第52章『ツンデレ公爵は恋に落ちる』その5
地下通路の静寂を破るように、背後の石扉が激しい衝撃音とともに響いた。追手たちが隠し扉の存在に気づき、叩き破ろうとしているのだ。
「急ぎましょう! 長くは持ちません!」
ロゼッタの鋭い声に弾かれるように、四人は地下通路の奥へと疾走した。
湿った石畳を叩く靴音が暗闇にこだまする。途中で通路が二手に分かれる差しかかり、リドが脚を止めた。
「どちらだ、シャルロッテ。お前の見た『未来』では、どちらが地上へ続いている?」
「右です! 左は……水責めの罠が仕掛けられた破滅の道……!」
シャルロッテの即答に迷いはなかった。リドは迷わず右の通路へと踏み込み、エミーナとロゼッタが殿を固める。
通路の先から、冷たく澄んだ夜風が吹き込んできた。深い緑の匂い——サン・ジュリアン修道院の裏手を包む、あの深い森の空気だ。
重厚な鉄格子をリドが力任せに押し開けると、四人は月光が降り注ぐ森の中へと飛び出した。背後で追手たちの怒号が遠ざかっていく。
「ふう……なんとか逃げ延びましたね……」
エミーナが膝に手を当て、金髪を揺らしながら荒い息をつく。ロゼッタも黒髪を整えつつ、素早く周囲の警戒を怠らない。
しかし、安堵したのも束の間。修道院の敷地内から、不気味な赤黒い煙と炎が立ち上っているのが見えた。
「あれは……修道院の礼拝堂!?」
シャルロッテが息を呑む。
「奴らめ、すでに手を打っていたか……! 『アルヴの書』を無理やり解読し、その力を暴走させているのだ!」
リドの顔が怒りで歪む。傷ついた右腕を押さえながらも、その瞳には再び猛烈な闘志が宿っていた。
「行かせません、リド様。手当てがまだ不完全です!」
「黙って指をくわえて見ていろというのか? あの書が完全に暴走すれば、王都は一夜にして灰燼に帰すぞ!」
「だからこそです!」
シャルロッテはリドの前に立ち塞がり、彼の漆黒のマントの胸元を強く掴んだ。
「私が見た予知夢……あなたが炎の中で倒れ、血に染まる未来は、まさにあの礼拝堂の惨劇だったのです。あなたを一人で死なせたりしません! 私の予知夢は、あなたを救うためにあったのだから!」
淡い栗色の髪を夜風にたなびかせ、まっすぐに見つめ返してくる少女。リドは息を呑み、そして静かに目をとじた。
「……身の程知らずの強情な女だ」
リドは自らの大きな手を、シャルロッテの手に重ねた。氷のように冷たかった彼の手に、確かな熱が宿っている。
「良いだろう。お前の見せる未来に、余の命を預ける」
「お嬢様、私たちも準備はできていますよ!」
エミーナがニヤリと笑い、手のひらで二丁のナイフを鮮やかに回転させる。ロゼッタも短剣を鞘から抜き放ち、静かに頷いた。
「セレスティア伯爵家に仕える者として、お嬢様の選んだ運命に最後までお供いたします」
炎に包まれる古の修道院を見上げ、四人は強い絆で結ばれていた。予知された破滅の未来を打ち破り、新たな運命を自分たちの手で手繰り寄せるために——。
シャルロッテとリド、そして二人の頼もしい侍女たちは、揺らめく火炎のただ中へと足を踏み入れた。
◇
炎が激しく渦巻く修道院の礼拝堂。ステンドグラスは熱で破裂し、絢爛たる宗教画は黒く焦げ落ちていた。
その中央、祭壇の前に佇むのは、漆黒の儀式服を纏った男——王国の宰相であり、黒幕のレオン公爵だった。彼の手に握られた古の羊皮紙『アルヴの書』からは、不気味な紫黒の光が放たれ、大気を激しく震わせている。
「狂気だな、レオン」
リドの冷徹な声が、爆ぜる炎の音を切り裂いた。
「ハハハ! 遅かったな、黒狼公! この『アルヴの書』に記された古代魔法の力が解き放たれれば、王国の全権力は我が手に落ちる! 予言どおり、お前はここで灰となるのだ!」
レオンの合図とともに、影から解呪師と屈強な護衛兵たちが一斉に躍り出た。
「お嬢様、あの解呪師たちが『アルヴの書』の暴走を加速させています!」 ロゼッタが黒髪をなびかせ、冷静に敵の陣形を分析する。
「任せて! 解呪師の無力化なら私の得意分野だから!」 エミーナが金髪を揺らし、疾風のごとく踏み込んだ。一瞬の隙を突き、放たれたナイフが解呪師たちの詠唱を正確に遮断していく。
「シャルロッテ、指示を!」
リドが長剣を構え、シャルロッテを背後に庇う。
シャルロッテは必死で記憶の糸をたぐり寄せた。脳裏に不吉な予知夢のフラッシュバックが走る。
(夢の中のリド様は、右からの刺客を斬った直後、天井から落ちてきた聖像の下敷きになって倒れた……!)
「リド様、右の敵は罠です! 左の柱へ跳んでください! 天井が崩れます!」
「なに——!?」
リドがシャルロッテの叫びを信じ、左へ激しく跳躍した直後、轟音とともに巨大な石の聖像が右側の床を打ち砕いた。予知夢通りの死線。だが、未来は確かに書き換わったのだ。
「そこだ、リド様! 祭壇の右目!」
「お前が見せた未来、確かに受け取った!」
リドは炎を切り裂き、一気にレオンとの距離を詰めた。右腕の傷の激痛をものともせず、渾身の一撃を叩き込む。絶妙な踏み込みから放たれた銀光が、レオンの手にあった『アルヴの書』を正確に切り裂いた。
「バ、バカな……! 我が野望が……!」
『アルヴの書』が二つに裂けると同時に、紫黒の光は霧散し、礼拝堂を覆っていた不気味な圧迫感が嘘のように消え去った。崩れ落ちるレオン。同時に、激しい炎も静まり始めていく。
静寂が戻った瓦礫の中で、リドは息を荒げながら剣を鞘に収めた。そして、ゆっくりと振り返り、シャルロッテの元へと歩み寄る。
「……私の勝ちだ、シャルロッテ。お前の予知夢にあった破滅の未来は、完全に立ち切られた」
「いいえ……私たちの勝ちです、リド様」
シャルロッテが可憐に微笑むと、リドは愛おしそうに彼女の頬に触れた。氷のように冷たかった男の指先は、今や驚くほど温かい。
「お嬢様〜! 無事終わりましたね!」
「まったく、ハラハラさせられましたわ」
後ろからエミーナが抱きつき、ロゼッタが呆れつつも温かい眼差しで見守る。
燃えさかる修道院の隙間から、夜明けの美しい金色の光が差し込み始めていた。抗えぬはずだった運命を乗り越え、いま四人の前に、新しく輝かしい未来が明けていくのだった。




