26、実質初めまして
クロエが目をさましてから少し時間が経った。
今、彼女は少し色々と整理させて、と言って毛布にくるまって俺のベッドに座っている。
両手には俺が下で淹れてきたココアが握られていた。
「少し——落ち着いた?」
遠慮気味に俺は彼女に聞くと、クロエは小さく頷いた。
今日彼女に降りかかったことといえば、登校中にテロリスト達に襲われて、それから変な男の家に連れ込まれるというものすごいハードスケジュールだったので、色々と情報の整理が追いつかないのも無理はない。
「少し説明してもいいか?」
「……ええ、頼むわ」
クロエが先ほどより大人びて見えた。
俺はもう大丈夫だなと判断すると、説明を始めた。
「まず、前提として君のお父さんがテロリストのボスだったっていうのはあっているか?」
少し間が空いたが、クロエはためらいがちに、えぇ、とうつむいた。
「今、ビックリ大サーカス団っていうのがこの近辺にきているけれども、彼らがサーカス団の皮を被ったテロリストの疑いがあるっていう情報が入ってね……。調べたところ君のお父さんと、テロリスト達にボスと呼ばれている男の顔が一致していたんだ」
クロエは俺が言ったことを知っていたのか、そう驚くこともなかった。
以前ジジィがこの部屋で俺に見せてくれた写真はまさしく黒江龍蔵氏本人であった。
俺も最初は驚いたが、そこから俺はある仮説を立てていた。
「最初は君もそれは知らなかっただろう。しかしある日、君は黒江“氏”にお使いを頼まれたんじゃないか? ——例えば、人をさらって来い、とかね」
図星だったのか、クロエは顔を背けた。
「そうよ、私も最初戸惑ったわ。あの優しい“お父様”が急に人をさらって来いっていうんだもの……。周囲には知らない怖い男の人たちもたくさんいたし…………」
俺の予想はあっていた。
黒江氏はりったんが持つ特殊な魔法に気づき、それを優秀な娘にさらわせようとした。
あの時にりったんをさらおうとした“虎”がまさしくクロエが変身していた姿だった。
「でも、私もちゃんとイヤって断ったの。……そうしたら、またお父様のお顔つきが急に怖くなられて…………」
よほどその時のことがトラウマになっているのか少しづつ肩が震え始めている。
「鮮明に覚えているわ。——二週間くらい前からお父様は人が変わったかのように冷たくなられたの。犬が寄ってきたら蹴り飛ばし、人を家畜のようにこき使うようになった。私に対する言葉遣いだって荒くなって、家族と思っているのかどうか怪しいものだったわ」
ふーっと息を吸って呼吸を整え直した。
クロエが言うことには、ある日突然黒江氏は言葉遣いも荒くなり、優しさのかけらも微塵もなくなったそうだ。
犬が気に入らなかったら血を吐くまで蹴り倒し、今まで共に仕事をしてきた秘書が珍しくミスをした時には首を絞めて気絶させたらしい。
気絶で済んだのは、たまたまそれを見ていたクロエが止めに入ったからだと言った。
もし止めていなかったら、秘書は死んでいたかもしれないとも語った。
「——私が止めに入った時、あの人は……こう言ったの。“言うことが聞けない娘を、聞き分けが良くなるように教育してやる”ってね……。そして力づくで私を押し倒し、足を掴むと……デバイスで魔法陣を……刻んだの…………」
よっぽど怖かったのか、目には涙がたまり始めていた。
「その魔法陣はね…………、魔法を込めると私が爆発するようにできてるって…………私、とても怖かった」
ついには静かに泣いてしまった。
俺は何もできず、ただそのまま泣き止むのを待った。
とりあえず、近くにあったティッシュをそっと置いておいた。
しばらくすると、クロエは落ち着いたのか、近くに置いておいたティッシュで涙を拭った。
「ありがとう……。見苦しいところを見せてしまって申し訳なかったわ。……今思えば、私たちまだ会って二日目なのね。こんな話をするとは思わなかったわ」
「俺自身に会ったのは初めまして……だろ? ——俺も初めて会った引きこもりの部屋で女の子が泣くっていう話を聞いたことないぞ」
それを聞いた彼女は少し微笑んで、
「ふふ、そうよね。……私、どうしちゃったんだろう?」
と言った。
「あの魔法陣が消えたから、少しは安心したんじゃないのか? ——ちなみにあの魔法陣が爆発するっていう仕掛けは嘘だぞ」
「……嘘?」
「そう、うそ。なんか回文みたいで変な気持ちになるな……。あの魔法陣は人を信頼できなくなる精神作用系の魔法陣なんだ」
「じゃあ最近、私がこのことを誰にも言えなかったのはそのせいなの?」
「そうかもな。でも考えてみろよ。あいつらお前を追いかけてきたけど、追いかけて捕まえて殺すぐらいだったらその魔法陣を爆発させた方が早いだろ? でもそうしなかったのはそんなことが出来なかったからなんだ」
クロエは納得したように手を合わせた。
「なるほど。私も頭が回らなかったわ」
「君は頭が良さそうだから、それくらい気づくかなとも思ってたけど」
「何よ、私に喧嘩売ってるの?」
「いえいえ。——ところで、そんな優秀なクロエさんを見込んで相談があるんだ」
彼女は首をかしげると、続きを促した。
「何かしら?」
「俺たちのところで“バイト”してくれないか?」
クロエは一瞬何を言われたのか理解できなかったようでまた首を反対側に傾げた。
「えぇっと……」
頭の整理ができていなかったのか、クロエは言い淀む。
「引きこもりの家でバイトっていうのは、私が引きこもりの世話をする……っていうこと?」
「あぁ、そうだったな。まだここの事務所の説明をしてなかったな……」
俺は頭を掻くと彼女に説明をした。
ここは探偵事務所であること。
俺はそこで働いているということ。
俺以外にも同居人がいてそいつがここを管理していること。
そして二人しかいないため、人手が足りないこと。
話を聞きながら、クロエは相槌を打ったり、へぇと言ったりしてくれて以外と話しやすかった。
昨日の朝は睨まれた気がするが、クロエはお嬢様の品を持っているのかもしれない。
一通り話し終わると、クロエはう〜ん、と唸った後、
「いいわ、探偵のお手伝いくらい。…………あなたのことは良くわからないけど、私を助けてくれたみたいだから……そこの所はチャラにして信用しといてあげる」
と言った。
俺はその返事にただ感謝するだけだった。
「ありがとう。そのかわり、君の身の回りの安全は保証する」
「それは助かるわ」
うまいことクロエを仲間にできたみたいで俺はとりあえず一安心した。
その時、左上のモニターが点滅した。
俺がキーボードのボタンを押すと、映像が切り替わった。
「——坊ちゃん、私にございます」
ジジィが映っている。
背後にはリンクくん人形がいた。
場所は車の中、といったところか。
ジジィは俺の背後のクロエに気づいて挨拶した。
「おや、これはクロエ様、起きられましたかな。初めまして、私、ジェイガン・ジャックソンと申します。以後、お見知り置きを」
画面からでも伝わってくる品のある挨拶にクロエは少し圧倒されたが、彼女も丁寧に挨拶をした。
「こんにちは。私はクロエ・ベルナールドと言います。えぇっと、こちらの探偵事務所のオーナー様かしら?」
ジジィは俺を見て、色々と説明し終えたことを察すると、口端に笑みを浮かべた。
「ホッホ、オーナーとは初めて言われましたが、そのようなものです。それで……どうですかな? 坊ちゃんから話は聞いたかと思われますが、うちで働いて下さりませんかな?」
「えぇ、先ほど網島くんにOKをしましたわ」
「それは助かります。今後ともよろしくお願いします」
ジジィは頭を下げる。
それを見たクロエも、よろしくお願いします、と言って頭を下げた。
「で? ジジィ、仕事はうまく行ったっぽいな」
「はい坊っちゃま、滞りなく」
クロエは何のことやらさっぱりわかってなさそうだったので、説明しておいた。
「彼らはさっきまで魔法省に潜入していたんだ。清掃員のふりをして」
「魔法省に潜入……!? そんなことをして、大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ。内部のデータをコピーしてきただけだから」
ジジィとリンクくん人形は、リンクくん人形と穂満さんが魔法省に潜入している時に、清掃員のフリをして魔法省に潜入した。
エレベーター前ですれ違った二人組がそうだ。
ジジィはその時に一緒に乗っていた黒江氏のIDカードを盗んでコピーしていた。
もちろんカードはエレベーターに乗っている間に返しているから、黒江氏も気づいていないはずだ。
そのカードでセキュリティルームを開けると、トイレに待機させておいたドローンを使って中に侵入させ、データを盗むという手はずになっていた。
帰りは身体検査とかないので結構簡単に帰れる。
「坊ちゃん、うまくいきましたぞ。ホッホッホッ」
「私、またここでも犯罪じみたことをさせられるのかしら……」
クロエは俯くと頭を抱えていた。
「俺たちは探偵だぜ……! まあ今やってきたのは何だ、犯罪を解決するために魔法省に侵入したからプラマイゼロっていう感じで」
「プラマイゼロとか、適当すぎてますます不安になるわ……」
「適当に返事をしたのは君だぜぃ!」
クロエは見せつけるかのように大きくため息をついた。
俺はとりあえずクロエを放っておいて、ジジィと話すことにした。
「で、ジジィ。肝心のデータは送ってくれたか?」
「はい、クラウド上をご確認くださいませ」
俺は共有ネットワークを開くと、新しく追加されたフォルダに目を向けた。
すると一つ、膨大な容量のファイルが転がっていた。
見るとそれは魔法省のローカルネットワークで管理されていた、内部情報であった。
「ジジィ、サンキュ! これは大漁だったな」
「これはこれは、ジジィは坊ちゃんのお役に立てたようで何よりでございます」
「じゃあ俺は早速調べ始めるから、ジジィは帰って来てくれ」
「はい、数十分後にまた事務所に参ります」
「おう」
ジジィは画面の向こうで軽く一礼をすると、モニターは元の画面に戻った。
俺は早速、魔法省のカメラの様子を六枚のモニターにバラバラに映し出す。
日付は二週間前。
有馬が悪魔の研究に興味を持ち始めたときからだ。
しかし、すぐにおかしな様子が見つかるはずもない。
俺は全ての映像を4倍速で再生した。
「ここからが気の遠くなる作業なんだよな……」
「今、何をしているのかしら?」
先ほどげんなりしていたように見えたクロエで会ったが、今では身を乗り出してモニターの映像に興味津々である。
「今、ほらあそこに写っている男がいるだろ?」
俺はそう言って、画面の一点を指差した。そこには有馬聖号と呼ばれる六芒星の一人が映っていた。
「彼は有馬聖号という名の六芒星の一人で、突然消えて行方不明になってしまったらしいんだ。——事件に巻き込まれてしまったんじゃないかと思われているんだが、今は彼が誰と接触していたかを洗っているんだ」
「そう。それなら、私はこっちを見るから、あなたはそっちを見て」
「えっ? 手伝ってくれるのか!?」
クロエは、もう、と呆れた。
「あなたが私に手伝えってさっき言ったじゃない。……後でちゃんとバイト代を払うのよ? それと……私を見捨てないでよ?」
「もちろん。……ホントにありがとうございます」
こうしてクロエは仕事仲間となり、日付が変わってもずっと隣で一緒に映像を確認しているのであった。




