第10話 異端審問と、聖女の手のひら
「はぁ……。どうしてこうなったんだろう」
王城の最上階。
かつて歴代の王族が使用していたという、無駄にだだっ広く豪華な『宮廷預言者の間』で、俺は深々とため息を吐いていた。
窓の外には、王都の美しい街並みがジオラマのように広がっている。
部屋の中には見たこともないような高級な調度品が並び、机の上には食べきれないほどのフルーツと焼き菓子が山積みになっていた。
「素晴らしい眺めですね、先生! クラーク商会の業績も、先生が宮廷預言者になられたおかげで右肩上がりです!」
俺の向かいのソファで、アイリス会長がホクホク顔で紅茶を飲んでいる。
大怪盗の襲撃事件から数日。
バルド団長の熱烈な推薦と、命を救われたエリアーナ王女の鶴の一声により、俺は国王陛下から直々に『宮廷預言者』の称号を賜ってしまった。
もちろん、全力で辞退しようとした。
だが、「断れば不敬罪で地下牢行きだ」と騎士団の連中に泣きつかれ、渋々この豪華な鳥籠に収まることになったのだ。
「アイリス会長。俺、もう路地裏の占い館に帰りたいんですけど……」
「何を仰るのですか! 先生は今や、この王国の運命を握る最重要人物なのですよ!」
アイリスが目を輝かせて俺の手を握る。
どうやら俺の平穏なスローライフは、今や国家の監視下という名のVIP待遇の中に完全に埋もれてしまったらしい。
俺がもう一度、今日何度目かわからないため息を吐こうとした、その時だった。
バンッ!!
「……またか」
もはや恒例行事となった凄まじい音と共に、部屋の重厚な扉が蹴り開けられた。
しかし、今回そこに立っていたのは、いつもの暑苦しい騎士たちではなかった。
「ここが、悪魔と契約したという異端者の部屋ですね」
鈴を転がすような、しかし絶対零度のように冷たい声。
部屋に踏み込んできたのは、純白の法衣に身を包んだ、銀髪の美しい少女だった。
その背後には、十字の紋章を掲げた教会の『聖騎士』たちが、殺気を放ちながらズラリと並んでいる。
「な、教会の聖女様!? なぜこのような所に……!」
アイリスが驚いて立ち上がる。
聖女。それはこの国において、神の声を代弁し、奇跡の治癒魔法を操る絶対的な存在だ。
その聖女様が、親の仇を見るような冷たい目で俺を睨みつけていた。
「近衛騎士団長をたぶらかし、あまつさえ未来を予知して怪盗を捕らえたなどという妄言……。神の奇跡を通さずして未来を知るなど、悪魔の力に違いありません」
「あ、いや。あれはただの偶然というか、心理学と適当なハッタリで……」
「黙りなさい、異端者。教会の異端審問官として、私が直々にあなたの正体を暴いて差し上げます」
聖女がスッと右手を前に突き出す。
その手のひらに、チカチカと眩しい光の魔法陣が浮かび上がった。
おそらく、嘘を見破るか、悪魔を浄化するための強力な魔法なのだろう。
(うわぁ、面倒くさいのが来た! ここで悪魔じゃないと証明できても、インチキ占い師だってバレたら王室を騙した罪で死刑だぞ!)
俺の脳内で、危険を知らせるアラートがガンガンと鳴り響く。
なんとかして彼女の魔法を止めさせ、かつ『俺の占いは神聖なものだ』と思い込ませなければならない。
俺は必死に頭を回転させながら、魔法陣を構える聖女の姿をじっと『観察』した。
(……ん?)
その時、俺のコールドリーディング(観察術)が、聖女の身体の『ある異変』に気がついた。
彼女は凛として立っているように見えるが、その足元は微かに震え、重心がフラフラと揺れている。
さらに、怒りで声を張り上げているにもかかわらず、その呼吸は不自然なほど浅く、早い。
極めつけは、彼女の顔色だ。
化粧で隠してはいるものの、首筋や耳の裏の肌が、透けるように青白い。
「聖女様。あなたは私を悪魔だと疑っておられるようですが……」
俺はゆっくりと立ち上がり、彼女に向かって静かに歩み寄った。
「その前に、あなたご自身の『命の星』が消えかかっていることに、お気づきですか?」
「なっ……! 命の星、ですって?」
聖女がピクリと眉をひそめ、魔法陣の光を弱める。
俺はその隙を見逃さず、彼女の前にスッと手を差し出した。
「私は悪魔の力など使っていません。私が読み解くのは、人が生まれ持つ運命の線……『手相』です。どうか、あなたのその美しい手のひらを、私に見せてはいただけませんか」
「……悪魔の使いが、私の手相を見ると? くだらない。私が恐れるとでも思って……」
聖女は挑発に乗るように、魔法陣を消して己の右手を俺の前に突き出した。
純白の絹のように滑らかな、小柄な手のひら。
俺はその手をそっと両手で包み込むように取り、じっと見つめた。
もちろん、俺には未来を予知するような神秘的な手相の知識はない。
だが、現代日本で占い師として生計を立てるために学んだ『東洋医学』の知識が、彼女の手のひらから完璧な解答を導き出していた。
「聖女様。あなたの『生命線』は、非常に細く、途切れがちになっていますね」
「……誰にでも言えるようなハッタリですね」
「そして、ここが重要です。あなたの指先……爪の色を見てください」
俺は彼女の指先をそっと撫でた。
人間の健康状態は、爪に最も如実に現れる。
彼女の爪は、健康的な薄紅色ではなく、まるで紙のように真っ白だった。
さらに、爪の中央がスプーンのようにわずかに凹んでいる。
「爪の血色が極端に薄く、中央が反り返っている。東洋の占術において、これは『血の気が枯渇している』という最悪の凶相です。現代の言葉で言えば……極度の『鉄分不足』と『栄養失調』ですね」
「なっ……!?」
聖女の肩が、ビクッと大きく跳ねた。
俺はさらに、彼女の手のひらの温度と、皮膚の乾燥具合を確かめながら続ける。
「手が氷のように冷たく、関節が強張っている。あなたは神への祈りを捧げるためと言って、ここ数週間、まともな食事も睡眠もとっていないのではありませんか?」
「ど、どうしてそれを……っ!」
聖女の冷徹だった瞳が、驚愕に見開かれた。
彼女は神に仕える身として、誰にも見えないところで過酷な断食と徹夜の祈り(という名のブラック労働)を続けていたのだ。
それを、ただ手のひらを見ただけで完璧に見抜かれたのである。
「回復魔法は、他人の怪我は治せても、術者自身の『栄養』までは補給できないはずです。あなたの身体は今、深刻な貧血と慢性疲労で悲鳴を上げています」
「……っ!!」
図星を突かれた聖女は、反論しようと口を開いた。
だが、その瞬間。
限界を超えていた彼女の身体が、プツンと糸が切れたように脱力した。
「あ……」
聖女の瞳から光が消え、その細い身体がグラリと前に倒れ込んでくる。
「っと! 危ない!」
俺は慌てて両腕を伸ばし、倒れ込んできた聖女の身体をしっかりと抱きとめた。
羽のように軽く、そして氷のように冷たい身体だった。
「せ、聖女様ァァァッ!?」
背後に控えていた聖騎士たちが、一斉に顔面を蒼白にして剣を抜いた。
「貴様! 聖女様にどのような呪いをかけた!!」
「違う違う! 呪いじゃない! ただの過労で倒れただけだ!」
俺は気絶した聖女を抱き抱えながら、血走った目で迫り来る聖騎士たちに向かって必死に叫んだ。
「お前ら、剣を抜いてる暇があったら早く医者を呼べ! いや、それより先に温かいスープと、レバーかほうれん草を持ってこい! 鉄分を補給しないとこの人死ぬぞ!!」
宮廷預言者になってから、わずか数日。
平穏なスローライフを求める俺の前に、今度は『宗教国家のトップの命を救う』という、とんでもないミッションが強制的にスタートしてしまったのである。




