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第75章『沈みゆくフロスト ヴァイス城』その7

数か月後――。


厳しい冬の寒さが和らぎ、春の暖かな風が吹き抜け始めた王都。没落の危機を乗り越えたフロスト ヴァイス城は、かつての活気を取り戻していた。


北方の最果ての地から無事に戻ったフリードリヒ伯をはじめとする一族の男性陣は、身体を癒やしながらも、目覚ましい復興を遂げた館と領地の姿に驚きを隠せずにいた。


「まさか、あの幼かったシャルロッテが、これほどの商会を立ち上げ、黒鷲騎士団と渡り合って家を救うとはな……」


車椅子に腰掛けたフリードリヒ卿は、庭園を眺めながら深く感慨に浸っていた。その傍らには、すっかり逞しく頼もしくなった侍女のエミーナとロゼッタが、誇らしげに控えている。


「お言葉ですが、フリードリヒ様。シャルロッテ様は今や王都中の商人たちが一目を置く『セレスティア商会』の誇り高き当主代行ですわ!」


「ええ、私たちも一生お供する覚悟でございます!」


二人の弾んだ声に、フリードリヒ伯は嬉しそうに髭を蓄えた口元を緩めた。



同じ頃、城の広大な庭園を見下ろす回廊。 春風にドレスの裾をなびかせながら、シャルロッテは空を見上げていた。その手には、かつて城壁から揚げたものよりも、さらに大きくて精巧な帆布の凧が握られている。


「また、そんな高所で奇妙なものを弄しているのか」


低く静かな声とともに、漆黒の外套を羽織った男――ギルバートが歩み寄ってきた。黒鷲騎士団長としての冷徹な佇まいはそのままだったが、その瞳に宿る光は、かつての氷のような冷たさを失っていた。


「あら、ギルバート様。奇妙とは心外ですわ。これは我がヴァルデック商会の最新作――遠方の領地と迅速に合図を交わすための『通信用の凧』の試作品ですのよ」


シャルロッテは悪戯っぽく微笑むと、ギルバートの手を取って凧の骨組みに触れさせた。


「貴族の権力闘争に怯える日々はもう終わりです。これからはこの国全体の産業と流通を豊かにし、貧しい人々にも仕事を行き渡らせる……それが、私の選んだ新しい戦い方ですの」


ギルバートは、手元に残る彼女の体温と、どこまでもまっすぐな瞳を見つめた。


「相変わらず、止まることを知らん娘だな。……王宮の老害どもが、王家を救った功労者としてお前に数々の縁談を持ちかけていると聞いたぞ」


どこか不機嫌そうに背を向けるギルバートに、シャルロッテは可憐にクスリと笑った。


「ええ。ですが、すべてお断りいたしましたわ」


「なぜだ。公爵家や有力貴族の正妻となれば、お前の望む地位も財も盤石になるはずだが」


「理由は簡単です」


シャルロッテはギルバートの前へ回り込むと、彼の漆黒の甲冑の胸元にそっと手を置いた。互いの鼓動が感じられるほどの距離で、彼女は自信に満ちた、けれど深く温かい眼差しで見つめ返した。


「私を籠の中の鳥として愛でるような男性に、私の未来を預ける気はありません。……私の隣で、共に泥をかぶり、共に嵐を突き進んでくださる方は、世界にただお一人しかおりませんから」


ギルバートの息が止まる。 数々の陰謀と刃を潜り抜けてきた男の顔に、わずかな朱が差し、彼は降参したように小さく息を吐いた。


「……まったく、お前には最初から敵わないな」


ギルバートは力強い手でシャルロッテの手を握り返し、そのまま彼女の身体を優しく抱き寄せた。


「王都の暗雲は晴れたが、この国の歪みはまだ根深い。これからも私の隣で、その光で私を照らし続けろ、シャルロッテ」


「ええ、喜んで。ヴィルヘルム・シャルドネ親王殿下」


シャルロッテが手を放すと、春の強風を捉えた大きな凧が、蒼穹高くへと舞い上がった。


どこまでも高く、どこまでも自由に。


かつて運命に翻弄されるだけだった少女は、自らの手で未来を掴み取った。騎士と令嬢――互いの絆を胸に、二人が歩む未来が、どこまでも広がる青空の下で力強く輝いて見えるのであった。

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