宝石の日々 side:クリス
謎にはじまったおれとクロウの追いかけっこは、おれの息が切れ始めた頃、唐突に終わりを告げる。
「楽しそうだねえ、クロちゃん」
こじんまりとした店先を箒で掃いていたおばあさんが、クロウに声をかけたからだ。
そのおかげで、クロウの足がようやくぴたりと止まる。
やっと追いついて、ぜえはあと肩で息をするおれの背中を、クロウが労わるように撫でる。けれど、その視線はおばあさんを向いていた。
クロウを『クロちゃん』と呼んでいた彼女は、やはり知り合いのようだ。
おばあさんは、こちらの様子をにこにこと眺めている。やさしそうな人だ。
「今日はお友達といっしょなんだねえ」
「あー、うん。元気だった? コトラおばちゃん」
「ええ、ええ、おかげさまでね」
「ほんと? なにか手伝えることがあったらなんでも言ってよ」
「ありがとね、クロちゃん」
昨日今日知り合ったという雰囲気ではない。
不思議そうにしていたおれに気付いたのか、クロウが「俺が通ってる飴屋の店主で、コトラおばちゃん」と紹介してくれた。
「……はじめまして、クリスです」
「可愛い子だねえ。どれ、おばちゃんの飴ちゃん、サービスしてあげるよ」
あの、きらきらした宝石のような飴が脳裏に浮かび、無意識に身体が強張る。
硬直しているおれの耳元で、クロウが「綺麗だから、見るだけ見てよ」と囁いたので、恐る恐る近づく。
(大丈夫……。ただの飴、ただの飴だ……)
コトラさんのお店はカウンター兼ショーケースが通りに面している。店内に入らなくても外から商品を見て買うことができる、露店に近い造りのお店だ。コトラさんは、そのカウンター兼ショーケースの脇の木戸から、店内に入った。
ごくりと唾を飲み込みながら覗き込んだショーケースの中には、やはり、綺麗な光り輝く宝石のような飴が、透明な容器に入って所狭しと並べられていた。
狂気的な笑い声、吸い出した毒の味、舌の痺れ、強烈な吐き気、臓腑が溶けているのではないかと思うほどの熱。毒々しい感覚が、ぶわりと全身に蘇ってくるようだった。
指先が震えそうになった時、背後でクロウが、小声で「大丈夫」と呟いた。あの時、あの場所にいなかった彼の声は、過去に吞み込まれかけたおれの意識を引き戻す。
────そうだ、ここは、あの領主の屋敷ではない。
忘れていた呼吸を再開させ、落ち着いて並んでいる飴に視線を戻そうとして────ふと、カウンターの上の、猫の顔を模した緑色の飴と目が合う。
「かわいい……」
「ああ、これ、気に入ったかい? 棒付きだから、舐めながら歩くにはちょうどいいよ」
ひょいっと猫の形の飴を台座から抜き取ったコトラさんは、それをおれに渡した。
何も考えずに受け取ってしまったが、はっと我に返る。
「あっ、お金払います……!」
この前もらった賃金が、まだ残っていたはず。
慌てて財布を取り出そうとすると、コトラさんはふふっと笑って首を振る。
「いいんだよ、いつもクロちゃんがたくさん買ってくれるからね。たまにはサービスしないと」
「だってさ。もらっておきなよ。あ、俺にはいつものやつね」
「はいよ、今用意するからね」
カウンターの中に移動したコトラさんは、慣れた手つきで飴を瓶に詰める。
(……本当に、もらっちゃっていいのかな)
戸惑いながら、手元の飴を見つめる。
窪みで表現されている大きな二つの目が、じっとこちらを見てるみたいだ。
うん、やっぱり可愛い。アリスへのお土産にしようかな。
「昔っから、クロちゃんはこれが好きだねえ」
「まあねー。すごいキレイだしやさしい甘さだから、クセになっちゃって」
「あらあら、ありがとうね」
何気ない会話に、おれは違和感を覚えて顔を上げる。
昔っから?
あれ、と首を傾げる。
(たしかクロウって、つい最近まで……)
ちらっと彼を見ると、クロウは唇の前で人差し指を立てた。静かにしてろ、ということだ。
頷き、おれはコトラさんに視線を向ける。
彼女は、とてもやさしい手つきで、飴を瓶に詰めていた。まるでいとしいものを見るようなコトラさんの目は、とても幸福そうだ。
「……どうして、こんなに綺麗な飴を作ろうと思ったんですか?」
同じ綺麗な飴でも、おれの生み出す飴と、コトラさんの生み出す飴は根本から違う。おれはむりやり毒を吸わされて、それを体外に吐き出すために生み出す〝毒の塊〟だ。けれど彼女は、自らの意思で綺麗な飴を生み出している。
その理由が知りたいと思った。それを知ることができれば、地獄しか知らないおれにも、美しい世界ってものがあるのだと、信じられる予感があった。
おれは本能的に、コトラさんが美しい人間なのだと、わかっていた。
「ふふ、いつかのクロちゃんと、同じことを訊くのね」
突拍子のない質問にも、彼女は眉一つしかめず、微笑んでくれた。
「この飴はね、亡くなった旦那に、ありがとうを伝えたくて作ったのよ」
「旦那さんに……」
小さく頷き、コトラさんは瓶をかざした。
きらきらと光る色とりどりの飴玉は、いつだか牢屋の中で、たまたま捲れた布の隙間から見えた、満月の光のようだった。
「うちは、お世辞にも裕福とは言えない暮らしだったの。でも、ぜんぜん苦じゃなかったのよ。あの人と一緒に一生懸命に働いて、汗を流しながらも笑い合って生きてきたんだもの。でも、旦那がね、亡くなる前に言ったの。『おまえに、宝石の一つでも買ってやれなくて、悪かった』って。ひどいでしょう? 言い逃げするんだもの。否定の言葉が、あの人に届いたのかもわからない」
コトラさんは、困ったように微笑んだ。
「だからね、あの人に伝えたくて、この飴を作ることにしたの。あなたとの毎日は、わたしにとってキラキラと光り輝いて、宝石のようだったって。宝石なんかなくても、幸せだったわ、ありがとう。そう伝えたかったの」
そう言って、恥ずかしそうにはにかんだ彼女は、まるでおれと同い年くらいの女の子みたいに、とてもかわいらしかった。
ああ、すごい。
彼女と話している時だけは、この世界が浄化されているようだった。




