11、放課後っていうのは方言なのかそうでないのか
仕事はものすごい早さで片付いていき、部屋にはいつの間にか夕日が差し込んでいる。
自分の空間というのはとても落ち着くのか、やけに集中力して取り組むことができた。
窓から差し込んできた斜陽が目にしみるまで、仕事に集中しすぎていて自分は何をしていたのかあまり覚えていないくらいだ。
——それはそれで問題ではあるが。
気がつくと右上のチェックボックスは後2つとなり、なんとか今日中に終わらせることができそうであった。
そこで少し休憩しようと思ったのもつかの間。
俺は誰かから話しかけられた。
「……網島君、ちょっといいかな?」
もちろん、9畳の自室で話しかけられたわけではない。
学校にいるリンク君人形が話しかけられ、それがスピーカーを通して自室で聞こえたのだ。
中央下のモニターを見ると、目の前にはりったん、そしてその影にはクラス委員長がいた。
上のモニターには下駄箱に佇む3人が映っている。
よく見ると、遠巻きに知らない生徒達が俺たちを見ているが、それはりったんの可愛さに見とれているからだろう。
基本自分が仕事をしている時は、学校で話しかけられたりなどしない限り自動でリンク君人形が動いてくれている。
よっていきなり話しかけられると、俺はその時点からマイクで対応しなければならないため、その都度その都度リンク君人形がどのような状況に置かれているのか把握する必要がある。
この映像を見たところ、おそらくもう授業は終わったのでリンク君人形は自動的に帰ろうとした時に、彼女達に引き止められた、という構図だろう。
「大園さんどうしたの? ……それにクラス委員長まで」
自分の“推し”に下駄箱で名前を呼ばれる日が来るなんて思ってもいなかった。
もう自分はここで死んでも後悔はないかもしれない。
すぐ天国に逝けるだろう。
そしてクラス委員長もおそらく自分に用があってきたのだろうが、こちらも思い当たる節がなかった。
ショートで小さなリボンを頭にちょこんとつけたクラス委員長のおとなしそうな容姿は、決して頼れそうなおおらかさを感じさせないものの、雰囲気からきっと人柄はいいというのがわかる。
クラスの人から可愛がられ、親しまれていることは想像に難くない。
クラス委員長が隠れているのとは対照的に、りったんは俺にグイグイと距離を少し詰めて、あの、と言いながら、
「——実はお礼が言いたくって」
と気恥ずかしそうに微笑んだ。
「……今日貸してくれた教科書、とても読みやすかったの。たくさん誤植を修正してあったり、注意すべきポイントが書き込んであったり……」
彼女の両手には俺の教科書が大切そうに握られている。
それを胸の前に持ち直す。
「あの書き込みがなかったら、私今日居残りになってレッスンがキャンセルになっちゃって困っちゃってたと思う。——だから、ありがとう!」
そう言って俺に教科書を突き出して来た。
その時のりったんがくれた盛大なスマイルに心が締め付けられた。
別にこのようになることを計算して誤植を家で直していたわけではないし、誰かに貸そうと思ってポイントを書き込んだわけではない。
この教科書ひでーなとか思いながら文句を言いながら書いただけだ。
しかし過去の自分のやった“たまたま”が、このスマイルに繋がったのだ。
確かに予習なしのりったんが魔法陣の居残りになるかもしれなかった、というのは事実だ。
それは努力や、才能でカバーできないインチキなところがあの課題にはあるからだ。
でも、だからこそ、あの書き込みがしてある教科書を渡していることで、りったんならあの授業を乗り越えられると確信していた。
だからこそ俺は、
「いや、あれは大園さんの集中力と才能だよ。予習していれば確実にできたものだよ」
と、断っておいた。
「ううん、この教科書はとってもわかりやすかったの……。それに本当に網島くんは貸しても大丈夫だったの?」
「問題ないよ。その教科書自体をPDF化してタブレットに入れてるからいらないんだ。大したものじゃないから、……もしよかったらあげますよ?」
「……本当に? ……本当にいいの!? 借りる時に教科書がくるまでって言ってたけど、私ホントにもらっちゃうよ??」
「もちろん」
「ホントにありがとう! レッスンの合間に勉強したいと思っていたの」
そう言いながら、俺に返そうと突き出していた教科書の手を引っ込めた。
彼女は軽くその場で跳ねると、
「……いつかお礼、させてね!」
と言って微笑んだ。
……教科書をあげると言ったのには少なからずの下心も含まれていたことは秘密である。
俺って推しの笑顔に超ちょろい。
それにお礼ってなんだろう??
りったんが嬉しがっていると、それを見計らっていたかのようなタイミングで後ろから委員長が出てきた。
「…………網島くん、実は私もそのことでお願いがあって……」
クラス委員長はもじもじしながら話す。
「あの教科書……、私もちらっと見ちゃって…………。もし良かったら私にも見せてくれませんか?」
りったんよりも背が低い分、こちらの視線を伺う姿がどうしても上目遣いになってしまう彼女の姿が可愛らしい。
なるほど、クラスの人間はこの委員長のこういうところに弱いのかもしれない。
話を聞くと、委員長はどうやら先程の魔法陣の演習で行き詰まっていたらしい。
確かにいつもなら早くに課題をこなしてくる委員長も、今回の課題はこなすスピードが遅かったかもしれない。
しかし、そんな時にりったんが使っていたこの教科書をたまたま見て何かヒントを得たらしい。
そこであの教科書を、予習の時に使いたいと思ったそうだ。
「別に構わないよ、もしよかったらPDFのデータを送っておくよ」
「ありがとうございます!」
「ムギちゃんよかったね!」
「うん!」
ムギちゃん……。
りったんが相手をニックネームで呼んでいて少し嬉しくなる。
ここで親心的なものが出ちゃうものはオタク特有のものかもしれないが、新しく入った学校に少しでも頼れるような存在が、これからの生活で徐々に多くなっていくと良いと思う。
男以外で。
クラス委員長はまた俺の方に向き直ると、思い出したように首を傾げた。
「あの……ところで私の連絡先、網島くんは持っていますか?」
「あー、確かに。俺グループに入っていないからな……」
自分は必要がなかったため、人との連絡先なんて交換はしていない。
クラスで連絡をやり取りをするグループラインなるものがあと知ってはいるが俺は入らなかった。
人と関わることを考えていない自分には、必要性を感じなかったからだ。
——ちなみに蒼井から聞いたが、クラスで入っていないのは俺だけらしい。
「もしよかったらでいいんですけど……、グループに入るのが嫌なら私のラインを登録して、そこから送ればいいんじゃないでしょう……か?」
委員長はスカートのポケットから、飾り気のないケースのスマホを取り出した。
「いや……、そもそもアカウント登録していないんだ。——じゃあこのタブレットを貸すよ。どうせ今日見る予定もないし」
「……でも。そうしたら網島くんの教科書なくなっちゃいます…………」
申し訳なさそうに目を伏せる。
「自宅のパソコンか何かにコピーして、明日の朝返してくれればいいよ」
「でも……」
「いいのいいの」
そう言いながら俺はスクールバッグからタブレットを取り出した。
「どうぞ。パスワードロックは外しておくよ、特に見られて困るものは入っていないし……」
とりあえずざっとタブレットの中の情報を確認して、はい、と言いながら彼女に半ば押し付けるように渡した。
彼女は申し訳なさそうにうつむいており、タブレットを押し付けると少し困惑していたが、やがて踏ん切れたのか、
「——では1日だけそれを貸してください。 このお礼はいつか返します」
と、顔を上げて言った。
「クラス委員長までお礼だなんていいよ。大園さんも別にそんなに気にしなくていいから」
「では…… お言葉に甘えて」
クラス委員長はタブレットを両手で受け取る。
そして自分で操作して、教科書を開けることを確認すると、ぺこり、と丁寧なお辞儀をして、
「ありがとうございます」
と言った。
そんな中、俺たちを噂する声がちらほらと聞こえる。
「大園さん美人——!」
「近くにいる子も小動物的な感じで可愛いな」
「転校して来たっていう噂、——本当だったんだ」
そして彼女たちの近くにいるのはなんだあいつ、という周りの視線が痛い。
ギャラリーが時間の経過と共に増えて来たのだ。
人気のある人たちには、自然と人を引き寄せる魅力があるのだろう。
これ以上話が続くと悪目立ちし過ぎてしまうので俺は立ち去ることにした。
「それじゃあ俺は用事があるからここで」
「本当にありがとうございます」
「私もレッスンに行くね! 網島くん、明日もよろしくね」
「……ハハハ、よろしく」
明日も近くで勉強する彼女のことを考えると緊張するが、とりあえず手を振っておいた。




