第14話 虐殺
「嵐の前の静けさ」、使い古された言葉だが、これほど今の状況を的確に表す表現を僕は知らない。
僕は闘技場の中央で、人間の感情を削ぎ落とした瞳で天を仰いだ。そして、ゆっくりと、儀式のように右手を掲げる。
「――拘束」
その瞬間、地面から這い出した黒い手が実体を持ち、獲物を絡めとった。
「がっ……!? な、なんだ、この手は……抜けん! !」
「おのれ、死霊使いの小僧が……ッ! 貴様、いつの間に!」
特等席の重厚な椅子に縛り付けられ、無様にジタバタしているのは、かつて僕の故郷を蹂躙した皇帝ゼノスと、その右腕たる元騎士団長バルガスだ。
「動かないでね」
僕の声は、自分でも驚くほど冷たい。今まで我慢していた殺意が、体中から溢れて抑えられない。
殺さない。まだ、殺してあげない。
10年前、平和だった僕の国がメチャクチャにされたあの日。
目の前でエル姉を殺され、燃え上がる王都の熱風に肌を焼かれながら、僕はただ地面に跪くことしかできなかった。
「何もできずに見てるだけ」というあの底知れぬ屈辱と絶望。
今度は、君たちがそれを特等席で味わう番だ。
「エル姉、始めて。……ここにいる全員を、全部片付けて」
彼女は、背筋が凍るほど美しい微笑みを浮かべ、魔剣を抜いた。
「ええ、ユリ。あなたに害する畜生どもは、お姉ちゃんが全部消してあげるわ。一人残らず、綺麗にね」
さて。
地獄の幕開けだ。
舞い踊る死の魔剣士。
エルミリアの姿が、視界からかき消えた。
次の瞬間。
最前列に陣取っていた重装歩兵たちの首が、まるで打ち上げ花火のように一斉に空を舞った。
シュパッ、という軽やかで、どこか涼しげな音。
切断面から鮮血が、噴水のように噴き出す。
彼らは自分が死んだことすら気づかず、武器を構えた形のまま、ただの肉塊になって地面に転がった。
「ひっ、ひぃいッ! 逃げろ! 逃げろォ!」
「誰かっ! なんとかしなさいよっ!!」
「闘技場の門を開けろ! 早くッ! 衛兵は何をしている!」
大混乱。
観客席を埋め尽くしていた貴族たちが、贅肉を揺らし、高価な衣類を振り乱して出口へ殺到する。
「出口はあっちだ!」と叫びながら、互いを突き飛ばし、踏みつけ合いながら走っている。
だが、無駄だ。
僕の魔力は、すでに闘技場全体を高さ数十メートルのバインドで構成された「手の壁」で覆い尽くしている。
ここはもう、外界から隔絶された、一歩も出られない巨大な鳥籠……いや、屠殺場だ。
「フフフ。無駄だよ。君たちが生きてここを出ることはない。今日、この場所は君たちの墓標になるんだから」
僕は拘束されたゼノスとバルガスの前まで、ゆっくりと歩を進めた。
二人の顔に、初めて恐怖という色が混じり始める。
「見ていて。君たちが頑張って育てた帝国の芽……選りすぐりの若者たちが、いかに簡単に摘み取られていくか。瞬きしちゃダメだよ。しっかり目に焼き付けて」
バルガスは、ようやく気が付く。
王子である、ユリエル・フォン・クリスタリアの面影に。
バルガスの目は瞳孔が開き、滝のような汗が背中を覆う。
「……ゆ、ユリエル王子!? な、何故だ!あの時死んだはずだ!!」
めちゃ動揺してる。
「あはは、そうだよ。僕はあの時に死んだよ。黄泉から君を迎えに来たんだよ」
ちょっと、からかってやる。
「ユリエルッ! 貴様、これほどまでの非道を……神をも恐れぬ所業、貴様には人の心がないのかっ!」
バルガスが血管を浮き上がらせて、怒っている。
だが、彼が怒れば怒るほど、僕の「手の鎖」は意思を持つ蛇のように肉に食い込み、骨がミシミシと悲鳴を上げる。
「あがっが……がっ、はっ……!」
自業自得だ。君がかつて僕の家族にしたことに比べれば、そんなに変わらないんじゃない?
それに、人の心なんてもう捨ててきたよ。
笑みがこぼれた。
その目の前で、エル姉の剣が閃光を撒き散らす。
もはやそれは一方的。戦いとは言えなかった。
「防陣を組め! 魔法使いは後方に! 全員で一斉にはな……!」
指揮を執ろうとした教官の言葉は、最後まで続かなかった。
悲鳴を上げる間もなく、エル姉の剣によって吹き飛ぶ。
「助けて……嫌、死にたくない……っ!」
女子生徒の一人が、腰を抜かして這いつくばりながら手を伸ばす。
エル姉はその手を優しく取るふりをして、手首から先をスパリと切り落とした。
「いやぁぁぁっ!!いだぃぃぃっ!!!!」
「あら、ごめんなさい。貴方は私の侍女に同じことしたでしょ」
命乞いも、泣き叫ぶ声も、今のエル姉にとってはただのノイズでしかない。
「ユリ、あそこの太ったおじさんは、あなたのことを汚い平民って呼んで笑った人よね?」
エル姉が、豪華なコートを着た肥満体の貴族の喉元を片手で掴み、小首をかしげて僕を見た。
「そうだね、姉さん」
「そう。じゃあ、まずはその汚い口を塞がないとね」
刹那。
閃光が走り、貴族の舌と顎が、まるで果実の皮を剥ぐように削ぎ落とされた。
絶叫すら血に溺れ、ゴボゴボと不気味な泡を吹きながら、男はピクピクと痙攣して事切れた。
「あああああッ!! ああああぁぁぁ!!」
僕の足元で、完全に精神を崩壊させているのは、ウードだ。
彼は頭を抱えて、ガタガタと歯を鳴らしている。
「やめろ、やめてくれぇ! ぼっ、僕が悪かった! 謝るから! 何でもする! 金でも領地でも、この国の半分だってやる! だから、助けてくれええぇ!」
僕の靴に縋り付こうとし、涙と鼻水で顔を汚すウード。
汚い。吐き気がする。
かつての傲慢さはどこへ行った?
対人魔術演習の時、君は高笑いしながらテオドールを弄んでいただろう。
僕はあの時と同じように彼の顔を、一切の手加減なしに無慈悲に踏みつける。
鼻骨が砕けるグシャリという感触が、足の裏を通して伝わってくる。
「ぎゃあああっぁぁあっ!!」
汚い声だ。
「君の今のその情けない叫び声、10年前に絶望の中で死んでいったクリスタリアの民たち、テオドールやハンスにも聴かせてあげたいよ。彼らも、君みたいに命乞いをしたはずなんだ。……聞き入れてもらえなかったけどね」
「冷静に陣形を保てっ! 数はこちらが有利だ! 諦めるな!」
クラスのリーダー格だったテイラーが、決死の形相で叫ぶ。
生き残った数十人の生徒たちが、恐怖に抗い、エル姉を取り囲んだ。
彼らが必死に築いた鉄壁の防御陣。盾を並べ、魔力の障壁を展開する。
だが、その努力はエル姉の一振りで、文字通り爆散した。
「ぐ、あああああッ!」
盾を持っていた腕が、盾ごと消滅した。
鎧の隙間から、まだ温かい内臓がドロリと地面にこぼれ落ちる。
かつて僕を「無能」「平民」と嘲笑ったクラスメイトたちが、今は名前も判別できない肉のゴミとして積み上がっていく。
どこぞの名門貴族も、美貌を自慢していた令嬢も、今や血泥に塗れた肉の残骸でしかない。
「バルガス、君はかつて僕を殺そうとした時、『強さこそがこの世の唯一の正義だ』と教えくれたよね」
大量の脂汗を流し、絶望に目を剥くバルガスの耳元で、僕は優しく囁いた。
「なら、今のこの光景は、君が愛した正義そのものだよ。君が丹精込めて育てた『強者』たちが、より強大で圧倒的な力によって踏み潰されていく。最高に気分がいいんじゃないかな? ほら、笑えよ。君の理想が今、ここで完成したんだ」
バルガスは、半ば放心状態。
ショックが大き過ぎたみたい。
その隣で、皇帝ゼノスが、血が出るほど強く震える拳を握りしめていた。
「……化け物め。貴様のような忌まわしき存在を、天が、神が許すはずがない。必ず報いを受けるぞ……!」
神?
「そんなものは10年前、エル姉が殺された時に死んだよ。今の僕にとって、神はこの世界にただ一人。僕を救い、僕を愛してくれるエル姉だけだ。神が僕を裁くというのなら、僕はその神すらも屠って、死者の軍勢に加えてやる」
闘技場は、もはや真っ赤な湖と化していた。
数千人がいたはずの場所で、生き残っているのは数えるほど。
死体の山に隠れて、震えながら息を殺していても、エル姉の魔力探知からは逃げられない。
「見ぃつけた」
楽しげな声。
エル姉が死体の山に剣を突き立てる。
惨劇の終焉、そして
一時間も経たぬうちに、喧騒は完全に消え失せた。
数千人の観客、輝かしい未来を約束されていた生徒たち、教師、衛兵。
全員が、物言わぬ冷たい骸となって転がっている。
「ユリー、お待たせー。残っているのは、そこの三人と……ああ、あとあそこの端っこで震えている女の子だけよ」
彼女が指した先には、カトリーヌがいた。
学園のアイドルと持て囃された彼女も、今は恐怖で心が完全に壊れたのか、虚空を見つめてブツブツと意味不明な独り言を繰り返している。
「王子様……私の、王子様……」
壊れた人形のように繰り返す彼女が見ているのは、僕が演じていた偽りの姿だろうか。
「……いいよ、姉さん。お疲れ様」
僕は歩み寄ってきた姉さんの細い肩を抱き寄せ、その冷たい額に愛おしさを込めてキスをした。
さて。
絶望の淵に立たされ、もはや声も出せないゼノスとバルガスに視線を戻す。
二人の瞳には、もはや怒りも憎しみも残っていない。
「あ、あ、……あ……」
足元で、ウード王子がまだ生きていた。
つい忘れてたよ。
顔面は僕に踏み砕かれ、もはや王族の面影など微塵もない。
彼は濁った瞳で僕を見上げ、震える指を伸ばそうとした。
「最期に何か言い残すことはある? ああ、顎が砕けてるから無理か」
僕はレイピアを彼の喉元に切っ先を当てる。
「……あの日、我が民が流した血の量に比べれば、これでも足りないくらいだ」
「や、め……」
「さよなら、ウード。地獄で僕の民たちに、たっぷりと懺悔するがいい」
躊躇なく、レイピアを突き立てる。
溢れ出した温かい液体が僕の靴を汚したが、不思議と不快感はなかった。
ウードの体が大きく一度だけ跳ね、そして、全ての力が抜けて泥のように横たわった。
「魂固定解除」
こんなやつの為に、貴重なソウルアンカーの枠は埋められない。
ウードの魂は黄泉の門へと消え失せた。
それを見届け、僕は皇帝へと最高の微笑みを投げかけた。
「さて、お掃除の第一段階はこれで終了だ。……ねえ、ゼノス。今さ、どんな気持ち?」
ゼノスもバルガスも放心状態。
あー、やりすぎちゃったかな?
「また、遊びに来るから。……今度は帝国を滅ぼしに」
僕はエル姉の手を取り、死臭漂う闘技場を後にした。
復讐の始まり。
帝国の全てを破壊し、この地を滅ぼす。
――戦争は、これからだ。




