10、頼れるのは年の功
キーボードを打つ指が忙しい。
自室ではカタカタと、有機質? な音が途切れることがなかった。
指が次第に凝ってきている。カタカタ、というキーボードを打つ音に紛れて、関節のポキポキという音が聞こえてくる気がした。
先ほどの授業中にあった出来事が衝撃的すぎて、2時間前にこなそうと思っていた仕事が終わってなかったのである。
右上のモニタに映る15個ものチェックボックスは、もう正午だというのにまだ1つしかチェックマークがない。
このままだと仕事が今日中に全て終わらず、明日に繰り越しになってしまう可能性がある。
よって現在、頭と指をフルに使って仕事をしている。
先ほどの魔法陣の授業は普段と比べて平和に終わった。
クラスの者たちは皆、りったんや蒼井に教えてもらったおかげで、折り紙用の魔法陣の起動ができるようになった。
いつもなら蒼井とクラス委員長の2人が忙しく教室中を教え周っていたが、それにりったんも参加してくれたそうで負担が減ったらしい。
十坂という教師がいるのにも関わらず、彼らたちがその代わりをしっかり果たしクラスの者たちに慕われている。
その時の俺はというと、適当に人形に魔法陣で兜を折らせて提出させ、蒼井たちが忙しくしている間、リンク君人形にはまた読書の時間を続けさせていた。
りったんが忙しくしているとはいえ、俺はあくまでクラスの者たちとできる限りかかわらないという姿勢は崩していない。
だから自分は周りに教えに行くなんてことはしない。
現在の数学の時間は先ほどの魔法陣みたいないやらしい授業ではないので、人形をそのまま自動運転にしておけばそつなくこなしてくれることだろう。
その代わりに自室では仕事の山を急ピッチで片付ける必要がある。
モニター映像を目まぐるしく切り替えては、報告書をまとめていた。
するとコンコン、と自室の扉がノックされた。
「坊ちゃん、私にございます」
誰かが部屋の中に入ってきたが、この部屋に入ってくる人物は決まっている。
俺は相手が誰か確認をせず、俺はモニターとにらめっこをしながら、部屋にきた人物に声をかけた。
「——ジジィ、すまないがまだ仕事があまり終わっていない。とりあえず1件だけ報告書をまとめあげておいたからそれを持って行ってくれ」
「おやおや、これは坊ちゃんには珍しく手こずられておられる御様子。——さてはりったんさまとお会いできましたか?」
「——なんで知ってるんだ?」
俺は手を一旦止めて、相手の方へ椅子ごとくるりと向きを変える。
予想通り白髪の初老がいた。
この事務所の管理をしているジジィだ。
片手にはファイルを携えている。
「気づいていらっしゃらないんですか? 先ほど坊ちゃん、『りったーん!! マジ天使!! バジリスクタイム!』と大声で踊られていましたよ? 近所迷惑も甚だしいですな」
「マジかよ……!? いろいろあったせいで、とうとう俺も気づかないうちに発狂しちゃうマンになったか…………」
「冗談にございます」
「嘘かい! その年にもなって性懲りも無く……」
お前がいうことだから信じちゃったじゃないか、と小声で漏らすピュアな俺に対し、ジジィはピースサインを作ると、もう片方の手でスマホを差し出してきた。
「——本当はこちらです。すでにSNSでは話題になっておりますぞ」
「ん? 【大園莉子、東明高校に転校か!?】……ってもうニュースになってたのか。俺も把握してなかった」
「どこぞの週刊誌の連中が騒いでいるようにございまして、私もそれに気づいただけにございます」
今日の自分が冷静さを欠いていることは、度々気づいている。
例えば今までは週間文秋がつけていることに気づいたら、ドローンでさりげなくレーザー光を照射し、さりげなくカメラを破壊してきたりしてきた。
てへぺろ。
しかし、今回は週刊誌の尾行にすら気づけていなかった。
もしかすると、見逃したものは彼らだけでなく、他にもいたかもしれない。
……急に寒気がしてきた。
「——坊ちゃん、今回お部屋に伺ったのはこちらの件についてでございます」
ジジィはそういうと資料を1枚手渡した。
「今度は……、ビックリ大サーカス演目? 急にどうしたんだ?」
「最近、サーカス団がこの近辺に来ていることはご存知でしょうか?」
「あぁもちろん。先週りったんが襲われたのもここの虎っていう話だけど……」
「はい、流石にあの警察の話は嘘であったということはジジィも存じ上げております」
先週、りったんが夜道で虎に襲われた。
その時にリンク君人形を出動させて撃退したものの、エセ警察や野次馬などが沢山現れ、さらにはりったん本人にも姿が見られそうだったので、とりあえず身を隠したことは記憶に新しい。
あの警察官は、後々の調査で警察に所属していないことは分かっていた。
しかし虎の所在は未だ掴めていない。
ジジィは話を続ける。
「そのサーカス団、テロリストの疑いがあるそうです。どうやら首領の男が国外から武器を密輸しているらしく……」
そう言いながら一枚の顔写真をスマホで表示した。
「——この男が首領か」
体つきはとてもよく、盛り上がった筋肉が特徴的な男性だった。
「はい、仲間には“アンドラス”と呼ばれているそうです」
「ふ〜ん、悪魔の名前を語るとは大胆だね……。ちなみに、どんな武器を密輸しているんだ?」
「重火器に魔導デバイスを少々。あと、不受容<シタククバーリ>のスクロールという珍しいものもございます」
「なんだそれ? 聞いたことないし、どこの遺跡から出土したものなんだ?」
俺の記憶にはない魔法だ。
特に、名前も英語ではないということは偶然見つかった貴重な魔法の可能性が高い。
「アフリカ西武で最近見つかった物だそうです。しかし、最近盗まれたらしく、おそらくこの集団が密輸しているかと。どうやらこの魔法を掛けられると、誰も信用できなくなるという精神作用を及ぼすそうです。」
「精神干渉系か。確かに珍しいスクロールだな。そんなものを使ってまで、何を始めようとしているんやら……」
俺は思案に耽る。
考えれば見えてくることもあるが、今回はなにぶん情報が少なすぎて全容が見えてこない。
そんな俺を見て、ジジィはもう一つ、と言いながら新しい紙をファイルから取り出した。
「坊ちゃん、こちらの男性を覚えていらっしゃるでしょうか?」
見ると、中年まで行かないまでも脂ぎっている顔はテカテカと光り、両目が離れた男性が写っている。
俺はもしやと思い、記憶を手繰り寄せるとある人物がヒットした。。
「あのエセ警察か! よく見つけたな!」
「そうでございます。どうやらサーカス団の人間らしく、実際に彼が虎をサーカス小屋に連れ帰っているのが目撃されています」
「……とすると、テロ軍団がりったんの能力に気づいて狙い始めたのか」
非常に厄介だ。
いつかまたりったんを狙って襲ってくるに違いない。
しかしまた彼女に怖い思いをさせたくないので、やられる前に殴り込み、奴らを潰しておく必要がある。
「ジジィ、ありがとう。でも今は情報が足りない。情報を集めるのを手伝ってくれないか?」
その言葉に、初老ははにかむと
「そう言われるかと思いまして、すでにドローンで探りを入れております」
と言って、またもや片手でピースを作った。
「ホント、ジジィの仕事の早さには感服だよ。敵に回したくないね」
するとジジィの手がピースサインからピストルの形に変わった。
「坊ちゃん、——実は私がテロリストです」
「からかうのはよしてくれ。今後ともよろしくな」
「こちらこそ、末長くよろしくお願いします」
「その分長生きするんだぞ」
「もちろんでございます」
ジジィは、それでは、と言うと、扉から出て言った。
俺はまた仕事の山に対峙する。
りったんのことは大丈夫だろう。
幸いリンク君人形も近くにいることだし、ジジィもついてくれている。
今やるべきは目の前の仕事。
「……よし! やるか!」
俺は袖をまくり、気合を入れた。




