106.皇帝ザーカリウス
丘の上にズラリと並ぶ帝国軍。
かつては皇女セイリアと将軍グラコス・バーゼンに率いられていた彼らであったが、本日、彼らを指揮しているのは皇帝である。
大陸最強とまで呼ばれている男に付き従う軍勢は、指揮官の覇気にあてられているのか、以前よりも大きく力強く見えた。
肉食獣の群れのような威容を放つ帝国軍――その先頭に立っている皇帝ザーカリウスが前に進み出てきた。
赤鎧を身に着けた大柄な男は護衛すらつけることなく、黒毛の馬で丘を駆け下りてくる。
軍勢から離れてたった一人で進み出る皇帝を止める者は誰もいない。もしも今、ブレイン要塞から兵を出して皇帝に差し向ければ、皇帝はたった一人で数百数千の兵士を相手にすることになるだろう。
しかし、それでも誰も皇帝を止めることはなく、その身を案じているような雰囲気もない。
そこにいる兵士達は誰もがわかっているのだ。たとえブレイン要塞の全ての兵士が一斉に向かって行ったとしても、ザーカリウスを打ち倒すことなどできないことを。
「……まさか、これほどとはな。少し舐めていたようだ」
丘から駆け下りてくる皇帝の姿を城壁から眺めて、レイドールは戦慄した声音でつぶやいた。
ザーカリウスは剣すら抜いていない。気分転換に散歩でもしているかのように自然な足取りで馬を走らせ、ブレイン要塞へと向かってくる。
しかし、そんなザーカリウスの姿を見ているだけで背筋から汗が止まらない。同じ聖剣保持者であるセイリアと対面した時以上の威圧感が襲ってくる。
レイドールの腰に差した聖剣ダーインスレイヴも、先ほどから鞘の中でカタカタと小刻みに振動して目の前の脅威を訴えてきていた。
(戦わずとも確信できる。あの男はセイリアよりも、そして俺よりも強い……!)
「アルスライン帝国皇帝ザーカリウス・ヴァン・アルスラインである! 約束通り、王弟レイドール・ザインとの決闘に参った!」
要塞から少し距離をとって馬を停めて、ザーカリウスが声を張り上げる。
戦場の端から端まで届く、爆音のような大声であった。
「レイドール殿下……」
「ああ、わかっている」
隣で心配そうな顔をしているダレンに頷いて、レイドールは剣の柄を握りしめた。
帝国皇帝の力は予想以上。しかし、この期に及んで逃げるという選択肢はない。
「闘ってくる。後は任せろ」
「はっ、御武運をお祈りしています! どうぞお気をつけて!」
レイドールは城壁の上から飛び降りて要塞の外に降り立った。
スタスタと歩いて皇帝に歩み寄ると、ザーカリウスはニカッと好戦的な笑みを浮かべてレイドールを出迎える。
馬から降りて黒毛の尻を軽く叩くと、皇帝の愛馬は「ヒヒーン」と高く鳴いて帝国の陣地へと戻っていく。
「よお、来たな」
「お初にお目にかかる、帝国皇帝殿。俺がレイドール・ザイン。ザイン王国国王グラナード・ザインの弟。そして、貴方の娘を倒した男だ」
「おう、知ってるぜ。聖剣ダーインスレイヴに選ばれて辺境に追いやられた追放王子だろう?」
「……よくご存じで」
どうやら帝国側もレイドールのことを調べていたようである。半年前の戦いで煮え湯を飲まされたのだから、当然といえば当然である。
「お前についてはもっと知ってることがあるぜ。セイリアを捕虜として捕まえて、一緒に冒険者として活動していること。現代では失伝したはずの古代魔法を使うおかしな女をメイドとして囲っていること。それに、予の部下であるグラコスを秘かに捕縛して、王都郊外に借りた屋敷に監禁していることもな」
「…………」
「意外そうな顔をしているな。帝国が武力だけの脳無しかと思ったかよ」
カラカラと愉快そうにザーカリウスが笑う。悪戯を成功させた悪ガキのようなニヤケ顔は、レイドールと同年代の子供がいるとは思えないような幼いものだった。
「……それだけ調べておいて、どうしてセイリアやグラコス・バーゼンを救うために動いていないんだよ。俺が王都を留守にしている間、彼らを救出する機会はいくらでもあったんじゃないか?」
「ははっ、そうだな。いつでも二人を取り戻すことはできた。しかし、まあ、可愛い子には旅をさせよというからな。セイリアも冒険者暮らしをなかなか楽しんでいるようだし、グラコスも飯はちゃんと与えられているようだからな。急いで助けることもないだろ?」
ザーカリウスはククッと喉を鳴らして笑い、唇を吊り上げて牙を剥いた。
「そんなことよりも、新しく現れた聖剣保持者の力を量ることの方が予にとっては大事なのだよ。お前がいずれやって来るであろうこの世の終わりにどこまで抗えるのか……この決闘で見極めさせてもらうぜ」
「この世の終わり……?」
いったい、何の話をしているのだろうか。レイドールは怪訝に眉根を寄せた。
しかし、ザーカリウスはレイドールの疑問に答えることはなく傲然と宣言する。
「続きを教えて欲しけりゃ生き残ってみやがれ! 若造、せいぜい予に殺されないように頑張ることだ!」
「っ……!」
ザーカリウスが背中の剣を抜き放った。身の丈ほどの長さの大剣が赤熱して、逆巻く炎が刃を覆う。
炎の聖剣デュランダル。アルスライン帝国が所有する三本の聖剣の一つが、レイドールの目の前に現れた。
「チッ……是非もないってことかよ!」
レイドールもまた腰の剣を引き抜いた。
聖剣ダーインスレイヴ。背筋を凍らせるような禍々しい瘴気を取り巻く剣が、押し寄せてくる熱波を迎え撃つ。
王弟レイドール・ザインと皇帝ザーカリウス・ヴァン・アルスライン。
聖剣ダーインスレイヴと聖剣デュランダル。
王国と帝国の戦争の終結を飾る、最後の戦いの幕が切って落とされた。
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