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幼馴染を寝取られ、学園に殺された無能力の俺は最強になって帰ってくる  作者: ワールド


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第26話 運命は変えられない

 地下迷宮に静寂が戻る。


 先ほどまでの激戦が嘘だったかのように、聞こえるのは岩肌から滴る水音だけだった。


 天城ハルは木刀を地面へ突き立て、大きく息を吐く。


「はぁ……はぁ……。」


 全身が痛い。


 城崎との戦いで負った傷だけではない。


 澪を支えた瞬間、身体中を駆け巡った、あの耐え難い激痛。


 まるで自分が何十回も斬られ、殴られ、蹴られたような感覚だった。


「……大丈夫?」


 恐る恐る声を掛けてきたのは白鳥澪だった。


 彼女もまた満身創痍だった。


 制服は裂け、腕や足には無数の傷が走っている。


 それでも彼女は、自分の傷よりもハルを心配していた。


「まぁ、何とか。」


 ハルは苦笑しながら立ち上がる。


「正直、あれはかなり効いたけどな。」


 澪は申し訳なさそうに視線を落とした。


「……ごめんなさい。」


「あなたまで巻き込んじゃった。」


「いや。」


 ハルは首を横に振る。


「俺が勝手に助けようとしただけだ。」


「でも……。」


 澪は拳を握り締める。


「やっぱり駄目だった。」


「また、人を傷付けちゃった。」


 その言葉には慣れた諦めが滲んでいた。


 まるで何度も同じことを繰り返してきた人間の声だった。


 ハルは静かに尋ねる。


「さっきの、あれは能力なんだよな?」


 澪は少しだけ迷った。


 能力を説明すれば、また怖がられる。


 危険だと言われる。


 離れていく。


 そんな未来ばかり見てきた。


 それでも、この少年には隠すべきではないと思った。


「……私の能力は【痛覚共有】。」


 ハルは黙って耳を傾ける。


「私の血が相手に付着すると、その人と繋がるの。」


「血が付いた相手だけが対象?」


「うん。」


 澪は静かに頷いた。


「服でも武器でも、肌でもいい。私の血液が付着した相手にだけ能力が使える。」


「じゃあ、俺は……。」


「私を支えた時。」


 澪は自分の腕を見つめる。


「傷口から流れた血が、あなたの手に付いた。」


 ハルは自分の右手を見る。


 確かに、乾き始めた赤黒い血が少しだけ残っていた。


「あの瞬間に、リンクが成立したの。」


「リンク?」


「能力を発動すると、繋がった相手へ痛みを送ることができる。」


「逆に、相手が受けた痛みも私へ返ってくる。」


 ハルは少し驚いた表情を浮かべる。


「つまり……。」


「お互いに痛みを共有する能力か。」


「そう。」


 澪は自嘲するように笑う。


「だから、この能力を使うには、まず私が傷付かなきゃいけない。」


「血が出なければ、何も始まらない。」


 ハルは戦いを思い返した。


 三人に囲まれながら、澪は何度も攻撃を受けていた。


 逃げようと思えば逃げられる場面もあった。


 それでも彼女は、真正面から受け止めていた。


 あれは無謀だったわけではない。


 能力を発動させるためだったのだ。


「だから、わざと攻撃を受けてたのか。」


 澪は小さく頷く。


「私が傷付けば傷付くほど、相手も苦しむ。」


「それが私の戦い方。」


「でも……。」


 彼女は寂しそうに笑った。


「味方がいると危ないの。」


「血が付いた相手なら、敵でも味方でも関係ない。」


「だから私は、誰とも一緒に戦えない。」


 そう言って俯く澪の姿は、能力者というより、自分の力に縛られた一人の少女だった。


 ハルはしばらく黙って考え込む。


 そして静かに口を開いた。


「……確かに扱いは難しい。」


 澪の肩が小さく震える。


 また言われる。


 危険だと。


 一人でいろと。


 しかし、続いた言葉は違っていた。


「でも、弱い能力じゃない。」


 澪はゆっくりと顔を上げる。


「え……?」


「その能力を使うには、自分が傷付く覚悟が必要なんだろ。」


「だったら、それは誰にでも使える能力じゃない。」


「覚悟がある人間しか扱えない能力だ。」


 澪は目を見開いたまま動けなかった。


 初めてだった。


 能力を恐れるのではなく、その能力を背負う自分自身を見てくれた人は。



 澪はしばらく黙っていた。


 ハルの言葉を、信じていいのか分からなかった。


 能力を褒められたことは一度もない。


 覚悟を認められたことなど、一度もなかった。


「……変な人。」


 思わず小さく笑みがこぼれる。


 ハルは首を傾げた。


「そうか?」


「うん。」


「普通は怖がる。」


「『近付くな』って言われる。」


「『危険だから一人でいろ』って。」


 澪は遠くを見るような目をした。


「地下施設へ来てからも、同じだった。」


 少しずつ、重い過去を語り始める。


「最初は何人か話し掛けてくれた人もいた。」


「でも、能力を見せた途端、みんな離れていった。」


 澪は自分の両手を見つめる。


 細く、小さな手。


 その手には無数の古い傷跡が残っていた。


「一度だけ、私にも友達ができた。」


 ハルは何も言わずに聞く。


「優しい子だった。」


「『能力なんて気にしない』って言ってくれた。」


 その声はどこか懐かしさを帯びていた。


「でもある日、その子が私を庇って怪我をしたの。」


 澪は静かに目を閉じる。


「あの時、私は焦ってた。」


「早く敵を止めなきゃって。」


「気付かなかった。」


 ゆっくりと息を吐く。


「その子の腕にも、私の血が付いてたことを。」


 ハルは表情を引き締める。


「能力を発動した瞬間……。」


「その子にも痛みが伝わった。」


 澪の声が震えた。


「傷は負わなかった。」


「でも、立っていられないくらい苦しんで……。」


「それ以来、私を見る目が変わった。」


 恐怖。


 戸惑い。


 そして距離。


「『ごめん』って謝られた。」


「『君は悪くない』って。」


「でも、その日から話し掛けられることはなくなった。」


 静寂が流れる。


 地下迷宮の冷たい空気だけが二人を包んでいた。


「だから私は決めたの。」


 澪は小さく笑う。


 その笑顔は、どこか諦めきったものだった。


「誰とも一緒に戦わない。」


「誰とも仲良くならない。」


「一人なら、誰も巻き込まないから。」


 ハルは少しだけ考える。


 そして静かに尋ねた。


「……それで、本当に誰も傷付かなかったか?」


 澪は驚いたように顔を上げた。


「えっ?」


「さっき、お前は三人に囲まれてた。」


「もし俺が来なかったら、どうなってた?」


 澪は答えられない。


 あのまま戦い続けていたら、勝てたかどうかも分からない。


 最悪、命を落としていたかもしれない。


「一人で全部背負うのも、結局は無茶なんじゃないか。」


 その言葉に、澪は何も返せなかった。


 正論だった。


 分かっていた。


 それでも、人を巻き込むのが怖かった。


「……私は。」


 唇を噛む。


「怖いの。」


「また誰かを苦しめるのが。」


 その本音は、今にも泣き出しそうなほど弱々しかった。


 ハルはそんな澪を見つめ、穏やかな声で言った。


「怖いと思えるなら、それでいい。」


「その気持ちがある限り、お前は能力に飲まれない。」


 澪は目を丸くする。


「能力を持ってることより、その力をどう使うかを考え続けられる人の方が大事だ。」


「……。」


「だから、自分を責め続ける必要はない。」


 澪は俯いたまま、小さく拳を握った。


 地下施設へ送られてから、こんな言葉を掛けられたことは一度もなかった。


 誰もが能力だけを見た。


 危険か、安全か。


 利用できるか、できないか。


 でも目の前の少年は違う。


 能力ではなく、自分という人間を見てくれている。


 そのことが、澪には少しだけ嬉しかった。


 二人の間に、しばらく静かな時間が流れた。


 地下迷宮の奥から聞こえるのは、水滴が岩を叩く音だけ。


 澪は隣に座るハルを横目で見た。


「……天城くんは。」


「どうして私を助けたの?」


 素朴な疑問だった。


 地下施設では、他人を助ける人間などほとんどいない。


 自分が生き残るだけで精一杯だからだ。


 それなのにハルは、初対面の自分を助けるために命を懸けた。


 ハルは少しだけ考え、小さく笑う。


「深い理由はない。」


「困ってる人がいたから助けただけだ。」


「……それだけ?」


「ああ。」


 あまりにも真っ直ぐな答えだった。


 澪は苦笑する。


「そんな人、地下施設にはいないよ。」


「そうかもしれないな。」


 ハルは否定しなかった。


「でも、全員がそうじゃない。」


 その言葉に、澪は首を傾げる。


「俺も最初は同じだった。」


「地下施設なんて最低な場所だと思ってた。」


 能力を奪われた犯罪者。


 危険人物。


 社会から切り捨てられた人間の集まり。


 地上では、そう教えられてきた。


「実際、嫌な奴もいる。」


「自分のことしか考えてない奴もいる。」


「弱い相手を利用する奴だっている。」


 城崎硝の顔が頭をよぎる。


 力で他人を踏みにじることを楽しむ男。


 ああいう人間も確かに存在する。


「でも。」


 ハルは静かに続けた。


「そうじゃない奴もいる。」


 頭に浮かぶのは、一人の青年だった。


 いつも軽口ばかり叩いているくせに、誰よりも周りを見ている男。


「俺が困ってた時、手を差し伸べてくれた奴がいた。」


 続いて思い浮かぶのは、豪快で短気な少女。


 口は悪い。


 すぐ拳が出る。


 それでも、誰かが傷付けば真っ先に飛び出していく。


 不器用なくらい真っ直ぐな人だった。


「そいつらと出会って思ったんだ。」


「地下施設だから悪人。」


「地上だから善人。」


「そんな簡単な話じゃないって。」


 澪は静かに聞いていた。


 自分にはそんな出会いはなかった。


 だから少しだけ羨ましく思えた。


「俺は地上で、能力がないってだけで笑われた。」


 ハルは苦笑する。


「何をやっても無駄だって言われた。」


「だから正直、地上の人間がみんな立派だなんて思えない。」


 澪は驚く。


 能力がない。


 そんな人間が、この世界にいるとは思っていなかった。


「でも地下施設へ来て。」


「ここで初めて、本気で人を助けようとする奴もいるって知った。」


 ハルは迷いなく言う。


「だから俺は、人を能力や肩書きだけでは判断しない。」


「目の前の人間を見て決める。」


 澪は小さく息をのんだ。


 その考え方は、この地下施設ではあまりにも珍しかった。


「……やっぱり変な人。」


 思わず笑みがこぼれる。


 今度はさっきよりも自然な笑顔だった。


 ハルも照れくさそうに頭をかく。


「よく言われる。」


 二人の間に、少しだけ穏やかな空気が流れる。


 しかし、その静けさは突然破られた。


 ――コツ。


 地下迷宮の奥から、誰かの足音が響く。


 一定の間隔で近付いてくるその音には、一切の迷いがなかった。


 ――コツ。


 ――コツ。


 澪の表情から笑みが消える。


 その顔が、一瞬で青ざめた。


「……そんな。」


 震える声が漏れる。


「どうして……このタイミングで。」


 ハルも立ち上がり、木刀を握る。


「知ってる相手か?」


 澪は小さく頷いた。


 その視線は、暗闇の奥から目を離せない。


「来ちゃ……駄目。」


「一番会いたくなかった人。」


 足音は止まらない。


 ゆっくりと。


 確実に。


 二人の前へ近付いてくる。


 そして暗闇の中から、一人の青年の影が静かに姿を現した。



 ――コツ。


 ――コツ。


 静まり返った地下迷宮に、靴音だけが響く。


 ゆっくりと。


 焦ることもなく。


 迷うこともなく。


 まるで最初から二人がここにいると分かっていたかのような足取りだった。


 暗闇の奥から、一人の青年が姿を現す。


 白い髪。


 色素の薄い肌。


 そして感情というものが完全に抜け落ちた、氷のような瞳。


 首筋には黒い数字が刻まれていた。


 実験番号。


 地下施設でも限られた者しか持たない、能力実験の被験者である証。


 青年はハルを一瞥すると、そのまま澪へ視線を移した。


「やっと見つけた。」


 抑揚のない声。


 喜びも怒りも感じられない。


 ただ事実を口にしただけのような声だった。


 澪の身体が小さく震える。


「……白夜才賀。」


 その名前を聞いた瞬間、ハルは木刀を握り直した。


 澪の反応だけで分かる。


 この男は危険だ。


 白夜はゆっくりと二人へ歩み寄る。


「また誰かを助けたのか。」


「白鳥澪。」


 澪は一歩後ろへ下がる。


「どうして……ここに。」


「試験だから。」


 白夜は淡々と答える。


「代表になるには魔装鉱石が必要だ。」


「だから探していただけ。」


 そう言うと、彼はハルへ視線を向けた。


「君が天城ハルか。」


「世界唯一の無能力者。」


 ハルは答えない。


 相手の隙を観察する。


 立ち方。


 重心。


 視線。


 呼吸。


 だが、不思議だった。


 隙がない。


 いや、それ以前に生きている人間の気配が薄い。


 目の前に立っているはずなのに、まるで人形と向き合っているような感覚だった。


 白夜は静かに言う。


「努力する人間は嫌いじゃない。」


「無能力でここまで来たことは評価する。」


「だけど。」


 そこで言葉を切る。


「結果は変わらない。」


 ハルは眉をひそめた。


「何が言いたい。」


「運命は変えられない。」


 白夜は即答した。


「強者は最初から強者。」


「弱者は最後まで弱者。」


「それが世界だ。」


 ハルは静かに睨み返す。


「ずいぶん決め付けるんだな。」


「決め付けじゃない。」


「事実だ。」


 白夜の表情は微動だにしない。


「人は生まれた瞬間に価値が決まる。」


「才能。」


「能力。」


「環境。」


「血筋。」


「その全てが人生を決める。」


「抗うだけ無駄だ。」


 澪は苦しそうに俯く。


 その言葉は、白夜がいつも口にしていたものだった。


 自分自身にも。


 周囲にも。


 何度も言い聞かせるように繰り返してきた言葉。


 しかし、ハルは一歩前へ出る。


「俺はそうは思わない。」


 白夜は無言でハルを見る。


「確かに、生まれつきの差はある。」


「でも、それで全部決まるなら。」


「俺は今ここに立ってない。」


 世界唯一の無能力者。


 何度倒されても立ち上がり、地下施設の代表選抜試験まで勝ち上がってきた少年。


 その存在自体が、白夜の言葉を否定していた。


 白夜は初めてわずかに目を細める。


「……そうか。」


「なら証明してみろ。」


 その一言と共に、地下迷宮の空気が一変した。


 澪は息を呑む。


「天城くん……!」


 白夜才賀が、ゆっくりと一歩踏み出した。


 白夜才賀が一歩踏み出す。


 それだけで空気が張り詰めた。


 ハルは木刀を構える。


 目の前の男は今まで戦ってきた相手とは違う。


 本能がそう告げていた。


「来るぞ。」


 ハルが小さく呟く。


 しかし、白夜は動かない。


 いや、正確には歩いているだけだった。


 走るわけでもない。


 武器を抜くわけでもない。


 ただ真っ直ぐ近付いてくる。


「……?」


 その瞬間だった。


 ――ズキッ。


 ハルの右肩に鋭い痛みが走る。


「っ!」


 次の瞬間。


 制服の肩口が裂け、鮮血が飛び散った。


「なっ……!」


 ハルは反射的に後ろへ飛ぶ。


 しかし、何が起きたのか分からない。


 斬られた。


 確かに斬られた。


 だが、白夜は何もしていない。


 距離はまだ数メートルある。


 武器も持っていない。


「どうした。」


 白夜は感情のない声で言う。


「避けたつもりか?」


 ハルは肩を押さえながら睨み返す。


(見えなかった。)


(攻撃の予備動作もない。)


(能力か……!)


 澪の表情が青ざめる。


「天城くん!」


「近付いちゃ駄目!」


 ハルは返事をする余裕もない。


 白夜はさらに一歩踏み出した。


 その瞬間。


 ――ブツッ。


 今度は左の太腿が裂ける。


「ぐっ!」


 鮮血が地面へ落ちる。


 ハルは膝をつきそうになるが、歯を食いしばって耐えた。


 また見えなかった。


 剣も。


 弾丸も。


 衝撃波も。


 何一つ。


 ただ突然、傷だけが現れる。


「これが……。」


 ハルは息を整える。


「お前の能力か。」


「ああ。」


 白夜はあっさり認めた。


「避けられない。」


「防げない。」


「それが運命だ。」


 ハルは白夜から目を離さない。


(能力の発動条件があるはずだ。)


(能力に条件がない奴なんていない。)


(何か見落としてる。)


 その時だった。


 ポタッ。


 赤い雫が岩肌へ落ちる。


 ハルは目を動かす。


 白夜の鼻から血が流れていた。


 しかし本人は拭こうともしない。


 さらに。


 白夜は軽く額を押さえた。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ、その身体が揺らぐ。


(今……。)


 ハルは見逃さなかった。


 白夜は何事もなかったかのように歩き続ける。


 だが、その呼吸はわずかに乱れていた。


(能力を使うたびに負担が掛かっている。)


(身体じゃない。)


(頭……脳か。)


 ハルの瞳が鋭くなる。


 白夜は静かに笑った。


 初めて浮かべた笑みだった。


「気付いたか。」


「さすがだ。」


「だが。」


 鼻血を垂らしたまま、平然と言い放つ。


「それでも結果は変わらない。」


「俺は能力を使うたびに壊れる。」


「脳も。」


「命も。」


「全部失っていく。」


 白夜は自分の胸に手を当てる。


「それでも。」


「俺は勝つ。」


「それが俺の運命だから。」


 ハルはゆっくりと木刀を構え直した。


 肩から血が流れ続ける。


 脚も痛む。


 それでも、その目から闘志は消えていなかった。


「運命、運命ってさっきから言ってるけど。」


 ハルは白夜を真っ直ぐ見据える。


「そんなものに従って生きるくらいなら。」


「俺は何度でも逆らう。」


 白夜は静かに目を細める。


「……そうか。」


「なら、君もいずれ理解する。」


「抗うことが、どれほど無意味かを。」


 二人は再び向かい合う。


 地下迷宮の空気は張り詰め、一触即発の緊張が場を支配していた。





 ハルと白夜が睨み合う。


 張り詰めた空気が地下迷宮を支配していた。


 誰も動かない。


 いや、動けなかった。


 その沈黙を破ったのは、場違いなほど気の抜けた声だった。


「おーーい。」


「……いたいた。」


 ハルは思わず振り返る。


 通路の奥から、一人の青年がゆっくりと歩いてくる。


 両手をポケットに突っ込み、面倒くさそうに欠伸をしながら。


「はぁ……。」


「面倒なのに見つかっちまった。」


 頭をかきながら現れた青年。


 石田レンだった。


 レンは周囲を見回し、小さくため息をつく。


「静かに試験を進める予定だったんだけどなぁ。」


「よりによって、一番面倒そうな場所じゃねぇか。」


 そうぼやきながら歩いてくる。


 そして傷だらけのハルを見つけた瞬間、足を止めた。


「……あー。」


「やっぱりお前か。」


 ハルは苦笑する。


「レン。」


 レンは肩をすくめる。


「仕方ねぇな。」


「ハルがいるなら放っとくわけにもいかねぇ。」


「どうせまた無茶したんだろ。」


「……否定はできない。」


「だろうな。」


 レンは呆れたように笑う。


 しかし、その視線はすぐにハルの隣へ向いた。


 傷だらけの少女。


 初めて見る顔だった。


「で。」


「そっちのお姉さんは?」


 突然話を振られ、澪は小さく肩を震わせる。


「え……?」


「わ、私は……。」


 少し緊張した様子で頭を下げた。


「白鳥澪です。」


「初めまして。」


 レンも軽く手を上げる。


「石田レン。」


「よろしく。」


 澪は戸惑っていた。


 地下施設で、こんな気さくに話し掛けられるとは思ってもいなかった。


 レンは澪の傷を見る。


 裂けた制服。


 腕や脚の無数の傷跡。


 そして、その近くに立つハル。


「なるほど。」


「ハルがお前を助けたってわけか。」


 ハルは何も答えない。


 その沈黙だけで十分だった。


 レンは小さく笑う。


「相変わらずだな。」


 そして、ゆっくりと白夜へ視線を向ける。


 その瞬間。


 軽薄そうな笑みが消えた。


「……なるほど。」


「相手はお前か。」


 白夜は静かにレンを見つめる。


「石田レン。」


「君も来たか。」


「会いたくはなかったけどな。」


 レンは苦笑しながら首を鳴らす。


「代表候補の中でも、お前は特に厄介だって聞いてる。」


 白夜は表情を変えない。


「君が来ても結果は変わらない。」


「そうか?」


 レンはハルへ目を向ける。


「状況を教えろ。」


 ハルは短く答えた。


「能力が見えない。」


「突然傷ができる。」


「でも能力を使うたびに鼻血が出る。」


「頭も押さえてた。」


 レンは一瞬だけ考え込む。


「……なるほど。」


 白夜の鼻先から流れる血を見る。


 わずかに乱れた呼吸。


 そして何事もないように立ち続ける姿。


「能力の反動か。」


「それも、かなり重い。」


 レンは静かに笑う。


「それだけ分かれば十分だ。」


 白夜は首を横に振る。


「違う。」


「分かったところで、運命は変わらない。」


「何人集まろうと。」


「結果は同じだ。」


 レンは肩をすくめた。


「俺さ。」


「運命とか才能とか、そういう話はあんまり好きじゃないんだ。」


「やってみなきゃ分かんねぇだろ。」


 そう言うと、レンはゆっくりと戦闘態勢を取る。


 ハルも木刀を握り直した。


 二人が横に並ぶ。


 白夜はそんな二人を静かに見つめ、小さく呟いた。


「なら。」


「二人まとめて、教えてやる。」


「抗うことが、どれほど無意味か。」


 地下迷宮の空気が張り詰める。


 次の瞬間――。


 三人が同時に地面を蹴った。

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