第36話 雪山の決死行と、奇跡の回廊
ぶっちゃけたまたまですね
北方の山脈地帯は、文字通り『死の世界』と化していた。
視界は数メートル先すら見えない完全なホワイトアウト。
吹き荒れる暴風雪は、まるで無数の氷の刃となって容赦なく体温と体力を削り取っていく。
王国の歴史上でも類を見ない、異常寒波の第二波。ノースホルム村へと続く唯一の山道は、巨大な雪崩によって完全に分断されていた。
その雪崩の痕跡の前に、ガストン隊長率いるクラーク商会の重装甲部隊と、レオンたち第七クラスの生徒たちが立ち往生していた。
「……隊長! これ以上は無理です! 馬も怯えきっていますし、この吹雪の中で雪崩の壁を越えるなんて、完全な自殺行為だ!」
歴戦の傭兵の一人が、凍りついた兜の奥から絶望的な声を上げる。
彼らの足元には、すでに腰の高さまで新雪が積もっており、一歩進むことすら困難な状況だった。
時刻は、午後二時五十五分。
「弱音を吐くな! 村には五百人の命が取り残されてるんだぞ!」
ガストンが猛吹雪に向かって怒鳴り返すが、その声すら風の音にかき消されそうになる。
傭兵たちの言う通りだった。いかに彼らが歴戦の勇士であろうと、そして第七クラスの生徒たちが優秀な魔法使いであろうと、この絶対零度の暴力の前では無力に等しい。
大自然の猛威は、個人の腕力や魔力でどうにかなる次元を超えていた。
「レオン! 本当に、あの『天気図』とやらを信じていいんだな!?」
ガストンが、猛吹雪の中で微動だにせず前を見据えている赤髪の少年に叫んだ。
レオンの手には、大賢者(主人公)が自室で羽ペンを走らせて描いた、奇妙な等圧線の地図の写しが握られていた。
過酷な寒さの中、レオンの瞳だけは、異常なほどの熱と絶対的な信仰心で燃え盛っている。
「信じるに決まってるだろうが。先生の星の導きは、天の理そのものだ」
レオンは懐中時計を取り出し、秒針を見つめた。
「午後三時ちょうど。風向きが北から北西へ変わり、一時間半だけ、このルートの吹雪が完全に止む。……全員、突撃の準備をしろ」
「しかし、風は一向に弱まる気配がねえぞ!?」
傭兵たちが不安げにざわめく。
時計の針は、無情にも進んでいく。
五十七分。五十八分。五十九分。
そして。
午後三時、ちょうど。
「……嘘だろ」
ガストンが、思わず手から大剣を取り落としそうになった。
ゴォォォォォッ!! という耳をつんざくような風の咆哮が、ピタリと、まるで魔法のように途絶えたのだ。
それまで真北から吹き付けていた暴力的な風が、ふっと息を呑むように北西へと向きを変えた。
直後。
彼らの頭上を覆い尽くしていた分厚い鉛色の雲が、モーセが海を割ったかのように真っ二つに裂け、そこから眩いばかりの冬の太陽の光が、雪山の尾根沿いのルートを一筋の道のように照らし出した。
「ふ、吹雪が……本当に止みやがった……!」
「奇跡だ……! 天が、天が俺たちに道を開いてくれたぞ!」
傭兵たちが信じられないものを見たように、空を見上げて歓声を上げる。
局地的な気圧の谷間と、風向きの変化がもたらした、完全なる『台風の目』への突入。
気象学の知識がない彼らにとって、それは大賢者が天そのものを支配し、猛吹雪を力業でねじ伏せた『神の奇跡』にしか見えなかった。
「感動してる暇はねえぞ! 先生が切り開いてくれた『奇跡の回廊』の制限時間は、たったの一時間半だ! 午後四時半には、再び魔王の吐息がこの道を塞ぐ!」
レオンの鋭い号令が、雪山に響き渡った。
「これより、ノースホルム村救出の『スプリントタスク』を開始する! ガストンの重装甲部隊、雪崩の氷壁を物理で粉砕しろ! 第七クラス、砕けた氷を炎と土の魔法で道の脇に退かせ!」
「おうよっ! 大賢者様が開いてくれた命の道だ、一秒たりとも無駄にするな!!」
ガストンが咆哮を上げ、重装甲部隊が一丸となって雪崩の壁に突撃した。
かつては反発し合っていた大人たちと学生が、今や一つの完璧な生命体のように『アジャイル陣形』を組んで突き進む。
重装甲部隊が氷を砕き、その後ろからミーアたち魔法班が瞬時に瓦礫を撤去し、馬車の通れる道を文字通り「走りながら」舗装していく。
驚異的なスピードで雪山を踏破した救助隊は、午後三時三十分、ついに雪に半分埋もれたノースホルム村へと到達した。
「おい、生存者はいるか! クラーク商会の救助隊だ!」
ガストンが村の集会場の分厚い扉を蹴り破る。
薄暗い堂内には、薪が尽きかけ、毛布にくるまって身を寄せ合い、ただ死を待つしかなかった五百人の村人たちの姿があった。
「た、助けが……?」
「吹雪で道が塞がれたのに、どうやって……女神様、おお、女神様……!」
絶望の淵にあった村人たちが、涙を流してガストンたちにすがりつく。
「女神様じゃねえ! 王都にいらっしゃる『星導の大賢者様』が、天の吹雪を割って道を開いてくださったんだ! さあ、急いで馬車に乗れ! タイムリミットまであと四十分しかねえぞ!」
救助隊は無駄のない動きで、老人や子供、怪我人を優先して防寒具を着せ、次々と大型の雪上馬車へと乗せていく。
ここでも、先生直伝のタスク管理が光った。誰がどの馬車に乗るか、誰が物資を運ぶかが完全にルール化されており、五百人というパニックになりかねない人数の避難が、わずか二十分で完了したのだ。
「全馬車、乗車完了! 忘れ物はねえな!」
「すぐに出発しろ! 気圧の谷が通り過ぎるぞ!」
時刻は午後三時五十分。
救助隊と村人を乗せた馬車の列が、再び『奇跡の回廊』を通って下山を開始した。
だが、自然のタイムリミットは無情だった。
「……隊長! 後ろから、ヤバいのが来ます!」
最後尾で警戒に当たっていたミーアが、悲痛な叫び声を上げた。
ガストンとレオンが振り返る。
彼らが今しがた下ってきた村の方角……山の頂上付近から、まるで巨大な白い津波のような『猛吹雪の壁』が、凄まじい轟音と共に山肌を飲み込みながら迫ってきていた。
『目』の通過が終わり、再び爆弾低気圧の暴風域がルートを塞ぎにきたのだ。
「チィッ! 馬を出せ! 全速力で駆け下りろ!」
ガストンが御者たちに怒鳴り、馬に鞭が入れられる。
だが、雪道での馬車の速度には限界がある。白い津波は、物理的な雪崩よりも速く、確実な死の冷気をもって彼らの背後に迫っていた。
時刻は午後四時二十五分。
山の麓の安全地帯(結界の張られた拠点)までは、あとわずか数百メートル。
「追いつかれる……! 後衛部隊、防御結界を展開しろ! 一秒でも長く壁を防ぐんだ!」
レオンが叫び、第七クラスの生徒たちが馬車の最後尾に立ち、ありったけの魔力を振り絞って光の盾を展開する。
だが、自然の脅威の前に、学生の魔力盾など薄紙に等しかった。
冷気と暴風が結界に激突し、ピキピキと音を立てて亀裂が入っていく。
「もってくれ……! あと少し、あと少しで麓だ!」
午後四時二十九分。
先頭の馬車から順に、麓の安全地帯へと滑り込んでいく。
「いけえええええっ!!」
ガストンとレオンが最後尾の馬車に飛び乗り、防御結界が限界を迎えて砕け散った。
その瞬間。
午後四時三十分、ちょうど。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
まるで巨大な巨人が山の扉を乱暴に閉めたかのような、凄まじい衝撃音。
彼らがたった今まで走っていた山道のルートが、一瞬にして完全なホワイトアウトの猛吹雪に飲み込まれ、元の『死の世界』へと閉ざされた。
「……っはぁ……っ、はぁ……っ」
安全地帯の拠点に滑り込んだ最後尾の馬車の上で。
レオンとガストンは、背後で荒れ狂う白い悪魔の壁を見上げながら、肩で息をしていた。
あと十秒、いや五秒遅れていれば、馬車ごとあの猛吹雪の壁に飲み込まれ、全員が氷の彫像と化していただろう。
「……ふはっ。あはははははっ!」
極限の緊張から解放されたガストンが、雪の上に大の字に倒れ込み、狂ったように笑い声を上げた。
「聞いたか、レオン……! 午後四時半。一秒の狂いもねえ! あの大賢者様は、本当に秒単位で天の呼吸を読み切ってやがった!」
「当たり前だろ……。俺たちの先生の盤上遊戯を、ただの占いと一緒にすんな……」
レオンもまた、膝から崩れ落ち、手の中でクシャクシャになった『天気図』を胸に強く抱きしめた。
周囲では、奇跡的な生還を果たした五百人の村人たちと救助隊のメンバーが、抱き合って歓喜の涙を流している。
彼らは全員、吹雪が閉ざされた雪山の方角ではなく、王都の空に向かって、深い、深い祈りを捧げていた。
大賢者の描いた一枚の紙切れが、大自然の猛威という絶対的な絶望に打ち勝ち、五百人の命を無傷で地獄の底から救い出したのだ。
「先生……アンタ、本当に神様になっちまったんだな」
レオンの呟きは、猛吹雪の音にかき消されることなく、拠点に集まったすべての者の心に共通する、絶対の真理として刻み込まれた。
* * *
一方、その頃。
王都の最上階、大賢者の絶対聖域にて。
「……すぅ……、むにゃ……。もう、マカロン食えねえ……」
猛吹雪の雪山で、己の描いた線一本に数百人の命が懸かっていたことなど露知らず。
世界を救った神様(主人公)は、暖炉の火でポカポカに暖まったふかふかのベッドの中で、よだれを垂らしながら幸せな夢の真っ最中であった。
隣のソファでは、教会のトップである聖女もまた、毛布にくるまって漫画を顔に乗せたままスヤスヤと寝息を立てている。
かくして、王国の歴史に残る苛烈な「魔王(大寒波)との決戦」は、王城の密室における完璧な『堕落とスローライフ』の裏側で、劇的な大勝利の結末を迎えようとしていた。
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次回お楽しみに。




