第56章『ツンデレ公爵は恋に落ちる』その9
星々が煌めく夜空の下、東屋に寄り添う四人のもとへ、一人の伝令兵が息を切らせて駆け込んできた。
「公爵閣下! 王宮警備隊より緊急の報せです! 王都の北東、漆黒の森に位置する極秘保管庫にて、レオン一味の残党が潜伏しているとの情報が入りました!」
伝令の言葉に、周囲の空気が一瞬で緊張感に包まれる。
「……残党だと? 往生際の悪い奴らめ」
リドの瞳に、かつての「黒狼公」たる鋭い光が戻る。彼はすぐさま立ち上がり、長剣の柄に手をかけた。
「余が出向く。シャルロッテ、お前はここで——」
「いいえ、私も行きます!」
シャルロッテは譲らない強い眼差しでリドを見つめ返した。
「シャルロッテ、相手は追い詰められた刺客だ。危険すぎる」
「私には見えているのです、リド様。今、私の頭の中に新たな光景が浮かびました。……残党たちの真の狙いは、保管庫にある『アルヴの書』の写本を使い、王都の地下水脈に毒を流し込むこと。私が行かなければ、隠された仕掛けを見破ることはできません!」
淡い栗色の髪を夜風になびかせ、真実を語るシャルロッテ。その瞳に迷いがないことを悟り、リドは静かに吐息を漏らした。
「……相変わらず、引き下がらん女だ。分かった。だが、絶対に余の背後から離れるな」
「はい!」
「お嬢様! 私たちもお供しますわ!」
エミーナがナイフの柄を握り直し、ロゼッタも長めな前髪の隙間から冷静な鋭い眼光を覗かせる。
「二人の手助けも必要です。参りましょう、リド様!」
夜警の騎馬隊を率い、四人は月明かりが照らす漆黒の森へと馬を走らせた。
森の奥深くに佇む古い石造りの保管庫。扉はすでに打ち破られており、内部からは不気味な黒い煙が立ち上っていた。
「ここです……! この地下へ続く階段の先に、彼らがいます!」
シャルロッテの指示のもと、リドを先頭に静かに地下へ侵入する。薄暗い地下室では、黒装束の男たちが怪しげな陣を描き、地下水脈の源流に向かって呪文を唱えていた。
「そこまでだ、叛逆者ども!」
リドの咆哮とともに、暗闇の中で凄まじい剣撃が弾けた。
「お嬢様は私たちが守ります!」
エミーナが放った二丁のナイフが、術を唱えていた解呪師の肩を正確に射抜く。逃げ出そうとした刺客の足元へ、ロゼッタが電光石火の踏み込みで滑り込み、鮮やかに剣を奪い取って制圧した。
「バ、バカな……なぜここが分かった!?」
取り乱す残党の頭目に対し、リドは容赦なく一閃を叩き込み、その武器を打ち払い拘束した。
「お前たちの浅はかな企みなど、余の妻の未来を見通す目の前には無力だ」
刺客たちは一網打尽にされ、王都を襲うはずだった陰謀は未然に防がれたのだった。
夜明け前、事件を解決した四人は保管庫を後にし、朝露に濡れる森の小道を歩いていた。
「まったく、結婚式の当日にまでひと暴れすることになるなんて、本当にお嬢様らしいですわ」
ロゼッタがやれやれと首を振ると、エミーナが「でも、やっぱりお嬢様と公爵様のコンビは最強ですね!」と嬉しそうに笑った。
リドは歩みを止め、隣を歩くシャルロッテの腰を抱き寄せた。
「怪我はないか、シャルロッテ」
「ええ、リド様が守ってくださったおかげです。……でも、これで本当に、王国に平和が訪れましたね」
シャルロッテが穏やかに微笑むと、リドは彼女の額に愛おしそうに口づけを落とした。
「ああ。これからはもう、戦いのためではなく、お前と共に穏やかな時を刻むためにこの剣を振るおう」
東の空から、新時代を告げる眩い太陽が昇り始める。
◇
朝靄を黄金色に染め上げる太陽が、ル=ヴァル王国の街並みを優しく包み込んでいく。
激闘を終えた四人を乗せた馬車は、静かな街並みを抜け、緑豊かな郊外に佇む広大な公爵邸へと到着した。そこは今日から、シャルロッテがリドと共に暮らす新たな「家」だった。
「お帰りなさいませ、閣下、奥様」
整列した執事やメイドたちが一斉に深々と頭を下げる。その温かな出迎えに、シャルロッテは少し気恥ずかしそうに微笑み、淡い栗色の髪を揺らした。
長旅と事件の疲労を癒やすため、リドに促されて邸内の豪奢な寝室へと向かったシャルロッテ。侍女のエミーナとロゼッタの手際よい手助けにより、泥と煤に汚れたドレスを脱ぎ捨て、肌触りの良いシルクのガウンに着替える。
「お嬢様……いえ、奥様。本当にお疲れ様でございました」
ロゼッタが温かいハーブティーをテーブルに置き、優しく微笑む。
「ええ、一時はどうなることかと思ったけれど……これで本当に、みんなが無事でよかったわ」
「もう! 奥様ったら、ご自身の新婚初夜まで王国を救う大活躍なんですから! でも、これで本当に平和になりましたね」
エミーナが無邪気に笑う。二人の侍女の変わらない笑顔に、シャルロッテの緊張もようやくほどけていった。
「ふたりとも、今日まで私を支えてくれて本当にありがとう。……少し一人で休ませて頂戴」
二人が辞儀をして静かに部屋を退出すると、入れ替わるようにしてリドが室内へ入ってきた。上着を脱ぎ、寛いだ装いの彼は、ベッドの端に腰掛けるシャルロッテのもとへゆっくりと歩み寄る。
「……侍女たちを下がらせたか」
「ええ。ふたりも疲れているでしょうから」
リドはシャルロッテの隣に腰を下ろすと、彼女の華奢な肩を包み込むように引き寄せた。ふんわりとした栗色の髪から香る甘い花々の匂いが、彼の心を安らげていく。
「災いの芽はすべて摘んだ。……もう、お前に危険な目を遭わせることもない」
「ふふ、リド様。私は危険だったからあなたについて行ったのではありませんよ? あなたの側にいたかったからです」
シャルロッテが首をかしげて悪戯っぽく見上げると、リドの氷の瞳に、甘い熱が灯った。
「そうか。……ならば、これからもずっと余の側にいてもらう」
リドは大きな手で彼女の頬を優しく包み込むと、慈しむように何度も唇を重ねた。かつて孤独に戦い続けていた「黒狼公」の面影はそこにはなく、目の前にいるのは、ただ一人の愛する女性を慈しむ一人の男だった。
「シャルロッテ。お前が見せてくれた希望に満ちた未来を、これからは二人で、ゆっくりと歩んでいこう」
「はい、リド様……どこまでも、あなたと共に」
窓の外では、新時代の到来を告げる美しい朝陽が、二人の姿をあたたかく照らし続けていた。




