第5話 鬼畜の所業
天気は、快晴。
士官学校の演習場。
相変わらず、真っ黒な悪意が充満していた。
コントラストに吐き気がする。
「さあ、諸君! 今日の対人魔術演習は特別だぞ。動かない『かかし』では、実戦の練習にならないからな」
ウードがそう言うと、演習場にボロ布を纏った十数人の男女が連れてこられた。
手足には魔力封じの鉄でできた枷。
泥にまみれて、逃げる気力もなさそうだ。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
……嘘だろ。
あそこで震えている老人は、厨房でこっそり菓子をくれたハンス。
その隣で虚ろな目を見開いているのは、僕に王国の歴史や礼儀作法を叩き込んでくれた文官のテオドールだ。
「……クリスタリアの生き残りか」
僕の独り言は、周囲のゲスい嘲笑にかき消された。
かつての同胞。家族同然の人たち。
それが今、士官学校の生きた教材として目の前にあった。
ウード王子の取り巻きである、侯爵令嬢のカトリーヌは、ツンと上を向いたまま踵を返した。
(……悪趣味ですわね。誇りある帝国の教育が、これでは嘆かわしいわ)
平民風情がどうなろうと知ったことではないが、高貴な自分がこれ以上この場に留まるのは、自身の品位に関わると判断したのだ。
「興が削がれましたわ。わたくしは先に失礼します」
誰に聞かせるともなく呟き、彼女は一度も振り返ることなく演習場を後にした。
この女は気に食わないが、初めて同意できた。
「見ておけよ、無能。魔法はこう使うんだ。この動く的は、泣き声がリアルで面白いぞ」
ウードの手下であるマルクスが、ニチャついたツラで一歩前に出る。
杖を軽く振って、無造作に放たれた「火球」。
狙いは、必死に這い回るハンスの足元だ。
「ぎゃああああああっ!!」
「あ、熱いっ!!熱いっ!!」
生々しい絶叫。
焼ける皮膚の、嫌な臭い。
ハンスはのたうち回る。
「あら、あのアリみたいな這い方。傑作ですわね」
「本当。まるでダンスを踊っているみたい」
女子生徒たちがケラケラと笑う。
「ちょっと! 次は私にやらせてよっ。あの、端で震えている女がいいわね」
放たれた「氷の矢」が、元侍女の肩を貫く。
「いやあぁぁぁぁぁっ!」
演習場に悲鳴。
「惜しい!」「もっと苦しませなきゃ」なんて野次が飛ぶ。
こいつらは、もう人の心を捨てたらしい。
弱者を踏みにじり、その悲鳴を音楽のように楽しむ。
畜生ども。
拳を握りすぎて、血が滲んできた。
爪が食い込む痛みが、逆に頭を冷やしてくれる。
その時。
右目の奥、脳髄に直接響くような冷たい声。
あの優しいエル姉の声じゃない。
(……ユリ。聞こえる?)
殺意
(あの女、笑いながら指を折ったわね。……ねえ、ユリ。もういいわよね? 我慢しなくていい。……ねえ?)
視界が、真っ赤に染まる。
右目が脈打つ。
「……エル姉。今じゃないんだ、ごめん」
小さく呟いた僕に、ウードがニヤついた顔で近づいてきた。
「おい、お前も一発撃ってみろ。ネクロマンサーだろ? 死体を用意する手間が省けていいじゃないか」
杖を僕に放り投げる。
「ほら、お前の手で死体にしてやれよ。フハハハッ!」
僕は、ふらふらと標的の方へ歩き出した。
泥の中で、テオドールが僕の顔を見上げた。
老人の瞳に、微かな光が宿る。
「……あ、ああ……ユリエル、様……?」
震える手で僕の裾を掴もうとする彼。
助けてくれなんて顔じゃない。
慈しみと安堵が混ざった、悲しい微笑み。
「王子……生きて……お逃げ、くだ……さ……」
最後まで、言わせてあげたかった。
「喋るなよ、道具の分際で」
ウードが、テオドールの頭を軍靴で踏みつけた。
鈍い音。泥に沈む顔。
ボンッ!
爆炎魔法が、至近距離で炸裂する。
テオドールの頭部が、炎に包まれた。
僕の目の前で、恩師が、最期まで僕を案じてくれた優しい老人が、黒焦げの肉塊に変わった。
「ははは! 燃えろ燃えろ! 汚いゴミが少しは綺麗になったな!」
ウードの爆笑に釣られて、クラスメイトたちが一斉に魔法を放つ。
炎、氷、雷。
残された同胞たちは、最期まで僕を恨まず、ただ「生きて」と願うような瞳で、物言わぬ屍に変わっていった。
演習場が、静かになる。
残ったのは、焦げた肉の臭いと、満足げな連中の嘲笑だけ。
(……終わったか)
足元に転がっている、テオドールだった「モノ」を見る。
感情が消えた。
あまりにデカすぎる怒りは、逆に心を静かにさせるらしい。
「……エル姉、今は我慢して」
エル姉は返事ができなかった。ただ、僕を通してじっとこの光景を見ている。
必ず、この畜生どもに地獄を見せる。
必ずだ。
僕の手から、血が滴った。
クリスタリアの民よ、こいつらは一人残らず報復するから。
もう少し。
もう少し待っててくれ。




