第39話 凱旋
玉座の間が、静まり返る。
放った蒼御雷(アズール・ジャッジメント)の跡が、あちこちに刻まれていた。
空いた壁の隙間からは、夜風が吹き込んでくる。
もう、指一本動かすのも億劫だ。
目の前には、皇帝ゼノスの躯。
胸に巨大な風穴を開けられて、転がっている。
死ぬ間際まで生に縋った顔をしているのが、笑える。
帝国のトップで如何に権力を持っていようが、最後はただの死体だ。
「……終わった。本当に、終わったんだな」
自分の声が、思ったように発声できなく、消え入りそう。
視界の端では、粒子になった父上と母上の残光が、天に向かって昇っていくのが見えた。
二人は最後に、笑っていた。
呪縛から解き放たれて、一人の息子を誇る「親の顔」に戻っていた。
その顔が見れただけで、これまでの苦労も少しは報われるってものだ。
コツ、コツ。
静寂を切り裂くように、靴音が響く。
「お疲れ様、ユリ。ちゃんと果たしたのね」
世界で一番聞き慣れた、大好きな声。
振り返れば、エル姉が、立っていた。
彼女は玉座のそばに落ちていた王冠を拾い上げる。
そして、俺のボサボサになった髪を整えると、そっと頭に乗せてくれた。
「さあ、立って。みんなが待っているわ。あなたは、私たちの王様なんだから!」
エル姉の手に引かれて、ガクガク震える足で立ち上がる。
魔力はスッカラカン。
生命力っていう名の蝋燭は、もう芯すら残っていない。
魔力枯渇による脱力と眠気で、ぶっ倒れたい。
それでも僕は、エル姉に支えられながらテラスへと歩を進めた。
これは僕の役目だ。
テラスに出た瞬間、冷たい夜風が頬を叩く。
眼下に広がるのは、完全に破壊された帝都ヴォルガルドの街並み。
そして、広場を埋め尽くす五万を超えるクリスタリアの兵たち。
彼らはピタリと動きを止め、一斉にこちらを見上げていた。
俺は重い右腕を必死に持ち上げて、銀のレイピアを空へ掲げる。
「勇敢なるクリスタリアの同胞たちよ! 聞け!!」
喉から血がせり上がってくるのを、無理やり飲み込む。
声を、空にぶち撒けた。
「今! 敵軍の王ゼノスを討ち取った! ヴォルガルドの支配は終わりだ! 我らの勝利だっ!!」
一瞬の静寂。
直後、地響きのような勝鬨が上がった。
「「「ウオオオオオオオオオオオッ!!」」」
死んだ後も、彼らはクリスタリアの誇りを捨てていなかったらしい。
槍を突き上げ、盾を叩き、ある者はボロボロと涙を流している。
若き王の凱旋に、みんな狂喜乱舞だ。
僕は、その光景をしっかり網膜に焼き付けた。
「父上、母上……見てますか。みんな、笑ってますよ」
脳裏に、消えゆく直前の両親の言葉が蘇る。
『クリスタリアの真なる王よ』
その一言だけで、泥を啜って狂気の日々を過ごした十年間が、全部ひっくり返った気がした。
東の地平線が、うっすらと白んできた。
夜の終わり。
それは、ネクロマンサーとしての「魔法の時間」が切れる合図でもある。
朝日が昇り、最初の一筋の光が帝都を照らした。
その瞬間、異変が起きる。
眼下で叫んでいた数万の兵たちが、光に溶け始めた。
「……あ」
一人、また一人。
鎧や剣から淡い光の粒が溢れ出し、空へと舞い上がっていく。
みんな、いい落とし所を見つけたような、憑き物が落ちた笑顔をしていた。
俺に最敬礼を捧げながら、消えていく。
無念は晴らせたのか?
空へ昇る無数の光の筋が、それが正解だって証明していた。
彼らはもう「死霊」じゃない。
誇りを取り戻したクリスタリアの「英雄」として、安らかな眠りにつくんだ。
「よかった……。みんな、やっと帰れるんだな……」
微笑もうとしたけれど、顔の筋肉がピクリとも動かない。
極度の魔力枯渇。
それ以上に、無理やり使い続けた「命」のストックが、完全に尽きようとしていた。
視界が急激に暗くなる。
膝の力が抜けて、王冠が地面にカランと転がった。
「ユリ!?」
倒れそうになる体を、エル姉の柔らかい腕が受け止める。
そのまま床に座り込み、僕を膝枕で寝かせてくれた。
「……ごめん、エル姉。もう……何も見えないや」
視界は真っ暗。
けれど、全然怖くなかった。
頬に触れる、ひんやりとしていて、でも誰よりも優しい姉の指先。
石鹸みたいな、花のような、エル姉だけの匂い。
「……もういいのよ。ユリは本当によく頑張ったわ。お姉ちゃん、ずっと見ていたもの」
耳元で響く声は、まるでおやすみの前の子守唄だ。
見えなくても分かる。
何度も僕に笑いかけた、エル姉の笑顔を忘れるわけない。
「ゆっくり休んで。お姉ちゃんが、寝かしつけてあげるから。……もう、どこにも行かなくていいのよ」
僕は最後の力を振り絞って、その手を握り返そうとした。
指先が、微かにピクリと動く。
「エル姉……今まで、ありがとう。僕は、幸せだったよ。 ……愛してる」
それが、僕の遺した最期の言葉になった。
同時に、僕という供給源を失ったことで、エル姉の体も透き通り始めた。
彼女は、息を引き取った僕の額に、優しく口づけ。
「ええ、私も愛しているわ。ユリ。……ずっと、ずっとね」
朝日は昇り、玉座の間を照らし出す。
その、刹那。
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
ユリエルの冷たくなった頬に、ぽたりと落ちる。
ずっと弟のために張り詰めていた、気丈な姉の仮面が剥がれ落ちた。
「……嘘」
声が、震える。
「……本当は、もっと一緒にいたかった! こんな終わり方じゃなくて……ただのユリとエルとして、もっと……ずっと隣で笑っていたかった……! ごめんね! ごめんねユリぃ……」
堰を切ったように、大粒の涙が次々と溢れ出す。
ユリエルの亡骸を抱きしめる腕は、もう半分以上が光に溶けて透けていた。
それでも彼女は、左手の薬指で輝くルビーの指輪を、そっと唇に押し当てる。
それは、ユリエルが永遠を誓って贈った、たった一つの宝物。
「もう、ユリと離れたくない……」
消えゆく体から絞り出す、最後の祈り。
指輪に、全てを注ぎ込むように。
「……生まれ変わっても、何度でも。……愛してる」
最期の言葉と共に、エル姉の体もまた、同じように光の粒子になって、空へと溶けていった。
――カーンッ
床には、ルビーの指輪が一つ。
指輪に残っていた最後の魔力が、透明な鎖となって空気に消えていった。




