第65章『日の沈みゆく帝国』その7
東の港町ポルト・グランデを後にした三人は、大陸の南方に広がる灼熱の大砂漠「サハラ=グラン」の境界線へと足を踏み入れていた。
果てしなく続く黄金の砂丘。地平線を揺らす激しい陽炎。北の雪原とは真逆の熱気が、呼吸するたびに喉を焼き焦がしていく。
「あ、暑い……! シャルロッテぇ、私、もう干からびて砂になっちゃいそう……」
身の丈を超える重厚な蛇矛を杖代わりに突きながら、エミーナが金髪をぐったりとなびかせて歩いていた。
「しっかりしてください、エミーナ。もうすぐオアシスの街が見えてくるはずです」
シャルロッテは淡い栗色の髪をすっきりと束ね、水筒から貴重な水を差し出した。過酷な気候のただ中にあっても、彼女の凛とした佇まいと可憐な横顔は失われていない。
「ええ。前方に潜むあの陰……あそこが『黄金のオアシス・パルミラ』です」
ロゼッタが漆黒の日よけ日傘を差し、砂丘の先を指差した。
パルミラは、砂漠を往来する商人たちの交易都市でありながら、帝国の旧貴族・ザカリアス伯爵が支配する「人買の都」でもあった。彼は帝国の混乱に乗じ、治安維持という名目で周縁の村々から貧しい民や戦災孤児を連れ去り、地下の奴隷市場で巨額の富を得ていたのである。
三人が布で顔を覆い、街の広場へ潜入すると、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていた。
首に太い鉄の鎖を繋がれ、檻に入れられた子供や若者たち。その傍らで、豪華な衣服を纏った商人たちが葡萄酒を傾けながら、まるで家畜を選ぶように人間を競り落としている。
「ひどい……こんなことが許されていいはずがありません!」
シャルロッテの淡い栗色の髪が怒りで震え、手にしたレイピアの柄を握りしめる指に白く力がこもった。
「落ち着きなさい、シャルロッテ。ここで騒げば、奴隷たちが人質に取られます」
ロゼッタが冷静に制した。彼女の深い黒髪の下で、知性の瞳が鋭く光る。
「ザカリアス伯爵の拠点は、このオアシスの中心に立つ『翡翠の宮殿』。今夜、伯爵は各地から集めた富豪を招き、大規模な秘密オークションを開催する手はずです。……私たちはそこに乗り込みます」
◇
夜が訪れると、砂漠の冷気が一気に街を包み込んだ。
「翡翠の宮殿」は大提灯と豪奢な燭台の光で照らされ、怪しい熱気に満ち溢れていた。警備の兵士たちが目を光らせる中、ロゼッタの巧みな変装術と偽造通行証によって、三人は貴婦人とその従者になりすまして内部へ潜入した。
ロゼッタは漆黒の洗練されたドレスを纏い、まるで帝都の高級貴族そのものの気品を漂わせている。シャルロッテとエミーナは、その背後に控える護衛の女剣士に扮していた。
地下の大ホールには、仮面をつけた欲望に狂う富豪たちが集まっていた。壇上に上がったのは、肥満体で指輪をジャラジャラと鳴らす男——ザカリアス伯爵である。
「皆々様! 本日の目玉商品だ! 北方から連れてきた気高き血を引く少女たち! 競り値は金貨千貨からだ!」
鉄の檻が引き出され、その中で怯える少女たちの悲鳴が上がった。富豪たちが下品な歓声を上げる。
「今です!」
ロゼッタが小さく囁くと同時に、シャルロッテが身を躍らせた。
——シュパッ!!
一本の流麗な銀光がホールを切り裂き、壇上の鉄の檻を繋いでいた太い鎖が一瞬にして切断された。
「な、何事だ!?」
「その醜い競りを中止しなさい!」
シャルロッテが仮面を脱ぎ捨てると、束ねられていた淡い栗色の髪がふわりと広がった。月光のような凛とした美しさに、ホール全体が息をのむ。
「私の名はシャルロッテ! 弱き者を踏みにじる不義の者たちよ、この剣にかけて貴方たちの罪を打ち砕きます!」
「小娘がなぁにを言ってやがる! 警備兵、殺せ! 全員叩き殺せーっ!」
ザカリアスの悲鳴のような叫びに応じて、宮殿の影から砂漠の精鋭・「蠍の親衛隊」が一斉に躍り出てきた。
◇
「待ってましたーっ!」
エミーナが身にまとっていた護衛のローブを破り捨てた。
まばゆい金髪を弾ませ、身の丈を超える巨矛を頭上で一閃させる。
ドゴォォォン!!
大ホールの大理石の床が爆ぜ、衝撃波だけで襲いかかってきた親衛隊の半数が吹き飛んだ。豪快極まりない無双の武勇。富豪たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、会場は大混乱に陥った。
「シャルロッテ、ザカリアスを逃がすな! 雑魚は私が全部片付ける!」
「任せました、エミーナ!」
シャルロッテは風のように壇上へと駆け上がった。
だが、ザカリアスの前に、全身に刺青を施した巨漢の剣士——「砂漠の処刑人」と呼ばれるアバズが立ちはだかった。彼が振るう二本の曲刀は、毒が塗られ、怪しい緑色の光を放っている。
「ハハハ! 可憐な栗色の小娘が、この俺の毒刃を受け止められるかぁっ!」
アバズの曲刀が、砂嵐のような猛烈な回転とともに襲いかかる。
シュシュシュッ! と空気を引き裂く音。一筋でもかすめれば即死する猛毒の刃。
しかし、シャルロッテの眼差しは極限まで澄み切っていた。
(恐怖に目を奪われてはいけない……。相手の動きの『中心』を見極めるのよ)
シャルロッテはアバズの鋭い斬撃を、レイピアの腹で最小限に受け流し、軽やかにステップを刻む。回転する曲刀の残像の中、彼女は見抜いた。アバズが右の刃を振り下ろす瞬間の、ほんの僅かな肩の揺らぎを。
「……見切りました」
シャルロッテの身が沈み込み、閃光となって突き出された。
『風閃・四ノ型——砂塵穿ち!』
一瞬の静寂。
アバズの毒刃が届くより疾く、シャルロッテの剣先がアバズの手首を的確に穿っていた。
「ギャアアアッ!?」
二本の曲刀が手からこぼれ落ち、大理石の床に刺さった。アバズは手首を押さえて崩れ落ちた。
「ひ、ひぃぃぃっ! 助けてくれぇっ!」
逃げ出そうとするザカリアス伯爵の襟首を、追いついたロゼッタが冷ややかに掴み上げた。
「ザカリアス伯爵。貴方が奪った人々の自由と尊厳……今ここで、すべての罪を償ってもらいます」
◇
翌朝。
砂漠の街パルミラに、久しぶりに爽やかな朝の風が吹き抜けていた。
伯爵の地下金庫に隠されていた莫大な財宝はすべて押収され、奴隷として捕らわれていた人々は全員解放された。故郷へ戻るための旅費と食糧が配られ、街の広場は歓喜の涙と感謝の声で溢れていた。
「ありがとう、ラグランの三華様! 私たちは自由になれました!」
解放された人々が、涙を流しながら三人の乙女たちに深々と頭を下げる。
宮殿のバルコニーから、昇りゆく太陽と黄金の砂漠を見下ろす三人。
「ふぅ~! 砂漠の戦いも楽勝だったね! ロゼッタ、冷たいオアシスの水、美味しかった~!」
エミーナが楽しそうに笑い、金髪を輝かせた。
ロゼッタは手に持った羊皮紙の地図を閉じる。その表情には、ひとつの大きな目的を成し遂げた安堵と、未来への強い情熱が宿っていた。
「北の雪原、東の海、そして南の砂漠……。旧帝国の各地を苦しめていた悪の芽は、これで粗方摘み取ることができました」
シャルロッテは腰の細身の剣をそっと撫で、ロゼッタを見つめた。
「ええ。ですがロゼッタ……これから私たちはどこへ向かうのですか?」
ロゼッタは深く微笑み、二人の手を取った。
「西の果て……私たちが最初に誓いを立てた街、ラグランへ戻りましょう。あそこを新たな希望の都として、民が自ら治める新たな国を創るのです」
「ラグランへ……!」
シャルロッテの瞳が輝いた。あの桃色の花が舞い散る夜、三人でブドウ果汁を汲み交わし、「桃色の誓い」を結んだあの場所へ。
「参りましょう、ロゼッタ様、エミーナ! 私たちの旅は、新しい時代の幕開けへと繋がっているのですから!」
淡い栗色の髪、まばゆい金髪、そして気品ある黒髪。
三人の乙女たちの手が、熱い砂漠の風の中で力強く重なり合った。
かつて乱世の闇に咲いた三輪の小さな花は、いまや大陸全土を包み込む大きな大樹となり、すべての人々に平和と希望の木陰をもたらそうとしていた。




