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第5章『ガブリエルの花嫁選び』その3

そして迎えた4月第3週の週末。ついにガブリエルの二十歳の誕生日当日がやってきた。

クリスタリア湖からの爽やかな朝風がフロストヴァイス城のカーテンを優しく揺らしている。本日のメインイベントは、城の最上階に位置する『クリスタル・グラン・サロン』で開催される至高のお誕生宴だ。広大なガラス窓越しにエメラルドグリーンの湖面が一望できるこの大広間は、今日という日のためにセレスティア伯爵家の総力を挙げて装飾されていた。

「皆様、配置につかれましたね。本日はガブリエル様の二十歳の節目であり、招待された5人の令嬢方にとっても運命の一日となります。セレスティア家の名に恥じぬ完璧なもてなしを」

漆黒の燕尾服を寸分の狂いもなく着こなしたルイスが、男性使用人たちと侍女たちに最後の指示を出していた。その佇まいはまさに冷徹なまでの完璧主義者だが、その瞳には主家への深い愛情が宿っている。

「エミーナ、ロゼッタ。シャルロッテ様の衣装の整えは万全か?」 「はい、ルイス様! シャルロッテ様には、本日の主役に華を添えつつも、観察(吟味)がしやすい軽やかなペールブルーのドレスをお召しいただきました!」 エミーナが胸を張る。

「シャルロッテ様ご自身も『今日の私は審判員兼最高責任者よ!』と大変意気込んでいらっしゃいます」 ロゼッタが手帳を閉じながら淡々と付け加えた。

ルイスは軽く眩暈を覚えたようにこめかみを押さえたが、すぐに気を取り直して「……頼みますよ」と呟いた。

そこへ、本日の主役であるガブリエルが姿を現した。 セレスティア伯爵家の家紋である氷結晶の刺繍が施された濃紺のタキシード。髪を綺麗にセットした彼は、二十歳に相応しい凛々しさと気品を漂わせている——が、その表情はどこか青白い。

「ガブリエル様、大変お見事な装いでございます。まさに当主跡取りに相応しい威風堂々たるお姿」 ルイスが心からの賛辞を贈ると、ガブリエルは力なく笑った。

「ありがとう、ルイス……。でもな、鏡を見るたびに『今日で俺の自由な独身生活が終わるのかもしれない』という恐怖で胃が縮みそうなんだ」 「お兄ちゃん、往生際が悪いわよ!」

後ろから元気いっぱいの声とともに跳び出してきたのは、シャルロッテだ。ペールブルーのドレスの裾をひらひらとさせながら、兄の顔を覗き込む。

「今日は5人の花嫁候補から、運命のパートナーを吟味する最高の日じゃない! ほら、背筋を伸ばして! 昨日のナマズ事件で『ギャップが可愛い』ってポイント上がったんだから、自信持って!」 「あの件はもう忘れろと言ったろ! なんで俺の黒歴史が好感度アップに繋がってるんだよ!」 ガブリエルは即座にツッコミを入れたが、シャルロッテの無邪気な笑顔に毒気を抜かれたのか、ふっと肩の力を抜いた。

「はぁ……まあいい。とにかく今日は、遠くから来てくれた5人の令嬢たちに感謝を伝え、伯爵家としての誠意を見せる。それが跡取りとしての俺の務めだ」 「さすがガブリエル様! その真面目さが最高の武器でございますわ!」 エミーナが拍手を送ると、ロゼッタも「素晴らしい決意です」と静かに頷いた。

正午。クリスタル・グラン・サロンには、煌びやかな衣装に身を包んだ令嬢たちが集結していた。

一番手、ピンクのシルクドレスに身を包んだ侯爵令嬢ソフィア。 二番手、鮮やかな紅のドレスで圧倒的な存在感を放つ公爵令嬢エレノア。 三番手、知的な銀縁の眼鏡と落ち着いた緑のドレスが映える伯爵令嬢クラリス。 四番手、可憐なレースとフリルをふんだんにあしらった黄色いドレスの男爵令嬢リリィ。 五番手、深紫のドレスにミステリアスなヴェールを纏った子爵令嬢アイリス。

5人それぞれの魅力が咲き誇る様は、まるで色鮮やかな花壇のようだった。

宴が始まり、高級ワインや最高級の料理が次々と運ばれていく。ルイスの手腕により、給仕のタイミングも会話の間合いも完璧にコントロールされていた。

シャルロッテは給仕を手伝う振りをして、会場の壁際からエミーナ、ロゼッタと共に3人でコソコソと「最終吟味会議」を執り行っていた。

「さあ、二人とも! いよいよ最終決戦よ。現在の情勢はどう見える?」 シャルロッテがグラスのジュースを小さく舐めながら問う。

「はい! エミーナの観察によりますと、一番押しているのはエレノア様です! 先ほどからガブリエル様に『セレスティア家の領地防衛計画』についての熱い持論を語りかけていらっしゃいます!」 「いや、ガブリエル様、引いてますね」 ロゼッタが冷ややかにツッコミを入れる。 「ガブリエル様の表情をご覧ください。あれは『領地防衛』ではなく『自分のパーソナルスペースの防衛』に必死な顔です」

「確か(笑)。じゃあ、ソフィア様は?」 「ソフィア様はガブリエル様がお料理口に運ぶたびに『お味はいかがですか……?』と愛くるしい瞳で見つめていらっしゃいます。ガブリエル様、喉に詰まらせそうになっていますわ」 「あはは、兄ちゃん不器用すぎる! クラリス様とリリィ様は?」

「クラリス様はガブリエル様の二十歳の記念に『セレスティア伯爵家百年の経済史』という厚さ5センチの自作の論文をプレゼントされたようです。ガブリエル様、『後でじっくり読ませていただきます(震え声)』とおっしゃっていました」 「リリィ様は、お誕生日のケーキのイチゴをガブリエル様の皿に全部乗せて『私からのプレゼントです!』と無邪気に笑っていらっしゃいます。ガブリエル様、イチゴの山を前に固まっていますね」

「そしてアイリス様は……」 エミーナが声を潜める。 「ガブリエル様の背後に忍び寄り、『二十歳になられた夜、城の地下古文書庫で真実の愛の呪文を唱えると……』と囁いて、ガブリエル様をまた鳥肌立たせていらっしゃいます!」

「全員個性が強すぎる!!」 シャルロッテは思わず吹き出しそうになった。 「兄ちゃん、よく耐えてるわね。ツッコミに回る余裕すらないじゃない!」

しかし、宴が中盤に差し掛かったその時、思いもよらぬハープの演奏時間が訪れた。 伯爵家の伝統として、誕生日の主役に対し、令嬢たちが一曲ずつ祝賀の演奏や詩の朗読を贈ることになっていたのだ。

トップバッターはソフィアだった。彼女は繊細な手つきでハープの弦を弾き、湖のせせらぎのような美しい音色を奏でた。会場全体がうっとりとその音色に聞き惚れる。

続いてエレノアが力強い詩の朗読を披露し、クラリスが祝賀の辞を優雅に述べ、リリィが可愛らしい祝歌を歌い、アイリスが幻想的な笛の音を響かせた。

どの令嬢も、ガブリエルのために一生懸命準備してきたことがひしひしと伝わってくる素晴らしい披露だった。

演奏が終わり、温かい拍手がサロンを包み込む中、ガブリエルがゆっくりと大広間の中央へ歩み出た。

5人の令嬢たちが、期待と緊張の入り混じった眼差しで彼を見つめる。

(ついに……ついにガブリエル様が花嫁候補を選ぶのか……!?) 会場の誰もがそう息をのんだ。シャルロッテも、エミーナもロゼッタも、そしてルイスでさえも、固唾をのんでガブリエルを見守る。

ガブリエルは一度深く息を吸い込み、5人の令嬢一人ひとりの目をしっかりと見つめた。

「ソフィア様、エレノア様、クラリス様、リリィ様、アイリス様。本日は私のために、このような素晴らしいお祝いをいただき、誠にありがとうございます」

彼の声は、緊張から解き放たれ、とても穏やかで誠実な響きを持っていた。

「皆様からいただいた温かいお言葉、そして素晴らしい演奏や贈り物に、心から感謝しております。……ですが、皆様とこの数日間をお過ごしして、私は痛感いたしました」

ガブリエルは少し苦笑いを浮かべながら続けた。

「私はまだまだ未熟者です。皆様のような素晴らしく、個性的で魅力に溢れた女性たちを前に、ドギマギして落水したり、怪談話に怯えたり、会話についていけなくなったりと、情けない姿ばかりをお見せしてしまいました」

令嬢たちが驚いたように目を見張る。

「伯爵家の跡取りとして、私はもっと人間として成長しなければなりません。今の未熟な私では、皆様の誰一人として幸せにすることはできないと感じました。ですから……大変勝手ながら、今日の今日で『一人の花嫁を選ぶ』ということは、保留とさせていただきたいのです」

広間に一瞬の静寂が訪れた。

(ええええええええっ!? 全員保留!?) シャルロッテは心の中で叫んだ。

しかし、ガブリエルはしっかりと頭を下げ、真摯な言葉を続けた。

「ですが、もし皆様がお許しくださるなら……特定の『花嫁候補』としてではなく、友人として、これからもっと皆様のことを知り、私自身も頼れる男になれるよう精進したいと思っております。それが、本日二十歳を迎えた私の、身勝手ですが誠実な決意です」

深く頭を下げるガブリエル。

沈黙が破られたのは、意外にも公爵令嬢エレノアの高らかな笑い声だった。

「ふふ……ふははは! 素晴らしいですわ、ガブリエル様!」 エレノアが力強く拍手を打つ。 「自分の未熟さを認め、安易に流されず、誠実に『今は選べない』とおっしゃる! まさに武士……いえ、真の騎士の意地を見せていただきましたわ!」

続いてソフィアが優しく微笑んだ。 「ええ……ガブリエル様のそういう嘘のつけない誠実なところ、私、とても素敵だと思います」

クラリスも眼鏡の位置を直しながら頷く。 「合理的で納得のいく結論ですわ。お互いを知る時間を増やすことには大賛成です」

リリィは「じゃあ、これからも遊びに来ていいんですね!」と喜び、アイリスも「ふふ……焦らずじっくりお互いの影を重ねていきましょう……」と妖しく微笑んだ。

なんと、ガブリエルの「誠実な保留宣言」は、5人の令嬢全員の好感度をさらに暴上げするという奇跡的な結果を生み出したのだった!

「……え? 俺、怒られると思ってたんだけど……?」 ぽかんと口を開けるガブリエル。

その姿を見て、ルイスが静かにガブリエルの隣に歩み寄り、最高の笑みを浮かべた。

「お見事でございました、ガブリエル様。これ以上ない、完璧で誠実なご回答でございます」 「ルイス……俺、また何か変な選択をしたわけじゃないよな……?」 「いいえ。ガブリエル様が『真面目で誠実な常識人』だからこそ導き出せた、最高の選択でございますよ」

「あはははは! さすが兄ちゃん! 土壇場で全員保留というウルトラCを繰り出すなんて!」 シャルロッテが駆け寄ってきて、ガブリエルの背中をバシバシと叩いた。

「て、手厳しいツッコミを入れられるかと思ってハラハラしたけど、結果オーライね!」 「痛い痛い! シャルロッテ、叩く力が強すぎる!」 「ガブリエル様、本当におめでとうございます!」 エミーナとロゼッタも笑顔でお祝いの言葉を贈る。

「はぁ……。結局、俺の苦難の日々はこれからもしばらく続くってことじゃないか……」 ガブリエルは頭を抱えたが、その表情には先ほどまでの重苦しさはなく、清々しい笑顔が浮かんでいた。

宴が夜遅くに無事おひらきとなり、5人の令嬢たちがそれぞれの部屋へと戻った後。

静まり返った『クリスタル・グラン・サロン』のテラスに、ガブリエルとシャルロッテ、そしてルイスの3人が佇んでいた。 (エミーナとロゼッタは、片付けと令嬢たちの夜のケアのためにサロンを辞していた)

夜のクリスタリア湖は、満月の光を浴びて青銀色に妖しく、そして神秘的に輝いている。

「兄ちゃん、二十歳のお誕生日、本当におめでとう」 シャルロッテは照れくさそうに、小さな刺繍入りのハンカチをガブリエルに差し出した。 「私とエミーナ、ロゼッタで夜な夜な作ったの。兄ちゃんがまたナマズに驚いて汗をかいた時に使ってね」

「余計な一言が多いが……ありがとう、シャルロッテ。大切にするよ」 ガブリエルは優しく妹の頭を撫でた。

「ルイスも、この一週間、本当にお疲れ様。お前がいなかったら俺は初日で逃げ出してたよ」 ガブリエルが振り返ると、ルイスは静かに一礼した。

「滅相もございません。ガブリエル様が二十歳となられ、こうして立派なお姿を見せてくださることが、私にとって最大の喜びでございます。……しかし、ガブリエル様」

ルイスは少し意悪く微笑んだ。 「明日からは、5人の令嬢方からの定期的なお手紙の管理や、訪問のスケジュール調整が待っております。家令として、しっかりと管理させていただきますね」

「うぐっ……! まだ戦いは終わっていないということか……!」 ガブリエルはガックリと肩を落とした。

「ふふっ! 兄ちゃん、頑張って! 私たちもこれからもバッチリ『吟味』のお手伝い(観察)をしてあげるからね!」 「お前たちの観察が一番のストレスなんだよ!」

ガブリエルの絶妙なツッコミが、夜のクリスタリア湖に心地よく響き渡る。

白亜の城、フロストヴァイス城に咲く春の嵐は、一旦の静けさを迎えた。 だが、真面目で不憫な伯爵家跡取りと、好奇心旺盛な妹令嬢、そして完璧すぎる家令たちの賑やかで愛おしい日常は、これからもずっと続いていくのだった。

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