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幼馴染を寝取られ、学園に殺された無能力の俺は最強になって帰ってくる  作者: ワールド


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第48話 開幕

 ――地上、三十一日目。全国能力対抗戦、第一回戦。



 窓の外を、見覚えのある景色が流れていく。


 桜並木だった道は、いまは濃い緑に覆われている。


 その先に、白い建物が見えてきた。


 大型車両の中で、誰も口を開かなかった。


 カエデが窓へ額を押し付けている。


 結は膝の上で指を組んでいる。


 レンは腕を組んだまま、目を閉じていた。


 風間は最後列で、いつも通り動かない。


 白夜は窓際の席で、外を見ていなかった。


 ハルは自分の膝を見つめていた。


 三か月前、この道をバスで通り過ぎた。


 あの時は、窓の外にあの門があった。


 今日は、その門をくぐる。


「――到着だ。」


 運転席から声がかかる。


 誰も、すぐには立ち上がらなかった。



 会場は、想像していたものと違った。


 学園の敷地の奥に、巨大な建造物がある。


 星ヶ丘学園大闘技場。


 三か月前、選別試験で使った演習ドームより、遥かに大きい。


 外周を歩いているだけで、地鳴りのような音が聞こえてきた。


 人の声だった。


「……何人いるんだ、これ。」


 カエデが顔をしかめる。


「収容二万。」


 レンが即答した。


「調べたのか。」


「昨日、監視官に聞いた。」


「二万……。」


 地下施設の全人口より多い。


 通路を進むと、壁のモニターに映像が流れていた。


 中継の準備映像だ。


 両校の名前が交互に表示されている。


 ――星ヶ丘学園。


 ――地下施設。


 その二つ目が表示されるたび、外の音が変わった。


 歓声ではない。


「犯罪者が何しに来た!」


「帰れ!」


「ふざけんな!」


 罵声だった。


 通路の壁越しでも、はっきりと聞こえる。


 カエデが立ち止まった。


「……おい。」


「気にするな。」


 レンが前を向いたまま言う。


「気にするなって。」


「一つも間違ってねぇだろ。」


 カエデが振り返る。


「俺たちは犯罪者だ。」


「そう記録されてる。」


「向こうはそう教わってる。」


「……お前。」


「事実だ。」


 レンは足を止めない。


「訂正したけりゃ、勝つしかない。」


「口で言っても、誰も聞かねぇ。」


 カエデはしばらく黙っていた。


 やがて、拳を鳴らす。


「……上等だ。」


 ハルは、そのやり取りを後ろから聞いていた。


 罵声は、まだ続いている。


 三か月前、自分は教室の中で同じ声を浴びていた。


 あの時は一人だった。


 今は、六人だ。


 それだけの違いが、ずいぶん大きかった。



 選手通路の途中に、分かれ道がある。


 右が控室。


 左が観客席の指定区画。


 白鳥澪は、そこで足を止めた。


 城崎硝と、選外の二人が先に左へ歩いていく。


 城崎は一度だけ振り返り、何も言わずに顎をしゃくった。


 ――行け。


 そういう意味だと、ハルは受け取った。


「ハル君。」


 澪が呼び止める。


「ん。」


「昨日の約束、覚えてますか。」


「……無理をするな、だろ。」


「はい。」


 澪はしばらく黙っていた。


 そして、意外なことを言った。


「――やっぱり、取り消します。」


「え。」


「無理をしてください。」


 ハルは目を見開く。


「昨日は、あんなこと言いましたけど。」


 澪は自分の胸へ手を当てた。


「一晩考えました。」


「ハル君は、無理をしないと勝てない場所にいます。」


「それを止めるのは、私の勝手です。」


 その手が、少しだけ震えていた。


「だから、言い直します。」


「無理をしてください。」


「そのかわり――必ず戻ってきてください。」


 ハルは何と答えていいか分からなかった。


「私、上から全部見てます。」


 澪は続ける。


「一秒も、目を離しません。」


「もし胸のあれが起きたら、私にはたぶん分かります。」


「そうしたら、私は走ります。」


「途中で止められても、走ります。」


 その声は、震えていなかった。


「今日は、見てるだけじゃありません。」


「――見届けます。」


 ハルは、ゆっくりと頷いた。


「……ああ。」


「頼む。」


 それだけしか言えなかった。


 澪は一礼して、左の通路へ歩いていく。


 その背中が見えなくなるまで、ハルはそこに立っていた。



 控室は、灰色の壁の部屋だった。


 長机が一つ。


 椅子が六つ。


 中央に置かれているのは、六つの枠が印刷された一枚の紙だった。


 レンがそれを引き寄せる。


「オーダーを決める。」


 全員が机を囲んだ。


「ルールはさっき確認した通りだ。」


「一番から六番まで、順番に一対一。」


「六試合すべてやって、勝ち数の多い方が勝ち。」


 レンは紙の上へ指を置いた。


「そして――両校が同時に提出して、同時に開く。」


「つまり。」


 一拍。


「狙って当てることは、できない。」


 カエデが眉をひそめる。


「じゃあ運かよ。」


「半分はな。」


「半分は?」


「読み合いだ。」


 その時、風間が口を開いた。


「――レン。」


 全員が振り返る。


 この男が自分から名前を呼ぶのは、珍しかった。


「黒崎の位置を当てろ。」


 部屋の空気が変わる。


「無茶言うな。」


「当てろ。」


 風間は一歩も引かない。


「三年待った。」


「今日を逃したら、次がいつになるか分からない。」


「大会は毎年ある。」


「来年、俺がここに立てる保証はない。」


 その一言に、レンは反論しなかった。


 地下施設の人間にとって、地上へ出る機会は今日限りかもしれない。


 それは全員が理解していた。


 レンはしばらく紙を見つめていた。


 やがて、口を開く。


「……一つだけ、根拠がある。」


「言え。」


「如月冴だ。」


 レンは名前を挙げた。


「あいつがオーダーを組む。」


「間違いない。」


「なんで分かる。」


「二十七日間、あいつはずっと記録を取ってた。」


「オーダーは情報で決まる。」


「情報を持ってる奴が組む。」


 レンは指を折った。


「で、あいつは合理でしか動かない。」


「主席を大将に置くのは、あまりに分かりやすい。」


「読まれる位置に置くのは、非合理だ。」


「だから、黒崎を三番あたりに沈めてくる。」


 風間の表情が、わずかに強張った。


「――普通ならな。」


 レンは続けた。


「でも今日は違う。」


「なんでだ。」


「黒崎本人が、六番を選ぶからだ。」


 部屋が静まる。


「……根拠は。」


 風間が問う。


 レンは顔を上げた。


「あいつは、お前に殺すと言われた。」


「全員の前でな。」


「あの男が、それを避けて三番に隠れると思うか。」


 風間は答えなかった。


「逃げない。」


 レンははっきりと言った。


「あいつはそういう人間だ。」


「如月がどれだけ反対しても、押し通す。」


「――そういう賭けをする。」


 風間は、しばらくレンを見ていた。


 そして、短く頷いた。


「なら、六番だ。」


「ああ。」


「外れたら。」


「その時は謝る。」


 レンは紙の六番目の枠へ、風間の名前を書き込んだ。



「次だ。」


 レンはペンを回す。


「カエデ、一番。」


「おっ、いいのか。」


「お前が一番いいのは、最初だけだ。」


「どういう意味だよ。」


「後半になるほど、相手はお前の対策を固める。」


「一番なら、まだ誰も見てない。」


「……なるほど。」


 カエデは腕を組んで頷いた。


「あと、空気を作れ。」


「空気?」


「二万人が俺たちを犯罪者だと思ってる。」


「最初の試合で、それを一回ひっくり返せ。」


 レンは真顔で言った。


「お前ならできる。」


 カエデはにやりと笑った。


「任せろ。」


「結、二番。」


「はーい。」


「結。」


「なに。」


「今日は集める物がない。」


「知ってる。」


「戦えるか。」


 結はしばらく考えて、首を傾げた。


「たぶん。」


「たぶんかよ。」


「私、正面から戦うの得意じゃないもん。」


 あっさりしていた。


「でも、二番なら大丈夫。」


「なんで。」


「一番でカエデが暴れたら、次の人は絶対に警戒するから。」


「警戒してる人は、動きが読みやすい。」


 レンは少しだけ笑った。


「……お前もちゃんと考えてるじゃねぇか。」


「失礼な。」


「三番は俺だ。」


 レンは自分の名前を書き込んだ。


「四番――ハル。」


 ハルは顔を上げる。


「……四番。」


「不服か。」


「いや。」


「なら理由を言う。」


 レンはペンを置いた。


「四番は、二勝二敗で回ってくる確率が一番高い。」


「勝てば王手。」


「負ければ、ほぼ終わる。」


「一番きつい場所だ。」


「……なんで俺なんだ。」


 レンは、ようやくハルを見た。


「お前が一番、負けても折れないからだ。」


 ハルは何も言えなかった。


「二十七日、ずっと見てた。」


「お前は毎日負けてた。」


「レンにも、カエデにも、結にも、風間にも。」


「それでも次の日、また来た。」


 レンは肩をすくめる。


「ここにいる六人の中で、一番負け慣れてるのはお前だ。」


「……褒めてるのか。」


「褒めてる。」


 その言い方に、カエデが吹き出した。


「褒め方が下手すぎるだろ。」


「うるさい。」


 ハルは紙を見つめた。


 四番。


 一番きつい場所。


(――上等だ。)


 三か月前なら、逃げていたかもしれない。


 今は、そうは思わなかった。


「分かった。」


 ハルは頷いた。


「四番で行く。」



「――残るは五番だ。」


 レンは白夜へ視線を向けた。


 白夜は壁際の椅子に座ったまま、一度もこちらを見ていない。


「白夜。」


「……。」


「五番でいいか。」


 しばらく、返事はなかった。


 やがて。


「ああ。」


 それだけだった。


「不服があるなら言え。」


「ない。」


 白夜は目を閉じたままだった。


 レンは少し間を置いてから、ペンを走らせる。


 その様子を、ハルだけが見ていた。


(二回。)


 白夜の残り回数を知っているのは、この場で自分だけだ。


 昨日、この男は言った。


 ――明日で、二回使う。


 ――その後は、一回しか残らない。


(大丈夫なのか。)


 聞きたかった。


 だが、聞けなかった。


 白夜は、誰にも心配されることを望んでいない。


 白夜は椅子に座ったまま、誰にも聞こえない声で数を数えていた。


(二回。)


(今日で、二回だ。)


 その計算に、誤りはない。


 誤りがないことだけが、彼の支えだった。



「――決まりだ。」


 レンは紙を持ち上げた。


 一番 黒鋼カエデ


 二番 霧島結


 三番 石田レン


 四番 天城ハル


 五番 白夜才賀


 六番 風間嵐


「文句があるなら今言え。」


 誰も何も言わなかった。


 レンは紙を折り、立ち上がる。


 そして、扉の前で一度だけ振り返った。


「一つだけ言っとく。」


 全員が顔を上げる。


「俺は、勝てる確率が高い順番を組んだ。」


「だが、確率は保証じゃない。」


 レンは扉に手を掛けた。


「――全員、自分の試合は自分で拾え。」


 それだけ言って、控室を出た。



 選手入場口は、学園の正門を通る動線になっていた。


 通路の途中から、外の光が差し込んでくる。


 その先に、石造りの門がある。


 ――私立 星ヶ丘学園。


 三か月前、バスの窓から見上げた場所だった。


 あの日、ハルは心の中で誓った。


 ――次にあの門をくぐる時は。


 ――追放された無能力者としてじゃない。


 ――地下施設代表、天城ハルとしてだ。


 ハルは、一度だけ足を止めた。


 門を見上げる。


 三か月前と、何も変わっていない。


 石は同じ石で、文字は同じ文字だった。


 変わったのは、こちら側だけだ。


「――どうした。」


 レンが振り返る。


「いや。」


 ハルは首を振った。


「何でもない。」


 そして、歩き出した。


 三か月ぶりに、自分の足で。


 門をくぐった瞬間、音が変わった。


 罵声と、どよめきと、シャッター音。


 二万人分の視線が、一斉に降ってくる。


 眩しかった。


 地下では、こんな光を浴びたことがなかった。


 ハルは反射的に顔を上げそうになって、堪えた。


 照明ではない。


 空だった。


 闘技場の天井は、中央だけが開いている。


 その真上に、青が見えた。


 三か月間、一度も見られなかったもの。


 地下で何度も思い浮かべたもの。


(……見えてる。)


 それだけで、足が少しだけ軽くなった。


 隣で、レンが一度だけ視線を上へ向ける。


 三秒。


 それから、ゆっくりと目を伏せた。


 誰も、そのことに気付かなかった。


 ハルは観客席へ視線を走らせた。


 二万人。


 顔の区別などつかない。


 それでも、通路側の指定区画に、小さな人影が四つ並んでいるのが見えた。


 その一つが、両手を大きく振っている。


 距離があって、表情までは分からない。


 それでも、誰なのかは分かった。


 その隣で、腕を組んだまま座っている痩せた影も。


 ――安く座るな。


 昨日、あの男に言われた言葉が、頭の中で鳴った。


 ハルは前を向いた。



 闘技場の中央に、六対六が向かい合った。


 地下施設代表。


 星ヶ丘学園代表。


 その間隔は、十メートルほどしかない。


 ハルの正面に、黒崎仁がいた。


 その隣に、朝比奈美咲。


 雨宮雫。


 桐生陽介。


 如月冴。


 鷹取樹。


 三か月前、同じ制服を着ていた者たちだ。


 鷹取が、こちらへ小さく手を振った。


 試合前だというのに、笑っている。


 ハルは応えなかった。


 応え方が、分からなかった。


 中央へ、黒いスーツの男が歩み出る。


 九条。


 政府能力管理局。


「これより、全国能力対抗戦第一回戦を開始する。」


 拡声されたその声で、二万人の音が静まった。


「形式は個人戦六試合。」


「一番から六番まで、順に対戦する。」


「六試合を完了し、勝ち数の多い校を勝者とする。」


「能力の使用を認める。」


「武器の使用を認める。」


「ただし――殺傷を目的とした行為が確認された場合、その時点で失格とする。」


 九条は端末を閉じた。


「なお。」


 視線が、地下側へ向く。


「本試合の全データは、能力研究所へ提供される。」


 その一言に、二人が反応した。


 黒崎仁と、石田レン。


 視線が交わり、すぐに逸れる。


 そして、もう一人。


 白夜才賀が、初めて顔を上げた。


 闘技場の天井を見上げている。


 そこには、無数の記録装置が設置されていた。


 訓練場のものより、遥かに多い。


 白夜は数秒それを見上げ、また目を伏せた。


「……全部あるな。」


 誰にも聞こえない声だった。


 九条は最後に、一つだけ付け加えた。


「本試合は全国生中継されます。」


「地下施設代表の姿が、全国へ流れるのは史上初です。」


 そして、両陣営を見渡す。


「――諸君らが何者なのか、今日、この国が見ます。」


 その言葉に、地下側の何人かが、わずかに背筋を伸ばした。


 三か月前まで、彼らは番号で呼ばれていた。


 名前を持たない人間だった。


 今日、二万人と、国中が、その名前を聞くことになる。



「両校、オーダーを提出。」


 レンと如月が、同時に前へ出た。


 二人は互いを一瞥する。


 言葉はなかった。


 折り畳んだ紙を、それぞれ運営へ渡す。


「――開示します。」


 巨大なモニターが点灯した。


 闘技場全体が、静まり返る。


 文字が、上から順に浮かび上がっていく。


  一番 黒鋼 カエデ ―― 桐生 陽介


  二番 霧島 結 ―― 如月 冴


  三番 石田 レン ―― 雨宮 雫


  四番 天城 ハル ―― 朝比奈 美咲


  五番 白夜 才賀 ―― 鷹取 樹


  六番 風間 嵐 ―― 黒崎 仁


 ――どよめきが、闘技場を包んだ。



 最初に動いたのは、風間だった。


 六番。


 黒崎仁。


 その二つの文字を確認した瞬間、彼は目を閉じた。


 何も言わない。


 拳も握らない。


 ただ、深く息を吸って、吐いた。


 三年分の呼吸を、一度で整えるように。


 レンが横目でそれを見て、短く息を吐く。


「……当たったか。」


「読み通りだな。」


 カエデが感心したように言う。


「いや。」


 レンは正直に答えた。


「五割の賭けだった。」


「五割かよ!」


「五割なら上出来だ。」


 カエデが桐生の名前を見て、にやりと笑う。


「一番、あいつか。」


「三回目だな。」


「四回目だ。」


 カエデは指を四本立てた。


「合同調整で三回やった。」


「全部私が勝った。」


「今日で四回目。」


 その顔には、迷いがない。


 結は如月の名前を見て、少しだけ口を尖らせた。


「うわ、面倒くさい人だ。」


「知ってるのか。」


「毎日、私のこと見てたもん。」


 結は肩をすくめる。


「たぶん、糸の本数まで数えられてる。」


「……大丈夫か。」


「大丈夫じゃないかも。」


 あっさりしていた。


 レンは雨宮雫の名前を見て、露骨に嫌そうな顔をした。


「……またこいつか。」


「よかったじゃん。」


 カエデが笑う。


「合同調整で勝ってるんだろ。」


「勝った。」


 レンは短く答えた。


「二度と使いたくない勝ち方でな。」


 カエデには、その意味が分からなかったようだった。



 闘技場の反対側。


 学園側の列でも、同じモニターが見上げられていた。


 黒崎仁は、六番の欄を見ている。


 風間嵐。


 その名前を、初めて自分の意思で読んだ。


「……如月。」


「はい。」


「六番でいいと言ったのは、俺だ。」


「はい。」


「文句はなかったのか。」


「ありました。」


 如月は端末を見たまま答える。


「主席を最後に置くのは、あまりに読まれやすい。」


「三番へ沈めるべきだと申し上げました。」


「それでも押し通したのは、あなたです。」


「……ああ。」


「理由を伺っても。」


 黒崎はしばらく答えなかった。


 やがて、短く言う。


「あの男は、俺に会うために三年やってきたらしい。」


「……はい。」


「俺には、その三年に心当たりがない。」


 黒崎は前を向いたまま続けた。


「何をしたのかも分からないまま、逃げ隠れするのは。」


「――余計に、質が悪い。」


 如月は端末から目を上げた。


 珍しく、何かを言おうとして、やめた。


「……了解しました。」


 それだけ答える。



 その少し離れた場所で、鷹取樹が五番の欄を見上げていた。


「うわ、白夜って人か。」


 のんきな声だった。


「一位の人だよね。」


「そうです。」


 如月が短く答える。


「強い?」


「第一試験、総合一位。」


「風間嵐と互角に打ち合った記録があります。」


「じゃあ強いんだ。」


 鷹取は屈託なく笑った。


「頑張るかー。」


 その声に、緊張の気配はなかった。


 彼は闘技場の反対側へ視線を向ける。


 地下側の列。


 その端に、白夜才賀が立っていた。


 鷹取は軽く手を挙げる。


 挨拶のつもりだったのだろう。


 ――白夜が、顔を上げた。


 この日、初めて誰かを見た。


 距離は二十メートル近くある。


 声も届かない。


 それでも鷹取は、思わず一歩下がっていた。


「……あれ。」


 笑顔が、少しだけ引きつる。


「なんか、今の。」


「どうしました。」


「いや。」


 鷹取は自分の腕をさすった。


「……なんでもない。」


 この日、彼が初めて見せた表情だった。



 雨宮雫は、三番の欄を見て小さく笑っていた。


「レンさんだ。」


「知り合いか。」


 桐生が聞く。


「合同調整で、一回負けました。」


「……勝てるのか。」


「分かりません。」


 雫はあっさり答える。


「でも、今度は知ってるので。」


「何を。」


「あの人、困った顔をするのが上手なんです。」


 桐生には、意味が伝わらなかったようだった。


 雫は木刀を握り直す。


「今日は、走りません。」



 そして、ハル。


 四番。


 その隣に並んだ名前を、何度も読み直した。


 ――朝比奈 美咲。


 喉が、渇いた。


(……なんで。)


 二十七日前、あの訓練場で彼女を斬った。


 打った瞬間、自分は確かにすっきりしていた。


 その事実を、まだ抱えたままだ。


 あれから一度も、まともに話していない。


 十九日目の夜、無言で素振りをしただけだ。


 その相手と、二万人の前で戦う。


(……レン。)


 ハルは思わず隣を見た。


 レンも、モニターを見上げていた。


 その表情が、珍しく硬い。


「……読み違えた。」


 小さく呟く。


「え。」


「朝比奈美咲は後衛型だ。」


 レンは前を向いたまま続けた。


「治癒能力者は普通、五番か六番に置く。」


「消耗戦を見越して、後ろに残すのが定石だ。」


「四番に置く理由がない。」


「じゃあ、なんで。」


「……分からん。」


 レンは首を振った。


「如月が定石を外した。」


「意味がないはずがない。」


 その時だった。


 闘技場の反対側から、視線を感じた。


 ハルが顔を向ける。


 如月冴が、こちらを見ていた。


 端末を胸に抱えたまま、無表情で。


 距離があって、声は届かない。


 それでも、彼女は口を動かした。


 ――ゆっくりと、はっきりと。


 読み取れた。


 『データ通りです』


 ハルの背筋が冷えた。


(データ?)


 何のことか、その場では分からなかった。


 ――だが、答えは反対側にあった。



 学園側の列で、朝比奈美咲は自分の名前を見上げていた。


 四番。


 その正面に並んだ名前を、彼女もまた何度も読み直していた。


「……如月さん。」


 声が掠れる。


「はい。」


 如月は端末を見たまま答えた。


「これ、あなたが組んだんですよね。」


「はい。」


「……どうして。」


 美咲は振り返った。


「私、後衛です。」


「治癒は後ろに置くのが定石だって、いつも言ってましたよね。」


「言いました。」


「じゃあ、なんで。」


 如月はようやく顔を上げた。


 その目には、悪意も同情もなかった。


「合同調整初日の記録です。」


 彼女は端末の画面を、美咲へ向けた。


「朝比奈美咲、対、天城ハル。」


「結果は敗北。」


「――ですが。」


 指が画面を撫でる。


「あなたのその日の出力は、二十七日間で最高値でした。」


「打撃速度。踏み込みの深さ。魔力の総出力。」


「すべての項目で、あなたの自己記録を更新しています。」


 美咲の呼吸が止まった。


「二位以下と比べても、二割以上高い。」


「あなたは天城ハルと戦う時、最も強くなります。」


 如月は端末を閉じた。


「だから、そこに置きました。」


 美咲は、しばらく何も言えなかった。


 やがて、絞り出すように言う。


「……あなた。」


「はい。」


「それ、人としてどうかと思います。」


「思ってください。」


 如月は表情を変えなかった。


「私は、勝つために組みました。」


「あなたが一番強くなる場所へ置きました。」


「それ以外の理由は、必要ありません。」


 そして、少しだけ間を置いてから、付け加えた。


「――感情論では、勝てません。」


 美咲は、その背中を見送った。


 反論の言葉が出てこなかった。


 なぜなら。


 あの日、自分は確かに、生まれて初めて本気で剣を振ったからだ。


 三か月間、毎朝振り続けた。


 その全部が、あの一回に出た。


 そして、負けた。


 美咲はゆっくりと闘技場の反対側へ視線を向ける。


 天城ハルが、こちらを見ていた。


 目が合う。


 どちらも逸らさない。


 二万人の観客の中で、その一瞬だけ、音が消えた気がした。


(……ハルくん。)


 言いたいことは、山ほどある。


 この二十七日間、一度も言えなかった。


 でも今日は、言葉じゃない。


 美咲は木刀を握り直した。


 その手には、もう震えがなかった。



「――両校、選手控えへ。」


 九条の声が響く。


「第一試合、五分後に開始します。」


 両陣営が、それぞれの通路へ下がっていく。


 黒鋼カエデだけが、闘技場の中央に残った。


 反対側には、桐生陽介。


 二人は互いを見て、同時に笑った。


「またお前かよ。」


「こっちの台詞だ。」


 カエデが拳を鳴らす。


「三回とも私が勝ったな。」


「三回とも一撃食らってから勝っただろ。」


「食らってねぇよ。」


「食らってた。」


 桐生は炎を纏った拳を軽く握る。


「今日は避けねぇぞ。」


「知ってる。」


 カエデは笑ったまま構えた。


「私も、避けねぇ。」


 二万人が見下ろす円の中で、二人が向かい合う。


 控えの通路から、ハルはその背中を見ていた。


 隣にレンが並ぶ。


「――始まるぞ。」


「ああ。」


 ハルは自分の手を見た。


 豆が固くなっている。


 三か月前より、ずっと。


 四番。


 二勝二敗で回ってくる、一番きつい場所。


 その先に、朝比奈美咲が立っている。


(……それで、俺は何をするんだ。)


 二十七日間、ずっと考えてきた問いだった。


 答えは、まだ出ていない。


 それでも今日、その答えを出す場所に、自分は立っている。


 開始を告げるブザーが、闘技場に鳴り響いた。

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