第35話 帝都強襲
うっ、頭が痛い。
寝すぎたせいか、白い壁がやけに眩しい。
太陽はもう真上。
こんなに寝坊したのは、逃亡生活が始まってから初めてじゃないかな。
隣の温もりは、もうない。
「……最後の日、か」
独り言が、誰もいない部屋に消える。
階下からは薪のはぜる音。それと、お腹が空くような香ばしい匂い。
広間に降りると、そこにはいつもの光景。
いつも通り、甲斐甲斐しく動くカトリーヌと、「ユリ、お寝坊さんね」と笑うエル姉。
平和な光景に思わず、微笑む。
昼食は、川魚の串焼き。
「今朝、私が釣ってきたんですよ。ユリエル様の好物ですよね?」
カトリーヌが、庭で自慢の火魔法を使って皮をパリッと炙っている。
この歪なパーティの狩猟担当として、彼女は最後まで役目を全うするつもりらしい。
泣かせるじゃないか。
三人の食事は、驚くほど穏やかだった。
明日、帝国との戦争を起こすのに、誰も知らないふりをしているみたいに。
食後。西日が差し込む頃、カトリーヌが大きな荷物を運んできた。
中身は、屋敷の奥に眠っていた王族の正装。
深い紺碧に金糸の紋章。そして、豪華なマント。
その上には、一振りのレイピア。
「ユリエル様。こちらを」
鞘から抜けば、刀身は鏡のように研ぎ澄まされている。
微かに感じる、カトリーヌの魔力。
朝からカトリーヌが、魔力を送りながら必死に研いだレイピア。
良く見ると刀身に蒼い炎のエンチャントが施されている。
袖を通し、レイピアを腰に帯びる。
鏡の中の自分は、以前の「無能な平民」でも、復讐に狂う「死霊使い」でもなかった。
「……ユリ。ああ、ユリ……」
エル姉が声を詰まらせて泣いている。
その瞳には、クリスタリアの王子ではなく、この国の正当な王。クリスタリアの王として姿があった。
「カトリーヌ。国民は今、ここにいる二人だけだ。実質、君一人かもしれない。けれど」
僕は彼女の前に立ち、静かに、でもハッキリと宣言した。
「僕は今この瞬間より、クリスタリア王・ユリエルとして、帝国との戦争に終止符を打つ。……ここは任せた。いいね?」
カトリーヌはその場に跪いた。スカートの裾が汚れるのも構わずに。
「……いってらっしゃいませ、我が王。お約束通りに、ここは私が守ります」
「ああ、行ってくるよ」
最高にかっこつけた笑顔を返してやった。
でも、それは彼女への「さようなら」だ。
カトリーヌは跪き、顔を上げずに僕らを送り出した。
屋敷の門を潜る時、僕は心の一部を置いてきた。
少年らしい躊躇いとか、カトリーヌへの情とか、人としての「優しさ」とか。
そういう甘っちょろいものは、ここに全部置いていく。
これより先は修羅の道。感情を捨て、全てを滅ぼす悪魔になる。
僕はエル姉と一緒に、エンシェントドラゴンの背に跨った。
エンシェントドラゴンが羽ばたく。
重力を置き去りにして、高度を上げていく。
白亜の屋敷が豆粒になり、雲の下に消えた。
さらに上昇。雲海を突き抜ける。
眼下には白い絨毯。地平線の先には、沈みゆく巨大な夕日。
空は紫と黄金が混じり合って、驚くほど綺麗。
「綺麗ね、ユリ……」
「ああ。でも、生者の時間はもう終わりだ」
僕の瞳に、冷たい魔力が宿る。
日が沈み、闇が世界を包む。
それはネクロマンサーにとって、最強のボーナスタイム。
帝都ヴォルガルドを沈めるまでのタイムリミットは、明日の夜明け。
それまでに、全部終わらせて、全部灰にする。
「行くよ、コロ。……いや、エンシェントドラゴン」
エル姉がつけた変な名前を振り払い、竜の角を強く握る。
前方に、帝都の灯りが見えてきた。
「エル姉、準備はいい?」
「ええ。お姉ちゃんが、あなたの道を切り拓いてあげる」
エンシェントドラゴンに念じる。
「一気に下降しろ。……そして、お前の力を見せてみろっ!」
急降下。垂直に近い角度。
風の音がうるさくて、鼓膜が震える。
帝都の防空網が慌てて照射魔法で照らしているけど、高速で降ってくる伝説の竜を捕まえられるわけがない。
「やれ!」
竜が顎を開く。喉奥に、極大の魔力が溜まっていく。
放たれたのは、七つの光弾。
彗星みたいな尾を引いて、帝都の要所に突き刺さった。
一拍置いて、夜が真っ白に塗り潰される。
騎士団本部、食糧貯蔵庫、そして第一王子の宮殿。
着弾と同時に、デカい火柱。
大地が揺れる連鎖爆発。
衝撃波で、帝都中の窓ガラスが粉々に砕け散る。
「さすがは伝説。コロなんて呼んで、本当に悪かったよ」
冷静に被害をチェック。
阿鼻叫喚の悲鳴が風に乗って聞こえてくる。
とはいえ、これはまだ「挨拶」だ。
竜は炎上する帝都を旋回し、予定通り西のスラム街へ。
着地したのは、僕が昔住んでいたボロ小屋の近く――放棄された墓場。
十年前の侵攻で殺された五万人以上のクリスタリアの民。
死体をゴミのように穴に投げ込まれ、埋められただけの場所。
怨嗟と死臭が凄すぎて、帝国人は誰も近寄らない。案の定、警備もゼロ。
ズゥゥン、と巨躯が着地。土埃が舞う。
「さあ、始めようか」
エンシェントドラゴンから降り、汚れた地面に降り立つ。
銀のレイピアを、その「墓場」に突き立てた。
「帝国軍は十万。僕らの手駒は、この竜とエル姉、それから……」
全魔力を大地に流し込む。
スキル『死者召喚』をフルパワーで発動。
「……ここに眠る、五万の同胞だ!!!!」
地鳴りが響く。地震じゃない。
埋められた無数の骨が、僕の呼び声に反応して蠢いている音だ。
乾いた土を割って、白い手が這い出す。
欠けた頭蓋骨、錆びた鎧、そして青白い魂の光。
一人、また一人と、死者の軍勢が立ち上がる。
彼らにはもう、痛みも恐怖もない。
あるのは一つだけ。自分たちを蹂躙した奴らへの、限界突破した復讐心。
「皆、待たせたね」
立ち上がり、マントを翻す。
背後には五万の死霊兵。その虚ろな眼窩に、憎悪の火が灯っている。
さらにその後ろには、伝説の竜と、最強の魔剣士であるエル姉。
「物量じゃまだ負けてる。でも、死霊は倒れても起き上がるからね。竜の火力も合わせれば、十万の軍勢と渡り合える」
遥か彼方にそびえる皇帝の城を見据える。
あそこにはゼノスがいる。
あの日の我が国を滅ぼした男。
「我はクリスタリア王・ユリエル! 我が軍勢よ! 夜明けまでに、この国を更地にする。全軍突撃!!我が国を蝕むゴミ共を一掃せよっ!!」
レイピアを振り下ろす。
五万の軍勢が、咆哮を上げて帝都へ雪崩れ込んだ。
火の海になった街で、真の絶望が幕を開ける。
戻ってきた亡国の王子。
死者を操るネクロマンサーはクリスタリアの王となり、五万の軍勢を率い10年前の戦争の続きを始める。
さあ、リベンジだ。




