第22話 窮鼠の暗殺者と、教え子たちの鉄壁結界
「ふぅ……。寿命が十年は縮んだな」
白亜の円卓の間での息詰まる外交交渉を終え、王城内に用意された豪奢なゲストルームに戻った俺は、ソファにドサリと倒れ込んだ。
冷や汗でシャツが背中に張り付いている。
いくら現代のクレーマー対応で鍛えられているとはいえ、一国の宰相が放つ本物の殺気と威圧感は、胃に大穴を空けるには十分すぎるストレスだった。
「先生! お疲れ様でした! あの帝国宰相を完全に黙らせるなんて、本当に痛快でしたよ!」
俺の後ろに控えていたレオンが、興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってきた。
獣人のミーアも、犬耳をピンと立てて尊敬の眼差しを向けている。
「でも先生、本当に帝国の魔石鉱山が枯渇してるんですか? あの宰相、最初はあんなに余裕ぶってたのに」
「ああ。間違いない」
俺はソファから身を起こし、テーブルに置かれた冷たい水を一気に飲み干した。
「人間は、本当に余裕がある時は『待つ』ことができる生き物だ。だが、ルキウス宰相は関税五倍か、鉱山の権利譲渡かという極端な二択を提示し、さらに国境の軍隊という武力までチラつかせて『即答』を求めてきた」
「それが、焦っている証拠だと?」
「そうだ。もし本当に三十万の軍隊を動かせるだけの魔石の備蓄があるなら、時間をかけて経済制裁を加えればいいだけだ。わざわざ自ら敵国の王城に乗り込んで、脅迫まがいの交渉を急ぐ必要はない」
俺が論理的に説明すると、生徒たちは「なるほど……!」と感嘆の声を漏らした。
微表情の観察と、相手の要求スピードから逆算した状況分析。
魔法を一切使わない、ただの論理的思考の勝利だ。
「だが、油断はできないぞ」
俺はふと表情を引き締め、生徒たちを見渡した。
「東洋の言葉に『窮鼠猫を噛む』というものがある。追い詰められたネズミは、天敵の猫にすら死に物狂いで噛みついてくるという意味だ。帝国の魔石枯渇が事実なら、ルキウス宰相は文字通り後がない」
交渉の期限は三日後としたが、彼らが大人しく三日間待つ保証はどこにもない。
盤上遊戯で勝てないと悟ったプレイヤーは、盤そのものをひっくり返しにくるのが世の常だ。
「焦った相手は、正規のルールを無視した『裏の手』を使ってくる可能性が高い。今夜あたり、警戒を怠らないことだ」
俺の言葉の意図は、「夜は怖いから、バルド団長の近衛騎士たちにしっかり部屋の外を警備してもらおう」という、ただの他力本願な提案だった。
しかし。
俺の教え子たちは、その言葉をまったく別の、そして極めて好戦的な意味で受け取っていた。
「……裏の手。暗殺や、先生の誘拐ですね」
レオンの瞳に、鋭い戦士の光が宿った。
「わかりました。先生の星の導きが『今夜来る』と告げているのなら、間違いありません。俺たち第七クラスのすべてを懸けて、先生の御身は絶対にお守りします」
「え? いや、お前たちは危ないから奥の部屋で寝てて……」
「行きましょう、みんな! 先生に指一本触れさせるわけにはいかないよ!」
俺の制止も聞かず、ミーアたちは闘志を燃やして部屋の入り口へと向かってしまった。
(まあいいか。近衛騎士団も外にいるはずだし、子供たちも学園の演習の延長気分なんだろう)
俺は深く考えるのをやめ、外交交渉の疲労から逃れるように、ふかふかのベッドへと潜り込んだ。
* * *
その日の、深夜。
王城の静寂を縫うように、三つの黒い影がゲストルームのバルコニーへと音もなく舞い降りた。
『……標的は、この部屋で寝ている占い師だ』
黒装束に身を包んだ帝国の暗殺者たちが、特殊な魔法による念話で意思疎通を図る。
彼らはガルディア帝国が誇る最精鋭の隠密部隊『影狼』。高度な光学迷彩魔法と隠密スキルを持ち、これまで数々の他国の要人を闇に葬ってきたプロフェッショナルである。
『ルキウス様からの至上命令だ。あの占い師は、我が帝国の内情を正確に把握しすぎている。交渉の邪魔になる前に、ここで首を刈る』
彼らはガラス窓の鍵を特殊な魔法で音もなく溶かし、室内に侵入した。
近衛騎士団の巡回ルートは完全に把握し、隙を突いて入り込んでいる。作戦は完璧なはずだった。
だが。
「……ストップ。そこから三歩進めば、不可視の泥沼に足を取られるよ」
暗闇の中。
部屋の隅にある観葉植物の陰から、鈴を転がすような少女の声が響いた。
「なっ……!?」
暗殺者たちが息を呑み、声のした方向へ短剣を構える。
光学迷彩で完全に気配を絶っていたはずの彼らを、正確に捕捉している者がいる。
「『記憶の宮殿』による空間把握能力を舐めないでよね。この部屋の家具の配置から空気の流れまで、私の頭の中には完全にマッピングされてるんだから。三人とも、動きが丸見えだよ」
暗闇の中で、獣人の少女ミーアが犬耳をピクッと動かし、不敵に笑った。
暗殺者たちが舌打ちをし、力業で彼女を始末しようと踏み込んだ、その瞬間。
「『暁の儀式』による情報共有は完了している。お前らの位置は、すでに俺の射程圏内だ」
今度は天井付近のシャンデリアの陰から、低く冷たい少年の声が降ってきた。
キィィィンッ!!
空気を切り裂く微かな音と共に、暗闇を三本の極細の熱線が駆け抜けた。
それは暗殺者たちの身体を狙ったものではない。
彼らが手にしていた凶悪な短剣の刃と、魔法を発動するための杖の先端だけを、コンマ数ミリの狂いもなく正確に撃ち抜いてドロドロに溶かしたのだ。
「ぐあっ!? 武器が……!」
「馬鹿な、完全に気配を絶っていたはずだ! なぜ正確な位置がわかる!」
暗殺者たちがパニックに陥り、後退しようとする。
だが、彼らの足元はすでに、水魔法の少女が展開していた『音を吸収する泥沼の結界』に深く沈み込んでいた。
「無駄だぜ。先生の『易経』が、お前らみたいな卑怯者が来ることを完全に予知していたからな」
レオンがシャンデリアから軽やかに飛び降り、手の中で青白い熱線の光をチラつかせた。
「俺たちは、先生の教えで『最強の連携陣形』を手に入れた。個人の隠密スキルがいくら高かろうと、全方位をカバーする俺たちのスクラム防衛網は絶対に突破できねえよ」
音を立てず、魔法の暴発もさせず、味方と完璧に連携して敵を無力化する。
武闘大会でエリートたちを圧倒した第七クラスの生徒たちは、今や本職の暗殺者すらも無傷で制圧できるほどの、恐るべき実戦部隊へと成長を遂げていたのだ。
「さあ、おとなしく縛られな。先生の安眠を邪魔した罪は重いぜ」
レオンの冷酷な宣告と共に、帝国の最精鋭たちは誰一人として声を上げることもできず、教え子たちの手によって完全に無力化されたのである。
* * *
翌朝。
「ふわぁ……。よく寝た」
俺は朝日を浴びながら大きく伸びをし、ベッドから起き上がった。
最高級のマットレスのおかげで、昨日の外交の疲れはすっかり取れている。
「ん? レオン、ミーア。おはよう。ずいぶん早起きだな」
俺がリビングへ向かうと、第七クラスの生徒たちが、なぜか部屋の中央で誇らしげに胸を張って整列していた。
そして彼らの足元には、黒い装束を着て簀巻きにされ、猿轡を噛まされた三人の見知らぬ男たちが転がっている。
「……えっ? 何これ」
「おはようございます、先生! 昨夜、先生の予言通りに帝国の暗殺者どもが忍び込んできましたが、俺たちの陣形魔術で無音のまま制圧しておきました!」
レオンが爽やかな笑顔で、とんでもないことを報告してきた。
「あんさつ……しゃ? お前たちだけで捕まえたのか!?」
「はい! 先生が『窮鼠猫を噛む』と警告してくださったおかげで、完璧な迎撃シフトを組めました! 先生の占星術は、やはり神の御業です!」
ミーアも尻尾をブンブンと振ってドヤ顔を決めている。
俺は簀巻きにされた男たちの絶望に染まった目を見て、冷や汗が滝のように流れ出るのを感じた。
(嘘だろ……。帝国のプロの暗殺者を、学生が数人で無傷で捕まえたのか!? こいつら、俺の知らないところでどれだけ戦闘力インフレを起こしてるんだよ!)
そこへ、部屋の外を警備していたはずのバルド団長が、騒ぎに気づいて扉を開けて入ってきた。
「先生、いかがなさいまし……って、こ、これは! 帝国の『影狼』部隊ではないか!!」
バルド団長が目を見開き、驚愕の声を上げる。
「団長、こいつらそんなにヤバい奴らなんですか?」
「ヤバいどころの騒ぎではありません! かつて隣国の要人を次々と暗殺し、我が近衛騎士団でも捕縛できなかった伝説の部隊ですぞ!」
バルド団長は震える手で暗殺者たちを指差し、そして信じられないものを見るように、レオンたち第七クラスの生徒たちを見つめた。
「それを……まだ学生である君たちが、しかも王城の警備隊すら気づかぬ間に、無音で制圧したというのか……?」
「俺たちの力じゃありません。すべては先生の『星の導き』と、授けてくださった『陣形魔術』のおかげです!」
レオンが胸を張り、俺に向かって最敬礼を行う。
バルド団長はゆっくりと俺の方へ振り返り、もはや人間に対するものではない、神の化身を崇めるような狂信的な瞳で俺を見つめた。
「先生……! あなたは一体、どこまで先の未来を見通しておられるのですか! 帝国の裏工作すらも完全に読み切り、あえて生徒たちに対処させて実戦経験を積ませるとは……!」
「あ、いや、実戦経験というか、俺は本当にただ寝てただけで……」
「なんと恐るべき慧眼! ルキウス宰相の放った最後の一手すらも、先生の盤上遊戯の前には子供の悪戯に等しかったということですね!」
(だから違うってば!!)
俺の心の叫びは、またしても完璧な勘違いの奔流に飲み込まれてしまった。
最強の暗殺者部隊を失い、いよいよ手札が尽きたルキウス宰相。
彼を完全に論破し、この国を救うための最終交渉の場は、もう目の前に迫っていた。
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次回お楽しみに。




