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幼馴染を寝取られ、学園に殺された無能力の俺は最強になって帰ってくる  作者: ワールド


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第47話 最後の一枠

 ――地上、二十二日目。合同調整、二十日目。



 二十二日目。


 レンから、初めて一本を取った。


 三十九秒。


 杭は七本あった。


 七本目を踏む直前で、ハルは横へ飛んだ。


 その先に糸はなかった。


「……ちっ。」


 レンが舌打ちする。


 地下へ来てから、この男の舌打ちを聞いたのは初めてだった。



 二十四日目。


 カエデには、まだ勝てない。


 二十二秒。


 壁まで飛ばされたが、今回は自分で立ち上がれた。



 二十六日目。


 結の糸を、全部避けきった。


 六本すべて。


 結は目を丸くして、それから笑った。


「へぇ。」


「数えたんだ。」


「六本だろ。」


「うん。」


 そして七本目で捕まった。


「――でもね。」


 結は嬉しそうに糸を巻き取る。


「私、いつも一本だけ余分に持ってるの。」



 二十八日目。


 如月冴と、三度目の組手。


 氷の壁に追い込まれる前に、自分から壁際へ寄った。


 背中を守れば、面で潰される範囲が半分になる。


 二本取られて、一本返した。


 試合後、如月は端末を打ちながら短く言った。


「……修正します。」


「何を。」


「あなたの弱点の記述です。」


 彼女は顔を上げなかった。


「面での制圧に弱い、と書いていました。」


「今日、それは古くなりました。」


 ハルは少しだけ笑った。


 二十日以上戦ってきて、初めて聞いた褒め言葉らしきものだった。



 その間、澪も戦い続けていた。


 二十三日目、初めて一本を取った。


 二十五日目、二本取った。


 二十七日目、三本続けて勝った。


「白鳥、勝ったのか。」


 レンが驚いたように聞く。


「……はい。」


「三本続けてだろ。」


「はい。」


 澪は答えながら、自分の左腕を押さえていた。


 包帯が増えている。


 昨日より二本。


 一昨日より四本。


 誰も、その理由を口にしなかった。


 言わなくても分かっていたからだ。


 彼女の能力は、自分が傷つくほど強くなる。


 勝てるようになったということは、そういうことだった。



 ――地上、三十日目。大会前日。



 朝、訓練場に全員が集められた。


 監視官の三上が、名簿を開く。


「上位五名の代表入りが確定しました。」


「白夜才賀。」


「霧島結。」


「風間嵐。」


「黒鋼カエデ。」


「石田レン。」


「以上五名です。」


 誰も声を上げなかった。


 順位表を毎日見ていれば、そこは動かないと分かっていた。


「残る一枠を、下位五名で争っていただきます。」


「本日、勝ち抜き戦を実施します。」


「勝ち残った一名を、第六の代表とします。」


 ハルは木刀を握り直した。


 六位。


 二十五日かけて、やっと戻した場所だ。


 だが今日、その順位には何の意味もない。


 勝った者だけが残る。


「組み合わせを発表します。」


 三上が端末を操作した、その時だった。


「――すみません。」


 小さな声が上がった。


 全員が振り返る。


 白鳥澪が、手を挙げていた。


「辞退します。」


 訓練場が、静まり返った。



「……何言ってんだ。」


 最初に声を出したのはカエデだった。


「澪、お前。」


「三本勝ったって言ってただろ。」


「はい。」


「じゃあ何で。」


「勝てないからじゃありません。」


 澪ははっきりと答えた。


 その声に、いつもの震えはなかった。


「澪。」


 ハルが前へ出る。


「辞退するな。」


 自分でも驚くほど強い声が出た。


「戦ってくれ。」


「……ハル君。」


「勝って取りたい。」


 ハルは言葉を選ばなかった。


「譲られた席に座りたくない。」


 澪はしばらくハルを見つめていた。


 そして、静かに首を横へ振った。


「それは、ハル君の都合です。」


 ハルの言葉が止まる。


「私は、ハル君のために辞退するんじゃありません。」


 澪は自分の左腕を持ち上げた。


 包帯が幾重にも巻かれている。


「聞いてください。」


「大会は、六人制の団体戦です。」


「六人が同じ場所で戦います。」


 その手が、少しだけ震えていた。


「私の能力は、血が付いた相手に発動します。」


「敵でも、味方でも、関係ありません。」


 訓練場の空気が変わった。


「私が出たら、六人のうち誰か一人は、常に私に触れないよう気を配りながら戦うことになります。」


「乱戦になれば、必ず誰かが私にぶつかります。」


「――それは、五人で戦うのと同じです。」


 誰も何も言えなかった。


「地下施設代表が、五人で星ヶ丘に勝てますか。」


 澪はハルを真っ直ぐ見た。


「私は、勝てないと思います。」


 ハルは反論しようとして、できなかった。


 正しかったからだ。


 第一試験の時でさえ、彼女は一人で戦っていた。


 誰とも組めなかったのは、能力のせいだ。


 それは今日も変わっていない。


「……それでも。」


 ハルは絞り出すように言った。


「それでも、お前が決めることじゃない。」


「私が決めることです。」


 即答だった。


「え。」


「私の能力です。」


「私の身体です。」


「だから、私が決めます。」


 澪は少しだけ笑った。


「ハル君は、私に決めさせてくれないんですか。」


 その一言に、ハルは何も返せなかった。


(――ああ。)


 三か月前、自分が一番望んでいたことだった。


 誰かに、自分のために選んでほしかったのではない。


 自分で選ばせてほしかった。


 美咲へ向かって叫んだのも、結局はそれだった。


 その自分が今、目の前の少女から選択を取り上げようとしている。


「……悪い。」


 ハルは頭を下げた。


「分かった。」


 澪は安心したように息を吐く。


 そして、三上へ向き直った。


「辞退します。」


「正式に。」


「――受理します。」


 三上は端末へ入力し、それだけ答えた。


「白鳥澪、選考辞退。」


「残る四名で行います。」


 澪は一礼して、訓練場の壁際へ下がった。


 カエデが何か言いかけて、レンが袖を引いて止める。


 誰も追いかけなかった。


 彼女がそれを望んでいないことを、全員が分かっていた。



 一回戦は、あっさり終わった。


 ハルの相手は第十位の候補者だった。


 十四日目に一度勝っている相手だ。


 同じ手は使わなかった。


 向こうも同じことを考えていたらしく、開始と同時に地面を隆起させて視界を潰しにきた。


 だがハルは、その土煙の中で足を止めなかった。


 二十日以上、目で見えない攻撃をかわし続けてきた。


 風間の剣に比べれば、遅い。


 二十八秒で決着した。


 もう一つの区画では、城崎硝が第九位を圧倒していた。


 ガラス片の数は多くない。


 十枚ほど。


 だが、その一枚一枚が正確だった。


 肩、腕、脚。


 致命傷を避けながら、動きだけを確実に削っていく。


 十九秒。


 試合が終わると、城崎はハルの方を見て、木刀を肩へ担いだ。


「よう。」


「……ああ。」


「やっとだな。」


 その顔に、いつもの見下すような笑みはなかった。


「三か月かかった。」



 昼を挟んで、決勝が始まる。


 訓練場の中央に、大きく円が引かれた。


 両陣営が、その周囲を囲んでいる。


 学園側も残っていた。


 黒崎も、美咲も、雫も、桐生も。


 誰も帰らなかった。


「両者、位置へ。」


 三上が告げる。


 ハルと城崎が、円の中央で向かい合った。


「言っとくけどな。」


 城崎が口を開く。


「あの時とは違う。」


「知ってる。」


「二十日間。」


 城崎は右手を持ち上げた。


「お前のことだけ考えてた。」


 キィン――。


 空気が鳴る。


 ガラス片が生まれた。


 だが、数が違った。


 第一試験の時は百枚近く浮かべていた。


 今は、十二枚。


「数を減らしたのか。」


「お前がそう言ったんだろ。」


 城崎は笑わない。


「数が増えるほど、一枚あたりの制御が甘くなる。」


「なら減らせばいい。」


「単純な話だ。」


 十二枚のガラス片が、規則正しく空中に並んだ。


 一枚も揺れていない。


「開始。」


 合図と同時に、城崎が手を振り下ろした。



 最初の三十秒で、ハルは追い詰められた。


 十二枚は、避けられる数ではなかった。


 なぜなら、そのすべてが「避けた先」へ来るからだ。


「ぐっ……!」


 肩が裂ける。


 太腿。


 脇腹。


 浅い傷が増えていく。


 第一試験の時とは、まったく違う戦いだった。


 あの時の城崎は、当たらない攻撃を撒き散らしていた。


 今の城崎は、当たる攻撃しか撃たない。


「どうした!」


 城崎の声が飛ぶ。


「石でも投げてみろよ!」


 ハルの動きが、一瞬止まった。


「木刀で床を叩くんだったよな。」


 城崎は嗤う。


「二十日間、そればっかり練習した。」


「何が飛んできても、意識を割かない練習をな。」


 ガラス片が四枚、同時に飛ぶ。


 ハルは木刀で二枚を弾き、二枚を避けた。


 その隙に、残りの八枚が回り込んでくる。


(……対策されてる。)


 ハルは歯を食いしばった。


(当然だ。)


(俺と同じだけ、こいつも積んできた。)


 円の外で、カエデが叫んだ。


「ハル! 行け!」


 だが、ハルは行かなかった。


 攻めない。


 踏み込まない。


 最小限の動きだけで、傷を浅く保ち続ける。


「何やってんだ、あいつ。」


 誰かが呟く。


「逃げてるだけじゃねぇか。」


 その言葉に、レンだけが反応した。


「――違う。」


 腕を組んだまま、円の中を見ている。


「あいつは今、時間を数えてる。」


 一分が過ぎた。


 二分。


 城崎の額に、汗が浮き始めている。


 十二枚を完全に制御し続けるということは、十二枚分の集中を切らさないということだ。


 それは、百枚を雑に撒くよりも遥かに重い。


「……くそっ。」


 城崎の呼吸が乱れる。


「なんで当たらねぇ!」


 当たっている。


 傷は増えている。


 だが、ハルはまだ立っていた。


 二分三十秒。


 ハルの制服は裂け、血が滲んでいる。


 それでも、足は止まっていない。


(あと少しだ。)


 頭の中で、レンの声が響く。


 ――一日八秒。


 ――二十四日で、三分。


 ――三分あれば、大抵の試合は終わる。


 二分五十秒。


 城崎の左手が、わずかに下がった。


 同時に、ガラス片の一枚が、ほんの一瞬だけ軌道を乱す。


(――今だ。)


 ハルは初めて前へ出た。


 三分。


 二十五日間、一日八秒ずつ積み上げてきた時間の、すべてを使い切る三分だった。


 ガラス片が迫る。


 弾く。


 避ける。


 肩を切られる。


 構わない。


 止まらない。


「なっ――」


 城崎の目が見開かれる。


 距離が消えた。


 懐。


 ハルの木刀が、下から跳ね上がる。


 ゴッ!!


 右手首。


 第一試験の時と、同じ場所だった。


「がっ……!」


 ガラス片が一斉に落ちる。


 パリン、パリン、と乾いた音が続いた。


 そして。


 木刀の切っ先が、城崎の喉元で止まった。


 あと数センチ。


 ――静寂。


「そこまで。」


 三上の声が響いた。


「勝者、天城ハル。」



 城崎は、その場に座り込んだ。


 息が上がっている。


 しばらく、床を見つめたまま動かなかった。


 やがて、笑い出した。


「……はっ。」


「三分だ。」


 ハルは木刀を下ろす。


「三分もかかった。」


「二分五十秒だ。」


 城崎が訂正する。


「数えてたのか。」


「当たり前だろ。」


 城崎は乱暴に髪をかき上げた。


 そして、顔を上げる。


「なあ、天城。」


「……何だ。」


「お前、今日も潰さなかったな。」


 ハルは答えない。


「三回目だぞ。」


 城崎は指を三本立てた。


「地下で一回。」


「宿舎の裏で一回。」


「今日で三回目だ。」


 その声には、感謝も敬意もなかった。


「言っとくけどな。」


 城崎は立ち上がる。


 足元がふらついていた。


「俺は変わらねぇぞ。」


「弱い奴は嫌いだ。」


「今も嫌いだ。」


「お前のことも、好きになったりしねぇ。」


 そう言って、背を向ける。


「――ただ。」


 数歩進んだところで、足を止めた。


「明日、負けたら承知しねぇ。」


「俺が落ちた席だ。」


「安く座るな。」


 それだけ残して、円の外へ出ていった。


 最後まで、彼は謝らなかった。


 認めもしなかった。


 ハルはその背中を見送りながら、木刀を鞘へ収める。


(……それでいい。)


 変わらない人間がいる。


 自分が誰かを許さないのと、同じことだった。



 夕方。


 訓練場に全員が集められる。


 三上が名簿を読み上げた。


「地下施設代表を発表します。」


「第一代表 白夜才賀。」


「第二代表 霧島結。」


「第三代表 風間嵐。」


「第四代表 黒鋼カエデ。」


「第五代表 石田レン。」


 一拍。


「第六代表 天城ハル。」


 カエデが真っ先に声を上げた。


「よっしゃあ!」


 背中を思い切り叩かれる。


「痛い。」


「気合いだ!」


「毎回それだろ。」


 レンが呆れたように笑った。


 結が菓子の袋を掲げる。


「お祝いしよ。」


「どこから出てきた、それ。」


 三上は騒ぎが収まるのを待って、続けた。


「以上六名を、全国能力対抗戦における地下施設代表とします。」


「選外の四名は、大会終了後、地下施設へ帰還してください。」


 その一言で、空気が変わった。


「なお、選外の四名にも、明日の観戦を許可します。」


「観客席の指定区画から観戦してください。」


 ハルは、壁際へ視線を向けた。


 白鳥澪が、そこに立っている。


 拍手をしていた。


 誰よりも、丁寧に。



 夜。


 宿舎の廊下。


 自動販売機の前で、澪は待っていた。


 缶を二つ持っている。


「一つ、どうぞ。」


「……ああ。」


 ハルは受け取った。


 冷たい。


「おめでとうございます。」


 澪は笑った。


「本当によかった。」


「……ありがとう。」


 二人はしばらく、何も言わずに立っていた。


 窓の外は、もう真っ暗だった。


 やがて、澪が口を開く。


「……嘘です。」


 ハルは顔を上げた。


「え。」


「今の、嘘です。」


 澪は缶を両手で包んだまま、俯いていた。


「悔しいです。」


「すごく。」


「白夜さんが一位なのは、分かります。」


「風間さんも、カエデさんも、結さんも、レンさんも分かります。」


「みんな、私より強いです。」


 声が震え始める。


「でも。」


「――ハル君に負けたのだけは、悔しい。」


 涙が一粒、缶の上へ落ちた。


「辞退したのは私です。」


「自分で決めました。」


「それは本当です。」


「でも、辞退しなかったら勝てたかもしれないって、ずっと考えてます。」


 澪は袖で目元を拭った。


「……ごめんなさい。」


「こんなこと言って。」


「せっかく代表になったのに。」


 ハルは、しばらく黙っていた。


 そして、静かに言った。


「……言ってくれてよかった。」


 澪が顔を上げる。


「え。」


「本当に。」


 ハルは缶を握ったまま続けた。


「お前、地下にいた頃からずっと、自分のこと後回しにしてただろ。」


「私は役に立たない、とか。」


「私が悪い、とか。」


「そればっかりだった。」


 澪は何も言えない。


「悔しいって言えたなら、それでいい。」


 ハルは少しだけ笑った。


「――それが、俺は聞きたかった。」


 澪はしばらく俯いていた。


 それから、涙を拭いて顔を上げる。


「……ハル君。」


「ん。」


「一つだけ、お願いがあります。」


 その声は、真剣だった。


「何だ。」


 澪は、自分の右手を差し出した。


「触らせてください。」


 ハルの動きが止まる。


「……何。」


「胸です。」


 澪は真っ直ぐこちらを見ていた。


「二十日以上、ずっと考えてました。」


「ハル君の胸に何があるのか。」


「私の能力なら、視られるかもしれない。」


「……危ないだろ。」


「危ないです。」


 澪は否定しなかった。


「私の血が付きます。」


「私が感じたものは、ハル君にも流れます。」


「痛いかもしれません。」


「でも。」


 彼女は一度、深く息を吸った。


「明日、ハル君は戦います。」


「その途中で、あれが起きたら。」


「私は、観客席から見てるだけです。」


 その声が、掠れた。


「もう二度と、見てるだけは嫌なんです。」


 ハルは、しばらく彼女を見ていた。


 そして、頷いた。


「……頼む。」


 澪は袖をまくり、包帯の上から自分の腕を軽く押した。


 滲んだ血を、指先に取る。


 その指を、ハルの胸へ当てた。


「痛覚共有。」


 ――繋がる。


 最初は、何も起きなかった。


 ただ、澪の腕の痛みが流れ込んでくる。


 思っていたより、ずっと重い。


(……これを、毎日か。)


 ハルは奥歯を噛んだ。


 そして、次の瞬間。


 ドクン。


 胸の奥が、鳴った。


 澪の身体が、大きく跳ねた。


「――っ!」


 彼女は反射的に手を引きかけて、耐えた。


 目を見開いたまま、動かない。


 数秒。


 それから、ゆっくりと手を離した。


「……澪?」


 澪は答えなかった。


 自分の指先を見つめている。


 その顔から、血の気が引いていた。


「澪。」


「……痛くない。」


 ようやく、そう言った。


「え。」


「痛くないんです。」


 澪は自分の胸を押さえた。


「私の能力は、痛みを共有します。」


「痛みしか、共有できません。」


「でも今、流れてきたのは痛みじゃなかった。」


 その声が震えている。


「冷たいです。」


「すごく。」


「金属を、直接触ったみたいな。」


 ハルの背筋が、冷えた。


「……何かが。」


 澪は言葉を探していた。


「ハル君の胸の中で、何かが動いてます。」


「規則的に。」


「心臓とは、別に。」


 訓練場でも、会議室でもない、宿舎の暗い廊下だった。


 自動販売機の音だけが、低く唸っている。


「……何なんだ、それ。」


「分かりません。」


 澪は首を振った。


「でも、一つだけ分かりました。」


「何だ。」


「あれは、ハル君のものじゃないです。」


 その一言に、ハルは何も答えられなかった。


 白夜の声が、頭の中で蘇る。


 ――お前、観られたことはあるか。


 ――ガラスの向こうからだ。


 ――白い部屋で。


 風間の声も。


 ――俺の知ってる奴が、同じ倒れ方をした。


(……何だ。)


(俺の中に、何が入ってる。)


 澪が、震える手でハルの袖を掴んだ。


「明日、無理はしないでください。」


「……ああ。」


「約束です。」


「……ああ。」


 守れる自信は、なかった。



 その夜、ハルは宿舎の外へ出た。


 眠れそうになかった。


 白い建物の壁にもたれて、空を見上げる。


 星が出ていた。


 地下では、一度も見なかったものだ。


「――眠れないか。」


 声がした。


 振り返ると、黒崎仁が立っていた。


 制服のまま、手ぶらで。


「黒崎。」


「明日の相手だぞ。」


「……そうだな。」


 黒崎は隣まで来て、同じように壁へもたれた。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


 風が吹く。


 三か月前、自分たちは同じ制服を着ていた。


 やがて、ハルが口を開いた。


「一つ、聞いていいか。」


「ああ。」


「あの日。」


 ハルは空を見上げたまま続けた。


「逃走試験の前。」


「お前、教室で言ったよな。」


 三か月前の記憶が、はっきりと蘇る。


「――なら、俺が最後に行く、って。」


「言った。」


「なんでだ。」


 黒崎は、しばらく答えなかった。


 やがて、平坦な声で言う。


「他の奴に捕まえさせたくなかった。」


「……え。」


「あいつらは、お前を潰しただろう。」


 ハルの喉が、詰まった。


「百二十四人だ。」


「囲まれて、能力を撃たれて、動けなくなるまで殴られる。」


「試験は捕獲で終わるが、そこまでは誰も止めない。」


「そういう終わり方になっていた。」


 黒崎は前を向いたままだった。


「俺なら、一度で終わらせられる。」


 ハルは、しばらく声が出なかった。


「……それは。」


 ようやく、そう聞いた。


「それは、優しさか。」


「いや。」


 即答だった。


「あれは、俺の都合だ。」


 黒崎の声には、一切の言い訳がなかった。


「お前が壊されるところを、俺が見たくなかった。」


「それだけだ。」


「――感謝される筋合いはない。」


 ハルは、拳を握った。


 怒りではなかった。


(……この人も、同じか。)


 美咲もそうだった。


 自分を許さない。


 誰かに許させもしない。


 自分の罪を、自分で持ったまま歩く。


 この二人は、本当によく似ている。


「……黒崎。」


「何だ。」


「俺は、あの日のことを許してない。」


 ハルははっきりとそう言った。


「知っている。」


「たぶん、明日も許さない。」


「そうだろうな。」


「それでも。」


 ハルは空を見上げた。


「聞けてよかった。」


 黒崎は、少しだけ黙った。


 そして、短く答えた。


「……そうか。」


 それから、しばらく沈黙が続いた。


 やがて、黒崎がゆっくりと壁から背を離す。


「天城。」


「ん。」


「一つ、聞きたいことがある。」


 その声が、少しだけ変わった。


「お前の両親は――」


 そこで、言葉が切れた。


 ハルは振り返る。


 黒崎は、口を閉じたままだった。


 数秒。


「……いや。」


 黒崎は首を振った。


「今のは忘れてくれ。」


「おい。」


「明日、集中できなくなる。」


「黒崎。」


「話すなら、全部が終わってからだ。」


 それだけ言って、黒崎は歩き出した。


 ハルはその背中を見つめる。


(――二度目だ。)


 三か月前、地上へ戻ってきた日の公園でも、この男は同じ場所で言葉を止めた。


 あの時も「確証は何もない」と言って引っ込めた。


 偶然ではない。


 この男は、何かを知っている。


 そして、意図的に言わずにいる。


「黒崎!」


 ハルが呼び止める。


 黒崎は足を止めたが、振り返らなかった。


「明日、勝ったら話すか。」


 しばらくの沈黙のあと。


「――負けても話す。」


 黒崎はそう答えた。


「だが、今日じゃない。」


 そのまま、宿舎の中へ消えていった。



 宿舎の廊下を歩きながら、ハルは仲間たちの部屋の前を通り過ぎた。


 カエデの部屋からは、規則正しい寝息が聞こえていた。


 試合前夜だというのに、いつもと変わらない。


 結の部屋の前には、菓子の空き袋が几帳面に畳んで置かれていた。


 数を数えていたのだろう。


 レンの部屋は、窓が開いていた。


 カーテンが揺れている。


 中を覗くと、レンはベッドに横になり、天井を見上げていた。


 開いた窓の向こうには、夜空がある。


 目を閉じてはいない。


 だが、逃げてもいなかった。


 ハルは何も言わずに通り過ぎた。


 風間の部屋からは、金属を研ぐ音が聞こえていた。


 規則正しく。


 止まることなく。


 三年間、この音を毎晩鳴らしてきたのだろう。


 そして。


 廊下の一番奥に、白夜才賀が立っていた。


 部屋に入っていない。


 壁にもたれるでもなく、ただ廊下の真ん中に立っている。


 目は閉じていた。


「……白夜。」


 ハルが声を掛ける。


 返事はない。


「寝ないのか。」


 少し間があった。


「――残り、三回だ。」


 白夜はそう答えた。


「明日で、二回使う。」


「……ああ。」


「その後は、一回しか残らない。」


 白夜は目を開けなかった。


「今夜が、二回残っている最後の夜だ。」


 その言い方に、ハルは何と返せばいいか分からなかった。


 やがて、白夜が言った。


「天城。」


「……何だ。」


「白鳥に、視てもらったな。」


 ハルの息が止まる。


「なんで、それを。」


「顔だ。」


 白夜はようやく目を開けた。


「同じ顔をしている。」


「あとの二人と。」


「――待て。」


 ハルが一歩前へ出る。


「あとの二人って、誰だ。」


 白夜は答えなかった。


 ただ、ゆっくりと自分の部屋の扉を開ける。


「明日、勝て。」


 それだけ言った。


「負けたら、お前は地下へ戻る。」


「地下へ戻れば――また観られる。」


 扉が閉まった。


 廊下には、ハル一人が残された。



 部屋へ戻り、ベッドへ腰を下ろす。


 窓の外に、街の明かりが見えた。


 その先に、白い建物がある。


 星ヶ丘学園。


 明日、あの門をくぐる。


 三か月前、バスの窓から見上げながら誓った。


 ――次にあの門をくぐる時は。


 ――追放された無能力者としてじゃない。


 ――地下施設代表、天城ハルとしてだ。


 その誓いは、明日果たされる。


 ハルは自分の手を見た。


 豆が固くなっている。


 三か月前より、ずっと。


 美咲がいる。


 黒崎がいる。


 自分を笑った同級生たちがいる。


 明日、その全員の前に立つ。


(……それで、俺は何をするんだ。)


 風間の言葉が、また蘇った。


 ――お前の中にあるのは復讐じゃない。


 ――じゃあ、何なんだ。


 ――知らん。


 ――自分で決めろ。


 二十五日間、ずっと考えてきた。


 答えは、まだ出ていない。


 それでも、一つだけ分かったことがある。


 三か月前の自分は、何も選べずに地下へ落ちた。


 明日は、違う。


 勝つか負けるか。


 許すか許さないか。


 その全部を、自分で決められる場所に立つ。


(――それだけでも、ここまで来た意味はある。)


 ハルはゆっくりと目を閉じた。


 窓の外では、星が静かに瞬いている。


 全国能力対抗戦、開幕まで――あと一日。


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