第35話 魔王の第二波と、等圧線の魔法
王城の最上階、星導の大賢者専用の私室。
外界の猛吹雪を完全に遮断したその部屋は、今日も平和とぬくもり、そして極上の糖分に満ち溢れていた。
「……ふふっ。この続編の騎士様、さらに甘々になっていますわ。もう、ページをめくる手が止まりません……モグモグ」
部屋の特等席である最高級ソファには、すっかりこの環境に順応した聖女の姿があった。
純白の法衣は少し着崩され、肩には温かい毛布。右手には王室専属パティシエ特製のマカロン、左手には大衆向けの恋愛小説(二巻目)。
過労で倒れ、この『堕落のサンクチュアリ』に運び込まれてからわずか二日。
彼女は、かつての近寄りがたい神聖なオーラを完全にどこかへ置き忘れ、ただの休日を満喫するインドア女子へと劇的な進化(退化?)を遂げていた。
「おいおい、聖女様。あんまりマカロンばかり食べてると、法衣のサイズが合わなくなるぞ」
俺はベッドの上でゴロゴロしながら、呆れ半分で声をかけた。
「だ、大丈夫ですわ! これは魂の休息に必要な神聖なるカロリー……先生が仰った『ちーとでい』の儀式の一環なのですから!」
聖女が口元に食べカスをつけたまま、謎の教義を盾にして力強く言い訳をする。
すっかり堕落させてしまった罪悪感は少しあるが、彼女が過労死するよりは百万倍マシだ。それに、話し相手がいる引きこもり生活というのも、存外悪くない。
「まあいいか。外はまだ吹雪いてるし、春までここでダラダラ……」
俺が大きな欠伸をした、まさにその時だった。
バンッ!!
「……っ!! またかよ!!」
ガストンが頑丈に修理してくれたはずの扉が、凄まじい勢いで蹴り開けられた。
飛び込んできたのは、全身を雪まみれにして息を切らしているレオンと、その後ろで青ざめた顔をしているアイリス会長だった。
「せ、先生! 休まれているところを本当に申し訳ありません! 緊急事態です!」
レオンのただならぬ声色に、俺も聖女もピクリと動きを止めた。
「どうした、レオン。第一波の寒波は、神聖ロジスティクスで完璧に凌いだはずだろ?」
「それが……先ほど、北の山脈地帯から『第二波』が直撃したんです! しかも、第一波とは比較にならない桁違いの猛吹雪で……!」
アイリスが震える声で報告を引き継ぐ。
「北部の山間にある『ノースホルム村』へと続く唯一の陸路が、大規模な雪崩によって完全に塞がれてしまいました。村には五百人の領民が孤立しています!」
「雪崩で孤立……」
「はい。ガストン隊長の重装甲部隊と、第七クラスの魔法班で救助に向かおうとしたのですが……猛吹雪による『ホワイトアウト(視界ゼロ)』で、一歩も前に進めない状態なのです」
アイリスがギュッと両手を握りしめる。
ファンタジー世界とはいえ、自然の猛威の前には人間の力などちっぽけなものだ。
視界ゼロの雪山で無理に行軍すれば、救助隊ごと遭難して全滅する。
「このままでは、今夜の冷え込みでノースホルム村の五百人が全滅してしまいます! 先生、どうか……! 先生の奇跡の魔術で、この猛吹雪を吹き飛ばしてはいただけないでしょうか!」
レオンが床に膝をつき、悲痛な声で懇願する。
(猛吹雪を吹き飛ばす魔術? そんなもん、ただの占い師の俺が使えるわけないだろ!)
俺は内心で冷や汗を滝のように流した。
だが、ここで「無理です」と言えば、五百人の命が見殺しになる。それに、外の極寒の雪山になんて、俺は絶対に、死んでも行きたくない。
「……先生。やはり、私が行きますわ。私が残りの魔力をすべて振り絞って、結界を張りながら道を切り開きます」
ソファにいた聖女が、小説を置き、悲壮な決意を顔に浮かべて立ち上がろうとした。
「馬鹿野郎、座ってろ。お前が外に出たら、今度こそ魔力枯渇でショック死するぞ」
俺は聖女の肩を押してソファに座らせると、ふぅ、と深く長いため息を吐き、わざとらしく目を閉じた。
(外に出ずに、吹雪の雪山を安全に進む方法……。視界がゼロでも、遭難せずに目的地に辿り着くための『現代の知識』……)
俺の脳内で、中学生の理科の授業で習った記憶と、毎日のようにテレビで見ていた『天気予報』の映像がフラッシュバックした。
「アイリス会長。クラーク商会の各地の拠点には、観測員がいるはずですね?」
俺が静かに目を開けて尋ねると、アイリスはハッとして頷いた。
「は、はい! 各都市の拠点は、伝令魔法のネットワークで繋がっております!」
「ならば、今すぐ各地の拠点から『三つの情報』を集めてきなさい。一つ、現在の『風の向き』。二つ、現在の『気温』。そして三つ……大気中の『魔力濃度の重さ(気圧)』です」
「風向きと、魔力の重さ……ですか?」
この世界には気圧計がないが、魔法使いにとって大気中の魔力濃度は、肌で感じる『重さ』として認識されている。気圧の谷(低気圧)が近づけば、大気は不安定になり、魔力の流れも乱れる。それで十分代用できるはずだ。
「急ぎなさい。魔王(大寒波)の『心臓』の位置を、私がこの盤上に引きずり出します」
俺の言葉に、レオンとアイリスの顔に希望の光が宿り、弾かれたように部屋を飛び出していった。
数十分後。
俺の部屋の巨大なテーブルの上には、王国の詳細な白地図が広げられていた。
アイリスたちが集めてきた各地の観測データが、地図上の拠点ごとに数字と矢印で書き込まれていく。
「先生、データが揃いました! ですが、これが一体何の役に……?」
レオンが不思議そうに地図を覗き込む。
俺は羽ペンを手に取り、地図上に書き込まれた『魔力の重さ(気圧)』が同じ数値の地点を、滑らかな曲線で繋ぎ合わせていった。
「な、なんですの、この等高線のような不思議な模様は……?」
ソファから身を乗り出した聖女が、目を丸くする。
「これは『等圧線』……星の呼吸の脈絡を可視化した、究極の天体魔術陣です」
俺は占い師らしいハッタリの言葉を被せながら、現代の気象学における『天気図』を完成させた。
低気圧の中心。高気圧の張り出し。風は気圧の高いところから低いところへ、等圧線を斜めに横切るように吹き込む。
地図上に描かれた何本もの曲線は、まさに今、王国を飲み込んでいる猛吹雪のメカニズムを完璧に暴き出していた。
「見なさい。この地図の北西にある、等圧線が異常に密集している渦の中心。これが今回の猛吹雪の発生源……魔王の心臓(爆弾低気圧)です」
俺がペン先で地図の一点を叩くと、レオンたちが息を呑んだ。
「魔王の、心臓……! それが、紙の上に浮かび上がった……!?」
「そして、自然の猛威には必ず『呼吸の隙間』が存在します」
俺は地図上の、等圧線の間隔がぽっかりと広くなっている部分を指差した。
ノースホルム村へ続く雪山の尾根沿い。そこは、地形と風向きの関係で、奇跡的に低気圧の影響が弱まる『気圧の谷間』に入ろうとしていた。
「レオン。あと二時間後の午後三時頃。風向きが北から北西へと変わります。その瞬間から『約一時間半くらい』だけ、この尾根沿いのルートの吹雪がピタリと止み、奇跡の回廊(晴れ間)が開かれます」
「一時間半……! 吹雪が止む時間が、正確にわかるんですか!?」
「ええ。星の配置(天気図)がそう告げています。一時間半あれば、ガストン隊長の部隊なら雪崩を越えて村に辿り着き、全員を救出できるはずです」
俺は羽ペンを置き、レオンを真っ直ぐに見据えた。
「これは時間との勝負です。午後四時半を過ぎれば、再び魔王の吐息(猛吹雪)がルートを閉ざします。私の引いたこの線の通りに進めば、視界がゼロになる前に、必ず村人を連れて帰還できる。……やれますね?」
俺の問いかけに。
レオンは震える手でその『天気図』を受け取り、その目に燃え盛るような決意の炎を宿した。
「……やれます。先生の『星の導き』があるなら、俺たちは目を瞑っていても地獄の底から生還してみせますよ!」
レオンは俺に向かって深く最敬礼を行うと、嵐のような勢いで部屋を飛び出していった。
アイリスも「すぐに救護班と炊き出しの準備を整えます!」と一礼して後に続く。
残された部屋には、再び静寂と、暖炉のパチパチという音だけが響いていた。
「……先生。あなたは……本当に、人間なのですか?」
ソファに座ったままの聖女が、テーブルの上の地図の写しを見つめながら、震える声で呟いた。
「天の怒りであるはずの吹雪の動きを、紙の上で完全に読み切り、自然を支配してしまうなんて……。教会の預言書すら及ばない、まさに神の御業ですわ……」
彼女の瞳は、もはや敬意を通り越し、絶対的な全知全能の存在に対する畏怖に染まっていた。
「いや、ただの気象データ(魔力濃度)を線で結んだだけだけどな」
俺はため息を吐きながら、冷え切ったココアを魔法で温め直した。
俺がやったのは、魔法を使って空を飛んだわけでも、吹雪を吹き飛ばしたわけでもない。
ただ温かい部屋の中から、現代の知識で『進むべき道と時間』を計算しただけだ。
だが、この未開のファンタジー世界において、『未来の天候を秒単位で正確に当てる』という行為は、神にしか許されない究極の奇跡だった。
「さあて、あとはレオンたちの体力を信じるしかないな。俺は疲れたから、もう一眠りするぞ」
俺はベッドに潜り込み、毛布を頭まで被った。
氷点下三十度の死の雪山で、生徒たちと歴戦の大人たちが命懸けの救出劇を繰り広げようとしているその裏で。
大賢者の完璧すぎる『天気予報』は、彼らを無傷で生還させるための、最強にして絶対の羅針盤となろうとしていたのである。
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次回お楽しみに。




