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第66章『日の沈みゆく帝国』その8

「サハラ=グラン」の灼熱の砂漠を後にし、三人は西へと向かう長旅の途上にあった。


南方の熱気は徐々に和らぎ、街道の周囲には再び瑞々しい緑の草原と、懐かしい木々の匂いが戻りつつある。馬を進める三人の姿は、かつて帝都へ向かった頃の不安に満ちたものではなかった。幾多の修羅場を潜り抜け、互いへの絶対的な信頼を深めた「ラグランの三華」の佇まいには、確かな誇りと品格が宿っている。


「はぁ〜! やっぱり緑の風は最高だね! 砂が口に入らないってだけで、こんなに幸せなんだもん!」


まばゆい金髪を弾ませながら、エミーナが馬上で背伸びをした。肩に担いだ巨矛が、初夏の光を受けてギラリと反射する。


「本当にそうですね、エミーナ」


シャルロッテは淡い栗色の髪を指先で払い、心地よさそうに目を細めた。革甲冑の隙間を抜ける風が、長旅の疲労を優しく癒やしていく。


「ですが、油断は禁物です。帝国全土の悪政が正されつつあるとはいえ、旧帝国の瓦解に伴う治安の空白地帯はまだ残されています」


「ええ、シャルロッテの言う通りです」


並んで馬を走らせるロゼッタが、漆黒のマントを揺らしながら静かに頷いた。その手に握られた羊皮紙の書状には、西方の各地から届いた最新の情報が細かく記されている。


「私たちが目指すラグランの街は、リュシアン子爵たちが送ってくれた復興資金と資材により、目覚ましい発展を遂げているそうです。ですが……ラグランへと続く『カルナック渓谷』に、怪しげな一団が集結しているという報せが入りました」


「カルナック渓谷……。切り立った岩壁に挟まれた、あの険しい難所ですね」


シャルロッテの眉がわずかに寄った。


「はい。報告によると、彼らは単なる匪賊や残党ではありません。『聖杓の旅団』や『鉄血団』、果ては『漆黒の錨』の生き残りまでを抱き込み、組織化された『旧帝国貴族連合軍』を名乗っているとのことです」


「反乱軍の寄せ集めってこと!?」 エミーナが目を丸くした。


「ええ。彼らは、私たちがラグランへ戻り、民のための新しい自治政権を樹立することを恐れているのです。自分たちの特権階級が永遠に失われることを悟り、最後の悪あがきとして、私たちの帰還を狙って伏兵を配置しているのでしょう」


ロゼッタの澄んだ瞳に、冷徹なまでの知性の光が宿る。


「数はおよそ三千。狭い渓谷での伏撃は、彼らにとっても絶好の戦場です」


「三千……。ですが、ロゼッタ様」


シャルロッテは腰の細身の剣の柄にそっと手を置いた。その動作には迷いが一切ない。


「どんな試練が待ち受けていようと、私たちは退きません。ラグランの民が、そしてこの大陸の未来が私たちを待っています」


「もちろん! 三千だろうが三万だろうが、私の巨矛で全員まとめて吹っ飛ばしてあげる!」


エミーナが威勢よく胸を叩いた。


ロゼッタは二人を見つめ、心からの温かい微笑みを返した。


「ありがとう、二人とも。……さあ、参りましょう。私たちの真の故郷、ラグランへ!」


三匹の馬は力強く地を蹴り、黄金色に輝く夕映えの道を駆け抜けて行った。





切り立った赤い岩壁が天を突くように聳え立つ「カルナック渓谷」。


かつて交易の要衝であったこの地は、いまや重苦しい静寂と死の気配に包まれていた。岩肌の物陰や洞窟の奥には、黒い甲冑や粗末な皮鎧に身を包んだ兵士たちがぎっしりと潜んでいる。


その指揮をとるのは、旧帝国の高官であり、ヴァルモン公の側近であった重臣・ガルニエ伯爵であった。


「フフフ……来たぞ。ラグランの三華。慢心して三人だけでこの狭窄地へ足を踏み入れるとは、愚かな小娘ども」


ガルニエは岩の上から、街道を静かに進んでくる三人の影を見下ろし、残忍な歪んだ笑みを浮かべた。


「あの細身の剣使いも、大矛のバケモノも、上空からの落石と数千の矢の前には無力! 合図とともに一斉に岩を落とし、弓隊を射かけよ! 息の根を止めた後、あの女たちの首を帝都の反乱分子に見せしめとして届けてやるのだ!」


三人が渓谷の最も深い地点に差し掛かったその瞬間、ガルニエが剣を振り下ろした。


「今だ! やれぇぇっ!」


ガラガラガラッ!!


落雷のような轟音が響き渡り、両側の崖の上から巨大な岩石が何十個も叩きつけられてきた。同時に、無数の矢が雨のように降り注ぐ。


「かかったな!」


ガルニエが勝ち誇った叫びを上げた。しかし——


「甘いです!」


シャルロッテの叫びとともに、銀色の光の網が大空に広がった。


『風閃・五ノ型——天鏡てんきょう!』


シャルロッテのレイピアが視認不可能な速度で振るわれ、頭上から降り注ぐ矢の群れをことごとく撃ち落とし、弾き返した。


「エミーナ、岩を!」


「任せてぇぇぇっ!!」


エミーナが馬から跳躍した。空中で身を翻し、身の丈を超える巨矛を全力で横一閃させる。


ズドンッ!! ドゴォォォン!!


叩き落とされてきた数トンもの大岩が、エミーナの圧倒的な武勇の前に粉々に砕け散り、激しい砂塵となって四方に吹き飛んだ。


「な……なにぃっ!?」


ガルニエが目を剥いた。落石も矢の雨も、彼女たちには傷ひとつ負わせることができなかったのだ。


砂塵の中から、漆黒のマントを優雅になびかせたロゼッタが歩み出てきた。


「ガルニエ伯爵。陰でコソコソと待ち伏せることしかできぬ貴方たちのやり方は、どこまでも浅はかです」


「く、くそっ! 全軍突撃! 囲んで叩き潰せ!」


岩陰から三千の兵を一斉に躍り出させた。狭い渓谷は、あっという間に敵兵の海と化した。





「シャルロッテ、エミーナ! ここが最後の決戦です。一気に敵の指揮系統を破砕します!」


ロゼッタの指揮が飛ぶ。


「承知いたしました!」


シャルロッテの淡い栗色の髪が、激しい風を受けて舞い上がった。彼女の足が滑るように地を捉え、敵陣の最前線へと突入する。


「死ねぇ、小娘!」


襲いかかる剣や槍の群れ。しかし、シャルロッテの動きはもはや人間の領域を超えていた。


敵の突きをミリ単位ですれ違いざまにかわし、レイピアの柄頭で顎を打ち抜き、剣先で肘の関節を突く。命を奪うことなく、的確に戦闘力を奪っていく流麗な剣技。


「風よ……導いて!」


シャルロッテの身体が静寂の中から加速し、一筋の銀色の軌跡となった。


『風閃・奥義——桃華千閃とうかせんせん!』


幾重にも重なる銀色の残像が、狭い渓谷を埋め尽くした。


「グアァッ!」「腕が……!」「身動きが取れん!」


一瞬にして百人を超える兵士たちの武器が弾き飛ばされ、彼らは戦意を失ってその場に崩れ落ちた。


「すごーい! シャルロッテ、カッコいい〜! 私も負けてられないよっ!」


エミーナが歓声を上げながら、黄金の竜巻となって敵陣の中央へ飛び込んだ。


「大矛流・地裂大車輪!!」


巨矛を軸にして身体を高速回転させると、強烈な衝撃波が周囲の敵兵をなぎ払った。甲冑を着込んだ重装兵すらも、まるで落ち葉のように空中へ吹き飛んでいく。


その圧倒的な武の暴力と、シャルロッテの流麗な技の対比。それはまさに、戦場に咲き誇る二輪の美しき華であった。


そして、その二人が開いた突破口を、ロゼッタが着実に進む。


ロゼッタは両手から火薬玉と閃光玉を放ち、敵の動線を完璧に遮断。心理戦と戦術を駆使し、三千の軍勢を分断させて孤立させていった。


「バ、バケモノどもめ……! 伝令、撤退だ! 一旦引くのだ!」


恐怖に顔を歪めたガルニエが馬の向きを変え、逃げ出そうとした。


「逃がしません!」


シャルロッテが崖の突起を足場にして跳躍した。風を切り、空を飛ぶ鳥のようにガルニエの頭上へ舞い降りる。


——チィンッ!


シャルロッテのレイピアの先端が、ガルニエの首元に寸止めで突きつけられた。


「ひっ……!」


ガルニエは手綱を離し、腰を抜かして落馬した。


「貴方たちの時代は、もう終わったのです」


シャルロッテは澄んだ瞳でガルニエを見下ろし、静かに、しかし断固とした声で告げた。


「民の血を吸い、恐怖で縛る支配など、二度とこの大地には許されません」


周囲を見渡せば、三千の兵たちは完全に戦意を喪失し、武器を捨ててひざまずいていた。わずか三人の乙女たちによって、旧帝国の最後の野望は潰えたのである。





カルナック渓谷での勝利から数日後。


ついに三人は、すべての始まりの地である「ラグラン」の街の門前に辿り着いた。


「帰ってきたんだね……私たちの街に!」


エミーナが涙ぐみながら、身の丈を超える巨矛を握りしめた。


街の巨大な木門が開かれると、そこには溢れんばかりの人々が集まっていた。


かつて匪賊の脅威に怯えていた農民たち、復興に力を尽くした若者たち、そして帝都から送られてきた志ある学者や技術者たち。全員が、旅を終えて帰還した三人の乙女たちを温かい拍手と歓声で迎えたのである。


「お帰りなさい! ラグランの三華様!」


「私たちの英雄! この国を救ってくれてありがとう!」


街の街道には、季節外れの桃色の花びらが、どこからともなく吹き抜ける風に乗って舞い散っていた。


中央広場に設置された壇上に、ロゼッタ、シャルロッテ、エミーナの三人が登った。


ロゼッタが一歩前に出て、静かに集まった民衆を見渡した。


「ラグランの民よ、そしてこの大地に生きるすべての人々よ。長かった暗闇の時代は、今ここに完全に終わりを告げました」


歓声を上げる民衆に、ロゼッタは言葉を続けた。


「皇帝でも、摂政でも、一部の貴族でもない。これからは、汗を流して土を耕し、街を創り、互いを思いやる皆さん自身が、この国の主役となるのです。私たちは決して、王として君臨するために戦ってきたのではありません。皆さんが笑顔で生きていける『平穏』を守るために戦ってきたのです」


大きな歓声と割れんばかりの拍手が、ラグランの空を揺らした。


壇上の傍らで、シャルロッテは可憐な淡い栗色の髪を風になびかせ、そっと胸に手を当てた。


(お父様……見守ってくださっていますか? 私は、貴方が誇りに思ってくれるような騎士になれたでしょうか……)


その時、横からエミーナがシャルロッテの手をぎゅっと握りしめた。


「シャルロッテ、何考えてるの? ほら、皆が私たちの名前を呼んでるよ!」


「……ええ! そうですね、エミーナ」


シャルロッテは晴れやかな笑顔を浮かべ、集まった人々に向かって手を振った。


その夜。


かつて三人が熱く語り合い、未来を誓い合った領主の館の庭園で、ささやかな宴が催された。


月明かりが美しく照らす中、満開の桃の木の下で、三人は杯を交わしていた。


「ふぅ……最高の夜だね! ロゼッタお姉さん、このお肉すっごく美味しい!」


口いっぱいに料理をほおばるエミーナを見て、ロゼッタとシャルロッテは思わず笑い声を上げた。


「エミーナ、相変わらずですね」


「ふふ、でも……この賑やかさこそが、私たちが取り戻したかった日常なのですね」


ロゼッタは二人の杯に優しくワインを注ぎ入れた。


「ええ。ですが……国が新しく生まれ変わっても、私たちの仕事が完全に失われるわけではありません。各地の困っている人々を助け、平和の礎を固めるための旅は、これからも続いていきます」


シャルロッテは自分の杯を見つめ、それから二人の顔を交互に見つめた。


「どこへでも参ります。北の雪原でも、東の海でも、南の砂漠でも……ロゼッタ様の知恵と、エミーナの勇気、そして私の剣があれば、どんな困難も乗り越えられますから」


「うん! 私たちは、世界で一番強くて素敵な『三人組』なんだから!」


エミーナが元気に杯を掲げた。


三人の木杯が、美しく澄んだ音を立てて重なり合う。


——カチン。


それは、かつて結ばれた「桃色の誓い」が、永久に失われないことを証明する音であった。


風が吹き抜け、満開の桃の花びらが三人の頭上に降り注ぐ。


淡い栗色の髪のシャルロッテ。 まばゆい金髪のエミーナ。 気品ある黒髪のロゼッタ。


それぞれ異なる色を持ちながら、互いを引き立て合い、力強く咲き誇る三輪の花。


三人の絆はどんな危機も乗り越えて行けるのだろう。


彼女達の笑い声がすれ違う旅人達さえも笑顔にしていくのであった。



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