光の手
その日、わたしは街の王立図書館に来ていた。本格的にスワンに協力するには、少しでもこの国についての知識があったほうがいいと考えたからだ。そのことを伝えると、表情こそ変わらなかったが、スワンもどことなく嬉しそうにしていた。
王立図書館は、比較的に被害の少なかった王都一区にあったため、目立った破損はなく、今は家を失った人々の仮住まいとして開放しているらしい。
「アウィス王国、建国から千七百年、エアジェラス大陸最古の王国……へえ、歴史ある国なのね」
司書の魔法のおかげで、異世界人であるわたしにも読めるようになった分厚い歴史書には、この国のことが事細かに記載されていた。
ちなみに、わたしもクリスもこちらに来て会話に苦労しなかったのは、召喚魔法には言語の壁を取り除く効果があるから、らしい。召喚魔法って便利な魔法なのね。
「んー………」
思いっきり伸びをして、固まった身体をほぐす。
分厚い本は読みごたえがあるけれど、いまいち集中できない。
理由はわかっている。仕事にでかけたクリスが、気になってしかたないからだ。
(スワンに頼んで、クロウがクリスの半径五メートル以内に近づかないようにしてもらったけど……)
クリスが外で仕事をすることは、止められなかった。
(ま、まあ、クリスだってもう、十六か十七の男の子だもの。人当たりも悪くないし、顔はかわいいし、体力は心配だけど、やろうと思えば、なんだって……)
いい方向に考えようとするけれど、悪い想像は勝手に脳内を駆け巡る。
もし。
もしも万が一、クリスの雇い主がクリスのかわいさにくらっとしたら?
『や、やめてください……』
いやがるクリスに、ひげ面の店主は荒い鼻息を隠そうともせずに近づく。
『はあはあ……よいではないか……賃金ははずんでやるからな……』
伸ばされる魔の手。非力なクリスはなすすべなく──────
『やだ……っ、たすけて、アリス!』
ダンッ!!!
「あああああああ! 呑気に本なんて読んでられない! 今助けに行くわ、クリス!」
勢いよく立ち上がり、わたしは急いで図書館から飛び出した。
✻ ✻ ✻ ✻ ✻ ✻
「では、それはこちらにお願いします!」
到着した荷馬車に積まれた木箱の中身を確認しながら、クリスが配達人を誘導する。
「おい嬢ちゃん、魚はどうするんだ?」
「嬢ちゃんではありませんが……。ええと、生魚なら、あっちの蔵にお願いします」
「おーい、荷の受取人たちがきたが、野菜はどこだ?」
「お野菜はここです!」
せわしなく動き回るクリスを、わたしは建物の陰に隠れながら見ていた。
(よかった……変な店主に迫られる心配はなさそうね)
額の汗を拭いながらも、クリスは楽しそうに働いている。
(……あんなに生き生きしているクリス、はじめて見たかも)
それだけで、異世界にこれてよかったと思える。
安堵で胸がいっぱいになると、今度は隣の芝生が青く見えてくるもので。
(スワンに協力するより、わたしもクリスと働きたいかも……)
なんてことをちらっと考えていると、とんとん、と肩を叩かれた。
何の気なしに振り向くと、そこには、無表情のスワンが立っていた。
あまり意識していなかったが、スワンは背が高い。見上げなければ目が合わないような人物に無表情で見下ろされるのは、かなり威圧感がある。
「す、スワン……」
「こんな所でなにをしている」
低い声に、目が泳いでしまう。
「え、ええと……」
「おまえは、図書館でこの国の歴史を勉強すると言っていなかったか?」
「い、言ったかも……?」
はは、と笑ってごまかそうとしたが、スワンは眉一つ動かさずに、こちらを凝視している。
「……………」
「……………」
沈黙に引き裂かれるのではないかと思い始めた頃、はあ、とスワンが溜息をついた。
「おまえが弟を溺愛しているのはわかっていたが、ここまでとはな。仕事している弟を覗き見している暇があるなら、ついて来てくれ」
「えー……」
まだクリスを見ていたかったけど、じろっと睨まれてはしかたない。わたしは渋々、スワンのあとに続いて歩き出した。
「そういえば、クリスの仕事、スワンが斡旋してくれたのよね? ありがとう。クリス、楽しそうだった」
お礼を言うと、彼は歩きながら首を緩く振った。
「いや、たまたま人手を必要としていただけだ。今、国中の商人に掛け合って、王都に物資を運んでもらっている。それが落ち着くまでだから、ずっとあの仕事がやれるわけではない。あれは本来、文官の仕事だからな。もちろん、クリスが興味を持つようなら、官吏試験を受けてもらっても構わないが……。それも、この王都が落ち着くまでは無理だ」
「そっか。じゃあ、期間限定なのね」
「今のところはな。皆、まともに働ける状態ではない」
復興には、まだまだ時間がかかる。それは、こうして何気なく歩いていても、崩壊した建物や抉れた馬車道を見ていればわかる。
みんな、声をかけあって、必死に立て直そうとしている。彼らの目は諦めていない。また、この場所でやり直すのだという強い意志があるように見える。
「ねえ、どこに行くの?」
ふと、スワンは立ち止まった。彼の目線の先では、小さな女の子が、瓦礫の山からなにかを引っ張り出そうとしていた。その手元には、小さな人形の手が見える。
無言で近づいたスワンは、大きな瓦礫をひょいと持ち上げ、救い出した人形の埃を払うと、そっと女の子に手渡した。
「ありがとう」と、小さな声が聞こえた。スワンに手を振りながら、女の子が走り去る。
「……………」
これが、この国の当たり前なのかな。人が人に親切にして、親切にされた人は感謝して。それが普通だというのなら、わたしとクリスがいた世界は、やっぱり地獄だったのかもしれない。
親がいなくて、奴隷で、薄暗い檻が家で、たまに外に出されても、誰もわたしたちに手なんて差し伸べてくれなかった。
やっと優しくしてくれる人に引き取られたと思ったら、その人も結局はわたしたちを道具として利用した。とくにクリスは、本当に酷い目に遭った。
金や権力を前にすると、人間なんてあっという間に豹変して、醜いバケモノになる。そう、思っていたのに。
この国の王子であるスワンは、膝をついて、汚れも気にせずに、子どもを笑顔にすることを選べる人だ。
「目的地はなかった」
ぽつりと、戻ってきたスワンが呟く。
「おまえに、この国をよく見てもらいたかったんだ」
ロストルムではそれどころではなかったからな、とスワンは苦笑した。
「……それは、〝夢見の聖女〟として、協力してほしいから?」
「それもあるが」
風が吹く。スワンの銀の髪が揺れる。
(羽根みたい……)
日差しを受けて、彼の全身が銀色に輝いて見えた。
「この国の民として、おまえには、この国を好きになってほしいからだ」




