第63話『日の沈みゆく帝国』その5
帝都ヴェルサイユに新たな政治の光が差し込み、復興の足音が響き始めた頃。「ラグランの三華」と呼ばれた三人の乙女たちは、すでに華やかな都をあとにしていた。
三人——淡い栗色の髪を風になびかせるシャルロッテ、まばゆい金髪を弾ませるエミーナ、そして静謐な黒髪を纏うロゼッタが目指したのは、旧帝国の最北端に位置する「ラグナール伯領」であった。
北方は寒冷な土地であり、古くから広大な森林と険しい山々に囲まれている。だが、この地に足を踏み入れた三人が目にしたのは、豊かな自然ではなく、凍てつく空気に混じる焦土の臭いであった。
「……ひどい有様ですね」
ロゼッタが乗馬の手綱を緩め、眉をひそめた。
街道沿いの村々はことごとく焼き払われ、家々の木枠だけが黒く焦げた肋骨のように残されている。逃げ遅れた農民たちが、寒空の下で凍えながら身を寄せ合っていた。
シャルロッテは馬を降り、路傍に座り込む痩せた少女のもとへ駆け寄った。可憐な手で持っていた干し肉と温かい麦茶を差し出す。
「大丈夫ですか? 何があったのですか……?」
少女は怯えた瞳でシャルロッテの淡い栗色の髪を見つめ、ガタガタと震える声で答えた。
「『聖杓の旅団』の残党……だけじゃないの……。北の山奥から現れた、黒い鎧の鬼たち……『鉄血団』が、村の食糧も、男たちもみんな奪っていったの……」
「鉄血団……?」
シャルロッテが首をかしげると、後ろから追いついたロゼッタが険しい表情を浮かべた。
「北方の国境を守るはずの私設騎士団です。元は正規の領主軍でしたが……ヴァルモンの失政で俸禄が途絶え、ついに『聖杓の旅団』の残党と手を組み、自ら掠奪者へと成り下がったのでしょう」
「民を守るべき騎士が、匪賊と組んで民を襲うなんて……!」
シャルロッテの胸に怒りの火が灯った。父から教わった「騎士の誇り」を泥で汚すような行為。それは彼女にとって到底許しがたいことだった。
「許せないよっ!」
エミーナが重厚な蛇矛を地面に突き立てた。ドゴォンと地響きが起き、積もった薄雪が舞い散る。
「せっかく帝都の悪党をぶちのめしたのに、まだこんな奴らがいるなんて! ロゼッタ、シャルロッテ、今すぐその『鉄血団』の城へ乗り込もうよ!」
「待ちなさい、エミーナ」
ロゼッタはなだめるように手をかざした。
「敵は山の要塞に立てこもっており、兵力は数千。しかも元軍人ゆえに組織立った戦術を使ってきます。いくらあなたたちの武勇があろうとも、正面から突入すれば無駄な流血を招くだけです」
ロゼッタは羊皮紙の地図を取り出し、北方の険しい山並みを指差した。
「ラグナール要塞は、かつて異民族の侵入を防ぐために造られた不落の城。ですが……私にはひとつの企てがあります。シャルロッテ、エミーナ、また私の作戦に付き合ってくれますね?」
「勿論です、ロゼッタ」 シャルロッテは細身の剣の柄にそっと手を置き、固い決意の眼差しを返した。
「この北の大地に、二度と嘆きの声が響かぬよう……私の剣をお使いください」
◇
吹雪が吹き荒れる夜であった。
天を突くような岩山の上にそびえるラグナール要塞。その外郭は強固な石垣で囲まれ、松明の光が城壁の周りを煌々と照らしている。
「寒~い! ねぇシャルロッテ、鼻水固まりそうだよ……」
エミーナが雪の中に身を潜めながら、凍える手で金髪を撫でた。
「しっ、エミーナ、声を潜めて。見張りに気づかれます」
シャルロッテは淡い栗色の髪にフードをかぶり、息を殺して城門を見つめた。二人が潜んでいるのは、城砦の裏手に位置する切り立った断崖絶壁の下であった。
ロゼッタの作戦はこうだった。
『鉄血団』の首領・ガルシアは、近隣の村から奪った食糧や物資を要塞の地下倉庫に集めている。今夜はその物資を搬入する大型馬車が到着する日であった。
ロゼッタは地元の反乱分子や農民たちに働きかけ、城門の前で偽の暴動を起こさせて敵の注意を全注視させる。その隙に、最少人数の精鋭——シャルロッテとエミーナが、この断崖絶壁を登って要塞内部へ潜入し、城門を内側から開けるという手はずだった。
「合図が来ました!」
シャルロッテが指差した先、要塞の表門付近から「ワーッ!」という民衆の歓声と、火の手が上がった。ロゼッタの手配した部隊が動いたのだ。
「よし、行こう!」
シャルロッテとエミーナは、崖に打ち込まれた古びた鎖を辿り、絶壁をすばやい動きで登り始めた。
吹雪が容赦なく吹きつけ、手足の感覚を奪っていく。だが、シャルロッテの頭にあったのは、昼間出会ったあの少女の悲壮な顔だった。
(私は負けない……民を虐げる者たちに、絶対に負けない!)
二人は見事に城壁の頂上へ辿り着いた。見張りの兵が異変に気づいて振り向いた瞬間、エミーナの蛇矛の柄が旋風のように走り、兵士の顎を打ち抜いた。声も出させずに昏倒させる。
「流石ですね、エミーナ」
「へへっ、これくらい楽勝! さあ、城門へ急ごう!」
ふたりは闇に紛れ、要塞の回廊を駆け抜けた。
しかし、要塞の回廊の曲がり角を曲がった瞬間、二人の前に一人の男が立ちはだかった。
全身を重厚な銀色の鎧で包み、両手に二本の巨大な曲刀を握った男。——『鉄血団』の副長、ヴェントであった。
「フン……裏の崖から登ってくるとは、なかなか骨のある鼠どもだ」
ヴェントが凶暴な笑みを浮かべ、二本の大曲刀を打ち鳴らした。金属性の甲高い音が回廊に響き渡る。
「だが、ここから先へは一歩も通さん。俺の『銀の双刃』の餌食となれ!」
「エミーナ、先に行って城門を開けてください! ここは私が食い止めます!」
シャルロッテが細身の剣を構え、エミーナの前に躍り出た。
「えっ、シャルロッテ一人で大丈夫!?」
「私を誰だと思っているのですか? 『ラグランの三華』の剣士ですよ!」
シャルロッテの淡い栗色の髪が、回廊に差し込む月光を受けて美しく揺れた。その瞳には、一切の迷いがなかった。
「……分かった! 絶対すぐ城門開けるから、死んじゃダメだよ!」
エミーナは力強く頷くと、ヴェントの脇をすり抜けて一気に奥へと駆け抜けて行った。
「逃がすか!」
ヴェントが曲刀を振り上げて追おうとした瞬間、鋭い銀光が彼の視界を遮った。
——チィンッ!
シャルロッテのレイピアが、ヴェントの曲刀の刃先を正確に弾き返していた。
「貴方の相手は、私です」
シャルロッテは静かに、しかし冷徹な声で宣言した。
◇
要塞の回廊に、激しい金属音が打ち鳴らされる。
「ハハハッ! 細身の剣一本で、この重双刃を受け止めきれるかァっ!」
ヴェントの攻撃は暴風のようであった。左右から交互に繰り出される曲刀の斬撃が、容赦なくシャルロッテを襲う。一撃一撃が重く、かすめるだけで肉を削ぎ落とす威力を秘めていた。
しかし、シャルロッテのステップは、まるで氷の上を滑る舞踏のようだった。
踏み込まれる刃の軌道を極限まで引きつけ、紙一重でかわす。重厚な甲冑を着たヴェントに対し、シャルロッテは軽装の革甲冑。スピードと柔軟性においては、彼女が遥かに勝っていた。
(焦ってはいけない……父親の教えを思い出して。剣は力ではなく、理で振るうもの)
シャルロッテの頭の中は、静水のように澄み渡っていた。
ヴェントの連続攻撃が三十振りに達した時、彼の息がわずかに乱れた。重い武器を振り回し続けたスタミナの消費。それこそが、シャルロッテの狙いだった。
「くっ……なぜ当たらん! チョロチョロとすばしっこい女だ!」
「貴方の剣には『誇り』がありません」
シャルロッテの瞳が鋭く光った。
「弱者を傷つけ、己の欲望のために振るう剣など……いくら重くとも、私を貫くことはできません!」
シャルロッテの身体が沈み込み、次の瞬間、跳ね上がった。
『風閃・二ノ型——乱れ牡丹!』
銀色の閃光が、夜空に咲く花火のように弾けた。
一瞬の間に繰り出された十数突きの連続攻撃。それはヴェントの曲刀の隙間を完璧に縫い、彼の腕、肩、そして両脚の関節部を正確に穿った。
「グアァァァッ!?」
ヴェントの両手から曲刀が崩れ落ち、彼は膝から床へと倒れ伏した。甲冑の隙間から血液が滲むが、命に別条はない。致命傷を避け、戦闘不能だけを狙った寸止めの妙技であった。
「馬鹿な……俺の双刃が……こんな娘っこに……」
「命まで奪うつもりはありません。己の犯した罪を、民の前で償いなさい」
シャルロッテは剣の血をサッと払い、鞘に収めた。
その時——
グラグラグラッ!
要塞全体を揺るがすような大震動が響き渡った。
「うわああああっ! 逃げろーっ! 金髪の鬼だーっ!」
要塞の広場の方から、悲鳴と怒号が聞こえてくる。エミーナが城門の仕掛けを破壊し、外に待機していたロゼッタ率いる農民義勇軍を城内へ迎え入れたのだ。
「ふふ……エミーナも、上手くやったようですね」
シャルロッテは胸を撫で下ろし、広場へと向かって駆け出した。
◇
広場では、すでに決着がつきつつあった。
首領のガルシアは大槌を振るって抵抗していたが、エミーナの身の丈を超える蛇矛の一撃によって大槌ごと叩き折られ、地面に転がっていた。
「参った! 参ったから助けてくれぇっ!」
命乞いをするガルシアの前に、黒髪を風になびかせたロゼッタが歩み寄った。
「ガルシア。貴方が奪った食糧と財宝は、すべて北方の民へ返還させてもらいます。そして貴方たちは、帝都の法に基づき、生涯をかけた労働によって復興に奉仕しなさい」
「ひ、ひぃぃ……! わかりました、従います!」
首領と副長を失った『鉄血団』と『聖杓の旅団』の残党は、完全に戦意を喪失し、次々と武器を捨てて降伏した。
夜が明け始めた。
暗雲が去り、北方の空から眩しい太陽の光が差し込んでくる。雪原がキラキラと黄金色に輝き、遠くの村々から鐘の音が響いてきた。勝利と解放を告げる、希望の鐘の音であった。
要塞の最高所に立つ広場。三人は揃って北の大地を見下ろしていた。
「やったね、シャルロッテ! ロゼッタ! 北方の悪党も全員やっつけちゃったよ!」
エミーナが蛇矛を掲げ、満面の笑みを弾ませる。
ロゼッタは優しく微笑み、二人の肩を抱き寄せた。
「ええ。ですが、これで終わりではありません。北方の復興を見届けたら、次は東方の港町へ向かいましょう。あちらでは海賊たちが横行し、民が苦しんでいると聞きます」
「どこへでも行きましょう」
シャルロッテは淡い栗色の髪を指で払い、遠く広がる地平線を見つめた。
「私たちの『桃色の誓い』は、この大陸のすべての民が微笑を取り戻すまで、終わりはありませんから」
三人は互いの手を強く握りしめた。
淡い栗色の髪、まばゆい金髪、そして気高き黒髪。
吹雪が止んだ北の大地に、三輪の花が力強く咲き誇っていた。




