第12話 破裂
観客席の貴族も、野次を飛ばしていた生徒も、今はただ口を半開きにして固まっている。
無理もない。
目の前に現れたのは、帝国の近代史に刻まれた伝説そのもの。
かつて帝国を震撼させた「閃光の魔剣士」、エルミリア・フォン・クリスタリア。
その実体が、一介の平民学生である僕の背後に立っているんだから。
「あーあ、みんなそんなに驚いちゃって。失礼しちゃうわね」
エル姉は銀髪をさらりと払い、僕の肩に腕を回した。
実体化した彼女の体温は驚くほどリアルで、少しだけフワリと花の香りがする。
でも、その身に宿る魔力は、まぎれもなく強大で「魔剣士」そのものだ。
対峙するウードは、腰が抜けかけたのか、大剣を杖代わりにして辛うじて立っていた。
顔面は蒼白。
さっきまでの王者の余裕なんてない。
「ひ、卑怯だぞ! 英雄の魂を弄ぶなど……! 死んだ者に敬意をはらえっ!」
ウードが震える声で叫ぶ。
あんなに威勢がよかったのに、ただの怯えた子犬だ。
僕は冷めた目で彼を見て、隣のエル姉にそっと耳打ちした。
「……エル姉。手加減してよね。殺しちゃダメだよ」
「え? なんで? あんな生きてる価値もない奴、今すぐぶつ切りにして肥料にすればいいじゃない」
エル姉は本気で不思議そうな顔をしている。
子供が虫を殺すような、純粋で残酷な瞳。
このまま放置すれば、一瞬でウードの首が吹っ飛ばされる。
「ダメだよ。ここで王子を殺したら、後の計画が全部台無しになる。今はまだ、彼には生きていてもらわないと」
「……ちぇっ、ユリは相変わらず真面目なんだから。わかったわよ、可愛い弟のお願いだもんね。剣は使わないわ。素手で、ちょっとだけ教育してあげる」
エル姉は不満そうに口を尖らせながらも、顕現させた魔剣を霧のように消した。
僕はそれを見て、少しだけ胸をなでおろす。
……まあ、彼女の素手がどれほど危険か、この時の僕はまだ楽観視しすぎていた。
教育の時間
「さて、おバカさん」
エル姉が一歩、前に踏み出す。
その瞬間、ウードを背後から癒やしていた不可視の治癒魔法が、ガラスが割れるような音を立てて消え失せた。
観客席の隅で隠れていた僧侶が、あまりのプレッシャーに泡を吹いて倒れたのが分かった。
「ひ、うわああああッ!!」
恐怖に耐えきれなくなったのか、ウードがヤケクソ気味に大剣を振り回す。
魔力が彼の生存本能に呼応して、これまで以上の火力で膨れ上がった。
炎の渦がエル姉を飲み込もうと迫る。
「……熱いわね。お肌に悪そう」
エル姉は避けることすらしない。
ただ、右手を軽く振った。
それだけで、猛烈な炎がまるで打ち水でもされたかのように、一瞬で鎮火した。
魔力の桁が違いすぎる。
「なっ……」
絶句するウードの懐に、エル姉が滑り込んだ。
そう、歩いたのではない。
空間を無視して、距離そのものを消し去ったような速度。
「汚い言葉ばかり、まずはお口の掃除からかしら? ほら、あーん」
エル姉の掌底が、ウードの顎を跳ね上げる。
黄金の兜がひしゃげ、ウードの体がピンボールのように地面を跳ねた。
重たい金属音が闘技場に響き渡る。
「あがぁっ、がはっ……」
「あら、もう終わり? もっと威勢がよかったじゃない。……私のユリを汚物って言ったその舌、もう少し使い物にならなくしてあげないと」
エル姉は、圧倒的だった。
立ち上がろうとするウードの腕を踏みつけ、魔力で強化した手で彼の鎧をグニャりと引き剥がす。
「や、やめろ……! 私は第一王子だぞ! こんなことが許されると――」
「え? 何言っているの? 許されるわよ。だって、私の王子様はユリだもの」
エル姉の笑顔が、ゾッとするほど美しい。
彼女は手加減をしているつもりなのだろう。
一撃で殺さないように、急所を外して、じわじわと恐怖を刻みつけている。
でも、彼女の基礎筋力と魔力量は、人間の枠を越えていることを、彼女自身が忘れていた。
「さあ、そろそろ黙らせてあげる」
エル姉が、地面に転がるウードの頭部へと手を伸ばした。
本当に、撫でるような動きだった。
猫の頭を可愛がるような、そんな軽いノリ。
「あ」
僕が声を上げた時には、もう遅かった。
エル姉が軽くウードの頭を叩いた。
瞬間。
「パンッ!!」という、乾いた音がした。
熟しすぎた果実が、高いところから石畳に叩きつけられたような音。
ウードの頭部を覆っていた黄金の兜が、外側からの圧力に耐えかねて、文字通り破裂した。
砕け散った金属片と、赤色の飛沫が辺り一面を汚す。
沈黙。
闘技場から音が消えた。
審判も、生徒たちも、貴族たちも。
誰もが、今起きたことが理解できずに、ただ固まっている。
次期皇帝候補の頭が、たった今、目の前でスイカみたいに粉砕された。
「……あら?」
エル姉が、自分の右手をまじまじと見つめる。
そこには、自分でも信じられないといった風な、純粋な驚きが浮かんでいた。
「ごめん、ユリ。これでも、卵が割れないくらい優しく叩いたつもりだったんだけど……この子、思ったより頭がスカスカだったみたい」
エル姉は困ったように微笑んでいる。
いや、笑い事じゃないよ!
(殺しちゃった……。いや、これは完全に死んだ。蘇生魔法が間に合うレベルじゃない)
僕の脳内はフル回転。
計画。そう、僕の計画だ。
ウードをここで殺してしまったら、僕はこの場で「王子殺しの重罪人」として処刑される。
帝国側には聖女がいる。彼女なら肉体の再生は可能だろう。
でも、魂が抜けてしまえば、蘇生してもそれはただの空っぽの人形だ。
それじゃあ困るんだ。彼には、生きた王子として君臨してもらわないと。
(……やるしかないか)
僕は迷いを捨てた。
腰のレイピアを投げ捨て、倒れ伏すウードだったものへと駆け寄る。
「おい、ユリエル! 何をするつもりだ!」
審判がようやく我に返り、制止の声を上げる。
観客席からも悲鳴と怒号が上がり始めた。
「殿下が殺されたぞ!」
「あのネクロマンサーを捕らえろ!」
うるさい。黙ってろ。
今、僕が世界で一番焦ってるんだから。
僕はウードの死体のそばに膝をついた。
凄惨な光景。でも、ひるんでいる暇はない。
肉体が壊れたのなら、魂が霧散してあちら側へ行く前に、この現世に縛り付けるしかないんだ。
「死者召喚」
続けて
「『魂固定』……発動! 第二枠、ターゲット固定!」
目の奥が、焼けるように熱い。
視界が赤く染まり、冥府の入り口が一瞬だけ見えた。
そこへ吸い込まれようとしている、ウードの弱々しい魂を見つける。
「……まだ行かせないよ」
僕は影から伸ばした魔法の鎖を、その魂へと絡みつかせた。
魂を肉体に縫い付ける。
細胞が死んでいようが、脳が弾けていようが、魔力という絶対的な杭で魂を無理やりこの場に固定する。
呆然自失としている審判や教師たちに向かって、声を張り上げる。
「何を見てるんですか! まだ魂はここに繋ぎ止めている! 早く、聖女か聖人を呼べ!!」
僕の叫びが響き渡った。




