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幼馴染を寝取られ、学園に殺された無能力の俺は最強になって帰ってくる  作者: ワールド


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第9話 二人の約束

 校内放送が静まり返った校舎に響き渡る。


『試験開始から十五分が経過しました。』


『残り時間は十五分です。』


 その無機質な声だけが、時間の残酷さを告げていた。


 ハルは廊下を駆ける。


「はぁ……はぁ……!」


 呼吸は乱れ、肺が焼けるように熱い。


 制服はあちこちが破れ、袖には炎で焦げた跡が残っていた。


 頬には浅い切り傷。


 膝にも擦り傷が増え、流れた血が乾いて赤黒く固まっている。


 右手で握る木刀も、何度も能力を受け止めたせいで刃先が欠け、ささくれ立っていた。


 足は鉛のように重い。


 一歩踏み出すたびに筋肉が悲鳴を上げる。


 それでも止まれない。


 止まれば、その瞬間に終わる。


(あと十五分……。)


 まだ半分。


 されど半分。


 ここまで逃げ続けてきた三十分の試験が、これほど長く感じたことはなかった。


 角を曲がる。


 その瞬間だった。


「いたぞ!」


 叫び声が響く。


 前方の廊下から五人の能力者が現れる。


「囲め!」


 一人が腕を振ると、床から氷の柱が次々と突き出した。


 逃げ道を塞ぐように並ぶ氷壁。


 ハルは迷わず壁を蹴る。


 跳躍。


 氷を踏み台にし、そのまま教室の窓枠へ飛び移る。


「なっ!」


 驚く能力者たちを横目に、教室へ飛び込む。


 机を踏み越え、反対側の扉へ一直線。


 ガラッ!


 勢いよく廊下へ飛び出す。


 しかし。


「待ってたぞ!」


 今度は別班がそこにいた。


 炎が一直線に走る。


 ハルは身を低くして滑り込み、炎を紙一重でかわす。


 熱風が頬をかすめ、髪の先が焦げる。


 止まる暇はない。


 さらに走る。


 階段へ向かう。


 だが。


「封鎖完了!」


 階段の上にも能力者。


 下にも能力者。


 退路はない。


(またか……!)


 ハルは舌打ちし、踵を返す。


 その先にも待ち伏せ。


 右へ逃げても。


 左へ逃げても。


 どこへ向かっても誰かがいる。


 まるで自分の動きを知っているかのようだった。


 教師席では、その様子をモニターで見守っていた。


 一人の教師が小さく息を吐く。


「よくここまで粘ったな……。」


 別の教師も頷く。


「普通なら十分も持たない。」


「無能力者とは思えない精神力だ。」


 神崎は腕を組んだまま画面を見つめていた。


「だが……。」


 その一言だけ漏らす。


 誰も続きを聞かなかった。


 言わなくても分かる。


 包囲網は完成している。


 時間が経つほど、黒崎の網は狭まっていく。


 逃げ続けるハルの体力だけが削られていく。


 勝敗は、ゆっくりと決まり始めていた。


 その隣で。


 美咲だけはモニターから目を離せなかった。


 両手を胸の前で強く握り締める。


「お願い……。」


 声にならない願い。


「お願いだから……。」


 ハルの姿が映るたびに胸が締め付けられる。


 傷だらけになっても。


 何度追い詰められても。


 転びそうになっても。


 彼は立ち止まらない。


 それが分かっているからこそ、美咲は祈ることしかできなかった。


 一方その頃。


 校舎二階。


 黒崎は静かにハルの進路を見下ろしていた。


 通信機から次々と報告が入る。


『対象、東棟へ移動。』


『第三班接触。現在追跡中。』


『第六班配置完了。』


 黒崎は短く答える。


「ああ。」


 その表情に焦りはない。


 まるで、全てが予定通りであるかのように。


 廊下を走るハルは歯を食いしばる。


 視界が揺れる。


 息が苦しい。


 それでも足だけは止めなかった。


(まだ終われない。)


 その想いだけが、限界に近い身体を動かし続けていた。



 モニターには、傷だらけになりながらも走り続けるハルの姿が映っていた。


 息は乱れ、制服は破れ、何度も能力をかすめながら、それでも前へ進む。


 その姿を見続けていた美咲は、ついに耐えきれなくなった。


「もうやめてください!」


 管制室に、美咲の叫びが響く。


 教師たちが一斉に振り返る。


「朝比奈!」


「落ち着け!」


 しかし、美咲は首を振った。


「落ち着いてなんていられません!」


「このままじゃハル君が……!」


 画面の中では、炎がハルの横をかすめる。


 爆風で壁へ叩きつけられ、それでも立ち上がる。


 美咲は拳を強く握り締めた。


「もう十分でしょう!」


「試験なんかより命の方が大事です!」


 教師たちは言葉を失う。


 その中で、神崎だけが静かに口を開いた。


「試験だ。」


 短い一言だった。


 美咲は涙を浮かべながら叫ぶ。


「でも、このままじゃ死んじゃいます!」


 神崎はモニターから目を離さない。


「死なない。」


「……違います!」


 美咲は声を震わせた。


「先生は知らないんです!」


「ハル君は最後まで諦めない人なんです!」


「もう無理だって分かっても!」


「体が動かなくなっても!」


「絶対に立ち上がるんです!」


「だから危ないんです!」


 管制室が静まり返る。


 教師たちも、美咲の必死な表情を見つめていた。


 神崎はようやく美咲へ視線を向ける。


「なら。」


 一歩前へ出る。


「お前が行け。」


「……え?」


 美咲は目を見開いた。


 教師たちも驚きを隠せない。


「神崎先生!」


「何を……!」


 神崎は構わず続ける。


「止められると思うなら、自分で止めろ。」


「教師は試験を止められない。」


「ここで俺たちが介入すれば、この試験そのものが意味を失う。」


 美咲は唇を噛む。


 神崎はさらに言葉を続けた。


「だが、お前は違う。」


「友人だ。」


「幼馴染だ。」


「お前にしか届かない言葉がある。」


「お前にしか止められない男だ。」


 美咲の脳裏に、幼い日の約束が蘇る。


 泣きながら転んでも立ち上がる少年。


『絶対に諦めない。』


『約束する。』


 その笑顔が胸を締め付けた。


(ハル君……。)


 神崎は静かに問いかける。


「ここで見ているだけか。」


「それとも、あいつを助けに行くか。」


 美咲はしばらく俯いたまま動かなかった。


 やがて拳を強く握り締める。


 頬を伝う涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。


 その瞳に、迷いはなかった。


「……行きます。」


 その一言に、管制室の空気が変わった。


 美咲は涙を拭い、試験区域へ向かって駆け出そうとした。


 その瞬間だった。


 管制室に設置された通信機から、電子音が鳴り響く。


『――黒崎より管制室。』


 教師たちが一斉に振り返る。


「黒崎?」


「何だ?」


 通信機から聞こえてきたのは、どこまでも落ち着いた声だった。


『朝比奈美咲。』


 突然名前を呼ばれ、美咲は足を止める。


「……え?」


 教師たちも息を呑んだ。


 試験中に黒崎が通信を入れてくること自体が異例だった。


『聞こえているな。』


「……はい。」


 短い返事。


 黒崎は淡々と続ける。


『来い。』


 その一言に、教師たちがざわめく。


「黒崎……?」


「何を考えている?」


 神崎だけは黙って通信を聞いていた。


 黒崎は静かに言葉を続ける。


『お前だけが、あいつを止められる可能性がある。』


 管制室が静まり返る。


 誰も否定できなかった。


 ハルが唯一心を許している相手。


 それが朝比奈美咲だ。


 黒崎は続ける。


『試験開始から十五分。』


『あいつは限界を超えてなお走り続けている。』


『教師が止めても意味はない。』


『だが、お前の言葉なら止まる可能性がある。』


 美咲は唇を強く噛み締めた。


 震える声で問い掛ける。


「もし……。」


「もし、それでも止まらなかったら?」


 数秒の沈黙。


 やがて黒崎は迷いなく答えた。


『その時は。』


『俺が終わらせる。』


 短く、それだけだった。


 通信はそこで切れる。


 ピーッという電子音だけが管制室に残った。


 教師たちは言葉を失う。


「黒崎が……。」


「朝比奈を呼んだ。」


 神崎は静かに腕を組み直し、美咲を見る。


「聞いただろ。」


「これがお前に与えられた最後の機会だ。」


 一歩前へ出る。


「急げ。」


 美咲は涙を拭う。


 震えていた足に力を込める。


「……はい!」


 返事と同時に、勢いよく管制室を飛び出した。


 ハルを止められるのは、自分しかいない。


 その想いだけを胸に、美咲は試験区域へ向かって全力で走り出した。


 管制室を飛び出した美咲は、長い廊下を全力で駆け抜けた。


 息が苦しい。


 足が重い。


 それでも、止まることはできなかった。


「ハル君……!」


 脳裏から離れないのは、モニターに映っていたハルの姿だ。


 破れた制服。


 血の滲んだ腕。


 何度倒されても、歯を食いしばって立ち上がる姿。


 あのままでは、本当に取り返しのつかないことになる。


 試験区域へ続く扉の前に到着すると、美咲は迷うことなく認証装置へ手を触れた。


 重い音を立てながら、巨大な隔壁が左右へ開いていく。


 その向こうから流れ込んできたのは、熱気と冷気が入り交じった異様な空気だった。


 焦げた匂い。


 砕けた地面。


 崩れた壁。


 能力同士がぶつかり合った痕跡が、至るところに残されている。


 美咲は一瞬だけ息を呑んだ。


 しかし、すぐに試験区域へ踏み込んだ。


「朝比奈?」


 近くにいた男子生徒が、美咲に気づいて目を見開く。


「何で朝比奈がここにいるんだ?」


「試験参加者じゃないだろ?」


「おい、危ないぞ!」


 能力者たちの声が飛び交う。


 だが、美咲は答えなかった。


 ハルの姿だけを探しながら、瓦礫の散らばる通路を走り続ける。


「どこ……?」


 右を見ても、左を見ても、ハルの姿はない。


 聞こえるのは、爆発音と怒号ばかりだった。


「ハル君、どこにいるの!?」


 美咲の声は、激しい戦闘音にかき消された。


 その直後。


「いたぞ!」


 通路の奥から誰かの叫び声が響いた。


「天城が西区画へ逃げた!」


「第三班、回り込め!」


 その言葉を聞いた美咲は、進行方向を変えた。


「西区画……!」


 細い通路へ飛び込む。


 だが、その先では、複数の能力者がハルを追って移動していた。


 一人の生徒が前方へ手を突き出す。


「逃がすか!」


 掌から放たれた炎が、通路を一直線に駆け抜けた。


 その射線上へ、美咲が飛び出す。


「なっ……朝比奈!?」


 能力を放った生徒が顔色を変える。


 炎はすでに放たれている。


 止めることはできない。


「危ない!」


 管制室でモニターを見ていた教師が立ち上がった。


「朝比奈が攻撃範囲に入った!」


「試験を一時中断させろ!」


 しかし、神崎は動かなかった。


「構わん。」


「何を言っているんですか!?」


「あれをまともに受ければ、朝比奈まで負傷します!」


 神崎は険しい表情のまま、画面を見つめる。


「あいつは分かった上で入った。」


「ですが――」


「今さら安全な場所へ引き戻せば、覚悟まで否定することになる。」


 燃え盛る炎が、美咲へ迫る。


 美咲は恐怖に顔を歪めた。


 それでも、足を止めなかった。


「邪魔しないで!」


 地面を強く蹴る。


 炎が頬のすぐ横を通過する。


 熱風が髪を大きく揺らし、美咲は体勢を崩した。


「きゃっ……!」


 膝を地面につく。


 手のひらを擦りむき、赤い血が滲んだ。


 それでも、すぐに顔を上げる。


「まだ……!」


 美咲は痛む手を握り締め、再び走り出した。


 周囲の能力者たちは、呆然とその背中を見送る。


「嘘だろ……」


「あいつ、能力も使わずに入ってきたのか?」


「そこまでして天城を止めるつもりなのか……?」


 その様子を、遠く離れた建物の屋上から見つめる者がいた。


 黒崎仁だった。


 黒崎は通信機を片手に持ちながら、美咲の姿を静かに目で追っている。


 周囲には、黒崎の指示を待つ能力者たちが控えていた。


「黒崎。」


「朝比奈を保護しますか?」


 仲間の問いかけに、黒崎は首を横へ振った。


「必要ない。」


「ですが、巻き込まれる可能性が――」


「あいつは自分の意思で来た。」


 黒崎の視線は、美咲から離れない。


「天城を止めたいなら、あいつ自身が届かなければ意味がない。」


 そして、通信機へ短く命じる。


「全班に通達。」


「朝比奈美咲を攻撃対象から除外しろ。」


『了解。』


「ただし、天城への追跡は続行する。」


 黒崎の命令が、試験区域全体へ伝わる。


 美咲はその事実を知らないまま、必死にハルを追い続けていた。


 通路の向こうで爆発が起こる。


 直後、傷だらけの少年が煙の中から飛び出してきた。


 ハルだった。


 ハルは足を引きずりながらも、背後を振り返ることなく走っている。


「待て、天城!」


「西側へ回り込め!」


 後方から能力者たちが迫る。


 ハルは崩れた壁を飛び越え、細い路地へ飛び込んだ。


 もう足の感覚はほとんど残っていなかった。


 呼吸をするたびに胸が痛む。


 握っている木刀にも、大きな亀裂が入っていた。


 それでも、止まるという選択肢はなかった。


(残り十五分……。)


(まだ半分だ。)


 ハルは荒い息を吐きながら、角を曲がる。


 その瞬間だった。


「ハル君!」


 聞き慣れた声が、戦場のような試験区域に響き渡った。


 ハルの足が止まる。


 聞き間違えるはずがなかった。


 何度も自分を励ましてくれた声。


 誰にも認められなかった自分を、ただ一人信じてくれた少女の声。


 ハルはゆっくりと振り返った。


 通路の向こうに、美咲が立っていた。


 乱れた髪。


 擦りむいた手。


 肩を大きく上下させながら、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめている。


 ハルは目を見開いた。


「……美咲?」


 二人の視線が交わる。


 炎と爆音が飛び交っていた試験区域が、その瞬間だけ静まり返ったように感じられた。



「……美咲?」


 ハルは息を切らしながら、目の前に立つ少女を見つめた。


 どうして彼女がここにいるのか。


 ここは試験区域だ。


 一年生たちの能力が飛び交い、いつ誰が巻き込まれてもおかしくない。


 美咲が来ていい場所ではない。


「なんで……ここに」


 ハルが問いかけようとした瞬間、美咲が駆け出した。


「ハル君!」


 そのままハルの胸元へ飛び込み、両手で制服を強くつかむ。


「もうやめて!」


 震える声だった。


「お願いだから……もうやめてよ!」


「美咲……」


「こんなの試験じゃない!」


 美咲は涙をこらえながら叫んだ。


「百人以上の能力者から一人で逃げるなんて、できるわけないよ!」


「しかもハル君は、もうこんなに傷だらけで……!」


 破れた制服。


 血の滲んだ腕。


 青く腫れた頬。


 荒い呼吸を繰り返しながら、それでも木刀を手放さないハル。


 美咲はその姿を間近で見て、さらに顔を歪めた。


「もう十分だよ……」


「これ以上続けたら、本当に死んじゃう」


 ハルは答えなかった。


 ただ静かに、美咲の手を制服から外す。


「駄目だ。」


 美咲が目を見開く。


「……どうして?」


「まだ終わってない。」


「終わってるよ!」


 美咲の声が響く。


「もう無理だよ!」


「退学になってもいいじゃん!」


「こんな学園に残るために、命を懸ける必要なんてない!」


「退学なんてどうでもいい!」


 その言葉を聞いた瞬間、ハルの表情がわずかに変わった。


「俺には、どうでもよくない。」


「どうして!」


「約束したからだ。」


 美咲の肩が揺れる。


「……約束?」


 ハルは自分の手の中にある木刀へ視線を落とした。


 ひび割れ、今にも折れそうになっている。


 それでも、手放さなかった。


「俺は最後まで諦めない。」


 幼い頃。


 何をやっても周囲に笑われ、能力がないというだけで馬鹿にされていたハルに、美咲は言った。


『ハル君ならできるよ』


『だから、絶対に諦めないで』


 その時、ハルは答えた。


『分かった』


『俺、絶対に諦めない』


 それは幼い二人が交わした、ささやかな約束だった。


 けれどハルにとって、その言葉だけが今まで自分を支えてきた。


「美咲が言ったんだ。」


「俺ならできるって。」


「最後まで諦めるなって。」


 美咲は唇を震わせた。


「そんな約束……!」


 涙が頬を伝う。


「そんな約束、守らなくていいよ!」


「今は違う!」


「こんなことになるなんて思ってなかった!」


「ハル君が死ぬくらいなら、約束なんて破っていい!」


 美咲はハルの腕をつかんだ。


「一緒に帰ろう。」


「先生たちに謝って、退学になって……それでもいいじゃん」


「別の場所でやり直そうよ」


「私も一緒にいるから」


 その言葉に、ハルは一瞬だけ目を伏せた。


 胸の奥が揺れる。


 美咲と一緒に帰る。


 この試験を捨てる。


 もう走らなくていい。


 戦わなくていい。


 そうすれば、これ以上傷つくこともない。


 けれど。


「守る。」


 ハルは静かに答えた。


「……え?」


「俺は、この約束を守る。」


 美咲の手を、ゆっくりと振りほどく。


「ここで諦めたら、今まで耐えてきた全部が無駄になる。」


「能力がないから無理だって、笑われて」


「教師にも、生徒にも、最初からできないって決めつけられて」


「それでも、俺はここまで来た。」


 ハルは木刀を握り直した。


「ここで逃げたら、あいつらの言う通りになる。」


「無能力者だから何もできないって、認めることになる。」


「そんなこと、どうでもいいよ!」


「よくない。」


 ハルは美咲を真っ直ぐ見つめた。


「俺が俺じゃなくなる。」


 美咲は何も言えなかった。


 ハルの瞳には、恐怖も迷いもある。


 傷つき、苦しみ、今にも倒れそうになっている。


 それでも、その奥にある意志だけは折れていなかった。


 美咲はようやく理解した。


 ハルは退学を恐れているのではない。


 敗北を恐れているのでもない。


 自分自身を諦めてしまうことを、何よりも恐れているのだ。


「……嫌だよ」


 美咲は小さく呟いた。


「私、こんな約束をしてほしかったわけじゃない」


 次々と涙が溢れ出す。


「ハル君に、生きていてほしいだけなのに……」


 ハルは何も答えられなかった。


 ただ、泣いている美咲を見つめる。


 その時だった。


 コツ――。


 硬い足音が、通路の奥から響いた。


 コツ――。


 ゆっくりと、一定の間隔で近づいてくる。


 ハルの表情が変わる。


 美咲も涙を拭いながら、音のする方へ振り返った。


 煙の向こうから、一人の少年が姿を現す。


 黒崎仁。


 制服にはほとんど乱れがなく、その手には一本の木刀が握られている。


 黒崎は二人の少し手前で足を止めた。


「時間だ。」


 冷たい声が響く。


 ハルは黙ったまま、黒崎を見据える。


 黒崎は美咲へ視線を移した。


「朝比奈。」


「……何?」


「お前は止められなかった。」


 美咲の体が震える。


「待って……」


 黒崎は返事をしなかった。


 ただ静かに、美咲の横を通り過ぎる。


「待ってよ!」


 美咲が黒崎の腕をつかもうとする。


 しかし黒崎はわずかに体をずらし、その手をかわした。


「これは、あいつが選んだことだ。」


 黒崎はハルの正面に立つ。


「誰にも止められない。」


 そして木刀をゆっくりと持ち上げた。


 切っ先が、ハルへ向けられる。


 空気が変わった。


 黒崎から放たれる圧力に、美咲は呼吸すら忘れる。


 ハルもまた、傷だらけの体を無理やり起こした。


 両足を開き、木刀を正面に構える。


 腕が震える。


 呼吸も整わない。


 それでも、黒崎から目を逸らさなかった。


「……やるのか。」


 ハルが問いかける。


 黒崎は淡々と答えた。


「お前が諦めないと言った。」


「なら、最後まで付き合う。」


 二人の木刀が向かい合う。


 美咲はその間に入ることができず、ただ立ち尽くしていた。


 黒崎の目に、わずかな鋭さが宿る。


「天城ハル。」


「ここからは試験だ。」


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