第62章『日の沈みゆく帝国』その4
ラグランの街に平和を取り戻し、歓喜の宴から数日が過ぎた。
街の再生が着々と進む中、三人は領主の館から接収した図書室に集まっていた。重厚な木造の机の上には、ロゼッタが収集した旧帝国の地図や、各地から届いた秘密の報せが広げられている。
「『聖杓の旅団』の残党は各地で散敗したものの……問題は帝都です」
ロゼッタは漆黒の髪をそっと肩へ払いながら、地図の一点を指差した。帝国の中央に位置する大都市、帝都ヴェルサイユ。
「幼き皇帝陛下を傀儡とし、権力を専横する摂政ヴァルモン公爵。彼が民から吸い上げた重税こそが、匪賊を生み出す元凶となっています。さらに……噂では、ヴァルモン公は自らの権力を盤石にするため、北方の異民族との密約さえ企てているとか」
「国を売ろうとしてるってこと!? 最悪じゃん!」
エミーナが身の丈を超える蛇矛を床にドンと突いた。金髪を逆立てて憤る彼女の傍らで、シャルロッテは静かに細身の剣の柄に手を置いた。
「領主や貴族が民を守らず、国をむさぼる……そんな世を正さねば、いくら各地の匪賊を倒したところで根本的な解決にはなりません」
「ええ。だからこそ、私たちは帝都へ向かいます」
ロゼッタの澄んだ瞳が二人を見つめた。
「ラグランの志願兵から選抜した少数精鋭を率い、まずは都の情勢を探り、志を同じくする者たちと結託するのです。……途方もない試練となるでしょう。シャルロッテ、エミーナ、私についてきてくれますか?」
「どこまでも」 シャルロッテは淡い栗色の髪を揺らし、凛とした笑みを浮かべた。
「ロゼッタの目指す世界こそ、私の剣が仕えるべき場所です」
「私も! ロゼッタの頭脳と、シャルロッテの剣と、私の無双のパワーがあれば、帝都の悪党なんて一ひねりだよ!」
こうして、「ラグランの三華」と呼ばれ始めた三人は、新たな旅路へと歩み出した。
◇
帝都への街道は、かつてない緊迫感に包まれていた。
ヴェルサイユへと続く関所は固く閉ざされ、ヴァルモン公直属の重装騎士団が目を光らせている。身分証を持たぬ旅人や農民は容赦なく追い払われ、少しでも反抗的な態度を見せれば、その場で罪人として捕らえられるという有様だった。
「関所を正面から突破するのは愚策ですね……」
街道沿いの小高い丘の陰で、ロゼッタは双眼鏡を覗きながら眉をひそめた。
「ですが、裏の峠道は『黒騎士団』と呼ばれる凄腕の傭兵部隊が陣取っていると聞きます。ヴァルモン公に雇われた冷酷無比な男たちです」
「裏道を行こう」 シャルロッテが提案した。
「正面の正規軍を刺激すれば、帝都中に警戒網が張られてしまいます。傭兵相手なら、私たちの力で突破口を開けるはずです」
「決まりだね! さっさと片付けて帝都に入ろうよ!」
三人は密かに裏峠へと向かった。切り立った岩肌と深い霧に包まれた険しい道。そこを進む三人の前に、突如として黒い甲冑に身を包んだ集団が現れた。
その中心に立つのは、背丈ほどもある大剣を片手で軽々と掲げる男——「黒騎士」の異名を持つ傭兵隊長バルザックであった。
「ほう……男どもの制止を振りのけ、こんな死の峠に迷い込むとはな。可憐な乙女たちが何の真似だ?」
バルザックが残忍な笑みを浮かべると、背後の黒騎士たちが一斉に剣を抜いた。
「通りたいだけです」 シャルロッテは一歩前に出ると、細身の剣をそっと引き抜いた。
「無用な血は流したくありません。道をあけていただけますか?」
「ハッ! 命乞いなら脚を開いてから言え!」
バルザックが大剣を振り下ろすと同時に、黒騎士たちが一斉に襲いかかってきた。
「無礼者めがぁっ!!」
エミーナの怒号が爆発した。 金髪を激しくなびかせ、巨矛を一閃させる。ドゴォッ! と重い衝撃音が響き、最前線の黒騎士三人が甲冑ごと吹き飛んで岩壁に激突した。
「シャルロッテ! あいつ(バルザック)は任せた! 雑魚は私が全部散らしてあげる!」
「感謝します、エミーナ!」
シャルロッテは風のように駆け出した。 黒騎士たちの突き出す槍や剣を、舞うようなステップでかわしていく。淡い栗色の髪が霧の中に黄金の軌跡を描く。
「なにいっ!?」
驚愕するバルザックの目の前に、シャルロッテのレイピアが迫る。
——チィンッ!
大剣の腹でかろうじて受け止めたものの、シャルロッテの突きは留まることを知らなかった。一撃、二撃、三撃。銀色の閃光が、まるで雨あられのようにバルザックを襲う。
「くっ……なんだこの速さは! まるで旋風……赤き旋風か!?」
「父から授かりし我が剣技……悪政の手先となる貴方たちに負けるわけにはいきません!」
シャルロッテの澄んだ瞳に、強い意志の炎が灯る。
最後の踏み込み。バルザックが大剣を大振りした瞬間、シャルロッテはその下をすり抜け、彼の甲冑の繋ぎ目——首元へ正確に剣先を突き立てた。
ピタリと止まる剣先。寸止めであった。
「……私の負けだ」
バルザックは冷や汗を流し、大剣を地面に落とした。
「見事な剣筋……そして、命を奪わぬ情け。噂に聞く『ラグランの三華』とは、お前たちのことか」
「知っておられたのですか?」 ロゼッタが静かに歩み寄る。
「ああ。民のために『聖杓の旅団』を打ち破った気高き乙女たち……。フン、ヴァルモン公の金で動く俺たちだが、骨のある奴を無駄に殺す気はない。……通るがいい。ただし、帝都の中は蛇と蠍の巣窟だ。気をつけるんだな」
バルザックたちは道をあけ、霧の奥へと消えて行った。
◇
険しい峠を越え、三人はついに旧帝国の首都ヴェルサイユへと潜入を果たした。
豪奢な石造りの建築が立ち並び、貴族たちの馬車が行き交う表通り。しかし、一歩路地裏へ足を踏み入れれば、そこは貧困と病が蔓延するスラム街であった。華やかな都の裏側に隠された凄惨な現実に、シャルロッテは胸を痛めた。
「これが……帝国の都……」
「ええ。ヴァルモン公の暴政の果てにある姿です」
ロゼッタはフードを深くかぶり、二人を秘密のアジトへと案内した。そこは都の外れにある古い修道院の地下室であった。
「ここで、反ヴァルモン派の貴族や、帝都の地下組織と接触を図ります」
その夜、月明かりが地下室の小さな窓から差し込む中、一人の人物が姿を現した。 上質なシルクのマントを纏った青年——帝国の若き将校、リュシアン子爵である。
「ロゼッタ様……本当にお戻りになられたのですね」
リュシアンはひざまずき、ロゼッタの手に恭しく口づけをした。
「帝都の情勢はどうなっていますか、リュシアン」
「最悪です。ヴァルモン公は明日、幼き皇帝陛下を威圧し、自身を『摂政王』とする即位式を強制的に行おうとしています。それが成れば、帝国は名実ともに彼のものとなってしまう……!」
「明日……時間がないね!」 エミーナが焦りを見せる。
リュシアンは立ち上がり、シャルロッテとエミーナを見つめた。
「お二人が噂の……。単身で敵陣を破り、黒騎士団をも撤退させたという英勇ですね。どうか、力を貸してください。明日の即位式、ヴァルモン公は自らの権力を誇示するため、全近衛兵を大聖堂に集めます。その隙を突き、皇帝陛下を救出するのです!」
シャルロッテは力強く頷いた。
「皇帝陛下をお救いし、ヴァルモン公の不正を討つ。それがこの国を救う唯一の道ですね」
「作戦を立てましょう」 ロゼッタは地図を広げた。
「エミーナ、あなたは正門前で大立ち回りを演じ、近衛兵の注意を惹きつけてください」
「ふふん、暴れるのはお任せ!」
「シャルロッテ、あなたとリュシアン子爵は大聖堂の天井裏から侵入し、皇帝陛下の身辺を確保してください。そして私は……即位式の場でヴァルモン公の罪状を暴露し、集まった貴族たちの心をこちらに引き寄せます」
「危険すぎます、ロゼッタ!一人でヴァルモンの前に出るなんて……!」 シャルロッテが叫んだ。
ロゼッタは優しく微笑み、シャルロッテの手を握り返した。
「私には、あなたという最高の『盾』と、エミーナという最高の『矛』がいます。だから、何も恐れることはありません」
三人の視線が交差する。 明日の決戦に向け、静かな誓いが再び交わされた。
◇
翌日。陽が高く昇る頃、帝都の中心にそびえる大聖堂は異様な熱気に包まれていた。
パイプオルガンの重厚な音が響き渡り、豪華な衣装を纏った貴族たちが大聖堂を埋め尽くしている。祭壇の前には、怯えた表情を浮かべる幼い皇帝と、狂気に満ちた笑みを浮かべる摂政ヴァルモン公が立っていた。
「これより、新たな時代の幕開けとなる即位式を執り行う!」
ヴァルモンの宣言が響き渡ろうとしたその時——
ドカンッ!!!!
大聖堂の外から、雷鳴のような大爆発と叫び声が轟いた。
「な、なんだ!? 何事が起きた!」
「報せ! 門前に金髪のバケモノが現れ、近衛兵部隊が壊滅状態です!」
「何だと!?」
正門前では、エミーナが黄金の嵐となっていた。
「ハハハ! ヴァルモンのかかしども! このエミーナ様の相手ができる奴はいないのかーっ!」
巨矛が一振りされるたび、重装の近衛兵たちが何人も空へと打ち上げられる。圧倒的な武の暴力。近衛兵たちは恐怖に慄き、次々と正門へと応援に向かっていく。
大聖堂内の警備が手薄になったその瞬間、聖堂の扉が静かに開いた。
漆黒のドレスを纏ったロゼッタが、颯爽と歩み出てきたのである。
「ヴァルモン公! その不義の冠を置きなさい!」
「ロゼッタ……! 貴様、生きていたのか!」
貴族たちがざわめく中、ロゼッタは朗々とヴァルモンの罪状を読み上げた。民への暴政、国庫の私物化、異民族との裏取引の証拠文書を掲げながら。
「動揺するな! この女を殺せ!」
ヴァルモンの命令で、残っていた側近の親衛隊が一斉にロゼッタへ襲いかかった。
その時——ステンドグラスを突き破り、天井からひと筋の銀光が舞い降りた。
「ロゼッタには指一本触れさせません!」
淡い栗色の髪をたなびかせ、シャルロッテが大聖堂の床に降り立った。 降り注ぐガラスの破片の中、彼女のレイピアが閃光を放つ。
ズシャシャシャッ!
一瞬にして親衛隊の剣が弾き飛ばされ、彼らは崩れ落ちた。シャルロッテはロゼッタの前に立ちはだかり、凛とした眼差しでヴァルモンを睨み据えた。
「くそっ……えい、自ら殺してやる!」
追い詰められたヴァルモンは隠していた短剣を抜き、傍らの幼い皇帝を人質に取ろうと手を伸ばした。
「させません!」
シャルロッテの身体が静寂を破って跳躍した。 父譲りの流麗な剣技、その最高峰——『風閃』。
閃光が走った。
「ガハッ……!?」
ヴァルモンの手にあった短剣が砕け散り、彼の胸元をシャルロッテの剣先が深々と穿っていた。
ヴァルモンは大理石の床に崩れ落ち、二度と動かなくなった。
大聖堂内に、静寂が訪れる。
シャルロッテは剣を鞘に納め、怯える幼い皇帝の前でそっと膝をついた。
「陛下、もう大丈夫です。我ら『桃色の誓い』を結びし者が、貴方とこの国をお守りいたします」
◇
決戦から数日後。
ヴァルモン公の暴政は終わりを告げ、リュシアン子爵やロゼッタたち反乱派の貴族によって、新たな摂政政治が開始された。重税は撤廃され、スラム街には食料が配られ、帝都には久しぶりに明るい笑顔が戻っていた。
大聖堂の前庭。かつて「桃色の誓い」を立てた夜と同じように、澄み切った青空の下で三人は佇んでいた。
「ロゼッタ......本当に、帝都に残らなくて良いのですか?」
シャルロッテが尋ねた。ロゼッタには、新たな政府の最高指導者としての打診が来ていたはずだった。
ロゼッタは清々しい笑みを浮かべ、黒髪を風になびかせた。
「ええ。政治の立て直しはリュシアンたちに任せます。私の役割は、この国にまだ残る『暗闇』を探し、民の声を聴き続けること……。それに」
彼女はシャルロッテとエミーナを見つめた。
「あなたたち二人と離れるなんて、考えられませんから」
「ロゼッタ.....!」 エミーナが感極まってロゼッタに抱きついた。
「へへっ、また一緒に旅ができるんだね! 今度はどこへ行くの?」
「そうですね……北方の開拓地や、まだ匪賊に苦しむ東方の村々を巡りましょう。私たちの戦いは、この国全土に平和が戻るまで終わりません」
シャルロッテは空を見上げた。 澄み渡る秋の空。可憐な淡い栗色の髪が、心地よい風にそよぐ。
「どこへでも参ります。この剣は、ロゼッタの示す光とともにあり、エミーナの武勇とともにあります」
「うん! 私たちは三人でひとつだからね!」
三人はしっかりと手を繋ぎ合わせた。
生まれた日も、育った境遇も、髪の色も違う三人の乙女たち。 しかし、彼女たちの心に咲いた「桃色の花」は、決して枯れることなく、乱世の終わりに向けて強く、美しく咲き誇り続ける。
少女たちの新たな伝説が、いま再び、爽やかな風とともに動き始めた。




