44、心はもやっもや
俺は黒い靄に向けて、かつてゴリラが使っていた魔法を使った。
「スタンバイ、ーー空の彼方への憧憬!」
俺の周りを突風が取り囲み、そしてものすごい勢いで空気が外へ吹き出ていく。
あの黒江氏と戦っているときに使っていた魔法を解析して自分も習得し、使えるようにしておいたのが功を奏した。
思っていた程度の効果は発揮してくれそうである。
ーーブオォォォォ……。
風が低く唸りながら、靄をある一点へと一気に集めていく。
急激な密度変化により光の屈折率のムラができたため、目の前の空気が若干歪んだように見える。
しかしそれも一瞬のこと。
景色を楽しんでいる時間なんてない。
突風は俺の一歩前の空間に向けて収束するように黒い三つの靄を吸い込み始めた。
靄はなすすべがないまま、ただ風に漂っている。
しかし何も動きがない訳ではなく、その靄は漂いながら一つにまとまろうとしていた。
靄が何をしようとしているか分からないが、仕留めるには動きが取りづらそうな今がチャンスだ。
「はぁっ!!」
サイリウムを振りかぶって縦にまっすぐに切り結ぶ。
一つになった靄は、案の定手をニョキッと生やしてサイリウムをつかもうとしたが、風の牢に囚われているせいでただ宙を掴むばかりであった。
俺は、人間であれば脳天に当たる部位に向かってサイリウムの刃を押し当てた。
そして、両断するために自分の体に向かってサイリウムを引き込む。
カチン、と何かにあたり反発するものを感じた。
何だろう、サイリウムに抵抗を感じるのはよっぽど丈夫なもののはずだ。
でもここでためらっていても何も始まらないのでとりあえず斬り下ろした。
ズブズブと切っ先が靄の下端に達し、割れ目からは黒い煙が吹き出してその煙は空へと勢いよく立ち上っていく。
どうやら効果があったみたいで、黒い靄は小さくなって行った。
「やったか?」
俺はあの黒い靄に引き続き注意を払いつつもサイリウムをしまった。
……パシャ。
カメラのシャッター音が聞こえた。
今度は正面からだ。
しかし先ほどとはシャッター音が違うのが気になる。
カメラの機種をこんな時に持ち替えたのか?
そして俺を撮ろうとしているのか? りったんではなく?
疑問が次々と浮かび上がって色々と確かめたくなった。
目を凝らしてみるものの、黒い煙の勢いが良すぎるせいで相手をよく確認できない。
その時、足元がぐらりとフラついてトラックも完全に止まった。
バスの胴体が左右に揺れたところから運転手の戸惑いを感じた。
どうやら黒い煙が邪魔で動けなくなってしまったらしい。
自分の体を引っ張る慣性力に両足で耐えるとカメラの音の正体を確かめるべく、俺はとりあえず元靄を飛び越えて煙の向こう側へと走った。
視界が開け、光が差し込む。
黒煙を抜けて俺が見たのは、またあの靄の塊だった。
「まだ残っていたか」
またサイリウムを引き抜いてさっと構えた。
少し取り逃がしてしまうとは、俺も詰めが甘かったかもしれない。
よく見ると、あの靄の塊は小さくなっているが四肢が付いており、小さな球状の胴体から手足をバタバタさせる姿は気味が悪かった。
胴体からカメラのレンズが飛び出ており、今まで聞いてきたシャッター音はあのカメラの音かもしれない。
それだけでない。
奴には羽が生えている。
翼ではなく昆虫についているような薄い羽で、奴は瞬く間に飛び上がった。
「待てっ!」
俺はとっさにワイヤーを飛ばすものの、明らかにリーチが足りずにあの黒い奴にかすめることもできなかった。
結構なスピードで奴は一直線に飛んでいる。
ズダン、と音が少し遅れて聞こえると、あの黒い生物はさらに加速して銃弾のように消えて行った。
「くそ、ドローンに追わせるか、ーーホーネットワン、アームド」
一キロ離れたトレーラーに乗せたドローンにあの黒い靄を追わせるように命令を送る。
ピコン、という機械音がして無事飛んで行ったことが伝えられてきた。
もう少しあの謎の生物の情報が足りていたら余裕を持って戦うことができたかもしれないが、未知な部分が多かったためにこちらも強気に出ることができなかった。
でもしょうがないというだけで片付けるのも良くない。
ドローンでみっちり追いかけてあの靄の正体を必ず明らかにしたい。
ふと、先ほどまであの奇妙な黒い靄がいた場所に白いものが見えた気がして目を向ける。
そこには石の破片が落ちていて、太陽の光を受けてその破片は白く発光していた。
「……これは?」
雰囲気的には俺が真っ二つに切った隕石の一部かとも思ったが、それこそ隕石は全て真っ二つに切ったはずなのでこんな石板の一部のような形で存在しているということは、また違うものだろう。
近くに行って拾い上げると、何か少し文字が刻印されている。
だけど……読めない。
楔形文字の類に見えて、どちらかといえばまた違う文化の古代文字の一部にも見えた。
あとで自宅にデータを送って分析をしてみよう。
もしかすると、あの謎の生物の手がかりにもなるかもしれない。
そんなこんなで俺はまだあたりに何かが落ちていないか見回していると、バスの扉が開き、外に誰かが出てくる気配がした。
「……外の様子を見てきます、網島が無事かどうかも……」
あの低い声は担任の寺田先生だ。
彼はステップを下りながら屋根上の方に視線を向けているが、それでは何も分からないだろう。
一応俺は光学迷彩で見えないはずなので、学校の人たちは俺を見つけることはできないはず。
だからとはいえ、念には念を入れることに越したことはない。
あの靄を逃してしまうことで不安の種がほったらかしになってしまったのが気になるところだが、俺も俺でひとまず逃げなければ。
そう思い、俺はバス後部の屋根から飛び降りると、足音などを極力消しながら走る。
できるだけ遠くの茂みに飛び込むと、服を着替えた。
上着を裏返すと制服が現れる。
袖に手を通してどこにも変なところがないか確認すると、茂みの間から遠くのバスの方の様子を伺った。
見ると一人は外から窓枠に足をかけてよじ登ろうとしており、どうにかバスの上を見ようしている。
そしてもう一人、担任の寺田先生が出て来て、彼はバスが来た道を引き返していた。
きっと窓から飛び出した俺を探しに来たのだろう。
見つかるなら事情をでっち上げて、なるべく早く見つかってあげた方が後々楽そうだ。
俺は茂みからゆっくりと彼の前へと向かって行った。
あえて今まで茂みにいましたよ、と言わんばかりにゴソゴソと背の低い木々を揺らす。
すると音で先生は俺に気づいたらしく、こっちに向かって来た。
ここはひとまずトイレに行こうとして飛び降りたという体でやって行くか。
「う〜ん、スッキリした!」
彼に見えるようにさも今お花摘みに行って来たかのように気持ち良さそうな伸びを見せつける。
横目で見ると肩を怒らせて近づいて来ている。
あれっ? 聞こえてないかな?
ならもう一声。
「あっ、寺島先生すみません。どうしてもトイレが我慢できなくて……」
しかし俺に反応することなく彼は駆け寄って来た。
そして寺田先生はのそのそと茂みから出てきた俺の肩を両手で掴むと、
「網島、お前……バスから飛び降りるとは正気か? そんなにトイレに行きたかったら言ってくれれば良いものを。……怪我はないのか?」
と俺の安否を確かめてきてくれた。
しかし彼の眉は顰められている。
これは……、そうだな。
もしかして心配してくれているのだろうか?
先生は、そんな俺の疑問に答えるように彼は俺の全身を下から上へと見て行くと、よし、と背中を叩き、
「とりあえず怪我は無さそうだな。先生……心配したんだからな。トイレが行きたかったら休み時間にちゃんと行くんだぞ。一言声をかけてくれればよかったものを……」
と笑った。
なんだ、結構生徒思いな人じゃないか。
彼は若い先生ではあるが、がっしりした体育会系の見た目なのでうっかり張り手でも飛んできそうとこっちが勝手に偏見を持っていいただけだったようだ。
「す……すみません。以後気をつけます」
ここは素直に謝った。
「そうだ。ちゃんと気をつけるんだ……それと」
彼はバスの方を指差して、
「網島、外からバスで何かおかしい所は見なかったか? ……まさかお前関係があるわけないよな?」
と尋ねてきた。
「何かあったんですか?」
「……何も見ていないんだな」
「はい、……トイレのことしか頭になかったもので」
「なら、先生は網島を信じよう」
彼は俺の頭をポンポンと叩いて背を向けた。
「戻るぞ……、もう二度とこんな真似するんじゃないぞ」
「はい」
色々と詮索してこない人で良かった。
それにしても……。
あれはりったんを狙った襲撃だったのか……?
あの靄の正体もわからずじまいでこの合宿の先行きが予測できないのが心配だ。
あとでしっかりと情報を収集しよう。
俺が浮かない顔をしていると、彼は敏感にそれを読み取ったのか
「なんだ、まだ何かあるのか?」
と声をかけてきた。
いえ、と言って俺は後ろについて行く。
なんか色々と面倒なことが起きそうで、合宿終えて早く家に帰りたいな……。
俺の本体は家にあるけど……。




