第42話 同じ檻
――地上、二日目。
黒塗りの大型車両が、夕暮れの街を走っていた。
車内は驚くほど静かだった。
前方の座席に星ヶ丘学園の代表候補。
後方の座席に地下施設の代表候補。
通路を挟んで向かい合う形で座らされているのに、誰も口を開かない。
窓の外では、商店街の明かりが一つずつ灯り始めている。
仕事帰りの人が歩き、子どもが走り、自転車が横をすり抜けていく。
どこにでもある夕方だった。
その景色と、車内の空気だけが噛み合っていない。
「……狭ぇな。」
沈黙を破ったのはカエデだった。
長い足を持て余すように前へ投げ出す。
「もっとデカい車はなかったのかよ。」
「政府の車だぞ。」
レンが目を閉じたまま答える。
「文句言うと降ろされる。」
「歩いた方が早ぇ。」
「じゃあ歩け。」
「うるせぇ。」
その短いやり取りに、学園側の生徒が一人、小さく笑った。
すぐに口元を押さえる。
笑ってはいけない相手だと思っていたのだろう。
カエデはそれに気付いて、片眉を上げた。
「なんだよ。」
「あっ……。」
「い、いえ。」
「笑いたきゃ笑えよ。」
カエデは背もたれへ体重を預ける。
「そっちの方がまだマシだ。」
その一言で、車内の空気がほんの少しだけ緩んだ。
ハルは窓際の席から、通路の向こうを見る。
斜め前に、美咲が座っていた。
背中しか見えない。
三か月前なら、迷わず声を掛けていた。
今は、掛ける言葉が見つからない。
美咲も一度だけ、振り返りかけて。
やめた。
その動きが、ハルには見えていた。
二人とも、何も言わなかった。
その隣へ、澪が腰を下ろす。
「……隣、いいですか。」
「ああ。」
澪は座ると、ハルの右手をちらりと見た。
先ほど自分が握った手だ。
それ以上は何も言わない。
ただ、少しだけ距離を近くした。
一方でレンは、腕を組んだまま考え込んでいた。
(タイミングが良すぎる。)
公園でハルの話を全部繋げて、口に出した。
その直後に召集命令だ。
(聞かれていたなら、動きが早すぎる。)
(聞かれていなかったなら――。)
レンはわずかに眉を寄せる。
(それはそれで、気味が悪い。)
車が緩やかに右へ曲がる。
窓の外に、灰色の建物が見えてきた。
装飾が一つもない。
窓も少ない。
看板だけが小さく掲げられている。
――政府能力管理局 星ヶ丘支局。
誰も声を出さなかった。
通されたのは、円形の会議室だった。
中央に大きな円卓。
その半分に星ヶ丘学園の六名。
もう半分に地下施設の候補たち。
自然と、境界線ができていた。
ハル、レン、カエデ、澪が並んで座る。
残りの席には、公園にいなかった者たちがすでに着いていた。
霧島結は退屈そうに椅子を回している。
白夜才賀は一番端で目を閉じたまま動かない。
風間嵐の席だけが、空いていた。
「揃っていないな。」
円卓の奥から声がした。
立っていたのは、黒いスーツの男だった。
三十代半ば。
感情の読めない目。
胸元には能力管理局の徽章。
「政府能力管理局、九条だ。」
名乗りはそれだけだった。
「本日より、諸君らの管轄は当局へ一本化される。」
「学園も。」
「地下施設も。」
黒崎が短く問う。
「理由は。」
九条は黒崎を一瞥した。
「説明する。」
端末を操作すると、円卓の中央にある投影装置が起動する。
空中に文字が浮かび上がった。
――全国能力対抗戦 開幕まで 二十九日。
「まず日程だ。」
「開幕は二十九日後。」
「初戦の組み合わせは、すでに公表されている。」
文字が切り替わる。
――第一回戦 星ヶ丘学園 対 地下施設。
学園側の生徒たちがざわついた。
誰もが、その名前を口にできずにいる。
「形式は六人制の団体戦。」
「各校は代表六名を登録する。」
「登録された六名以外の出場は認めない。」
九条は淡々と続けた。
「そして、地下施設側にはもう一つ意味がある。」
視線がこちらへ向く。
「この初戦が、諸君らの第二試験だ。」
空気が変わった。
「現在、地下施設の代表候補は十名。」
「出場できるのは六名。」
「残る四名は、大会当日、観客席で見ることになる。」
誰も声を出さない。
カエデが小さく舌打ちしたのが聞こえた。
「枠は当日までの評価で決定する。」
「順位は固定ではない。」
「上がることも、落ちることもある。」
ハルは膝の上で拳を握った。
六位。
昨日、自分でその意味を数えたばかりだ。
一つ下だったら、終わっていた。
そして今、その一つ下には九人が並んでいる。
九条は投影を切り替える。
「次に、星ヶ丘学園側の条件だ。」
黒崎の眉がわずかに動いた。
「条件?」
「そうだ。」
九条は表情を変えない。
「星ヶ丘学園が地下施設に敗北した場合。」
「代表選抜制度そのものを、見直しの対象とする。」
学園側が一斉にざわめいた。
「見直しって……。」
「どういう意味ですか!」
「制度が変われば、選抜基準も変わる。」
九条は事務的に答える。
「今年の代表が来年も代表とは限らない。」
「推薦も、支援も、当然見直される。」
「――つまり、諸君らの学園も無傷では済まない。」
美咲が息を呑む。
雫は口元に手を当てたまま動けない。
黒崎だけが、表情を変えなかった。
「脅しか。」
「事実の通知だ。」
九条は即答した。
「これまで地下施設は更生施設だった。」
「そこへ負ける教育機関に、国が予算を出す理由はない。」
その一言で、学園側は黙り込んだ。
レンは椅子にもたれたまま、小さく口の端を上げる。
(なるほどな。)
(これで学園側も、本気で潰しに来る。)
どちらも負けられない。
そういう盤面が、今この瞬間に作られた。
「最後に、大会までの措置を伝える。」
九条は投影を消した。
「本日より二十九日間。」
「両校は、同一の施設で調整を行う。」
一瞬、意味が伝わらなかった。
「……は?」
最初に声を上げたのは学園側の男子生徒だった。
「同じ施設って。」
「一緒にってことですか!?」
「そうだ。」
「敵と一緒に訓練しろってのか!」
「冗談だろ!」
円卓の半分が騒がしくなる。
九条は待たなかった。
「理由は二つ。」
「一つ、公平性の担保。」
「同一環境で調整を行わなければ、条件差が出る。」
「二つ、地下施設代表の社会適応の観察。」
「諸君らは十日前まで収容されていた人間だ。」
その言い方に、カエデが立ち上がりかけた。
レンが袖を引いて止める。
「よせ。」
「……ちっ。」
「安心しろ。」
レンは小声で続けた。
「あいつは事実しか言わねぇ。」
「腹が立つのは、事実だからだ。」
九条は構わず告げる。
「なお、私闘は引き続き禁止とする。」
「両校の候補者間で戦闘行為が確認された場合。」
「その場で代表資格を剥奪し、地下施設へ送還する。」
「学園側も同様に、代表登録を抹消する。」
「例外はない。」
円卓が静まり返った。
レンは天井を見上げる。
(まとめて一か所に置いて、監視する。)
(公平性なんて、後付けだ。)
その時だった。
会議室の扉が開いた。
誰も、その音に反応しなかった。
ただ、入ってきた者の気配だけが、部屋の温度を変えた。
風間嵐。
いつもと同じ、無表情。
いつもと同じ、無駄のない歩き方。
「遅れたな。」
九条が視線を向ける。
「席へ着け。」
風間は答えない。
空いている自分の席へ向かって歩き出す。
その途中だった。
足が、止まった。
視線の先に、一人の男がいた。
黒い制服。
乱れのない姿勢。
円卓の向こう側で、こちらを見ている。
黒崎仁。
その瞬間、空気が変わった。
物理的な圧ではない。
温度でもない。
ただ、部屋にいる全員が、一斉に呼吸を浅くした。
「……おい。」
カエデが低く呟く。
レンはすでに立ち上がりかけていた。
「まずい。」
風間が一歩、踏み出す。
二歩。
円卓を回り込むように、まっすぐ黒崎へ向かって歩いていく。
「風間候補。」
壁際に控えていた監視官が動いた。
「止まりなさい。」
風間は止まらない。
「風間候補!」
二人の監視官が前へ回り込む。
それでも風間は歩き続ける。
黒崎の三歩手前で、ようやく足を止めた。
監視官の手が肩に掛かる。
風間は振り払わなかった。
ただ、黒崎だけを見ている。
学園側の生徒たちは、誰も声を出せなかった。
美咲は椅子の縁を強く握っている。
雫は息を止めていた。
黒崎は、動かない。
目を逸らすこともしない。
やがて、静かに口を開いた。
「……誰だ。」
その一言だった。
風間の目が、わずかに開く。
「知らないのか。」
「ああ。」
黒崎は迷わなかった。
「顔も、名前も、覚えがない。」
嘘をついている顔ではなかった。
本当に、心当たりがない。
その顔だった。
風間はしばらく黙っていた。
そして。
笑った。
初めて見る表情だった。
喜びでも、嘲りでもない。
ただ、確かめが終わったという顔だった。
「そうか。」
「……。」
「そうだよな。」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
ハルはそれを見て、背筋が冷えた。
怒鳴らない。
殴りかからない。
三年間ずっと剣を振り続けてきた理由が目の前にいるのに、風間は静かだった。
(本気の人間は、こんな声で喋るのか。)
風間は一度だけ、監視官の手を見る。
「離せ。」
「できません。」
「殴らない。」
「……。」
「約束する。」
監視官が九条を見る。
九条は小さく顎を引いた。
手が離れる。
風間は黒崎から目を逸らさないまま、告げた。
「二十九日後だ。」
黒崎の眉が動く。
「試合で殺す。」
悲鳴のような声が、学園側から漏れた。
「発言を撤回しなさい。」
監視官が即座に踏み込む。
「殺害予告と見なします。」
「撤回する。」
風間はあっさりと言った。
監視官が一瞬言葉に詰まる。
「……は?」
「言い方を変えるだけだ。」
風間は黒崎を見つめたまま続ける。
「――試合で、必ず倒す。」
「それなら文句はないだろう。」
誰も答えられなかった。
風間は踵を返す。
そして自分の席へ歩いていき、腰を下ろした。
腕を組み、目を閉じる。
それだけだった。
まるで、今の数分が最初から予定に入っていたかのように。
黒崎は、動かなかった。
視線だけが、風間の背中を追っている。
(……俺は。)
記憶をたどる。
剣道の大会。
学園の試験。
街で誰かとすれ違った日。
どこにも、あの男はいない。
(俺はあの男に何をした。)
思い当たることが、一つもなかった。
だからこそ、背筋が冷えた。
覚えていないほうが、罪が重いことがある。
黒崎は初めて、それを知った。
その一部始終を、ハルは黙って見ていた。
風間の歩き方。
止まった位置。
最後に発した言葉。
全部が、無駄なく整っていた。
(あれが復讐だ。)
迷いがない。
理由がある。
相手が決まっている。
日付まで決まっている。
三年間、あの男は一度もぶれなかったのだろう。
だからこそ、あの声が出る。
ハルは、視線を動かした。
円卓の向こう。
黒崎がいる。
その少し隣に、美咲がいる。
自分を地下へ落とした男と。
自分を選ばなかった少女。
この二人を前にして、自分の胸に何があるかを探す。
憎しみ。
――ない。
怒り。
――少しはある。
だが、風間のように、それを一本の線にできるほどではない。
許しているのか。
――していない。
それだけは、はっきりしている。
(憎めない。)
(許してもいない。)
二十九日後に戦うことだけが決まっていて、その先に自分が何を望んでいるのかが分からない。
(俺の復讐には、形がない。)
地下施設の三日目の夜。
二段ベッドの下で、自分はこう言った。
――絶対に、復讐してやる。
その時、レンは静かに聞き返した。
――復讐って、何をするんだ。
答えられなかった。
レンは笑って、こう言った。
――決めるのは、あいつらの前に立ってからでいい。
立った。
今、立っている。
美咲の前に。
黒崎の前に。
それでも、決まらなかった。
(じゃあ。)
ハルは自分の手を見る。
木刀を握り続けてきた手。
地下で何度も血に濡れた手。
(俺は、何のために強くなったんだ。)
答えは出なかった。
隣で、澪が小さく首を傾げる。
「ハル君?」
「……何でもない。」
いつもの顔を作る。
それだけは、少し上手くなった。
「以上で説明を終える。」
九条が端末を閉じる。
「明朝八時、合同調整施設へ移動。」
「詳細は監視官から通達する。」
誰も動かない。
情報が多すぎて、まだ整理が追いついていなかった。
九条は最後に、書類を一枚めくった。
そして、事務的に付け加える。
「なお、本大会は能力研究所の共同観測対象に指定されている。」
その一言に、二人が同時に顔を上げた。
石田レンと、黒崎仁だった。
「試合中の全データは、研究所へ提供される。」
「能力の出力。」
「消耗の推移。」
「戦闘中の生体反応。」
「異議は受け付けない。」
九条はそれ以上説明しなかった。
レンと黒崎の視線が、円卓の上で交わる。
ほんの一瞬。
どちらも、何も言わなかった。
言えば、この場にいる全員に聞かれる。
――学園。
――地下施設。
――能力研究所。
公園で口にしたばかりの三つが、今、公式の書類の上で並んでいる。
偶然かもしれない。
だが、あまりに都合が良すぎた。
その時。
端の席で、ずっと目を閉じていた男が、口を開いた。
「……また観るのか。」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
白夜才賀。
彼は目を閉じたまま、自分の首筋を指でなぞっていた。
そこには、黒い数字が刻まれている。
実験番号。
地下施設でも、限られた者しか持たない印だ。
誰もその呟きに気付かなかった。
ただ一人。
白鳥澪だけが、その手の動きを見て、身体を強張らせていた。
そして、ハル。
彼は九条の言葉を、半分も聞いていなかった。
――能力研究所。
その五文字が耳へ入った瞬間。
ドクン。
胸の奥が、また鳴った。
「っ……。」
息が詰まる。
昨日と同じだった。
いや、昨日より少しだけ、深い。
まるで身体の内側の何かが、その言葉に返事をしたようだった。
ハルは反射的に胸を押さえかけて――やめた。
誰にも見られていない。
澪も、レンも、九条の方を向いている。
ゆっくりと息を吸って、吐く。
痛みは、数秒で引いた。
(……気のせいだ。)
そう思うことにした。
両親の顔が、なぜか一度だけ頭をよぎる。
白衣。
研究所。
模型の飛行機。
思い出そうとすると、輪郭が逃げていく。
ハルは誰にも何も言わなかった。
円卓の向こうでは、黒崎がまだ書類を見つめている。
その隣で、美咲が一度だけこちらを見た。
目が合う。
今度は、逸らさなかった。
どちらも何も言わない。
言葉はまだ、一つも見つかっていない。
それでも。
二十九日後には、この円卓を挟んで戦うことだけが決まっていた。
=お知らせ=
感想ありがとうございます。返信はしてないですが全て目を通してます。そして、ほぼ全話推敲しました。内容が変わっているところもありますが物語の根幹には影響ないと思います。それも確認したら面白いかもです。引き続きよろしくお願いします。




