第67章『日の上りゆく大国』
「桃色の誓い」とともに乱世に終止符を打ち、ラグランの地に平和の礎を築いてから、早くも一年の月日が流れていた。
かつて戦火に包まれていた街々はめざましい復興を遂げ、かつての過酷な税に苦しんでいた農民たちの顔には、確かな活力と笑みが戻りつつあった。帝都ヴェルサイユではリュシアンの手によって新しい共和制の芽が育ち、各地の自治会と連携しながら、誰もが平等に暮らせる平穏な国づくりが進められている。
しかし、平和がもたらされたからといって、世の中のすべての悲しみが消え去るわけではない。
「……そうですか。まだ、西の未開の森林地帯には、戦乱で親を失った子供たちが多く取り残されているのですね」
ラグランの館の応接室にて。 シャルロッテは淡い栗色の髪を風になびかせながら、各地から送られてきた報告書に目を通し、静かに吐息をついた。
「ええ。行政の手がまだ及びきっていない辺境の地です。旧帝国の崩壊によって引き起こされた難民たちが身を寄せ合っていますが、極貧と飢えによって、今なお幼い命が脅かされています」
卓を挟んで座るロゼッタが、漆黒の髪をそっと肩へ払いながら頷いた。彼女の深みのある瞳には、変わることのない慈愛と、現実を冷徹に見つめる知性が宿っている。
「ロゼッタ、参りましょう」
シャルロッテは迷いのない手つきで、腰のレイピアの柄を確かめた。
「私たちの戦いは、単に敵を倒すことではありません。取り残された人々に温かな手を差し伸べ、希望の灯火を届けること……それこそが、私たちが立てた誓いの本当の完成です」
「ふふ、シャルロッテは相変わらず真面目だなぁ!」
扉が豪快に開かれ、まばゆい金髪を弾ませたエミーナが身の丈を超える巨矛を担いで入ってきた。その手には、焼きたての大きなパンがいくつか握られている。
「難民の子供たちでしょ? だったら、私がこの特大のパンと、私の自慢のパワーでみんなを笑顔にしてあげるよ! ロゼッタ、準備はバッチリだよ!」
ロゼッタは二人を見つめ、心からの温かい微笑みを浮かべた。
「ありがとう、二人とも。……それでは行きましょう。『ラグランの三華』の、新しい旅の始まりです」
こうして、かつて大陸を救った三人の乙女たちは、栄誉も報酬も求めず、ただ困っている人々のために再び馬を進め始めたのである。
◇
三人が目指したのは、帝国の西端に位置する「迷いの樹海」と呼ばれる広大な原生林であった。
鬱蒼と茂る巨木たちが陽の光を遮り、年中足元には冷たい霧が立ち込めている。古来より足を踏み入れる者を拒む魔の森として恐れられていたが、現在のそこは、戦乱から逃れてきた数多くの避難民たちが隠れ住む最果ての安住の地となっていた。
だが、馬を走らせる三人の鼻腔を突いたのは、澄んだ森の空気ではなく、焦げ臭い煙の匂いと悲痛な叫び声だった。
「悲鳴……!? シャルロッテ、エミーナ、急ぎますよ!」
「はい!」
三人は馬を飛ばし、森の奥深くの開けた集落へと駆けつけた。
そこでは、木々を切り開いて作られた小さな村が炎に包まれていた。粗末な丸太小屋が次々と燃え上がり、泣き叫ぶ子供たちや逃げまどう老人たちを、異様な武器を手にした集団が追い詰めている。
彼らは重厚な鉄の仮面を被り、怪しい紫色に光る薬物を塗った短剣や斧を振るっていた。
「ハハハ! 逃げ惑え、愚民ども! お前たちの生命力と魂は、我が主の復活のための尊い生贄となるのだ!」
仮面の男たちの中心で、黒い修道服を纏った不気味な男が杖を掲げて高笑いしていた。
「なにあれ……匪賊でも海賊でもない……怪しいカルト教団!?」
エミーナが金髪を逆立て、巨矛を握り直す。
シャルロッテは瞬時に馬から飛び降り、可憐な身ごなしで避難民の老婆と子供の前に躍り出た。
「そこまでです! 罪なき人々に刃を向ける者たちよ!」
——チィンッ!
襲いかかってきた仮面の男の斧を、シャルロッテのレイピアが一瞬で弾き飛ばした。淡い栗色の髪が霧の中で美しく舞い、彼女の鋭い眼光が敵を射抜く。
「な、なんだこの女は!? 斬れ! 殺せ!」
「させないよぉぉっ!!」
エミーナが跳躍し、巨矛を地面へ叩きつけた。
ドゴォォォン!!
地響きとともに爆発的な衝撃波が広がり、一挙に集まった十数人の仮面男たちが空中へ打ち上げられた。
「シャルロッテ、エミーナ! 彼らはかつて旧帝国で禁断の邪術を研究していた『黒教団』の残党です!」
後方から馬を乗りつけたロゼッタが、漆黒のマントをはためかせながら叫んだ。
「戦乱の混乱に乗じて生き延び、各地の孤児や難民を集めて良からぬ儀式を企てているのです。容赦はいりません、一気に無力化しなさい!」
◇
「邪術だとかなんとか、知ったこっちゃないよ! 弱い者いじめをする奴は、私の矛で全員おしおきだーっ!」
エミーナは黄金の旋風と化し、村の広場を縦横無尽に駆け抜けた。
仮面男たちの放つ怪しい紫色の毒針や炎の呪符も、エミーナの振るう重厚な巨矛が巻き起こす風圧によってすべてかき消されていく。彼女の圧倒的な素腕と無双の武勇の前に、教団の怪異な術など何の意味もなさなかった。
一方、シャルロッテは集落の奥へと逃げ込もうとする教団の首謀者——黒衣の男を追っていた。
「くっ……なぜだ! なぜこんな辺境に『ラグランの三華』がいるのだ!」
黒衣の男は怯えながら杖を突き出し、不気味な詠唱を始めた。彼の周囲の霧が渦を巻き、赤黒い巨大な影の獣が生み出される。
「出よ、我が僕! この小娘の肉を喰らい尽くせ!」
咆哮とともに襲いかかる影の獣。しかし、シャルロッテの足取りには微塵の揺らぎもなかった。
(邪な気配に惑わされてはいけない。剣の本質は、闇を切り払い、光をもたらすこと)
シャルロッテは静かに息を吐き、レイピアを上段へと構えた。
彼女の瞳に流れるのは、亡き父から受け継いだ高潔な騎士の誇り。そして、ロゼッタやエミーナとともに数々の修羅場を乗り越えて培った、揺るぎない「誓い」の意志。
『風閃・六ノ型——白光斬!』
銀色の光が、夜の森を一瞬にして昼間のように照らし出した。
影の獣は悲鳴を上げる間もなく一刀両断され、霧のように消散した。そしてシャルロッテの身が沈み込み、極限の速度ですれ違った瞬間——
——パリンッ!
黒衣の男が手にしていた邪術の杖が細かく粉砕され、彼の着ていた修道服の胸元が十字に切り裂かれた。
「ガハッ……!? な、なに……!?」
男は膝から崩れ落ち、自身の胸に刻まれた寸止めの傷跡を見つめながら恐怖に震えた。
「貴方がたの抱く暗闇など、私たちの繋ぐ光を遮ることはできません」
シャルロッテは淡い栗色の髪をすっと払い、静かに剣を鞘へと収めた。
「罪を認め、被害を受けた人々に命をかけて償いなさい」
首謀者が倒されたことで、残された教団の信者たちは一斉に武器を捨てて降伏した。ロゼッタの迅速な指示により、村の火は消し止められ、傷ついた人々への救護が素早く行われていった。
◇
翌朝。
霧が晴れ渡った「迷いの樹海」に、温かな木漏れ日が差し込んでいた。
破壊された丸太小屋の修復が進み、エミーナは持ち込んだ特大のパンを子供たちに分け与えていた。
「はい、君の分! いっぱい食べて大きくなるんだよ!」
「ありがとう、お姉ちゃん! すっごく美味しい!」
子供たちの明るい歓声と笑顔が、新緑の森の中に響き渡る。
村の入口の小高い丘に立ち、その光景を優しく見守るロゼッタとシャルロッテ。
「またひとつ、悲劇の芽を摘むことができましたね、ロゼッタ」
「ええ。ですが、この広い世界のどこかには、まだ助けを求めている人々がいるでしょう。私たちの旅に、本当の意味での『終わり』はないのかもしれません」
ロゼッタは手にしていた羊皮紙の地図を優しく風になびかせた。
シャルロッテはふふっと可憐に微笑み、腰の剣に手を添えた。
「それで良いのです。ロゼッタが道を指し示し、エミーナが道を切り拓き、私が人々を守る……。三人で一緒なら、どんな困難な道のりであっても、そこには必ず希望の花が咲きますから」
「シャルロッテ……」
ロゼッタが手を伸ばし、シャルロッテの手に重ねた。そこへパンを配り終えたエミーナがダッシュで駆け寄ってくる。
「二人とも〜! 何話してるの? 私も混ぜてよ〜っ!」
エミーナが豪快に二人の肩を抱き寄せ、三人で顔を見合わせて弾けるような笑い声を上げた。
淡い栗色の髪、まばゆい金髪、そして凛とした黒髪。
かつて乱世の暗闇の中で芽吹いた「桃色の誓い」は、いまや全土を優しく包み込む大樹となり、幾多の人々の心に消えない温もりを与え続けている。
彼女たちが歩く場所に、争いの影はない。 彼女たちが微笑む場所に、絶望の涙はない。
「さあ、行きましょう! まだ見ぬ明日へ、新しい平和の風とともに!」
三人の乙女たちはしっかりと手を繋ぎ合い、光に満ちた新緑の森を抜けて、次なる希望の地へと爽やかに駆け出していった。




