青鷺の雛
山の頂上にある青鷺伯爵の屋敷に辿り着いたわたしたちを出迎えたのは、フェムルという名の兵士だった。
「お待ちしておりました、殿下」
「御苦労、フェムル。変わりはないか」
「はっ、変わりはございません。しかし……」
軽快に報告していた兵士が言い淀んだのが気になって、わたしは眠そうにしながら馬車を降りるクリスに手を貸しながら、そちらを見る。
「どうした」
「それが、アルデア様が一歩も屋敷から出ていないのです。御父上のことがあり、事情を知った下働きの者のほとんどが辞めていきましたが、それでも何人かはアルデア様のために残ったので、食事などは問題ないようですが……」
「ああ、おまえに伝えてなかったか」
特に気にした様子もなく、スワンは門の前まで歩き出す。慌てて、フェムルがその後を追う。
「あいつはもともと引きこもりだ」
重そうに開かれる門の内側に進むスワンを、わたしたちも追いかけた。
広く、手入れの行き届いた庭を横切り、玄関の扉を開け放って中に入ったスワンは、迷うことなく階段を上る。
(通いなれているのかしら)
王城ほどではないけれど、この屋敷もあまり人気はない。
(青鷺伯爵が闇商人と関わっていて、しかも王殺しに加担したから、下働きの人が大勢辞めちゃったって言ってたっけ)
事前に教えてもらっていた情報を脳裏に浮かべる。
それでも、僅かに残った人たちが、青鷺伯爵の息子に少しでも快適に過ごしてもらおうと、丁寧に屋敷の中を掃除していることは、あの埃だらけの王城で暮らしているからわかる。
「いい子なのね、その息子って」
引きこもりみたいだけど。
スワンは前を歩きながら頷いた。
「ああ。青鷺伯爵が怪しいと私が気づいたのも、アルが手紙で報せてくれたからなんだ」
「そうなんだ」
「少し変わり者ではあるがな」
少し微笑んだスワンは、兵士が立つ戸の前で足を止めた。
こちらに気づいた兵士が、胸に拳を当てて戸の前から退く。なんとなく、スワンを前にして嬉しそうにしている。
「スワンの知り合いなの?」
「王城の兵士たちだ。表向きは伯爵邸を見張るためだが、闇組織の残党が報復に来ないとも限らないからな。アルの護衛も兼ねている」
なるほど、と思っている間に、スワンが戸をノックした。
「はい」
聞こえたのは、凛とした女性の声だった。
「私だ」
「少々お待ちください」
ほんの数秒の間の後、戸が開く。
「殿下、ようこそおいでくださいました。アルデア坊っちゃんがお待ちです」
現れたのは、顎下の位置で切りそろえられた真っ赤な髪の、メイド服を着た女性だった。切れ長の目が涼しげで、はっと目を見張るほどに美しい人だ。
なんとなくクリスの反応が気になって振り返るけど、クリスはクロウに頬をもみくちゃに揉まれていて、女性を気にしている余裕はなさそうだった。
少しだけほっとしながら、室内に入るスワンにわたしも続く。広い室内には、大きな天蓋付きのベッドや座り心地の良さそうなソファ、豪華な机などが置かれていた。整頓されてはいるが、物が多い。特に、書物と……何かの駒? 盤上遊戯、というやつだろうか。
「坊っちゃんはこちらです」
女性が案内しようとして、わたしやクリスに気づいて胸に手を当てた。
「はじめましてですね。申し遅れました。わたくし、アルデア坊っちゃん付きのメイド兼護衛を務めております、ロビンと申します」
「あ、アリスです。こっちが双子の弟のクリス」
ぺこりと、クリスと並んでお辞儀をすると、ロビンさんもお辞儀を返してくれた。
顔を上げた彼女は、すぐに部屋の奥の戸へと近づき、軽くノックして開ける。
「坊っちゃん、お客様をお連れしました」
奥の部屋は、だだっ広い空間だった。寝室っぽい部屋の物の多さが嘘のように、なにもない。
そんな空間の窓際、ぽつんと置かれた椅子にだらしなく腰かけた人物が、青鷺伯爵の一人息子、アルデアくん……なのだろう。
薄紫色の巻き毛の少年は、窓のほうを見ていた顔を、ゆっくりと動かす。
「ロビン、今は誰も入れないでって……」
「久しぶりだな、アル。来るのが遅れてすまない」
進み出たスワンに気づいたアルデアくんの金色の瞳が、大きく見開かれる。
「……っ、スワン様!」
気だるげだった態度が一変、素早く立ち上がった彼は、スワンに飛びつく。
「う、うう~! すみませんでした、スワン様! 僕がもっと早くご報告していれば、こんなことには……!」
「いや、おまえのおかげで伯爵を逃さずに済んだ。おまえの正義に感謝する」
「もったいないお言葉です~!」
……ええと。
アルデアくんはスワンの胸に顔を埋めて、わんわん泣き出してしまった。
わたしたちは、この場にいていいのだろうか。
戸惑っていると、ロビンさんが小さく咳払いする。
「坊っちゃん、他の方もいらっしゃいますので」
そこではじめて、アルデアくんはわたしたちの存在に気づいたようだった。
目をぱちぱちと瞬かせ、数秒。
「わあ! かわいい女の子がふたりも!」
目をきらきらさせて、彼はわたしとクリスの目の前まで一気に駆け寄り、わたしたちの片手を左右の手でぎゅっと握った。
「はじめまして、僕はアルデア。アルって呼んでください。君たちそっくりだね、双子なの? こんなに愛らしい少女がこの世にふたりもいるなんて、女神様に感謝しなきゃ。そうだ、盤上遊戯は好き? 得意なんだ、一緒に遊ばない?」
え。
(な、なに、この子……)
態度がころころ変わってついていけない。
(そういえば、スワンが変わり者って言ってたっけ……)
どうしよう、手を振り払ってもいいのかしら。
身長はわたしとクリスよりやや高いけど、たしかスワンが十四歳って言ってた気がする。たぶん年下だし、冷たくするのも気が引ける。
どうしようかな、と考えていると、思いがけずクリスが動いた。
「はじめまして、アル。おれはクリス。男です。こっちは姉のアリス。適切な距離を保って、仲良くしてもらえたら嬉しいです」
にっこり。貼り付けた笑みを浮かべて、わたしの手を握っていたアルデアくんの手を引き離したクリスは、逆に彼の両手をひとまとめにして包み込むように握り返した。
きょとん、としていたアルデアくんは、クリスを上から下まで見て、「ええっ、男なの!」と驚いていた。
耐え切れないとばかりに、背後でクロウが吹き出す。
「……アル、話があるのだが、そろそろいいか。結界のことなんだが」
このままでは収拾がつかなくなりそう、というところで、さすが、スワンが本題を切り出した。
(そっか、ここに来たのは結界のためだったんだ)
たしか、青鷺伯爵家は代々、アウィス王国の防御結界の守護を担っていたはずだ。
青鷺伯爵家の当主であったアルデアくんのお父さんは戦死したから、これから、守護を担うことになるのはアルデアくんということになる。
まだ十四歳で、国家の重大な防衛を任されるなんて。
大丈夫なのかな。
アルデアくんに視線を向けて、わたしは目を見開く。
先ほどまでの軟派な雰囲気は鳴りを潜め、彼は冷静な表情で、スワンに向けて頷いていた。




