第74章『沈みゆくフロスト ヴァイス城』その6
「……王殺しの濡れ衣、ですか」
シャルロッテは静かに深呼吸をし、胸の動悸を鎮めた。ライナー伯爵の狙いは明確だった。北方に流されたフリードリヒ伯らの影響力がなお残っていることを恐れ、セレスティアの血筋そのものを根絶やしにしようというのだ。
「その夜会は、いつ行われるのですか?」
「三日後、王宮の『黄金の間』だ。建国記念の祝宴として、すべての有力貴族が集う。ライナー伯爵はお前たちが市場で手広く動かしている薬品商人から、極秘裏に遅効性の毒薬を入手したという偽りの証拠を捏造している」
ギルバートの冷徹な言葉に、シャルロッテの脳裏で一瞬にしていくつもの計算が組み上がった。敵の狙いが「自作自演の毒殺未遂と、罪のなすりつけ」であるならば、逆にその毒薬の流通ルートと真の目的を暴く絶好の機会でもある。
「ギルバート様。その夜会、私も参列いたします」
「何だと? 没落した罪人の一族が立ち入れる場所ではない」
「いいえ、方法ならありますわ。セレスティア商会は先日、王宮御用達の商人から『宴を彩る特別な仕掛け』の依頼を受けております。私は商人として、からくり細工の技師として、堂々と王宮へ潜入いたします」
シャルロッテの迷いのない瞳に、ギルバートはわずかに目を見張った。
「命の保障はないぞ」
「覚悟の上です。お祖父様たちの白状と、一族の誇りを取り戻すためなら、どんな暗闇へも飛び込んでみせます」
「……いいだろう」 ギルバートは腰の剣に手を置き、短く告げた。 「お前が舞台を整えろ。影の始末は、私と黒鷲騎士団が引き受ける」
◇
決戦の夜。王宮の「黄金の間」は、眩いばかりの蝋燭の光と豪奢な衣装に身を包んだ貴族たちで埋め尽くされていた。
宴の中盤、中央の大きなテーブルに運び込まれたのは、ヴァルデック商会が納品した精巧な金色の仕掛け時計だった。正刻を知らせる鐘とともに、からくりの仕掛けで金属製の繊細な鷲が羽ばたき、小さな鳥たちが舞う。
「見事なものだ! これほどのからくり技術、いったい誰の手によるものだ?」
国王の満足気な声に、広間の隅に控えていた質素な装いの娘――シャルロッテが前へ出た。
「お褒めに預かり光栄にございます、陛下」
その顔を見た瞬間、ライナー伯爵の顔色がさっと変わった。 (なぜ……なぜセレスティアの娘がここに……!?)
ライナー伯爵が狼狽したその隙を、シャルロッテは見逃さなかった。彼女は深々と礼をしながら、広間全体に響き渡る透き通った声で言葉を続けた。
「陛下。この金鷲の胸の中には、正刻を告げると同時に『真実を映し出す特別な仕掛け』が施されております」
シャルロッテが指先で仕掛け時計の隠しダイヤルを回すと、カチリと澄んだ金属音が響いた。同時に、金鷲の体内から小さな羊皮紙の巻物が吐き出され、国王の目の前に落ちた。
「な、何をしている! 控えよ、不礼者め!」 ライナー伯爵が声を荒らげて立ち上がろうとした瞬間――。
バタンと重厚な扉が開かれ、漆黒の甲冑を纏った騎士たちが怒涛の勢いで押し寄せた。先頭に立つのは、ギルバートである。
「動くな! 国王陛下の御前である!」
ギルバートの冷酷な威圧感に、広間は一瞬で静まり返った。ギルバートはゆっくりと歩み寄り、膝をついて落ちた羊皮紙を拾い上げ、国王へと差し出した。
「陛下。セレスティア商会が極密裏に入手し、当騎士団が裏付けを取った『密輸帳簿』でございます。ライナー伯爵が北方から極秘裏に持ち込ませた毒薬の購入履歴、ならびに今宵の祝宴で陛下を毒殺し、その罪をヴァルデック家に着せようとしていた証拠がすべて記されております」
「な……なにを出たら目を! 謀反だ! ギルバート、貴様セレスティアの残党と通じておったのか!?」
取り乱し、叫ぶライナー伯爵。だが、ギルバートが合図を送ると、黒鷲騎士団の手によって、伯爵の息がかかった密売商人たちが縛り上げられて引き出されてきた。
「申し開きは無用だ、ライナー伯爵。お前が私怨と野心のために王家を欺き、忠臣フリードリヒ伯を陥れた罪、もはや言い逃れはできん」
国王の顔が怒りで赤く染まる。 「ライナーを直ちに捕らえよ! 地獄の底まで取り調べ、すべての悪事を白日の下に晒せ!」
「ははっ!」
騎士たちに組み伏せられ、引きずられていくライナー伯爵の絶叫が広間に響き渡り、やがて静寂が戻った。
◇
騒動が収まり、国王は静かにシャルロッテとギルバートを見つめた。
「フリードリヒの孫娘よ……見事な度胸と知恵であった。我が目を曇らせ、忠臣に濡れ衣を着せた非は私にある。直ちにフリードリヒとその一族の罪を赦免し、北方の地より呼び戻そう。セレスティア家の領地と財産も、すべて返還する」
「……ありがたき幸せにございます、陛下」
シャルロッテは静かに頭を下げた。目からこぼれ落ちた涙が、豪華な絨毯にしみ込んでいく。
宴が終わり、月明かりが白銀の光を投げかける王宮の中庭。冷たい夜風がシャルロッテの髪を優しく揺らしていた。一人で夜空を見上げ、深く息を吐き出す。
「本当に……終わったのですね」
背後から、草を踏みしめる静かな足音が近づいた。同時に、漆黒のあたたかな外套が彼女の華奢な肩を包み込む。振り返るまでもなく、その独特の香りで誰だか分かった。ギルバートだった。
「いや、始まりだ」
ギルバートは夜空を見つめたまま、低く、だが確かな声で言った。
「フリードリヒ伯が王都へ戻れば、セレスティア家はかつての栄華を取り戻す。お前は再び、誰もが羨む名門貴族の令嬢に戻るのだからな」
シャルロッテは首を振り、彼を包む漆黒の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「いいえ。私はもう、鳥籠の中に閉じ込められて誰かに守られるだけの令嬢には戻りません。この足で荒野を歩き、この手で運命を切り拓く術を、私はもう知ってしまいましたから」
彼女の強い眼差しに、ギルバートは一瞬虚を突かれたように目を見張った。そして、フッと、これまで一度も彼女に見せたことのない、柔らかで穏やかな笑みをその唇に浮かべた。
「相変わらず、降伏を知らない頑固な令嬢だ。……ならば」
ギルバートは一歩、彼女との距離を縮める。
「これからは貴族の身分としてではなく、私の隣でその知恵を振るってみないか。王都の闇は未だ深く、私の進む道は修羅の道だ。だが、お前が照らす『光』があれば、私はどこまででも行ける。……私には、お前が必要だ」
差し出された彼の大きな手。シャルロッテは温かい微笑みを返し、その手をしっかりと握り返した。
雲が静かに流れ、遮られていた月光がふたりの姿を鮮やかに照らし出す。その光のなか、シャルロッテは握った手に少しだけ力を込め、悪戯っぽく瞳を輝かせた。
「ええ、喜んで。――ですが、ギルバート様。そろそろその『仮面』を脱ぎ捨て、真実を明かしてくださっても良いのではありませんか?」
「……。何の話だ。私はお前の知るギルバートだが?」
男は眉一つ動かさず、冷徹な騎士の顔を取り繕ってみせる。しかし、シャルロッテの耳は誤魔化せなかった。
「嘘つきな殿方についていくほど、私はお人好しではありませんわ、親王殿下」
シャルロッテは一歩近づき、彼の耳元で囁くように言葉を紡いだ。
「ヴィルヘルム・シャルドネ。かつて『冷血な獅子』と恐れられ、宮廷の権力闘争の中心に君臨していた孤高の英傑。そして、名高きヴァルプルギス城の真の城主。……そんな最高位の血筋を引くお方が、なぜ名もなき騎士として正体を隠し、陛下の影として剣を振るっておいでなのです?」
ギルバート――否、ヴィルヘルムは完全に言葉を失い、ただ目の前の恐るべき聡明な娘を見つめることしかできなかった。
シャルロッテは楽しげにクスリと笑うと、彼の手を引いて歩き出す。
「さあ、夜はまだこれからです。私の隣で、たっぷりとその言い訳を聴かせていただきますわ」
ヴィルヘルムは、完全に裏をかかれた苦い表情を隠そうともせず、深い溜息をついた。彼女に握られたままの手を見つめ、観念したように肩の力を抜く。
「……恐ろしい娘だ。いつから気づいていた?」
「セレスティア商会の情報網を侮らないでくださいませ」
シャルロッテは勝ち誇ったように微笑む。
「それに、黒鷲騎士団のような精鋭を私兵のごとく動かせる『ただの騎士』など、この国には存在しませんわ」
ヴィルヘルムは皮肉げに唇を歪め、夜空を仰いだ。その横顔は、騎士ギルバートのものではなく、紛れもなく一国の権力を握る「親王ヴィルヘルム・シャルドネ」の気品と威厳に満ちていた。
「『言い訳』を、だったな。……理由は単純だ。親王という最高位の爵位と、ヴァルプルギス城主という肩書は、この腐りきった王宮の表舞台で動くにはいささか目立ちすぎる。ライナー伯爵のような蛇どもを炙り出すには、闇に潜む『陛下の影』でいる方が都合が良かったのだ」
彼は一歩歩き出し、シャルロッテをエスコートするように歩調を合わせた。
「解説を付け加えるなら、私は最初からライナーの不穏な動きを掴んでいた。だが、奴の背後にいる貴族たちの繋がりまでは見えていなかったのだ。そこに、お前が現れた」
ヴィルヘルムはシャルロッテを見つめ、その瞳に熱い光を宿す。
「お前が命がけで仕掛け時計を王宮に持ち込み、ライナーを揺さぶってくれたおかげで、奴らは完全に自縄自縛に陥った。私が一歩も動くことなく、奴らの密輸ルートも、汚職に加担した貴族たちの名簿も、すべて白日の下に晒されたのだ。お前の知恵がなければ、これほど鮮やかな一網打尽は不可能だった」
言葉を区切り、彼は少しきまり悪そうに視線を逸らした。
「……もう一つ、個人的な理由を言うなら。親王という身分のままでは、没落したセレスティア家の令嬢であるお前に、こうして気安く近づくことすら叶わなかった。身分を捨てた『ギルバート』だからこそ、お前の盾になり、一番近くで支えることができたのだ」
その言葉に含まれた不器用な本音に、今度はシャルロッテがわずかに頬を染める番だった。
ヴィルヘルムは再び彼女の手を強く握り直し、悪戯っぽく微笑んだ。
「これで満足か? 私のすべてを見抜いた相棒殿。……さあ、私の正体を知ったからには、もう逃がすつもりはない。これからもその知恵で、私の隣を照らし続けてもらうぞ」
「ふふ、望むところですわ、ヴィルヘルム様」
月明かりの下、二人は新たな未来へと歩みを進めた。




