108.聖鎧
「聖剣に宿っている守護神と深く同調し、その加護を身に纏うことによって顕現する戦闘装束――これすなわち『聖鎧』である!」
「聖鎧……」
レイドールは茫然とその言葉を繰り返す。
こうして変貌したザーカリウスの姿を見つめているだけで、胸の奥から畏怖と恐怖が際限なく湧き出してくる。
立っているのも辛い存在感に、膝が崩れないようにするだけで精一杯だった。
「これを発動させることができて、初めて聖剣を使いこなせたと言えるのだ。どうだ、自分の未熟さを思い知ってくれたか?」
「なるほど……たしかに、俺は聖剣を使いこなせていなかったようだな。思い知ったぜ」
目の前のザーカリウスの姿を目にすれば、否が応でも理解させられてしまう。
聖剣を手にして誰よりも強くなったと錯覚していたのだが、自分がたどり着いた領域はまだ聖剣の入口に過ぎなかった。
本物の聖剣保持者。世界救済の力を持った神話の英雄の姿が目の前にあるのだから。
圧倒的な力の前に立ちすくむレイドールに、聖鎧を纏ったザーカリウスは愉快そうに喉を鳴らした。
「ククッ……格の違いを知ってもらってなによりだ。精進しろよ、若造め」
「…………」
「さて、それじゃあ…………そろそろ倒させてもらうぞ!」
「っ……!」
レイドールは弾かれたように後方へ跳んだ。先ほどまでレイドールがいた空間にデュランダルが叩きつけられる。轟音とともに聖剣を打ち付けられた地面が爆裂し、大きく陥没してクレーターができた。
「ハーハッハッハッハッハッ!」
「くっ……無茶苦茶な!」
ザーカリウスが横薙ぎに剣を振る。青白く染まった刃から炎の斬撃が放たれて、距離をとっているレイドールを斬りつける。
「っ……【蠍突】!」
レイドールが炎の斬撃に瘴気の刃をぶつける。二つの斬撃がぶつかって大きな爆発が生じた。
爆破の衝撃を堪えながらレイドールは剣を振る。爆炎の中から飛び出してきたザーカリウスがその一撃を受け止めた。受け止めた体勢のまま、そのまま力任せに押し込んでくる。
「っ……このっ!」
力比べでは勝ち目がない。レイドールは身体を引いて斬撃を受け流して、一瞬の隙をついてザーカリウスの頭部を蹴りつけた。
「おいおい、皇帝の頭を足蹴にするなよ」
「熱っ……!」
しかし、炎の防壁が出現してザーカリウスを守る。脚を火で炙られる痛みにレイドールは思わず声を上げてしまった。
「生半可な攻撃では予の聖鎧は破れぬぞ。打ち抜けるとすれば一撃必殺の奥義……こんなふうにな!」
「がっ……!」
炎を纏った斬撃がレイドールに叩きつけられる。
後方へ大きく吹き飛ばされたレイドールは、ブレイン要塞の城壁に背中を強かに打ちつけられた。背中を襲う衝撃に肺が詰まり、呼吸困難に陥ってしまう。
「ぐうっ……カハッ……はあ、はあっ!」
城壁を背もたれに倒れたレイドールの身体には黒い瘴気が鎧のように纏わりついている。咄嗟に瘴気を盾にしなければ、胴体を焼き切られて両断されていたかもしれなかった。
「悪くねえ反応だな。今のはわりと殺す気だったんだがな」
五体満足で攻撃を堪えたレイドールに、ザーカリウスは顎を撫でつけながら賞賛の言葉を贈る。
しかし、その表情はどこか不満げである。聖鎧を出してから一方的になってしまった戦いに、不完全燃焼を覚えているようだった。
「しかし……もう少し頑張って欲しいところだな。今のお前じゃあ『破滅の六魔女』はおろか、奴らの『使徒』にすら負けるレベルだ」
「…………」
「中途半端な戦力だったらいらないぜ? 生き残りたかったら、もうちっと根性を見せろよ!」
ザーカリウスがデュランダルを天に掲げると、その頭上に青白い火球が生じた。
人間の頭部と同じ程度の大きさの火の玉は徐々に徐々に体積を増していき、やがて見上げるような巨大な炎弾へと成長していく。
その大きさ、熱量ときたら、まるで小さな太陽が出現したようである。
「帝国式聖剣術【暁光】!」
「っ……!」
「この一撃をもってして、お前の英雄としての器を量ってやろう! レイドール・ザイン、お前がこれから先の世界で救世主となるべき人間なのか。それとも、そこに至ることなく消え去るべき有象無象なのか!」
ザーカリウスがデュランダルを振り下ろす。
その剣の動きに合わせて炎弾が動き出して、レイドールに向けてまっすぐ放たれた。
解き放たれた極大の炎はレイドールの身体はおろか、要塞の城壁まで飲み込んでしまいそうなほどに巨大である。まともに喰らってしまえば、骨すら残らず融解してしまうに違いない。
「くっ……【終末の大蛇】!」
レイドールは渾身の力を振り絞って斬撃の大蛇を繰り出した。漆黒の大蛇が大気を震わせながら飛び出していき、勢いよく炎弾に食らいつく。
全開の魔力を注がれた一撃は炎を喰い尽くさんと進んで行ったが、しかし、炎弾のあまりの熱量にぶつかった途端に焼き尽くされていく。
「ぐ、オオオオオオオオオッ!」
それでもレイドールはひたすらに魔力を込め続け、瘴気を放出し続ける。
一瞬でも力を緩めてしまえば、たちまち彗星のごとき炎に飲み込まれてしまうだろう。
たとえ全てを投げ捨てて逃げ出したとしても、この巨大な炎の塊を避けることは叶わない。
己が生き残るためのただ一つの手段。レイドールは全魔力を注ぎ込んで瘴気の蛇を放つしかなかった。
「オオオオオオオオオオオオオッ!」
しかし、そんなレイドールの努力も虚しく、炎弾は瘴気を焼き尽くしながら迫ってきている。
【終末の大蛇】によってわずかに勢いは削がれたものの、レイドールと背後の城壁を焼き尽くすには十分な威力を残している。
「このっ、止まれええええええっ!」
魔力を込める。込める、込める、込める―――!
しかし、それでも炎弾は止まらない。
(ダメなのか!? まさか、俺がこんなところで……!)
圧倒的な熱量と焦りの感情から背筋に汗が流れてしまう。
目の前に迫る炎とは裏腹に、死神の鎌の冷たい感触を首筋に感じる。
自分はこんなところで死ぬというのか。
何も成し遂げないまま、望んだ場所に立つこともなく死んでいくというのか。
聖剣に選ばれたせいで辺境に追放されて、それでも必死に魔物と戦って生き抜いて。
ようやく、自分を裏切った者達を見返すチャンスを得たというのに、野望を成し遂げることなく敗北して消えていくというのだろうか。
(負けたまま、奪われたまま…………何も取り返すことなく死ぬのか?)
もしも自分がここで斃れたら、グラナードはどんな顔をするだろう。
敵として笑うだろうか。それとも、兄として泣くのだろうか。
宰相は、将軍は、メルティナは。ネイミリアやセイリア。それに新しくできた部下はどんな反応をするのだろう。
自分のために涙の一つも流してくれるのだろうか。身勝手に戦って死んだことを憤るだろうか。
後世の歴史家はレイドールのことをどのように語るのだろう。
悲劇の英雄として悼むのか、それとも愚かな反逆者として蔑むのか。
あるいは、何一つ成し遂げることなく消え去った名もなき男として忘れ去られるのだろうか。
(ふざけろよ……!)
レイドールは奥歯を噛みしめた。
憎むべき敵が、親しい仲間が、自分の死によって喜ぶ顔も泣く顔も見たくなどない。
遥か先の時代に生きる人々にどのように思われても構わない。英名であれ、悪名であれ、好きなように呼べばいい。
しかし、この世界に爪痕の一つも残さずに消えてたまるものか。
自分が歴史に名を刻むのであれば、それは死に様ではなく生き様によって刻まなければならないのだ。
激しい憤怒と反逆の意志。それを燃料にして、尽きかけていた魔力が増幅していくのを感じる。
レイドールは膨れ上がった莫大な魔力を一気に聖剣に注ぎ込んだ。
大量の魔力を注がれて瘴気の蛇が勢いを取り戻す。わずかにであったが、炎弾の勢いが弱まった。
しかし――それでもまだ足りない。
全てを焼き尽くす神の炎を消し去るには、力が足りない。
(これでもダメなのかよ! まだ足りないっていうのか!?)
もうダメだ。レイドールの頭に諦めの感情がよぎる。
瞬間、何者かの囁き声がレイドールの鼓膜を震わせた。
『ああ、まったく。世話が焼けるなあ』
それは少年のような、女性のような高い声音であった。
初めて聞く声なのに、どこか懐かしさを感じてしまう不思議な感覚。
『僕だって君のことは大嫌いだけど、すこーしだけ力を貸してあげる。感謝しなよ』
「っ……!?」
レイドールの目の前が真っ暗になった。
迫りくる巨大な炎も、皇帝の姿も、残らず暗闇の奥へと消失する。
光を失った視界の中――獣の遠吠えのような声が鳴り響いた。
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