第04話 空白の部屋
三ヶ月ごとの帰省は、もはや習慣というより確認作業に近くなっていた。
俺は、駅に降り立った瞬間から、無意識に前回との差を探している自分に気づく。
空気の匂い。
人の流れ。
音の少なさ。
どれも大きくは変わらないはずなのに、わずかな違いが積み重なっている。
タクシーに乗り込む。
運転手は行き先を聞くと、何も言わずに発進した。
家に近づくにつれて、胸の奥にある感覚が、はっきりとした不安へと変わっていく。
「……まだ大丈夫だよな」
自分自身を言い聞かせるようにポツリと呟く。
ケアマネジャーさんからは、同居が無理なら、父の施設入居を検討するように進められていた。
「ただいま……。」
玄関の前に立ち、インターホンを押す。
応答はすぐにはなかった。
数秒の沈黙のあと、足音がゆっくりと近づいてくる。
引き戸が開いた。
「……ああ」
父は顔を出した。
だが、そこにあったのは以前よりも長い『間』だった。
俺の顔を見てから、認識に至るまでの時間。
その遅れが、確実に伸びている。
「来たのか……。」
ようやく絞り出すように、父は言った。
帰郷の際、いつも前日に連絡は入れてある。
俺は軽く頷く。
「三ヶ月ぶり」
「三ヶ月……。」
父はその言葉を繰り返す。
意味を理解しているのかどうかは分からない。
ただ、音としてなぞっているだけのようにも聞こえた。
家に上がる。
玄関の空気が、以前よりも乾いているように感じられる。
居間に入ると、すぐに異変に気づいた。
家具の配置が変わり、レジ袋を結んだゴミが放置されている。
「模様替えした?」
「……そうだったかもしれんな」
俺が尋ねると、父はしばらく考え込むように沈黙したあと、答えた。
それは、自分の行為に対する記憶というより、他人事のような響きを持っていた。
俺は視線を部屋の中に巡らせる。
配置やゴミだけではない。
物が減っている。
あるはずのものが、いくつか見当たらない。
「ここにあった棚は?」
以前、母の小物が置かれていた場所を指しながら尋ねる。
父はゆっくりと視線を向けたあと、わずかに首を傾げた。
「……そんなものあったか?」
その一言に、俺はそれ以上踏み込むことをやめた。
代わりに、テーブルへと視線を落とす。
薬のシートは、前回よりもさらに整理されていなかった。
空のもの、途中のもの、手つかずのものが混ざり合い、管理という概念が薄れている。
「薬、ちゃんと分けてる?」
「……ああ」
父は答える。
だが、その声には迷いがある。
俺は小さく息を吐いた。
そして、ふと気づく。
父の手元にあるリモコン。
テレビはついているが、音は小さい。
以前とは逆だ。
「音、下げた?」
「ああ……。うるさかったからな」
父はそう言った。
その言葉は一見すると正常な判断に見える。
しかし、何を基準にして『うるさい』と感じたのかは分からない。
俺は座敷へと視線を向ける。
あの襖は、今回も閉じられていた。
ゆっくりと近づく。
取っ手に手をかける。
開ける。
中は、以前よりも暗かった。
雨戸が閉じられ、居間からの光しか入ってこない。
机の上に置かれた写真立て。
母の写真はそこにあったが、前回とは角度がわずかに変わっている。
そして、その前に、小さな別の写真がセロテープで重ねられていた。
それは、若い頃の父と母が写っている写真だった。
俺はそれを見て、息を止める。
その写真は、これまでこの部屋に置かれていなかったはずのものだった。
背後で、足音がした。
振り返ると、父が立っていた。
いつの間にか、近くまで来ている。
「ここには、入るな」
父は厳かに言った。
その声は、これまでのどの言葉よりもはっきりしていた。
「……なんで?」
俺が尋ねる。
父は少しだけ間を置いてから、答えた。
「どうしてもだ」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
襖を閉める。
あの写真の母は、確かに『過去』の存在だ。
だが父にとっては、まだどこかで続いているのかもしれない。
居間に戻ると、テレビの音が再び聞こえ始める。
父は何事もなかったかのように定位置に座っている。
さっきまでの会話が、まるでなかったかのように。
俺は立ち尽くしたまま、ゆっくりと理解する。
この家では、時間が進んでいない。
むしろ、戻っている。
記憶が、断片ごとに切り離され、別々の場所で保存されている。
その断片は、少しずつ、確実に崩れている。
俺は、次にここへ来たときのことを想像する。
そのとき、この家に残っているのは何だろう。
俺は、大きく息を吐いた。
答えはまだ出ない。
ただ一つ分かっているのは、この変化が止まることはない、ということだけだった。




