第34話 蛍
エンシェントドラゴンが滑るように、丘に降り立つ。
大部、操作が慣れてきた。
相変わらず、乗り心地は最低だけど。
帰還した頃にはすっかり夜だった。
「悪い。食事の用意は難しそうだね……」
これから食事作るのは、しんどい。
でも、ちゃんと食べときたい。
「うーん。……そうだ、三人で街に行かないか? せっかくの最後の夜だし、美味しい店があるって聞いたんだ」
現実的な提案。
その瞬間。
二人の瞳がパッと輝いた。
単純。
だが、そこが二人の良さ。感情豊かで、僕にない明るさ。
きっとこの明るさに惹かれ、助けられたのだろう。
夜の町
案内板を頼りに辿り着いたのは、レンガ造りの重厚なレストラン。
店の数メートル手前から、抗いようのない「脳を揺さぶるような、美味そうな匂い」が襲ってくる。
「……ユリ。これ、絶対に美味しいやつだわ」
エル姉が確信に満ちた顔で頷く。
じゅるり。
「美味しいものセンサー」だけは、この姉、本当に感度が良すぎる。
店内は、脂の焼ける音と客の笑い声。
僕たちは隅の席に陣取り、迷わず名物「ブルーム牛の極厚ステーキ」を三人前注文した。
「ユリエル様、お飲み物はいかがいたしましょう? 素晴らしいワインのリストがありますわ」
「私も! 景気づけに一杯……」
身を乗り出す二人を、僕は片手で制した。
ここらで釘を刺しておかないと。
「ダメだよ。お酒は禁止。明日は決戦なんだ。今日くらいは、アルコール抜きでゆっくり、深く眠りたいんだよ。僕も、エル姉もね」
「ぶー」と不満を漏らすエル姉。
とはいえ、運ばれてきた鉄板の音を聞いた瞬間、そんな不満は消え失せた。
「お待たせしました。特製ブルームステーキだ」
恰幅の良いシェフが、自ら鉄板を運んできた。
ジュージューという激しい音。
弾ける肉汁。
立ち上る湯気は、もはや黄金色の輝きを帯びているようにさえ見える。
「坊主たち、いいか。普通の牛はそこらの牧草を食って育つが、この地方にしか咲かねえ『フェアリー草』を食って……」
シェフが熱っぽく講釈を始めた、その時だった。
「ん~っ、美味しい!! ユリ、これ、すっごく美味しいわよ!!」
……完食。
正確には、講釈の途中で一切の遠慮なく肉を口に運び、至福の表情を浮かべていた。
シェフ、絶句。
ちゃんと聞いてやってよ。
カトリーヌは「お姉様、お行儀が悪いですわ!」と注意しつつも、自分のフォークを止めることができていない。
「……ははは!」
僕は思わず声を上げて笑った。
明日、帝国を滅ぼし、僕の命が尽きるかもしれないというのに。
元王子と、最強の魔剣士、元帝国のエリート魔導師のテロリスト集団。
そんな連中が、ただの牛の肉に一喜一憂している。
滑稽。
けれど、愛おしい。
この、最高に下らないワンシーン。
でも、僕にとって大切な時間だった。
帰り道
満腹感と、心地よい疲れ。
僕たちは静かな夜道を歩いた。
どちらからともなく、僕の手を左右から握る。
右には、誰よりも力強く優しいエル姉の手。
左には、温かくて柔らかなカトリーヌの手。
「あ……見てくださいませ。綺麗……」
カトリーヌが指差した先。
小川のせせらぎに沿って、無数の淡い光が舞っていた。
蛍だ。
帝都の澱んだ空気の中では決して見ることのできない、光の軌跡。
一つ一つの光は小さく、頼りない。
「……蛍の寿命って、知ってる?」
僕はふと思い出し、呟いた。
「成虫になってからの寿命は、たったの二週間弱。その短い間、彼らはただ一生懸命に輝いて、相手を探して、命を繋ぐんだそうだ」
言葉にすると、胸の奥がチクリと痛んだ。
まるで、今の僕そのものじゃないか。
「短く、儚い命。それでも……あんなに真っ直ぐに輝いている。なんだか、少し共感しちゃうな」
「ユリ……」
エル姉が、ギュッと僕の右手を握りしめた。
何も言わなくても伝わっている。
僕が今、自分の生命力を削りながらこの世界に立っていることを。
この蛍と同じように、僕の輝きもまた、終わりが近いことを。
「ユリエル様。二週間だろうと、一晩だろうと。その光が誰かの道を照らしたのなら、それは決して儚いだけのものではありませんわ」
カトリーヌが、真っ直ぐに僕を見つめて言った。
(ありがとう、カトリーヌ……)
最後の夜
屋敷に着くと、カトリーヌが手際よく入浴の準備を整えてくれた。
当然のようにエル姉が乱入してきたが、もう驚きもしない。
湯船の中で、エル姉は何度も何度も「大好きよ、ユリ」と囁いた。
明日への不安をかき消すための、優しい呪文。
やがて、広いベッドに三人で横になる。
真ん中に僕。左右に、大切な二人。
「おやすみなさい、ユリエル様。……明日、必ず」
「おやすみ、ユリ。お姉ちゃんが、ずっと守ってあげるからね……」
やがて、二人の穏やかな寝息が聞こえ始めた。
僕は、眠れなかった。
眼を閉じれば、明日訪れるであろう地獄の光景が見える。
けれど、目を開ければ、そこには世界で一番優しい光景。
月光に照らされた、二人の寝顔。
エル姉の、人形のように整った横顔。
カトリーヌの、少し幼さの残る健気な表情。
僕はそっと、二人の髪に触れた。
これが、最後の夜。
明日の今頃、僕は戦場の中だ……。
あるいは……。
(……ありがとう)
声に出さない感謝を、夜の静寂に溶かす。
眠るのが惜しかった。
一分でも長く、この光景を目に焼き付けておきたかった。
二人の穏やかな眠りを見守り続け、心に誓う。
明日、全てを終わらす。




