第43章『三頭龍の戦い』
漆黒の森での激闘を制し、魔導帝国の北方ゲリラ部隊を潰走させた連合軍は、いよいよ帝国の心臓部――聖都『クリスタルヘイム』を包囲すべく、怒濤の勢いで進軍を開始していた。
だが、聖都へと至る峻険なる山脈の最南端には、古より幾万の遠征軍を呑み込んできた絶望の天然要塞が立ちはだかっていた。
――『三頭龍の谷』。
天を突き刺すようにそびえ立つ断崖絶壁は、聖都へ向かう街道を完全に三つへと引き裂くように刻まれている。それぞれの谷の入り口には、気の遠くなるような歳月をかけて風雨に削られた奇怪な巨岩が鎮座していた。天を睨み、牙を剥く三つの頭を持った巨龍の姿にも見えるその無気味な岩肌こそが、この地名の由来であった。
切り立った断崖に挟まれた狭隘な迷宮。これこそが、帝国軍を壊滅させ、聖都クリスタルヘイムへと到達するための唯一の進軍路である。
「……まさしく、巨龍の胎内に入り込むような圧迫感ですね」 エミーナが羊皮紙の地図を抱え、緊張を孕んだ眼差しでそびえ立つ岩壁を見上げた。彼女の胸元では、聖なる杖『破邪顕正』の純白の光芒が、谷の奥から漂う不穏な死気を感じ取ってかすかに波打っている。
「ちっ、見上げるだけで首が痛くなるわ。挟み撃ちにしてくれと言わんばかりの地形じゃない」 ロゼッタが背中の獄炎魔槍『煉獄の咆哮』をカチャリと鳴らし、不機嫌そうに吐き捨てた。
シャルロッテは神剣『空斬刺鏡』の柄にそっと手を置き、三つに分かれた洞門のような谷の入口を見据えた。
「ええ。ですが、ここを突破しなければ聖都への道は開かれません。各軍の分担通り、作戦を開始します」
連合軍は、狭隘な谷の特性に合わせて軍を三手に分けた。
北側街道:シャルロッテ率いるセレスティア軍、および再編を果たしたランスロット軍。
中央街道:ジュリアン・ヴェスペリア大公率いるオーロラリス精鋭軍。
南側街道:熱帯の荒武者ビー・スー率いるマーレン軍。
進軍の直前、中央街道の陣頭に立つジュリアンと、その傍らに寄り添うセレスティーヌ・アストレアがシャルロッテのもとへ歩み寄ってきた。
「シャルロッテ殿。この三頭龍の谷は、各街道間の視界が遮られる難所だ。互いに狼煙と魔導通信で連絡を取り合い、歩調を合わせて進むとしよう」 ジュリアンが気品ある笑みを浮かべて言い、その横でセレスティーヌが可憐に両手を胸の前で合わせた。
「まあ……セレスティア様、北の谷は一番険しいと聞き及んでおりますわ。私のような儚い女では足手まといになってしまいますけれど……どうかご無事で」
猫なで声でジュリアンの袖を引くセレスティーヌ。ジュリアンから見えない角度で、彼女はシャルロッテに向かってフッと勝ち誇ったような侮蔑の笑みを浮かべた。
(……相変わらずの演技力ね。反吐が出るわ) シャルロッテは心の中で酷毒な言葉を吐き捨てながらも、完璧な貴族の微笑みを張り付けた。
「お気遣い感謝いたします、アストレア様。大公殿下も、足元にはくれぐれもお気をつけあそばせ。……『背後からの毒刃』にもね」
「……? ああ、感謝する」 意図を理解していないジュリアンが頷き、自軍の中央街道へと戻っていく。
「あんの清楚ビッチめ……絶対に後で叩き潰してやるわ」 シャルロッテが歯の隙間から漏らした極小の怨念に、ロゼッタが「よしよし、シャルロッテ、今は戦いに集中しなさい」と苦笑しながら肩を叩いた。
「全軍、進撃! 三頭龍の谷を突破し、聖都へ至る扉を開くのです!」
シャルロッテの号令とともに、三つの街道へ向かって連合軍の全軍が一斉に進軍を開始した。
◇
北側街道に入ったセレスティア軍を待っていたのは、生生しい岩肌と、陽の光を遮る奇怪な巨岩の影であった。
前進を始めて半刻。突如として、上空の断崖から凄まじい落石とともに、無数の黒い影が舞い降りた。
「敵襲――ッ! 帝国の伏兵だ!!」
崖の上から解き放たれたのは、暗黒の魔術によって岩石と融合した異形の剛鬼「岩石死霊兵」と、狭隘な地形で威力を発揮する帝国の重装弩兵部隊であった。
「ワハハ! 捉えたぞセレスティアの小娘ども! この狭い谷こそがお前たちの墓場だ!」 崖の上で指揮を執るのは、帝国軍の智将・要塞将軍ガルバ。彼は谷の地形を完璧に利用し、頭上からの容赦ない矢弾と巨石の雨で、北側街道のセレスティア軍を押し潰そうとしたのだ。
「うわぁぁっ! 崖の上からの攻撃に対応できない!」 後方に位置していたランスロット軍の兵士たちがパニックに陥り、短パンに白タイツ姿のランスロット自身も「ひえぇぇっ! またしても挟み撃ちか!」と頭を抱えて右往左往している。
だが――今のセレスティア軍は、かつての未熟な軍勢ではなかった。
「動揺するな! 陣形を維持し、頭上の敵を迎え撃つのです!」 シャルロッテの凛とした声が響く。
「エミーナ! ロゼッタ!」
「はいっ! 破邪の光よ、頭上の悪意を打ち払え――『極光障壁』!」 エミーナが真の「光属性」を宿した『破邪顕正』を天へと掲げた。上空に巨大な光の円陣が展開され、降り注ぐ巨石と黒い毒矢の雨を悉く弾き返していく。
「次は私の番ね! 隠れてコソコソ撃ってくる奴らは……まとめて焼き尽くす!」 ロゼッタが『煉獄の咆哮』を激しく一閃させた。「火属性」の極意を得た彼女の槍から、白熱の炎の竜巻が巻き起こり、断崖絶壁にへばりついていた帝国の弩兵部隊を壁ごと熱で溶かし、蒸発させていく。
「な、なんだあの光と炎は!? 報告と違うぞ!」 崖の上のガルバ将軍が顔を蒼白にする。
その時、中央街道と南側街道からも、激しい戦闘の轟音が響き渡ってきた。
「中央街道、オーロラリス大公軍! 帝国の主力騎兵隊と交戦中!」 「南側街道、マーレン軍! ビー・スー殿が精霊騎兵を率いて帝国の防衛線を強行突破中!」
三つの街道で同時に巻き起こる激戦。帝国軍は三頭龍の谷の地形を活かして連合軍を分断・個別に撃破する手はずであったが、覚醒したセレスティア軍の圧倒的な突破力、ジュリアンの精鋭の意地、そしてビー・スー軍の狂暴なまでの攻撃力によって、逆に各個撃破の計算が狂い始めていた。
◇
「おのれ……おのれぇッ! たかが人間の虫ケラどもがぁッ!」
窮地に追い込まれたガルバ将軍は、懐から狂気じみた赤黒い水晶を取り出し、それを自分の胸へと突き刺した。
「我が命を捧ぐ! 古の巨龍の岩肌よ、不滅の魔導となりて敵を滅ぼせ!!」
ガガガガガガガガッ……!!
三頭龍の谷全体が、まるで巨大な地震に見舞われたかのように激しく揺れ動いた。 谷の入口に鎮座していた奇怪な巨岩――三つの頭を持つ巨龍の姿をした岩肌が、赤黒い魔力を吸い上げてドロドロとした岩石の巨龍「岩塊の魔龍」へと変貌を遂げたのだ。
ギィィィァァァァァッ!!
大気を震わせる超音波の咆哮。その巨体は北、中央、南のすべての街道を塞ぐほど巨大であり、巨龍が踏み出すだけで谷の断崖が崩れ落ち、連合軍の兵士たちが吹き飛ばされる。
「くっ……谷の岩石そのものを媒介にした巨大魔導兵器ですか……!」 エミーナが光の障壁で押し寄せる岩石の波動を防ぎながら叫ぶ。
「デカけりゃいいと思ってんじゃないわよ!」 ロゼッタが白炎の槍で突撃するが、数十メートルの岩石の巨体は瞬時に自己再生し、炎のダメージをものともしない。
「無駄だ! この魔龍は三頭龍の谷の地脈と繋がっている! 地脈が存在する限り、無限に再生し、お前たちを擦り潰すのだ!」 魔龍の体内に取り込まれたガルバ将軍の狂気じんだ声が響く。
巨大な岩石の爪が、セレスティア軍の前線へと振り下ろされた。 押し潰されそうになる兵士たちの前に、静かに、しかし絶対的な存在感を纏って一人の美少女が躍り出た。
白銀の甲冑を纏ったシャルロッテ。 彼女の手にある神剣『空斬刺鏡』は、もはや青い光すら放っていない。完全に無色透明――光すら透過する「概念の刃」へと変貌していた。
「地脈と繋がっていようと……無限に再生しようと……関係ありません」
シャルロッテの透き通るような瞳が、魔龍の核心――ガルバ将軍の魂の存在する位置を冷徹に見抜く。
「私の前にあるのは……切り裂くべき『存在』のみ」
神剣を正眼に構え、シャルロッテは深く息を吐き出した。 周囲の喧騒、魔龍の咆哮、崩れる岩の音が消え去り、世界が完全な静寂へと包まれる。
「神剣真理――『絶空』!!」
踏み込みの一瞬。 シャルロッテの姿が視界から完全に消失した。
静寂を破って解き放たれたのは、音のない一閃。 それは、物質を斬る攻撃ではない。空間そのものを、地脈との繋がりという『概念』そのものを、無へと還元する破壊の最上位技。
サクッ……。
小さな音が、静まり返った谷に響いた。
次の瞬間。 数千トンの岩石で構成されていた「岩塊の魔龍」の胴体に、垂直と水平の巨大な「透明な断層」が走り抜けた。
「……な……に……? 地脈からの魔力が……遮断……された……!?」 魔龍の体内で、ガルバ将軍の愕然とした声が漏れる。
再生しようとする岩石の結晶が、断層に触れた瞬間に「存在そのものを否定」されてさらさらと砂のように崩れ落ちていく。地脈との接続を断たれた巨龍は、もはやただの脆い岩の塊に過ぎなかった。
ズズズズズズ……ドォォォォォンッ!!
三頭龍の谷を揺るがしていた巨大な魔龍が、内側から爆発を起こし、粉々の砂利となって谷底へと崩れ落ちたのだった。
◇
「魔龍が……崩壊したぞ!!」 「北側街道のセレスティア軍が敵の本陣を破った!!」
魔龍の崩壊とともに、谷全体を覆っていた帝国の暗黒障壁が瓦解した。
「今だ! 一気に突破せよ!」 南側街道から、ビー・スー率いるマーレン軍の精霊騎兵が怒濤の勢いで雪崩れ込み、混乱する帝国軍の残党を悉く踏み荒らしていく。
「全軍突撃! 北側軍に続け!」 中央街道からも、ジュリアン率いるオーロラリス軍の銀騎士たちが怒号とともに突入し、挟撃の形を完成させた。
勝敗は決した。 天然の要塞『三頭龍の谷』に陣取っていた帝国軍の防衛線は完全粉砕され、残党は悲鳴を上げて聖都方面へと敗走していった。
「やった……! やったわ、シャルロッテ!」 ロゼッタが槍を掲げて歓声を上げ、エミーナも安堵の涙を浮かべてシャルロッテに寄り添った。
「シャルロッテ様……見事な一撃でした。あなた様の『絶空』が、完全な勝利を引き寄せてくださったのですね」
「ええ……二人とも、ありがとう。皆の支えがあったからこそ、この技を放つことができました」
シャルロッテは神剣を鞘へと収め、荒い息を整えた。
谷の出口へ向かうと、そこには中央街道と南側街道を突破してきたジュリアン、セレスティーヌ、そしてビー・スーたちが合流していた。
「見事な剣技だったな、シャルロッテ殿」 ジュリアンが心からの感嘆を込めてシャルロッテを称えた。 「あの巨大な魔導兵器を一刃で切り伏せるとは……まさに神技だ」
「まあ……本当に恐ろしいほどのお強さですこと」 セレスティーヌが、またしても弱々しくジュリアンの背中に隠れながら、怯えた振りをしてシャルロッテを見つめた。 「あんな凄まじいお力をお持ちなんて……なんだか、少し怖くなってしまいますわ……」
(また始まったわね、あの清楚ビッチ……) シャルロッテは眉ひとつ動かさず、静かに冷笑を返した。
「恐れる必要はありませんわ、アストレア様。私の剣は……『敵』と『裏切り者』にしか向きませんもの」
「ひっ……!」 セレスティーヌが一瞬だけ本気の恐怖で顔を引きつらせ、ジュリアンは「シャルロッテ殿、あまり彼女を脅かさないでやってくれ」と苦笑いしている。
「ガハハハ! 細かいことはどうでもいいではないか!」 ビー・スーが巨大な斧を叩き鳴らし、豪快に笑い飛ばした。 「見ろ! 三頭龍の谷を抜けたぞ! ついに……ついにあそこに見えるぞ!」
ビー・スーが指さした先――。
谷の狭隘な洞門を抜け出た視界の開けた大平原の果て。 雲を突き抜けるようにそびえ立つ、純白と結晶で彩られた巨大な城塞都市が、陽の光を受けて神々しく輝いていた。
――魔導帝国の心臓部、聖都『クリスタルヘイム』。
長きにわたる激闘、過酷な越冬、前世からの凄惨な因縁、そして幾重もの死線を越えてきた連合軍が、ついに決戦の最終地に到達したのだ。
「あれが……クリスタルヘイム……」 シャルロッテは白銀の城壁を見つめ、胸の奥底で炎のように燃え上がる覚悟を確かめた。
女皇帝ルシエラとの最終決戦。 ジュリアンとセレスティーヌとの決着。 そして、この惨劇に満ちた乱世に真の平穏をもたらすための戦い。
「行きましょう、皆さん」
シャルロッテは親友であるエミーナとロゼッタを見つめ、力強く頷いた。
「私たちの未来を……この手で掴み取るために!」
雲間から差し込む希望の光を受け、セレスティア伯爵軍の旗印が、聖都を望む風の中でどこまでも高く、雄大に翻っていた。




