第6章『緑花組の賄い料理食事会』
クリスタリア湖の青く澄んだ水面に、白銀の威容を映し出すフロストヴァイス城。セレスティア伯爵家の居城であるこの城の地下深くには、広大な二つの厨房が存在していた。
一つは紫のラベンダーを戴く「ヴァイオレット」。 そしてもう一つが、緑のカーネーションを象徴とする「グリーン」――ダイナミックな火力と圧倒的な肉料理、そして世界各国の豪快な美味を叩き出す熱気溢れる聖域である。
4月の第4週のある日。
「はいそこッ! 火力が弱いわよ! 素材の命が泣いちゃうじゃない! 料理は愛と火力なの!!」
けたたましい怒号とともに、厨房の「グリーン」にゴォッと巨大な炎の柱が立ち上った。
炎の中心に立つのは、料理長ヴァランタンの右腕であり、中華全般を仕切るエミリオ――愛称エミーだ。はち切れんばかりの筋肉美を白い厨房服に包み、重厚な鉄鍋を軽々と振り回している。シェフハットと胸元に輝く緑のカーネーションの刺繍が、彼女(?)たちの誇りの証だ。
「まあまあエミー、そんなに熱くなったら自慢のお肌が乾燥しちゃうわよ? パスタも愛も、極上のアルデンテと美しさが命なんだから♡」
美しくカールさせた髪を揺らし、スレンダーな体躯をしならせながら特大のチーズ塊――ラスパドゥーラに向かい合っているのはイタリアン担当のアントニオ(トニー)。手に持った専用ナイフが閃くたび、ミクロン単位の薄さに削り出されたチーズが、まるで大輪のバラのように皿の上へ舞い降りる。まさに「神のチーズ削り(アルティメット・ラスパドゥーラ)」の技だ。
「トニー、お喋りが過ぎるぞ。……肉の肉汁が『今よ』って囁いた。焦りは男と焼き肉の敵だ……」
厨房の一角、巨大なオーブンの前で長い髪をひとつに結んだ長身のルーカス(ルー姐)が、静かに肉の塊を見つめていた。指一本で焼き加減を見極める「絶対温度殺法」の冴えは、すでに神業の領域である。
「あら、ルー姐ったら相変わらずシブいわね~! ねぇねぇ聞いた? 昨日の第一騎士団の新人さん、生ハムを切り分ける私の手元に見とれちゃってさぁ!」
小柄なマルコ(マルちゃん)が、極上の生ハム原木から向こう側が透けて見えそうなほどの薄切りを生み出しながら、黄色い声を上げる。
「ちょっとマルちゃん、油断してると手元が狂うわよ! ウチの炭火は甘くないんだからね! ほら、この串焼きの肉汁爆弾、見てみなさいよ!」
腕に無数の焼き傷を持つ熱血派、ジオヴァニ(ジオ)がバンダナを巻き直しながら炭火の上で肉串を躍らせた。
料理に命を捧げ、心は乙女、肉体は戦士。セレスティア伯爵家が誇る最強の料理人集団「緑のカーネーション組」の日常である。
そこへ、厨房の重厚な扉が「ギギ……」と音を立てて開いた。
「ごきげんよう、みんな! 調子はどうかしら?」
姿を現したのは、セレスティア伯爵家の令嬢であり、孫2号であるシャルロッテだった。後ろには、ふわふわとした可憐な雰囲気を纏った泣き虫侍女のエミーナと、艶やかな黒髪をなびかせたどこか退廃的な美しさを秘めた侍女のロゼッタが従っている。
「あらまぁ! シャルロッテ様! それにエミーナちゃんにロゼッタちゃんまで!」
エミーが巨大な中華鍋をコンロに置き、親しみあふれる笑顔で駆け寄ってきた。
「本日はどうされたのですか? お食事なら、上のダイニングへすぐにお運びしますのに!」
「ふふ、違うのよエミー。今日はね――私からみんなに提案があるの」
シャルロッテは胸を張り、可愛らしく、けれど堂々と宣言した。
「新メニューの開発を兼ねて、今日はこのグリーン厨房で『賄い料理食事会』を開催します! 料理を作るのはみんなと、私たち! 一緒に作って、一緒に食べるのよ!」
「「「まあ――っ!?」」」
お姐たちの甲高い歓声が厨房全体に響き渡った。
「シャルロッテ様と一緒に新メニューの試作&賄い会だなんて……! なんて愛に満ちた企画なの! 滾っちゃうわ!」
エミーが感涙を流さんばかりに胸を躍らせる。一方で、侍女のエミーナは不安そうにシャルロッテの袖を引いた。
「し、シャルロッテ様……私みたいなドジな侍女が、プロの料理人様方の厨房に入ってお手伝いなんて……もし包丁で指をバッサリ切ったり、熱湯をかぶって火傷でもしたらどうしましょう……ぐすっ……」
「大丈夫よエミーナ。切ったら私が薬を塗ってあげるわ。……それに、失敗してシェフの皆様にお叱りを受けるのも、それはそれで尊い苦痛……最高のご馳走ですわ……♡」
ロゼッタがうっとりと頬を染めながら呟く。
「ロゼッタ、また妙な世界に入り込まないで頂戴。さあ、みんな! 最高の賄い会にするわよ!」
シャルロッテの掛け声とともに、前代未聞の厨房大作戦が幕を開けた。
「さて、今回の新メニュー兼賄いのテーマは『至高の肉とチーズ、そしてアジアン・スパイスの融合』よ!」
シャルロッテが提示したコンセプトに、緑のカーネーション組の瞳が一斉に輝いた。
「まぁ、なんて刺激的なテーマなのかしら! 燃えてきたわ!」
エミーが中華鍋を激しく煽り、火焔龍巻砲を爆発させる。一瞬で厨房の温度が跳ね上がり、強烈な火力で炒められた大蒜と生姜、スパイスの香ばしい香りが立ち込めた。
「トニー、そっちのラスパドゥーラはどう?」
「任せなさいな、シャルロッテ様。この神のチーズ削りで、雲のようにフワフワなチーズの雪降らせてみせるわ♡ ほら、エミーナちゃんも手伝ってごらんなさい?」
「えっ、あ、はい! チーズを……ひやぁっ! チーズが重くて手滑っ……!」
「きゃーっ! エミーナちゃん危ないわ!」
ズデーン! と派手に転んだエミーナの上から、トニーが極薄に削り出したラスパドゥーラチーズが、まるで桜吹雪のようにハラハラと舞い降りた。チーズの花びらに埋もれる美少女侍女。
「うう……ごめんなさい……私ったらまたドジをして……チーズまみれになっちゃいました……ぐすっ」
「……ああっ、素晴らしい……。チーズの香りに包まれ、醜態を晒しながら泣きじゃくるエミーナ……なんて可憐で……マゾヒスティックな光景なの……!」
ロゼッタが鼻血を拭いながら手帳に何かを激しく書き留めている。
「ロゼッタ、感動してないでエミーナを助けなさい! ほら、マルちゃん、生ハムの準備は?」
「バッチリよ~! 向こう側が見えるくらい透き通ったシルキー・スライス生ハム、たっぷり切り分けたわ! これに熟成肉のステーキを合わせて……ルー姐、焼き加減はどう!?」
「……フッ。黙って見ていなさい」
ルーカスが巨大な肉塊にそっと触れる。指先から伝わる肉の弾力、内部の温度。
「……今だ。肉汁の歓喜の叫びが聞こえる……!」
ドスン! とオーブンから取り出されたのは、表面はカリッと香ばしく焼き上がり、中は溢れんばかりの肉汁をたたえた最高級セレスティア牛のロースト。そこにジオヴァニが炭火で香ばしく炙った特製スパイシー串焼きを添える。
「さあ出来上がったわよ! グリーンカーネーション組とシャルロッテ様の愛の結晶! 『至高の豪快肉尽くしプレート~ふわもこチーズと炎のスパイス仕立て~』よ!!」
調理が終わり、グリーン厨房の真ん中に大きな作業台を並べて臨時の食卓がセッティングされた。
豪華絢爛な料理が皿から溢れんばかりに盛られている。 中華鍋の強火で一気に仕上げられた「海鮮と香草の激辛炒め」、ルーカスが絶対の自信を持つ「ローストビーフの特製ソース添え」、マルコが削り出した「熟成生ハムと旬の果実」、ジオヴァニの「極上炭火串焼き」、そしてトニーの削り立てラスパドゥーラが山のように盛られた「濃厚カルボナーラ風リゾット」。
「素晴らしいわ……! みんな、本当にありがとう! それでは――」
シャルロッテがグラスを掲げた。
「フロストヴァイス城の食を守る、誇り高き緑のカーネーション組に感謝を込めて! 乾杯!」
「「「乾杯―――ッ!!!」」」
カチャン! とグラスが鳴り響き、賑やかな賄い食事会がスタートした。
「ん~っ!! 美味しいわ!」
シャルロッテがローストビーフを一口頬張り、目を輝かせた。
「表面のカリッとした香ばしさと、溢れ出す肉汁の旨味が凄いわ! ルー姐、やっぱりあなたの焼き加減は完璧ね!」
「……光栄です、シャルロッテ様。肉も満足しております……」
ルーカスが無口ながらも、嬉しそうに頬を緩める。
「シャルロッテ様、こちらの激辛炒めも召し上がってみて! 愛と火力で作ったのよ!」
エミーが差し出した料理をパクリと食べたエミーナが、一瞬で顔を真っ赤にした。
「ひゃうんっ!? か、辛い……! 舌が痺れますぅ……! でも、でも後から旨味が追いかけてきて、とっても美味しいです……うぅ、涙が出てきた……」
「あらあら、エミーナちゃん可愛いわねぇ! ほら、お水とお肉食べなさい!」
「あ、ありがとうございます……マルコさん……えぐっ」
泣きじゃくりながら肉を頬張るエミーナに、お姐たちが「可愛いわぁ」「癒されるわねぇ」と群がり、甘やかしまくっている。
「ふふ、エミーナはみんなに愛されているわね。ロゼッタ、あなたも食べたら?」
「はい、シャルロッテ様。……ん……! この炭火串焼き、スパイスの刺激と肉の歯ごたえが……まるで口の中で辛辣なお仕置きを受けているような激しさを感じます……! んっ、美味しい……もっと辛くしていただいても……!」
「ロゼッタ、料理の感想で変な悦び方に走らないでちょうだい」
シャルロッテは苦笑しながら、トニーが装ってくれたリゾットに手を伸ばした。削り立てのラスパドゥーラチーズが熱々のリゾットの上でとろりと溶けかけている。
「トニー、このチーズの削り加減、口当たりが優しくて最高よ。重たくなりすぎず、いくらでも食べられそう!」
「でしょう♡ チーズは乙女のドレスと一緒よ。薄く、繊細に纏わせてこそ、中の素材の魅力を引き立てるの。シャルロッテ様にそう言っていただけるなんて、美容液より効くわ!」
トニーがエレガントに胸のカーネーションに手を当て、ウインクしてみせた。
「それにしても」
ジオヴァニが豪快に串焼きを噛みちぎり、冷えた麦酒を飲み干しながら言った。
「こうしてシャルロッテ様や侍女のお嬢ちゃんたちと膝を突き合わせてメシを食うのも、悪くないわね! 普段は厨房の奥でひたすら作り続けるだけだからさ!」
「本当にねぇ」とエミーが頷く。「私たちが料理に注ぐ愛を、こうして目の前で喜んで受け取ってもらえるなんて、料理人冥利に尽きるわ。ねぇヴァランタン料理長にも、後で差し入れしてあげなきゃね!」
「ええ、もちろんよ」
シャルロッテは温かい笑顔を浮かべた。
クリスタリア湖の厳しい寒さに包まれたフロストヴァイス城。けれど、この地下厨房「グリーン」には、どんな寒波も吹き飛ばすような熱気と、眩しいほどの愛が満ちていた。
「ねえみんな、この新メニュー、次の城の参政会や晩餐会で出してみないかしら? きっと伯爵様も驚くわ!」
「まあ! シャルロッテ様、本気かしら!?」
「ええ! 私たちの『愛と火力』を見せつけてやるのよ!」
「「「キャーッ! シャルロッテ様、一生ついていきますわーッ!!」」」
お姐たちの歓声と熱い抱擁がシャルロッテを襲い、エミーナの悲鳴とロゼッタのうっとりとした吐息が重なる。
賑やかで、美味しく、そしてどこまでも温かい夜。 緑のカーネーションが咲き誇る厨房の宴は、星が湖面を照らし続けるまで、いつまでもいつまでも続くのだった。




