能
『笑顔の拡散』です。
笑顔の権能はその中の一つにしか過ぎなかったのです。
浄化された瘴気からは小さな眷属が生まれ、
それが笑顔の権能もち、雪だるま式に周囲に広げていきます。
……するとここで。
「なるほどな……つまりこういうことか」
「なぜわたくしは扇風機なのですか」
「お似合いですよ」
そこには大きな打ち上げ花火の剣を持ったウリエル様と、
扇風機を持ったガブリエル様、
虹色に輝く足を持ったバアルゼブルが立っていました。
「どうやら笑顔の権能が伝染すると、私達でも扱えるらしいな」
「その代わり、一切の破壊行動は出来ないみたいですが」
「ククク、元々お救いするのが目的、
ちょうどよいではないですか」
三柱の天使と元悪魔は、お互いに笑顔を見せあって飛んでいきます。
「さあ……特別サービスだ!! よーく見ていろ!!
今だけ私は……花火の大天使だ!!!!」
ウリエル様が花火の大剣を横なぎに振ると、
そこからは無数の花火がバババババーン!!! と広がり、
魔界の天井を、色とりどりの光で照らしていきます。
すると、すると周りの瘴気が減り、
供給が減ったことでサタンの首が一つ消滅し、6つになります。
「さあ、風ですよーーー!!!」
今度はガブリエル様が扇風機を回転しながら回すと、
そこからは小さな妖精達が笑顔で飛び回り、
次々と煌めく光で魔界の瘴気を浄化していきます。
「やらせん!!!!」
サタンはブレスを吐きますが、瞬間からそれが綿あめに変わり、
妖精達が美味しそうに食べていきます。
「おかわりー!」
「バカな……」
ここでまたサタンの首がパアン……と、一つ減ります。
「ほう……これは愉快ですね」
バアルゼブルの蹴りからは光のリボンが生成され、
蹴りの軌道を輝かせると、
クマのぬいぐるみ達がそのリボンを掴んで遊んでいます。
「わーーーーーい!!!」
「うはは! 綺麗ー!」
瘴気がさらに減ったことで、
サタンの首が減り、これで残り4つです。
「クッソー! 俺もなんか出来りゃなー!」
あゆむはここまで来て参加出来ないことに拳を握ると、
悔しそうに……
「コンチキショー!!!」とやぶれかぶれで叫びますが、
その叫びが実体化してサタンにぶつかります。
それはポヨン――と光り輝いて弾け、
サタンの外内の瘴気を奪っていきます。
「これは……こうなりゃこっちのもんだ!! やるぞ! ピピ!」
「はい!!」
「この……アンポンタンーーーーー!!!!」
「あゆむ様………大好きですーーーーー!!!」
二人のこの叫びも実体化してサタンを襲い、その首は3つに。
「おのれ……!! おのれぇぇ!!」
サタンはあゆむを襲おうとしますが、
直後、巨大な光のゼリーがあゆむの目の前に現れて、
サタンの爪を寄せ付けません。
それはサタンが攻撃すればするほど、
内部の瘴気を吸い取っていきます。
「へへへっ! 面白そうじゃん!」
「やるでゲスよー!」「ザマスよー!」「てやんでーい!」
アンポンタンとゲザイトリオも、
それがわかったかのようにサタンの前まで飛んでいくと、
その軌道は、鮮やかな虹色の軌跡を描きます。
彼らは協力して、
わざわざ目の前で「クソバカアホ」と描いてから……
「アッカンベー!」
アッチのアッカンベーからはおばけが生まれ、
そのおばけもアッカンベーをして、
更にそこからと無限ループのように広がっていきます。
「お尻ペンペーン!!」
ポンポの爽快なお尻ペンペンは、鼓のようにポンポンポンと鳴り響き、
どこからともなく……
よっ……よっ……よっ……と
お尻ペンペンに合わせて、歌舞伎のような声が聞こえだし……
そして、いよーーーーーーー……という一際大きな声が。
それに合わせてポンポがお尻を……
ポポン!!
その音で眩い光の波動がサタンに向かって広がり、首は残り2つ。
「最後はこれよーーー!!!」
タンタが首の一つに目をつけると……
ぶーーーーーーーー!!!! とプーをします!!
笑顔の権能で強化されたプーは、
真っ黄色のガスとなってサタンの首にまとわりつき、
しっかりお尻もスリスリ……あまりの臭さにその首は消滅。
そして、ついにサタンの首は一つだけに。
気付けば魔界の天井は星空のように青く輝き、
地面からはその光を乱反射した水が青く幻想的に周囲を照らし、
空中にはかつていたであろう、低級の精霊が輝き、
捨てられた天使達の魂も笑顔で現れ、手を繋ぎ飛んでいきます。
「これが……魔界の本当の姿」
「綺麗……」
あゆむとピピは手をつなぎ合い、思わず声を漏らします。
周囲は七色の光で溢れ、その中央には笑顔の天使エミエルと、
もはや逆らう力を無くしたサタンが立っています。
「いけーーーー!!!」
あゆむのその叫びに、エミエルは残る首目掛けて飛んでいきます。
「エミエルーーーー」「エミエルさん!!」
「エミエルさーん!」「わたくしの可愛いエミエル!!」
「エミエル様、どうか主を!」「いけ! エミエル!」
「「「「「「エミエルーーーー」」」」」」
ぎゅ……
「もう怖くないし、寂しくないよ……
だから……
わたしと、一緒に……笑お?」
笑って欲しい。
一人の少女のその願いは、生前では叶いませんでした。
けれど、その魂に刻まれた強い願いは天使の種子となり、
少女は桜色の微笑みの天使エミエルとして生まれ変わりました。
天使エミエルの持つ権能は『笑顔』
それはあらゆる悪意や破壊を絶対的に無力化する『形』です。
何故ならば、笑う時、それは皆、無垢になるからです。
エミエルはサタンの最後の首に抱きつくと、
サタンからはおびただしい瘴気が一気に溢れ、
断末魔と共に、サタンの状態は変化していきます。
それは魔界の完全浄化を知らせる号砲となり、
サタンとの決戦は終わりを告げました。
――――
その頃地上では、地下から溢れる七色の光に包まれ、
世界中の人々が一日だけ、笑顔に包まれ、
とある紛争地域は武装を解除し、笑顔で和平へと進んだとか。
このことは後に「クリスマス・イブの奇跡」として
語り継がれていきます。
笑顔の天使エミエルは神様すら浄化を諦め、そして見放した魔界を
完全浄化したばかりでなく、その余波で、余波だけで、
一日だけとはいえ、世界中を笑顔にしたのです。
それは地上の完全浄化と平和の可能性を確かに、
神様に示しました。
――――
…………
「で……なんでお前がここにいんだーーーーー
サターーーーーン!!!!」
そこにはかつてのルシファー……ではなく、
何故か竜の翼と角と尻尾を持った幼女、サタンがおりました。
とりあえず着るものがないみたいなので、
あゆむの超ブカブカな黒いTシャツを着せています。
ワンピース状態ですね。
「お前はミカエルの兄貴だろー!!!」
「妾に聞くでないわ!!
妾とて、しゅきでこうなっちゃわけちゃうわ!!」
サタンちゃんは舌を噛むくらい幼くなったようでしゅ。
「おそらく、瘴気に浸かりすぎたのが原因かと。
もはやエミエル様の権能を持ってしても、
かつての姿を再生できなかったのです」
「で、こんなしがたに妾はちゅくりかえられたのか!!」
「おそらく……ぷぷ」
「笑うでないわ!!!」
サタンちゃんは地団駄を踏みますが、それがまた可愛いでしゅ。
「なんでもいいけど出てけよ!!」
ぺチーン!!
「人間がなまいきをいうでないわ!」
サタンちゃんの尻尾ビンタであゆむはノックダウン!!
あゆむの家内カーストがまた下がりました。
「ふざけんなーーーーー!!!
ここは………俺の家じゃーーーーーー!!!!」
「ふん……じゃ!!」
こうして7畳の部屋にまた家族(?)が増え、
ますますカオスな状況になっていくのでした。
…………
めでたしはいいません。
全てを『えみ』に『つつみ、あゆむ』
そんなカオスな日常は、いつまでも終わらないのですから。
…………
「綺麗にまとめようとすんなーーーー!!!!」
本編はこれで終わりとなります。
全二十四話、お付き合い頂き、ありがとうございました。
良ければ評価もお願いいたします。
レビューも歓迎です。




