第49章『ツンデレ公爵は恋に落ちる』その2
修道院での凄惨な激闘から数日。王都の賑わいとは裏腹に、フロスト・ヴァイス城のシャルロッテの部屋には重苦しい空気が満ちていた。
「お嬢様、またあのお顔……あの恐ろしい夢をご覧になったのですか?」
金髪の髪を揺らしながら、エミーナが心配そうに温かい紅茶をテーブルに置く。その隣では、黒髪のロゼッタが手際よく部屋の明かりを整えていた。
「ええ……。修道院で見た『アルヴの書』の幻影、そしてあの公爵……リド様が、私の夢の中で血に染まった剣を手に立っていたの」
シャルロッテは淡い栗色の髪を指で弄びながら、小さく溜息をついた。予知夢の中で一族を破滅へと追いやる黒幕——それは本当に、あの冷徹な「黒狼公」なのだろうか。
「考えすぎかもしれませんわ、お嬢様。ですが、あのお方に関わるのは危険すぎます」 「ロゼッタの言う通りよ! あの人、お嬢様を救ってくれたとはいえ、ものすごい上から目線だったじゃない!」
プンプンと怒ってみせるエミーナの言葉に、シャルロッテは苦笑した。確かに彼の態度は傲慢そのものだった。しかし、あの死線の中で自分を抱き上げた腕の温もりと、どこか深い孤独を湛えた氷の瞳が、どうしても頭から離れない。
「じっとしてはいられないわ。……今夜、王宮で開かれる仮面舞踏会に忍び込むわよ」 「えっ!? 招待状もなしにですか!?」 「静かに、エミーナ。お嬢様、本気ですか?」
ロゼッタが鋭い眼差しでシャルロッテを見つめる。シャルロッテは強く頷いた。
「夢の中の惨劇を回避するには、ジュリアン様が本当に敵なのか、それとも味方になり得るのかを確かめる必要があるの。二人とも、手伝ってくれるわね?」
「……お嬢様がお決めになったことなら、どこまでもお供します」 「もう! 止めても無駄だって分かってるんだから! その代わり、絶対に危険なマネはしないでくださいね!」
その夜。豪華絢爛な王宮の燭台が照らし出す大広間は、仮面で素顔を隠した貴族たちの欲望と社交辞令で満ち溢れていた。
侍女に変装したエミーナとロゼッタの見事な手引きにより、見事な刺繍が施されたドレスと繊細なレースの仮面を身に纏ったシャルロッテは、首尾よく会場への潜入を果たしていた。
華やかな音楽が流れる中、シャルロッテの視線は一直線に一人の男へと注がれる。 漆黒の礼服に身を包み、銀色の半仮面をつけた背の高い男——リド公爵だ。周りの貴族たちが近寄り難い圧倒的な覇気を纏い、彼は一人、グラスを手にバルコニーの近くに立っていた。
(今夜こそ、彼の真意を確かめてみせる……!)
シャルロッテは息を呑むと、意を決してドレスの裾を翻し、一歩を踏み出した。
◇
シャンパンの泡が静かに弾ける社交場。華やかなワルツの旋律を背に、シャルロッテはまっすぐ彼へと向かって歩を進めた。
「公爵閣下……少し、お時間をいただけますか?」
意を決して声をかけると、銀色の半仮面の奥で、氷のように冷ややかな瞳がゆっくりとシャルロッテをとらえた。周囲の空気が一瞬で凍りつくような威圧感。だが、彼女は怯むことなく、その視線を真っ向から受け止めた。
リドは手にしていたグラスを傾け、小さく目を細める。
「……身の程を知らぬ鼠が、今度は仮面をつけて舞踏会に紛れ込んだか」 「!?……気づいていたのですか?」
「修道院の時と同じ香料の匂いだ。忘れるはずもない」
冷たく言い放ち、リドはバルコニーの影へと足を進めた。シャルロッテも慌ててそのあとに続く。夜風が通り抜けるバルコニーには人影がなく、ふたりだけの緊張感が漂っていた。
「単刀直入に伺います。閣下は……この王国に災いをもたらすおつもりなのですか? あの修道院で探していたもの、そして王宮を巡る陰謀の真実を教えてください!」
「災いだと?」
リドは静かに歩み寄ると、逃げ場を塞ぐようにバルコニーの手すりに手を突いた。影がシャルロッテをすっぽりと覆い隠す。あまりの距離の近さに、彼女の心臓が早鐘を打つ。
「何を知った気になっているかは知らんが、小娘が踏み込んでいい領域ではない。命が惜しくば、二度と私の前に姿を現すな」
「嫌です! 私は、あなたを信じるべきか確かめるためにここに来たのです。私には……見えているのです、このままでは一族も、この国も惨劇に呑み込まれる未来が!」
必死に訴えるシャルロッテの言葉に、リドの瞳に初めてわずかな揺らぎが走った。単なる狂言ではない、心底からの切迫感が彼女の瞳に宿っていたからだ。
その時——。
「お嬢様、大変です!」
息を切らせたエミーナが、影から飛び出してきた。後ろには冷静さを保ちつつも鋭く周囲を警戒するロゼッタの姿がある。
「王宮の近衛兵たちが……いえ、反乱分子の密友と思われる刺客たちが、この会場を取り囲んでいます!」
ロゼッタが短剣を握り直し、低い声で付け加えた。
「公爵閣下。あなたを狙った動きです。すでに会場の出口は封鎖されました」
リドの顔から一瞬で甘さが消え、凄まじい殺気が立ち上る。彼は漆黒のマントを翻すと、シャルロッテの腕を強く引き寄せ、自らの背中に庇い立てた。
「……私の命を狙うにしては、手回しが早すぎる。おい、侍女ども、お前たちの主人を連れて奥の隠し通路へ逃げろ」
「いいえ、逃げません!」
シャルロッテはリドの腕を強く握り返した。
「私の夢で見た惨劇は、今まさにここで始まろうとしている……! 閣下を一人にして逃げるわけにはいきません!」
淡い栗色の髪を夜風に揺らしながら、強く澄んだ瞳で自分を見つめ返す少女。リドは思わず薄く苦笑した。
「フン……強情な女だ。足手まといになったら、その場に置いていくぞ」
「望むところです!」
刃の交わる音が、ついに大広間から響き始めた。運命の夜、二人の抗えぬ絆が本格的に動き出そうとしていた。




