悪夢 side:クリス
きらきら光る紫色の煙のようなものが、流れ込んでくる。それは喉を通り、食道を滑り落ちて、全身に────魂に染み込む。
得体の知れないそれが気色悪いはずなのに、残酷なほどに美味しい。
ああ、おれは、やっぱり──────
バシャ!
冷たい水を頭からかけられ、意識が浮上した。
(ここは……)
目を開けると、下卑た笑みを浮かべた中年の男と目が合う。
そういえば、仕事終わりにこいつに呼ばれて路地に入ったことを思い出す。荷車が動かなくなって困ってるなんて、それっぽいこと言いやがって。
周囲をちらりと確認する。まったく見覚えのない、倉庫のような場所だった。
どうやら、連れ去られたようだ。
寝起きで見るには刺激物すぎる脂ぎった垢だらけの顔にげんなりしていると、別の男が近づいてきて、おれの水に濡れて額に張り付いていた前髪を掴んだ。
「おいおい、本当にこいつか? 間違って姉のほうを攫ったんじゃねえだろうな?」
「そっくりだが間違いねえよ。まあ、疑いたくなるのもわかるけどな。ちゃんと男だったぜ」
「あ~、ほんとだな」
「………………」
ゲラゲラ笑いながら、べたべたと胸を触られる。これをアリスがやられたらと思うと腸が煮えくり返るが、おれだから、まあ、我慢しよう。
ふたりの男の背後には、さらにもう三人、男がいた。酒を飲んでいるのか、赤ら顔でこちらの様子を愉快そうに見ている。
「こいつ、ビビッてなにも言えなくなっちまってるぜ」
「急に連れてこられたんだ、無理もねえよ。ぼくちゃん、安心しろ。オレたちはなーんにも怖くない、やさしいおじちゃんたちだからねえ?」
「ハハハ! そうそう、おじちゃんたちねえ、ぼくちゃんをこっちの世界に喚んだ連中の仲間なんだあ。でもほら、ぼくちゃんを助けにきたクソ王子どもにさ、おじちゃんの仲間、みーんな殺されちゃったでしょ?」
「……………っ」
前髪を掴む手に力が加わり、おれは引っ張られるように上半身を起こした。
「だからさあ、ぼくちゃんには、おじちゃんたちの復讐に協力してもらいたいんだよねえ」
顔を覗き込まれ、臭い息がかかる。
「……協力って、なにするの?」
訊けば、男たちはにやりと笑った。
「簡単だよお。おまえが見た悪夢を、オレ達に教えてくれりゃあいいだけだ」
悪夢?
「なんのこと?」
「おまえにオレ達が付与した特殊魔法だ。ダメ元だったが、成功してよかったぜ」
「悪夢関連の魔法ってのは古代の闇魔法らしくてな、禁術なんだよ。そもそも、この国では闇魔法自体が禁止なんだがな」
「まっ、細かいことは気にすんな。おまえはオレ達に協力する。これは決定事項だ。もし逆らったら……そうだな、おまえの目の前で、おまえの姉を犯しちゃおうかなあ」
こいつら。
再び湧き上がる下品な笑い声に、黒い感情が増す。
けれど、これはいい機会だ。
(できるだけ、情報を聞き出してやる)
そのために、おれはぐっと苛立ちを腹の底に押し込める。
「……協力したとして、悪夢の内容なんて知ってどうするんだよ」
少し考えてみたけど、復讐の役に立つとは思えなかった。
でも、男たちは不気味な笑みを浮かべたから、ろくでもない使い道があるようだ。
「はっ、そりゃあ、この国を確実に苦しめるための情報源にすんだよ。おまえが見る悪夢は、決定した未来だ。これほど確実な情報はないだろ」
「たとえば……そうだな。火事になるなら、事前にあちこちに油をまいておく。馬車で運搬中、うっかり樽に穴があいてたってふうにしてな。そうすりゃ、あっという間に燃え広がるだろ。だが、オレはたまたま油をこぼしただけだ。誰が、火事になる前にうっかり油をこぼしただけのオレを罪に問える?」
─────なるほど。
さすが悪人だ。あまりの下衆さに、感心すらしてしまう。
(つまりこいつらは、最悪な未来に手を加え、より多くの不幸をばら撒こうとしているわけか)
それとも、こいつらみたいな人間がいるから、おれは悪夢を見ることになるのだろうか。
「そんなことをしたら、復讐に関係ない人まで巻き込んじゃうと思うけど」
まあ、そんなことを考えられる良心を持ち合わせているのなら、最初からこんな悪人にはならないか。
案の定、男達はおれの懸念を鼻で嗤った。
「だからなんだよ。他人なんてどうなっても知らねえよ。むしろ、大量に巻き込まれてくれりゃあ、あの王子サマの責任が重くなってくれて万々歳だ」
なんで、それがスワンの責任になるんだ?
「大衆ってのは馬鹿ばっかりだからな。❝火を点けた犯人は、国王のせいで家族を失い、王家を憎んでいた。本当は善良で友達想いのいいやつだったのに❞……なんてお涙頂戴な噂を流せば、無関係な人間を大勢巻き込んだ真犯人よりも、王家を責めはじめる。高尚ぶった馬鹿ほど、立場の弱いほうに味方する自分自身に酔って、真実を曇らせるもんだ。操るなんて簡単なんだよ!」
「………………」
要するにこいつらは、無関係な人間を巻き込んでも構わず、さらにその罪をスワンに擦り付けようとしているわけだ。
(害悪が服を着て、人語を話している)
なにが人を人たらしめるのか。そんなこと、おれにはわかりようがないけれど。
少なくとも、自身の身勝手で、勘違いの復讐のために、大勢を巻き込むことになんの罪悪感も抱かないこいつらは、人間ではない。
(正直、スワン本人のことはよくわからないし、おれにとって優先度は低いけど)
でも、スワンは現状、アリスを保護してくれている人物だ。それに、アリスがこの国で暮らしていくつもりなら、スワンには、この国をもっともっと良くしてもらわなければならない。
────なんて、いろいろ考えてみるけれど、答えははじめから決まっていた。
「……よくわかったよ。最後に、この組織って、名前とかあるの?」
にこりと微笑んで訊く。
男たちはたくさん語れて気分が良くなっているのか、あっさりと口を開いた。
「オレらは白鳥を撃ち落とす……〝狩人〟だ。表向きはロストルムで貴族お抱えの商人をしていた」
「合法なものから、非合法なものまで取り扱ってる、な」
非合法。それが、おれがこの世界にきてすぐに見た、木箱の中身か。
か細く、弱々しい、幼い少女の声が、木箱からたしかに聞こえたのを思い出す。「おかあさん……」と。
それを聞いた瞬間、奴隷として檻にいた頃を思い出した。
おれたちよりも幼い女の子が、いっしょの檻にいた。
寒い日は、アリスが女の子を抱きしめていた。アリスは、その子が寂しくないように、たくさん話しかけていた。アリスを見習って、おれもわずかな食料を、女の子に分けてあげた。
けれどある日、その子は急に連れていかれて、三日後、その子を買い取ったと思われる客が、怒鳴り込んできた声を聞いた。
「こんなにすぐ壊れる商品を売るな!」って。
(この世界は、平等じゃない)
他人の命を弄び、奪う権利なんて誰にもない。そんなことは当たり前で、みんなそう思っているはずなのに、実際には、奪われている命がある。
(あの子はまだ小さくて、可愛らしい顔立ちをしていた。普通に生きられたら、今頃、日差しがたくさん降り注ぐ公園で、元気よく駆け回って笑っていたかもしれない)
けれど、名前も知らないあの子は、三日間も苦しめられ、死んだ。殺された。
────きっと、木箱にいる、この子も。
そう思った刹那、全身から力が抜けた。それは、無意識に制御していたものが、解放された瞬間でもあった。
(………もう、いいよな、姉さん……)
奪われるくらいなら、奪っても。
そうだ。おれは、奪える側だ。
「教えてくれて、ありがとう。教えてもらってばかりじゃ悪いから、おれも一つ教えるよ」
「あ?」
「あんたらの仲間を殺したのは、スワンじゃない。おれだよ」
変な体質で、おれは自分の能力が大嫌いだったけれど、たぶん、使い方が違ったんだ。
正しく使えば、この能力は武器になる。
「てめぇ、なに言って………は、ェ?」
ぐるん、と目を回して、おれにいちばん近かった男が倒れる。
それからはばたばたと、その場にいた全員が、糸を切られた人形のように倒れ、動かなくなった。
肺が膨らむまで吸っていた息を止め、ゆっくり吐き出してから唇を舐める。
(………美味い)
最悪な感想に、おれは苦笑する。
木箱の中にいた女の子を助けたくて、自分にできることを必死に考えた結果が、これだった。
毒ではなく、命を吸い出せたら。
そう思った瞬間、男たちの魂が見えた。クソみたいな悪人でも、紫色の魂はきらきら光っていた。
これを吸えばいいのだと、本能で理解した。そして、躊躇いなく吸った。
その後は能力の覚醒に耐え切れずに気絶してしまったみたいだけど、木箱は空っぽだったから、女の子はきっと自力で逃げてくれたのだろう。
「……帰ろう」
立ち上がろうとすると、くらっと視界が回った。
能力の強さに、身体がまだ馴染んでいないせいだろうか。
倒れる────
「おっと」
「っ!」
衝撃に備えるために目を閉じたけれど、なにか硬いものに背中を支えられ、無様に転倒することは避けられた。
代わりに、もっと厄介な者につかまってしまったみたいだけれど。
「見ーちゃった」
腕で支えたおれを覗き込んだクロウは、にんまりと瞳を細める。それは、魂みたいな紫色で、やたらときらきらしていた。




