52、推し道精神
モニターを確認すると、周囲にいた人たちは俺を置いて、いつの間にか壁際で集まって先生の話を熱心に聞いていた。
そして肝心なりったんはというと、特に危険に晒されているという風には見えなく、よそ事をせずにメモを取りながら壁画をまじまじと見つめている。
特に不味そうなところが見当たらなかったけど、俺は気になるものを一つ見つけた。
「茶色い……シミ?」
りったんの足元、そこの床は他の石の床と違って小さい斑点が三つ浮かんでいた。
ただのゴミのように見えるくらい小さいが、よく注意してみるとわかる。
あれは……、血だ。
なんであんなところに血痕があるのだろうか?
他に何か情報はないかと素早く視点を移動させてさらに周囲を観察すると、壁画の一部に……一部小さな突起と穴が空いていた。
ここで俺は瞬時に、このアラーム音の原因を悟る。
まずい、隣にあるのは熱源探知の魔法陣。
近くに熱があると知らせしてくれるセンサーのような魔法陣だが、通常これを単体で使うことは少なく、他の魔法陣と組み合わせて使うものだ。
一見、この魔法陣の周りに一緒に組み合わせる魔法陣は見当たらないが、もしこの壁の裏にその組み合わせて使う魔法陣があったとしたら……。
そこまで考えた時に俺はりったんに向かって勢いよく駆け出した。
「りったん、危ない!」
「えっ!?」
りったんの近くまで距離を詰めるや否や、俺はパッと彼女の細い手を掴むとそれを手前に引き寄せる。
「わぁっ!?」
よろめくようにしてりったんはリンクくん人形の隣に引っ張られる。
強引に引き寄せるのは心苦しいけど、今は事態を急がなければならないからごめん、と心の中で呟いた。
そして俺は次に自分だけしか使えない魔法、——未来視を行った。
「スタンバイ、——シミュレーション」
数秒後の未来が頭の中で再生される。
そしてその情報をもとにして俺は空いている左手を壁へと突き出す。
「間に合えっ!」
すると突き出した左手に向かって、壁に空いていた小さな穴からビュッと風を切りながら矢が一本飛び出して来た。
矢の軌道は予測通りの一直線。
本来ならばりったんの頭を穿つはずだった軌道だ。
俺は飛び出してきた矢を掴んだ。
「次!」
矢はちゃんと避けることができたが、これで終わりではないことに俺は気づいている。
続く罠がこの足元にあるはずだ。
というのも、血痕があるのに死骸がない。
以前ここに来た魔法省の調査隊が片付けたという線があるが、そもそも魔法省が死骸を発見してこの罠に気づいていたならば、学生たちはこんな危険な場所で魔法陣の調査の研修なんて行うはずがない。
この罠は、魔法省の役人たちに“見逃されたもの”。
だから死骸が無いのは魔法省が片付けたからでは無いと分かる。
ならば、なぜ、この血痕の主の変わり果てた姿がどこにも見当たらないのだろうか?
——その理由は今俺たちが立っている場所に、落とし穴があるからだ。
この血痕の持ち主は落とし穴に飲まれ、この部屋から姿を消したのだと俺は考えた。
俺は掴んだ矢を地面に投げ捨てると、りったんの腰と足に手を回す。
「しっかり捕まって!」
「え——!?」
りったんの見開いた目と目が会う。
何が起こっているのか分かって無いのも当然だ。
これが終わったら、この一連のトラップのことをなんと言ってごまかそうか。
まぁそんなことは後で考えれば良いか。
俺はリンクくん人形の腰を低く落とさせて、踏ん張らせた。
そしてアクチュエーターを解放して足をバネのように伸ばすことで、壁から遠ざかる方向へと一気に飛ぶ。
——瞬発的な慣性に逆らっての跳躍。
しかし、それだけではりったんの体に負荷がかかってしまい、傷つけてしまう可能性があるので、りったんに怪我させないように気をつける。
ふわっと浮いた時に、りったんは声にならない悲鳴をあげた。
「—————!?」
——バタン!!!!
ちょうどその時、大きな音が足元から聞こえた。
飛びながら横目で見ると足元の床が、まるでそこにはもともとなかったかのように抜けている。
やっぱりここまでが罠だったか。
予想があっていてホッとすると共に、逆に予想が外れていたらという恐ろしさに肝が冷える。
俺は着地する地面に顔を向け直し、今度は足がクッションになるように曲げて着地する瞬間に勢いを殺してゆく。
そのおかげでフィギュアスケーターもニッコリの安定した着地ができ、無理なく足を床につけることができた。
「ふぅ……、うまく行った……」
一息ついたところで、俺は腰を落とす。
一瞬の判断を間違えていたら、もしかするとこうやって息をつけなかったかもしれないと思うと、背筋に冷たいものを感じた。
いつもと違ってジジィのサポートが無いからとはいえ、俺がもっとしっかりしないとりったんに降りかかる危機に余裕を持って回避できない。
りったんの体重が軽すぎるせいで、今両腕には全然重みを感じ無いけれども、しかしちゃんとそこにりったんが無事でいるという実感が俺を安心させてくれている。
しかしそれがいつも当たり前なわけでは無い。
りったんはかわいそうだけれども不幸を寄せ付けやすい。
その不幸がもしかするとりったんに悲劇を生んでしまうかもしれないのだが、二度と推しの笑顔が見れなくなってしまうことだけは絶対に避けたい。
俺はもっと常日頃から注意を怠ら無いようにもっと気をつけようと心に誓った。
腕の中にいるりったんに目を落とす。
俺はとっさに彼女をお姫様を抱えるように持ち上げていたらしく、いわゆるお姫様抱っこをしていた。
息がかかる程度の距離にりったんの顔があることに気づき、自分の心臓が運動を盛んにし始め、急に緊張する。
あれ、俺、今、りったんを、抱き抱えている?
どさくさに紛れて、俺、何をやっていうんだろう?
対するりったんはというと、何が起こっているのかわからない様子で、口元を両手で覆うと
「あ、網島……くん? ——一体、……どうしたの??」
と困惑気味に見上げてきた。
やばい、超かわいい。
うっ、持病の推尊病が再発してきた……。
そんな風に上目遣いに見られると、緊張してとても心臓に悪いんだ、勘弁してくれ。
そして、一体どうしたのっていうのは…………もしかしてりったんは命の危機にあったことに気づいて……無い?
そして一体、どうしたのっていうのは、一体どういう意味だったっけ……?。
そうやって色々と混乱しかけていると、リンクくん人形の後頭部が強烈に叩かれた。
「わ、罠が残っていたのか!?」
「違うわよ! いつまでその格好でいるのかしら! 変態!! いい加減、——大園さんから離れなさい!」
おまけにもう一打を食らう。
そこで俺は正気を取り戻した。
そして俺の頭を殴ったのはクロエで、そして俺はしばらくりったんを抱きかかえて見つめる体勢でじっとしていたことに気づいた。
「わわわ、大園さん、すみません!!」
素早くではあるが丁寧にりったんを立ち上がらせて俺は距離をとる。
俺はファンでいくらりったんを応援しているとはいえ、不用意に彼女に近づきすぎた。
これは推し道に反する行いだ。
推し道にはこんな教えがある。
……推しとそしてファンとの間には絶対に超えられない柵がある、と。
その柵とは握手会でオタクとアイドルを隔てるあの柵だ。
オタクは応援している子がどんなに好きでも、この一線を超えられないというこの世のルールには絶対に逆らってはいけない。
それはオタクとしての共通認識。
いわゆる絶対のマナーだ。
それを俺は、握手を飛び越えて、いくらりったんを助けたいからとはいえお姫様抱っこまでしてしまうなんて……オタクの風下にも置けない。
これはひたすら謝るしかない。
「すみません!! 本当にこんなことをするつもりはなかったんです! ただ、罠! そう罠があったのを見つけたから俺は、ただ……」
土下座をしてただただ謝る。
頭がいつになく混乱していて、どんなに落ち着けと自分に命令しても、頭の中身は秩序を持たずに運動していた。
「馬鹿、しっかりしなさいよね。ちゃんと説明してあげなさい」
クロエは、もう……なんでこういう時には使えなくなるのかしら、とため息をつきながら、さっきりったんに向かって射出された矢を拾って持ってきた。
「大園さん、この遺跡にはまだ罠が残っていたらしくてそれが大園さんに反応して起動したらしいの」
「クロエちゃん……、わ……、罠って…………」
「そう、侵入者を追い払うために使われるトラップよ。この矢があなたに向かって飛んで行ったらしいわ」
クロエは手に持つ矢をりったんに見せた。
石製の棒に石の矢尻をつけた粗末なものだが、その荒く削られた形状から十分に狙った獲物を殺せそうな性能があるのは素人が見ても明らかだ。
りったんはそれを見てショックを受ける。
「これが……、私に?」
「ええ、それにこの網島くんが気づいたようで、とっさに矢の軌道からあなたをそらしたみたいだわ」
クロエは次に今ぽっかりと床に空いた落とし穴を指差す。
「そしてあそこに空いている穴が、さっきあなたのいた場所なのだけれどわかるかしら? この床も罠で、起動すると底が抜ける仕様になっているみたいだわ。網島くんはそのことにも気づいてあなたを抱きかかえたのかしらね」
クロエの説明を聞いたりったんは自分に何が起こっていたか理解してきたようで、嘘……、と一言呟くと矢、落とし穴、そして俺を順番に見つめた。
「あ、網島くん……。ええっと、あの……助けてくれてありがとう」
りったんが手を差し出してきた。
俺はここで推しの手をとって良いものかと一瞬ためらったが、ここで手を取らないのも感じが悪い。
顔を合わせないようにして、どうも、と一言だけりったんに伝えた。
少し気まずい空気が流れようとしていたが、ここで静寂を破った者がいた。
「な〜るほどねぇ。魔法省が罠を見落としていたのかな。それにしても生徒が無事でよかった。にしても網島君か……、実に見事だったよ。私の仕事も増えずに済んだ」
声の方向を見ると、そこには腕を組んで顎を手で触っている梅州がいた。
彼はニヤリと笑う。
「これでは研修どころじゃあないね。僕の方から今回の不備を学校側に言っておくよ。場合によっては次の研修場所は変わるかもしれないね。すまないね」
なぜ彼は笑いながら謝っているのだろうか?
誰かが大怪我を負っていたかもしれないのにどうやったらそんな笑みがこぼれるのだろう。
教師はあっけにとられている土部と箭原に、声をかけると
「それじゃあ、帰ろっか」
と言って一人で外へと出て行ってしまった。
あの教師、こんな大ごとがあったのに飄々としていて、一体何者なんだろうか。
何だろうあの感じ、俺は絶対に好きになれない。
俺たちは彼の背が消えてしまう前に、皆黙ってついてこの気味の悪い部屋から出て行った。




