第4話 模擬戦
キッチンの小さなコンロで、目玉焼きがパチパチといい音を立てている。
僕は手際よくフライパンを振り、皿に盛り付けた。
「おはよう、エル姉」
背後を振り返る。
そこには、幸せを絵に描いたような顔のエル姉が立っていた。
すでに実体化済み。朝からエンジン全開だ。
「おはようユリ! 今日も世界で一番可愛いわね。ねえ、お姉ちゃんにギュッとして?」
両腕を広げて甘えてくる姉。
苦笑しつつも、素直にその細い腰に手を回す。これ、断ると長いから。
「んんーーーーっ! 幸せ……!」
力いっぱい抱き寄せられ、顔を胸に押し付けられた。
柔らかな感触。
死者とは思えない温もり。
「ちょっと! エル姉! ……恥ずかしいってば」
身をよじる俺を見て、エル姉はさらに目を細める。
「照れてるユリも可愛いー! もうお姉ちゃん、愛おしすぎて気絶しちゃう」
十年間、埃と沈黙が支配していたこの小屋。
今は、エル姉の甘ったるい声で満たされている。
悪くない。というか、賑やかすぎる。
食卓
「ほら、エル姉も食べて。冷めちゃうよ」
テーブルには、こんがり焼けたパンと半熟の目玉焼き。
一口食べたエル姉が、驚いたように目を見開いた。
「んー、美味しい! ちゃんと味も感じるのね。不思議……」
彼女の血管を流れているのは、赤い血じゃない。
僕から供給される濃密な魔力だ。
ネクロマンサーとしての僕の力が、死した肉体に五感を完璧に再現させている。
便利というか、凄いの一言。
「ユリ、ほっぺに卵がついてるわよ」
不意に顔を寄せられ、頬をペロリと舐められた。
「ちょ、子供扱いしないでよ!」
抗議。
だが、エル姉が潤んだ瞳で「ダメ……?」と首を傾げると、それ以上は言えなくなる。
この姉には、生前も死後も一度だって勝てた試しがない。
完敗だ。
登校準備
食事を終えると、エル姉がクローゼットから服を持ってきた。
「はい、今日の服よ。訓練着、綺麗にしておいたわ。継ぎ接ぎだらけで見るに堪えなかったから、私が縫い直したの」
エル姉は王女として料理こそダメダメだったが、刺繍の腕は超一流だった。
受け取った訓練着は、もはや新品同様。
というか、王族の礼装みたいな気品が漂っている。やりすぎじゃないかな。
「ありがとう、エル姉! 大好きだよ!」
「――っ!」
今度はエル姉が顔を真っ赤にする。
わかりやすい。
(こんなに喜んでくれるなんて……。よし、今度は魔法銀の糸を探して、魔法のマントを作ってあげようかしら!)
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ。待機モードに入るわね」
エル姉の姿が消える。
右目に彼女の意識が同調し、視界が一つに重なった。
士官学校の校門をくぐると、空気が一変した。
昨日まで「陰気な平民」として空気扱いだった俺に、刺さるような視線。
「ねえ、あのかっこいい人、誰……?」
「ちょっと、信じられないくらいの美形じゃない!」
髪を整え、背筋を伸ばした僕に、かつての面影はない。
陶器のような白い肌に、夜の闇を紡いだような黒髪。
そしてルビー色の瞳。
正直、自分でも鏡を見て「誰だこれ」と思ったくらいだ。
(当然でしょ。私のユリなんだから。みんな、もっとひれ伏しなさい)
脳内に直接響く、得意げな姉の声。
内心でツッコミを入れつつ、教室のドアを開けた。
途端にクラス中がフリーズする。
「おい、誰だあいつ。ユリエルの席に座ってやがるぞ」
「転校生か? どこの貴族だ……」
(ふふ、ユリ。あの子たち、あなたの美しさに見惚れて言葉も出ないみたい。……当然よね、私だってユリの顔を見ると、ドキドキしちゃうもの)
皆が遠巻きにヒソヒソやる中、第一王子のウードが歩み寄ってきた。
相変わらず、取り巻きを引き連れて威風堂々としたお出ましだ。
「おい、貴様。そこは汚れた平民の席だ。座る場所は選べ」
ゆっくりと顔を上げる。
「ウード殿下。私ですよ。ユリエルです」
「……あ?」
ウードの顔が固まった。
聞き覚えのある声。
だが、目の前の少年からは、昨日までの卑屈なオーラが消え失せている。
「……そんなはずがあるか! 貴様のような美しい……いや、貴様のような奴が、あの根暗な平民なわけが――」
バサッ
無言で、黒い革表紙のスキルブックを机に置いた。
ネクロマンサーの文字。
それを見た瞬間、教室に衝撃が走る。
「えっ、嘘、本当にユリエルなの!?」
「あんなイケメンだったの? 今までの恰好は何だったのよ……」
貴族子女たちの評価が、秒で手のひら返し。
現金なものだ。
「……ふん! 姿を変えたところで、中身は死体あさりの下賤なジョブだ!」
「そうですわ! ネクロマンサーなんて、生理的に受け付けませんもの!」
取り巻きが罵声を浴びせた、その瞬間。
「――っ!?」
右目が、凍てつくような紅い閃光を放った。
教室全体を押し潰すような、凄まじい死の殺気。
ブチギレ。
エル姉だ。
「ひ、ひいぃっ……!」
ウードたちは、巨大な捕食者の前に放り出された小動物のように、ガタガタと膝を震わせ、その場に崩れ落ちた。
失禁しそうな勢いだ。
「……やめて、エル姉」
小さく呟くと、嵐のような殺気は消えた。
「ウード殿下。お手を貸しましょうか?」
手を差し出す。
だが、ウードはその手を恐怖に怯えた顔で払い除けた。
「い、いらん! 触るな、穢らわしい!」
捨て台詞を残し、逃げるように自分の席へ。
惨め。
演習場
今日の課題は、模擬戦。
ジョブの能力を使い、一対一で戦う。
「第一試合、ユリエル対ジン!」
教官の声と共に、前に出る。
対戦相手のジンはシーフのジョブ。
両手にナイフを構えてニヤニヤしている。
「ラッキーだぜ。ネクロマンサーなんて、召喚される前に終わらせてやるよ」
「……そう。頑張って」
銀のレイピアを抜き、静かに構える。
「始め!」
合図と同時に、ジンが爆発的な踏み込みを見せた。
シーフ特有の高速移動。
残像しか見えない速度。
「もらったぁ!」
喉元に迫るナイフ。
だが、俺は動かない。
ただ一言。
「拘束」
ガバッ!!
地面から、黒い無数の手が湧き出した。
ジンの足首を掴み、膝を折り、胴体を何十本もの手で雁字搦めにする。
拘束。
「な、……なんだこれ! 離せ! 気持ち悪い……卑怯だぞっ!」
「戦場に卑怯もクソもないよ。勝つためには何でもやる。……僕はそれを、嫌というほど経験してきたからね」
無造作に歩み寄り、レイピアの先端をその喉元に添えた。
終了。
「……そこまで。勝者、ユリエル!」
静まり返る演習場。
「……おいおい! ネクロマンサーって、最弱じゃなかったのか?」
「あの拘束魔法、普通に凄くないか……」
ざわめきの中、ウードが顔を真っ赤にして叫んだ。
「貴様ぁ! またそんな不気味な小細工を! 正々堂々と剣で戦えんのか、この腰抜けが!」
ふっと小さく笑い、ウードの方を向く。
「かしこまりました、殿下。来週の対抗戦、楽しみにしていますね」
(エル姉を直接召喚したら、たぶん戦いにすらならないだろうな……。加減を考えないと)
夕暮れに染まる演習場。
人目を避けて建物の裏手まで来ると、右目の同調を解き、エル姉を実体化させた。
途端、背後から柔らかな重みが飛びかかってくる。
「ユリぃー! カッコよかったわ! もう、お姉ちゃん惚れ直しちゃった!」
エル姉が抱きついてきた。
「ちょっと、エル姉、誰かに見られたら……」
「いいじゃない。今のユリなら、誰に何を見られたって『それがどうしたの?』って不敵に笑えば、みんな平伏すわよ。それくらい、さっきの戦いも痺れるほどカッコよかったわ!」
僕の両頬を包み込み、至近距離で瞳を覗き込む。
「お姉ちゃん、心臓止まってるのに、ドキドキが止まらなくて消えてしまいそう……」
……ちょっと笑えないギャグだ。
ただ、一人で生きてきた僕には、この状況は愛おしくてたまらなかった。
「ユリ疲れたでしょう? 転ばないように、お家までずっとこうして腕を組んであげるわ」
「……それ、ただくっついて歩きたいだけでしょ?」
苦笑いしながら、二人で歩き出す。
エル姉が隣にいるだけで、僕の世界が少しづつ色付き始めた。




