第26話 眠れる賢者と、非公式ファンクラブの結成
王立魔法学園の教職員専用・最上級VIPサロン。
その一番奥にある豪奢な応接室のソファで、俺はこれ以上ないほどの深い眠りに落ちていた。
ガルディア帝国との命がけの外交交渉。
そして、国を二分するアルベルト公爵夫婦の離婚戦争(ただの夫婦喧嘩)の調停。
立て続けに起きた国家レベルの厄介事を、現代の知識とハッタリだけで乗り切った俺の精神力は、すでに限界を迎えていたのだ。
「……ん、む……。もう、何もしたくない……マカロン食べて寝る……」
俺はふかふかのクッションを抱きしめ、幸せな寝言を呟きながら、意識を完全な夢の世界へと沈めていった。
ここ数日、誰にも邪魔されない本物のスローライフが、ようやく俺の元に訪れていた。
* * *
一方、その頃。
サロンの重厚な扉の外、廊下の前では、異様な空気が張り詰めていた。
「そこから先は一歩も通さねえぞ。今は先生の貴重な『星の休息(ただのお昼寝)』の時間だ」
赤髪のヤンキー生徒、レオンが腕を組み、鋭い眼光で廊下を睨みつけている。
「私の『記憶の宮殿』の空間把握でも、半径五十メートル以内に不審な気配はないよ。でも、先生の安眠を邪魔する奴がいたら、私が一秒で制圧するから」
犬耳をピンと立てた獣人の少女ミーアも、臨戦態勢で身を屈めていた。
第七クラスが誇る二人の問題児(現在は学園最強の生徒)が、まるで王室の近衛兵のような顔つきで、扉の前を完全に封鎖しているのである。
そこへ、廊下の向こうからヒールの音を響かせて歩いてくる人影があった。
クラーク商会の若き会長、アイリスである。
彼女の背後には、商会の屈強な護衛たちが、分厚い書類の束や木箱を抱えて控えていた。
「ごきげんよう、レオン君、ミーアさん。先生は中におられるかしら?」
アイリスが優雅に微笑みかけるが、レオンとミーアは微動だにしなかった。
「アイリス会長。あんたが先生の最大のスポンサーなのは知ってるが、今はダメだ。帝国との交渉で、先生は相当な魔力と精神力をすり減らしているんだからな」
レオンの言葉に、アイリスは困ったように眉を下げた。
「ええ、存じております。先生のあの神算鬼謀、そしてアルベルト公爵夫婦を瞬時に和解させた『あさーしょん』の魔術……。先生の御身は、今やこの国の至宝。だからこそ、私は急いでこの企画書を持ってきたのです」
アイリスは背後の部下から一冊の分厚い羊皮紙の束を受け取り、レオンたちの前に突き出した。
その表紙には、見事なカリグラフィーでこう書かれていた。
『宮廷預言者直伝! 魂を共鳴させる星の対話術〜Iメッセージで手に入れる永遠の愛〜』
「……なんだこれ?」
「出版の企画書です。先生が公爵夫婦の離婚戦争を止めたあの『あさーしょん』の儀式。あれを一般の貴族や平民向けに教本としてまとめ、我がクラーク商会の専売で国中に流通させようと考えているのです!」
アイリスが目を輝かせて熱弁を振るう。
「あの公爵夫婦の劇的な和解は、すでに王都中の貴族の奥様方の間で伝説となっています。『自分の気持ちを主語にして伝えるだけで、どんな頑固な夫も思い通りに操れる』と!」
「……操れるって。おい、あんた」
レオンの顔色が変わった。
彼にとって、先生の教えは絶対にして神聖なものだ。
「先生の『あさーしょん』は、相手の脳の構造を直接書き換える恐ろしい精神操作魔法だぞ! そんな危険なものを、金儲けのために素人にばら撒こうってのか!?」
「そうです! もし悪用されて、国中がおかしくなったらどうするんですか! 先生の教えを安売りしないでください!」
ミーアも牙を剥いてアイリスを威嚇する。
純粋に先生を崇拝する生徒たちにとって、大人の商業主義は許しがたい冒涜に思えたのだ。
しかし、若くして大商会を率いるアイリスは、学生の威嚇程度で怯むような柔な商人ではなかった。
「安売り? 危険? ふふっ、あなたたち、先生の『本当の目的』がまだわかっていないのですね」
アイリスは余裕の笑みを浮かべ、パチンと扇を広げた。
「いいですか。先生はなぜ、無償であなたたちに陣形魔術を教え、強欲な帝国を救い、公爵夫婦を和解させたのでしょう? それは、先生が『争いのない平和な世界』を心から望んでおられるからです!」
「スローライフ……」
「そうです。ですが、先生の力が示されるたびに、王室や貴族たちは先生を政治の道具として利用しようとします。帝国でさえ、先生の頭脳を狙っているかもしれない。このままでは、先生に平穏な日々など永遠に訪れません」
アイリスの言葉に、レオンとミーアはハッと息を呑んだ。
確かに、先生はいつも面倒くさそうにしている。偉大な力を持っているのに、本当は静かに眠っていたいだけなのだと、生徒である彼らも薄々は感じていた。
「だからこそ、先生の教えを『教本』として世界に広めるのです」
アイリスは扇を閉じ、二人の生徒に向かって真っ直ぐに指を突きつけた。
「民衆が先生の対話術(Iメッセージ)を学び、互いに理解し合えば、世界から無駄な争いは消えます。そして何より、国中の民が先生を『平和の神』として崇拝するようになれば、いかなる権力者も、先生を独占したり、無理やり働かせたりすることはできなくなるのです!」
「……っ!!」
レオンの瞳孔が限界まで開いた。
「神として……崇拝させる。そうすれば、誰も先生に手出しできなくなる……」
「さらに、この本の印税(利益)はすべて先生の口座に入ります。一生、いえ、十生遊んで暮らせるほどの富と、誰も手出しできない絶対的な権威。これこそが、先生の安眠を守るための『究極の防壁』なのです!」
アイリスの完璧なロジック(という名の商魂)の前に、レオンとミーアは完全に論破されていた。
彼らの中で、一つの真理が繋がったのだ。
先生の教えを広めること。それは金儲けではなく、愛する先生の『スローライフ』を物理的・社会的に防衛するための聖戦なのだと。
「……アイリス会長。あんたのこと、ただの金の亡者だと思ってた。悪かったよ」
レオンが憑き物が落ちたような顔で、アイリスに向かって深く頭を下げた。
「私も……勘違いしてました。会長も、私たちと同じだったんですね。先生の平穏を守りたいっていう気持ちは」
ミーアも涙ぐみながら、アイリスの手を固く握りしめた。
「わかってくださればいいのです。私たちは、立場は違えど『先生の偉大なる魂』に救われた者同士。先生の星の導きを、この手で守り抜きましょう」
アイリスもまた、美しく感動的な涙を流しながら、二人の生徒と固い握手を交わした。
こうして。
扉の向こうで本人が間抜けな顔で爆睡している間に。
王国の経済を牛耳る商会トップと、魔法学園最強の実力を持つ武力集団(第七クラス)が、完全に同じ目的のもとに結託してしまった。
それは後に、王国中に凄まじい影響力を及ぼすことになる『宮廷預言者・防衛委員会(非公式ファンクラブ)』が、密かに産声を上げた歴史的な瞬間であった。
「よし、会長。出版の件は全面的に協力するぜ。だが、その前に一つ、俺たち第七クラスからも商会に『提案』があるんだ」
熱い握手を終えた後、レオンが不敵な笑みを浮かべて切り出した。
「提案、ですか?」
「ああ。さっき『争いのない世界』って言ってたが、帝国の連中との取引が急増して、商会の物流と護衛の現場は今、パニック状態になってるんじゃないか?」
図星を突かれ、アイリスはビクッと肩を揺らした。
「……お恥ずかしい話ですが、その通りです。魔石の輸送量が増えすぎて、ベテランの商人や護衛兵たちの連携が取れず、各地で遅延やトラブルが頻発していまして……」
「なら、俺たちに任せな」
レオンとミーアが、ニッと白い歯を見せて笑い合った。
「先生から教わった『暁の儀式(朝礼)』と『アジャイル陣形』。これを商会の大人たちに叩き込んでやる。俺たちが、先生の教えが最強だってことを、現場で証明してやるよ」
先生の教えを社会に広めるための、異業種間交流。
眠れる賢者の知らないところで、王国の物流システムに革命を起こすための合同特訓が、今まさに始まろうとしていたのである。
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次回お楽しみに。




