第六話 呪傷の少年と、二人の聖女候補
俺とエリシアは施療院に急いだ。
そこには、リュシア以外にもすでに何人か聖女候補もいた。
「子ども……?」
エリシアの顔からいよいよ血の気が引いていった。
急患は子どもの男児だった。
右腕は肘のあたりまで裂かれ、肉が抉れていた。傷口には黒い瘴気が絡みついている。
痛みのためか、失血のためか、意識はないようだった。
「王都城門付近で、侵入した魔獣に腕を噛まれたようです」
教官が言うが、その顔は青ざめている。
生徒たちも騒然とする。
城門付近とはいえ、王都の「中」で魔獣に襲われるなど普通ではない。
「王都の結界はどうなっているんだ……」
生徒の一人が呟く。
「王国騎士団がすでに魔獣を駆除しています。それよりも、早く止血しないと命にも関わります」
「私にやらせてください」
リュシアが進み出る。
「いいでしょう。まずは傷を塞いで。うまくいかなければ私がフォローします」
教官が許可を出す。
確かに傷を塞ぐだけなら今のリュシアでも可能だろう。
リュシアが美しい詠唱から「治癒」を発動する。
傷口がゆっくりと皮膚で覆われていき、やがて裂傷が完全に塞がれた。
リュシアが息をつく。傷口が大きかったために、魔力をそれなりに消費したようだ。
「さすがリュシア様!」
取り巻きらしき聖女候補が称賛の声を上げた。教官も満足げに頷いているが……。
まだだ……。いや、むしろ悪い状態にしてしまった。まず止血を優先させる判断は、通常なら間違いではない。だが、魔獣の傷なら話は別だ。
子どもが苦しみ始め、うめき声を上げ始めた。
それはそうだ。魔獣の噛み傷であれば、瘴気が傷口に溜まっていたはずだ。その傷を聖属性魔力の「治癒」で塞いでしまえば、蓋をされた瘴気が体内に留まり、やがて全身に回って、子どもは死に至るだろう。
しかし教官は子どもの様子を見て固まってしまっていた。
「教官、処置しないとまずいですよ」
俺は耐えかねて言う。
「処置……」
教官が考え込む。
まさか王都内で魔獣に襲われるとは思わず、準備ができていなかったか。ずいぶんと平和な王国になったものだ。
しかしこのままでは本当にまずいぞ。
「わ、私に治癒させてください」
そのとき、エリシアが前に出た。
教官が首を振る。
「あなたに何ができるというんです? リュシア候補、もう一度『治癒』を……」
「やめろ! 子どもを殺す気ですか? 中途半端な聖属性魔法では瘴気のめぐりを早めるだけです」
俺は慌てて制した。
「レイン、何を言っているんです?」
教官が俺を見る。
「どう見ても呪傷じゃないですか!」
「呪傷……? そうか」
教官がようやくその可能性に思い当たる。
「しかし、『浄化』を扱える者が今はいない……」
これはだめだ。
「レイン様、あなたが補助してくれたらできると思うんです。この子を助けたいの」
エリシアが懇願する。
俺は先ほど食堂で感じたエリシアの魔力の感覚を思い出す。
あの「治癒」には、確実に浄化の感覚もあった。
「エリシア、『浄化』は使えるか?」
「まだ……実習でやったことはないです」
こうなったらやるしかないだろう。
「なら、詠唱は治癒でいい」
「え……?」
「傷口だけを見るな。塞がった傷口の奥の瘴気まで届くように魔力を注ぐんだ」
「できるか、わからないけど……」
「大丈夫だ。俺が補助する」
俺はエリシアの隣に立った。
「君は、この子を助けるために祈るんだ。俺が道筋をつける」
エリシアの目に強い意思が宿ったのが見えた。
エリシアが詠唱を始める。
「詠唱改変」
俺は「治癒」を「浄化」に改変する補助魔法を発動する。邪術だと疑われる可能性は高い。だが、この状況ではためらっている暇はない。
あとは、エリシアが術式改変の負荷に耐えられるかだ。使ったことのない魔法へ無理やり接続される負荷は、想像以上に大きいはずだ。
「浄化」
詠唱の接続先が切り替わる。
「治癒」の術式が、「浄化」の術式へと書き換わった。
続けて「魔力調律」で魔力出力と流れを調整するが、エリシアが苦しそうな表情をする。
「エリシア、頼む。祈りを途切れさせるな」
「……大丈夫。この子の苦しみに比べたらなんてことない」
エリシアが魔力を出力し続けると、黒い瘴気が、絡まった糸をほどくように薄れていった。
子どものうめき声がなくなり、やがて静かな寝息に変わった。
「私……この子を助けられたんですね」
「ああ。君が助けたんだ」
エリシアは泣きそうな顔をしながら笑った。
俺の確信は、もはや疑いようのないものになっていた。
——エリシア・ブランシェは、本物だ。




